さて、
傀儡子の信仰した、百神、すなわち『夫婦和合の神信仰』についての話をすすめたい。
私がなんとなく腑に落ちないと思ったことがひとつあった。
傀儡女つまり傀儡子集団の女達が、ある種の形で春をひさいでいたのであれば、 なぜこの集団が夫婦和合の神、百神を信仰したのか、ということである。
現代人であれば誰だって、自分の配偶者が他人と体を交えるのを拒むだろう。
つまり、信仰と行いが相反しているのだ。
しかし、仮定として、傀儡子がなんらかの形で縄文文化を受け継いできた存在であると考えるとなんと辻褄が合うのだ。
以下「縄文と古代文明を探求しよう」より引用
縄文時代は総偶婚によって集団内の男女が分け隔てなく交わり合い、そこでは集団を破壊し、充足を妨げる自我を“完全に”封印したことが特筆されます。いわば、縄文の女とは集団と共にある事で安心も安定も充足も得る事ができたのです。
(中略)
しかし、渡来民が伝えた生産手法、稲作技術だけは互いの利益に適い、やがて大きな集団を作った一派が水争いを制圧し、クニを形成します。そういった中で弥生時代の最大の課題は渡来民と縄文人が争わずに一つになる事でした。
これらが融合する為に用いられたのが婚姻でしたが、そこでは「誓約」という概念が作られ、その誓約を導く存在が巫女だったのです。
日本民族の精神の根底にある「誓約(うけい)」という概念。
相手を否定し征服するのではなく、相手を受け入れ和合する事でその安寧を保ってきた日本人のこの精神は、略奪闘争から隔絶された島国ゆえに醸成された独特の文化です。一
つの国家内に様々な部族・民族が存在する状況は世界的に見て珍しい事では有りませんが、和合と同化、共同性をもって統合を成し遂げてきた日本のこの考え方
はきわめて独特、かつ人類としての普遍性を持っています。「性」を中心に据えた力に頼らない集団統合、この発想の柔軟性には見るべきものがあると思いま
す。
争いを避ける為に、性を通して、血の繋がりを通して、民族の和合を得る。
それは、「受け入れる」という女性性の持つ最大の力だと思う。
まるで太陽と北風の話みたいだ。
体を他者と交えるというのは、究極の平和の象徴となりえるということ。
その和合の精神が、平和を追求する精神が、宗教的儀式となり、
もっと抽象的な形で人々に伝えていける芸能となり、
集団から集団へと伝わっていくなかで変化しつつ、
古代から中世、そして現代へと受け渡されてきたのかもしれない。
これで、アメノウズメが日本芸能の源流の神であり、
彼女を中心とした物語に、
「性」=「槽伏(うけふ)せて踏み轟こし、神懸かりして胸乳かきいで裳緒(もひも)を陰(ほと=女陰)に押し垂れき。」と、
「死」=「天照大神が天の岩戸に『隠れ』世界が暗闇に包まれるという、もがりと死を想起させる状況」と、
「神と笑ひゑらぐ」= 「感情の昂ぶり、神懸りをするためのトランスに入る状況」
という象徴的なイメージがくくりつけられていることをより深く理解できるようになった。
2014年3月6日木曜日
日本芸能史に見る音楽と平和(其の二)
まず傀儡子の生業とした『芸能』について。
彼らの芸能は、操り人形の芸である。
傀儡女達に巫女的な役割があったとすると、この操り人形のもともとの由来として、
日本古来から巫女達が(おそらく鎮魂の儀式の為に)舞わした人形(ひとがた)が関係していたと考えるのは自然のことに感じられる。
世阿弥によって日本芸能の源流として位置づけられているアメノウズメの天の岩戸での踊りが象徴するものは、死者の鎮魂を仕事とする「殯(もがり)」の儀式である。
「遊部(あそびべ)」という集団が居て、彼らは死者をもがりの宮において同伴し、歌や舞をして鎮魂の儀式とした。すなわち、音楽と舞を中心としたこの宗教的儀式を昔の言葉で「遊び」と呼んだのだ。
これに関連する信仰の例としてあげておきたいのが 、東北地方のオシラ様だ。
巫女が、木製のオシラ様というひとがたを祭ることを「オシラ遊び」と呼ぶそうだ。
しかも、この信仰は女性性とも深く関係がある様である。
このようなことを並べて考えてみると、次の「呪術の介在する売春」という点がわかりやすくなる。
以下「るいネット」より引用
御託宣(ごたくせん)の神事代主(ことしろぬし)の神に始まるシャーマニズムに於いて、「神懸(かみがか)り」とは、巫女の身体に神が降臨し、巫女の行動や言葉を通して神が「御託宣(ごたくせん)」を下す事である。
当然、巫女が「神懸(かみがか)り」状態に成るには、相応の神が降臨する為の呪詛行為を行ない、神懸(かみがか)り状態を誘導しなければならない。
巫女舞に於ける「神懸り」とは、すなわち巫女に過激な舞踏をさせてドーパミンを発生させる事で、神道では呪詛行為の術で恍惚忘我(こうこつぼうが)の絶頂快感状態、仏法では脱魂(だっこん)と言い現代で言うエクスタシー状態(ハイ状態)の事である。
何処までが本気で何処までが方便かはその時代の人々に聞いて見なければ判らないが、五穀豊穣や子孫繁栄の願いを込める名目の呪詛(じゅそ)として、巫女の神前性交行事が神殿で執り行われていた。
現代の私達の住む世界においては、性に対しての膨大なネガティブなイメージ、
タブー意識、妊娠への渇望または恐れが蔓延していて、
「性」が、精神の「精」でありまた神聖の「聖」であることにまでおおよそ考えが及ばないようになっている。
想像してみるのは容易ではないけれど、何百年、何千年も昔の世界では、
完全に異なった性への意識があったのかもしれない。
中世からさらに遡って、縄文時代の話へ。
其の三へつづく
彼らの芸能は、操り人形の芸である。
傀儡女達に巫女的な役割があったとすると、この操り人形のもともとの由来として、
日本古来から巫女達が(おそらく鎮魂の儀式の為に)舞わした人形(ひとがた)が関係していたと考えるのは自然のことに感じられる。
世阿弥によって日本芸能の源流として位置づけられているアメノウズメの天の岩戸での踊りが象徴するものは、死者の鎮魂を仕事とする「殯(もがり)」の儀式である。
「遊部(あそびべ)」という集団が居て、彼らは死者をもがりの宮において同伴し、歌や舞をして鎮魂の儀式とした。すなわち、音楽と舞を中心としたこの宗教的儀式を昔の言葉で「遊び」と呼んだのだ。
これに関連する信仰の例としてあげておきたいのが 、東北地方のオシラ様だ。
巫女が、木製のオシラ様というひとがたを祭ることを「オシラ遊び」と呼ぶそうだ。
しかも、この信仰は女性性とも深く関係がある様である。
このようなことを並べて考えてみると、次の「呪術の介在する売春」という点がわかりやすくなる。
以下「るいネット」より引用
御託宣(ごたくせん)の神事代主(ことしろぬし)の神に始まるシャーマニズムに於いて、「神懸(かみがか)り」とは、巫女の身体に神が降臨し、巫女の行動や言葉を通して神が「御託宣(ごたくせん)」を下す事である。
当然、巫女が「神懸(かみがか)り」状態に成るには、相応の神が降臨する為の呪詛行為を行ない、神懸(かみがか)り状態を誘導しなければならない。
巫女舞に於ける「神懸り」とは、すなわち巫女に過激な舞踏をさせてドーパミンを発生させる事で、神道では呪詛行為の術で恍惚忘我(こうこつぼうが)の絶頂快感状態、仏法では脱魂(だっこん)と言い現代で言うエクスタシー状態(ハイ状態)の事である。
何処までが本気で何処までが方便かはその時代の人々に聞いて見なければ判らないが、五穀豊穣や子孫繁栄の願いを込める名目の呪詛(じゅそ)として、巫女の神前性交行事が神殿で執り行われていた。
現代の私達の住む世界においては、性に対しての膨大なネガティブなイメージ、
タブー意識、妊娠への渇望または恐れが蔓延していて、
「性」が、精神の「精」でありまた神聖の「聖」であることにまでおおよそ考えが及ばないようになっている。
想像してみるのは容易ではないけれど、何百年、何千年も昔の世界では、
完全に異なった性への意識があったのかもしれない。
中世からさらに遡って、縄文時代の話へ。
其の三へつづく
2014年3月4日火曜日
日本芸能史に見る音楽と平和(其の一)
日本の音楽に興味を持ってからというもの、
後白河法皇の編纂した『梁塵秘抄』について色々と読み物をしてきた。
この『梁塵秘抄』に書き記された日本中世の流行歌、今様や古曲を謡ったのは、傀儡女(くぐつめ)、遊女(あそびめ)と呼ばれるその時代の女性達だ。
なんでも、今様狂いの後白河法皇は、津々浦々から傀儡女や遊女を呼び寄せて、今様を謡わせ、それを夜を徹して聞いたのだそうだ。
音楽の素晴らしさに心を奪われ、今様を追求し、自らも研究し、歌い手達と歌沙汰をし、
今様の本までしたためてしまったという後白河法王の音楽漬けの生活の様子を思い浮かべる度に、
時代を乗り越えて深く共感の意を覚えると共に、芸術を愛する人間の本質というのは何百年の時差があっても変わらないのだなと、笑ってしまう。
以下Wikipediaより抜粋。
傀儡子(くぐつ し、かいらい し)とは、当初は流浪の民や旅芸人のうち狩猟と芸能を生業とした集団、後代になると旅回りの芸人の一座を指した語。傀儡師とも書く。また女性の場合は傀儡女(くぐつ め)ともいう。
平安時代(9世紀)にはすでに存在し、それ以前からも連綿と続いていたとされる。当初は、狩も行っていたが諸国を旅し、芸能によって生計を営む集団になっていき、一部は寺社普請の一環として、寺社に抱えられた「日本で初めての職業芸能人」といわれている。操り人形の人形劇を行い、女性は劇に合わせた詩を唄い、男性は奇術や剣舞や相撲や滑稽芸を行っていた。呪術の要素も持ち女性は禊や祓いとして、客と閨をともにしたともいわれる。
寺社に抱えられたことにより、一部は公家や武家に庇護され、猿楽に昇華し、操り人形は人形浄瑠璃となり、その他の芸は能楽(能、式三番、狂言)や歌舞伎となっていった。または、そのまま寺社の神事として剣舞や相撲などは、舞神楽として神職によって現在も伝承されている。
また、大江匡房 の傀儡子記においては、このような記述もある。
一畝の田も耕さず、一枝の桑も採らずして、故に縣官にも属さず。皆土民に非じ、自ら浪人と限ず。上は王公を知らずして、傍の牧宰も怕れず。課役の無きを以て一生の樂と為す。夜は則ち百神を祭り、鼓舞喧嘩を以て福助を祈る。
(以下訳:脇田晴子著『女性芸能の源流』より)
彼らは一畝の田も耕さないし、一枝の桑の葉も摘まない。したがって、県官(ここでは国司・郡司)に所属しない。土民ではなくて、浪人と同じである。上は王公も知らない、牧宰も恐れない。課税がないので、一生の生活がしやすい。夜は百神を祭って、鼓舞喧嘩して、以て福助を祈っている。
面白いのは、傀儡集団というのが、ジプシー的な存在であり、封建制社会からはじきだされ、自由になった物たちで、そこに
『芸能』という要素、
『「呪術」を介在した売春』という要素、
そして百神=百太夫=道祖神=『夫婦和合の神 信仰』という要素があることだ。
長い間考えていて何かがあるのにしっくりこなかったことが、
すべてなんとなく意味をなしたのは、縄文文化に意識が向いてからだった。
つづく
後白河法皇の編纂した『梁塵秘抄』について色々と読み物をしてきた。
この『梁塵秘抄』に書き記された日本中世の流行歌、今様や古曲を謡ったのは、傀儡女(くぐつめ)、遊女(あそびめ)と呼ばれるその時代の女性達だ。
なんでも、今様狂いの後白河法皇は、津々浦々から傀儡女や遊女を呼び寄せて、今様を謡わせ、それを夜を徹して聞いたのだそうだ。
音楽の素晴らしさに心を奪われ、今様を追求し、自らも研究し、歌い手達と歌沙汰をし、
今様の本までしたためてしまったという後白河法王の音楽漬けの生活の様子を思い浮かべる度に、
時代を乗り越えて深く共感の意を覚えると共に、芸術を愛する人間の本質というのは何百年の時差があっても変わらないのだなと、笑ってしまう。
以下Wikipediaより抜粋。
傀儡子(くぐつ し、かいらい し)とは、当初は流浪の民や旅芸人のうち狩猟と芸能を生業とした集団、後代になると旅回りの芸人の一座を指した語。傀儡師とも書く。また女性の場合は傀儡女(くぐつ め)ともいう。
平安時代(9世紀)にはすでに存在し、それ以前からも連綿と続いていたとされる。当初は、狩も行っていたが諸国を旅し、芸能によって生計を営む集団になっていき、一部は寺社普請の一環として、寺社に抱えられた「日本で初めての職業芸能人」といわれている。操り人形の人形劇を行い、女性は劇に合わせた詩を唄い、男性は奇術や剣舞や相撲や滑稽芸を行っていた。呪術の要素も持ち女性は禊や祓いとして、客と閨をともにしたともいわれる。
寺社に抱えられたことにより、一部は公家や武家に庇護され、猿楽に昇華し、操り人形は人形浄瑠璃となり、その他の芸は能楽(能、式三番、狂言)や歌舞伎となっていった。または、そのまま寺社の神事として剣舞や相撲などは、舞神楽として神職によって現在も伝承されている。
また、大江匡房 の傀儡子記においては、このような記述もある。
一畝の田も耕さず、一枝の桑も採らずして、故に縣官にも属さず。皆土民に非じ、自ら浪人と限ず。上は王公を知らずして、傍の牧宰も怕れず。課役の無きを以て一生の樂と為す。夜は則ち百神を祭り、鼓舞喧嘩を以て福助を祈る。
(以下訳:脇田晴子著『女性芸能の源流』より)
彼らは一畝の田も耕さないし、一枝の桑の葉も摘まない。したがって、県官(ここでは国司・郡司)に所属しない。土民ではなくて、浪人と同じである。上は王公も知らない、牧宰も恐れない。課税がないので、一生の生活がしやすい。夜は百神を祭って、鼓舞喧嘩して、以て福助を祈っている。
面白いのは、傀儡集団というのが、ジプシー的な存在であり、封建制社会からはじきだされ、自由になった物たちで、そこに
『芸能』という要素、
『「呪術」を介在した売春』という要素、
そして百神=百太夫=道祖神=『夫婦和合の神 信仰』という要素があることだ。
長い間考えていて何かがあるのにしっくりこなかったことが、
すべてなんとなく意味をなしたのは、縄文文化に意識が向いてからだった。
つづく
2014年2月9日日曜日
価値を判断することは
全聾の天才作曲家と謳われた佐村河内守氏のほぼ全作品が、実のところは新垣隆という別の作曲家の作品であったというニュースが世間を賑わせている頃、
私は指揮者小澤征爾と作曲家武満徹の1984年に発行された対談集、「音楽」を読んでいた。
小澤氏は対談の中でこう述べている。
「音楽の本質は公約数的なものではなく非常に個人的なもので成り立っていると思うんだよ。」
「音楽会へ行って三千人すわっていても、その三千という数が問題なのではなく、一人ひとりとの関係が重要なんだよ。中略 根本的なところから発しているから、受け入れられ方の幅がうんと広いわけ。
だからレコードが何枚売れたとか、有名だとか、超一流だとか二流だとか三流だとか、ヘッポコだとかは重要でないわけ。一番大事なのはね、もしかすると、人間と音楽が根本的にどこでつながるかにあるんじゃないだろうか。」
そして武満氏。
「実際には、音楽家は自分の考えで音楽をやる以外にはない。結局、最初に話に出たように、実際に音楽をやる気がないような、ある種の太平ムードの中で、なしくずしに意欲を失っていては自分の感受性にたとえあり余るものを身に受けていても、自分が積極的になれない以上は、ものをみきわめる力が、どんどん失われていくのはやむを得ない。」
私が怖いと思うのは、現代の資本主義社会において、大衆の目にするもの耳にするものがプロパガンダに支配されたマスメディアという媒体に限定されることにより、人々の嗜好(または思考)の一元化がなされてしまうということである。
または、人々がある一定の思想、つまるところはメディアを筆頭とするマジョリティーの支持する思想やイメージに太平を求め落ち着いてしまうという状態。
こういった状態に私達の社会は一歩も二歩も入り込んでしまっているように思える。
多様性を消してしまうことは、自然界の成り立ちにも反するし、
私達の世界を極めてロボティックにしてしまう恐ろしさを秘めている。
このことを頭の片隅に置いて、私達は何かを「良い」と言う時に、
自分自身にこう問いかける必要があるかもしれない。
「自分は何を根拠にこれを良いと思うのか?」
「何らかの集団に属したいという欲望のために良いと言っていないか?」
「個人としての自分の判断にどれほどの価値を見出すことができるか?」
少なくとも、この問いかけをして、自らの思想を決定する自由を、未だ我々は手にしている。
武満氏の言うように、意欲を持って生き、良いと思うものをみきわめていけたらと思う。
私は指揮者小澤征爾と作曲家武満徹の1984年に発行された対談集、「音楽」を読んでいた。
小澤氏は対談の中でこう述べている。
「音楽の本質は公約数的なものではなく非常に個人的なもので成り立っていると思うんだよ。」
「音楽会へ行って三千人すわっていても、その三千という数が問題なのではなく、一人ひとりとの関係が重要なんだよ。中略 根本的なところから発しているから、受け入れられ方の幅がうんと広いわけ。
だからレコードが何枚売れたとか、有名だとか、超一流だとか二流だとか三流だとか、ヘッポコだとかは重要でないわけ。一番大事なのはね、もしかすると、人間と音楽が根本的にどこでつながるかにあるんじゃないだろうか。」
そして武満氏。
「実際には、音楽家は自分の考えで音楽をやる以外にはない。結局、最初に話に出たように、実際に音楽をやる気がないような、ある種の太平ムードの中で、なしくずしに意欲を失っていては自分の感受性にたとえあり余るものを身に受けていても、自分が積極的になれない以上は、ものをみきわめる力が、どんどん失われていくのはやむを得ない。」
私が怖いと思うのは、現代の資本主義社会において、大衆の目にするもの耳にするものがプロパガンダに支配されたマスメディアという媒体に限定されることにより、人々の嗜好(または思考)の一元化がなされてしまうということである。
または、人々がある一定の思想、つまるところはメディアを筆頭とするマジョリティーの支持する思想やイメージに太平を求め落ち着いてしまうという状態。
こういった状態に私達の社会は一歩も二歩も入り込んでしまっているように思える。
多様性を消してしまうことは、自然界の成り立ちにも反するし、
私達の世界を極めてロボティックにしてしまう恐ろしさを秘めている。
このことを頭の片隅に置いて、私達は何かを「良い」と言う時に、
自分自身にこう問いかける必要があるかもしれない。
「自分は何を根拠にこれを良いと思うのか?」
「何らかの集団に属したいという欲望のために良いと言っていないか?」
「個人としての自分の判断にどれほどの価値を見出すことができるか?」
少なくとも、この問いかけをして、自らの思想を決定する自由を、未だ我々は手にしている。
武満氏の言うように、意欲を持って生き、良いと思うものをみきわめていけたらと思う。
2014年1月31日金曜日
アミナ・クローディン・マイヤーズ
気鋭のドラマー作曲家のタイショーン・ソーリーがアミナ・クローディン・マイヤーズに対話形式でインタビューするというなんだか凄いイベントに参加した。
アミナ・クローディン・マイヤーズの音楽を知ったのは本当にここ何年かのことで、
十分に彼女の音楽性を熟知しているとはとても言いきれないのだけれど、
彼女の作品の多岐にわたる内容は素晴らしく興味深い。
確かきっかけはフランク・ロウの「Exotic Heartbreak」というレコードだった。
それからしばらくして、プーさんが「The Circle of Time」を貸してくれてそれを聞いたりしていた。
タイショーン・ソーリーはというと、近年話題にもなったオブリークの様なジャズの曲を書く一方で素晴らしく緻密なクラシックの作曲もする人。モートン・フェルドマンやシュトックハウゼンという名前もよく話にでてくる、本当に多種多様な音楽を聞いている人だ。そういう意味で、このインタビューの組み合わせはとっても面白いと思った。
今日のインタビューでも話していたけれど、マイヤーズ氏はまずクラシックピアノから音楽を弾きはじめて、その後に教会でゴスペルをやったのだそうだ。
オルガンもすごかったり、歌も素晴らしいのは、そういうバックグラウンドから来ているみたいだ。しかし彼女が面白いのは、その後教師の仕事を探してたどり着いたシカゴで、
AACMに参加するということだ。彼女自身のアルバムは、割とリズム&ブルースやゴスペルの影響が強い曲が目立つものの、サイドマンとしてはヘンリー・スレッドギルやArt Ensemble of Chicago、厶ハル・エイブラハム・リチャードソンなどの錚々たるミュージシャンと共演しているところからも、彼女の多才さをうかがえる。
これは、シカゴの当時の先鋭ジャズシーンにマイヤーズ氏を紹介したその人、レスター・ボウイーとの共演。
当のマイヤーズ氏は、なんだかとてもお茶目で気さくで面白い、少女の様な人、という印象を受けた。色々な話をしていたけれど、中でも印象に残ったのは、
自分はシカゴに引っ越した当時も音楽家になろうとは思っていなかった。と言っていたこと。
それからまだジャズを弾き始めてまもない頃に、クラブでの演奏の仕事をもらったマイヤーズ氏がステージでやっとの思いでオルガンを弾いているところで、ジミー・スミスが客席に居るのを見て心臓が口から飛び出るかと思った、というエピソード。
その後ジミー・スミスから「はじまりとおわりはなんとかちゃんと出来ていたから良いと思う。」というなんともいえない励ましをもらったそうだ。
それにしても、いいね、声や表情が素敵で、魅力的な経験をしてきた人のお話を聞くっていうのは。
私は質疑応答で、ブルースについてどう思うか、という質問をしたかったのだけど、
勇気が出ず断念。。
次の機会があることを願おう。
とっても良い時間だった。
アミナ・クローディン・マイヤーズの音楽を知ったのは本当にここ何年かのことで、
十分に彼女の音楽性を熟知しているとはとても言いきれないのだけれど、
彼女の作品の多岐にわたる内容は素晴らしく興味深い。
確かきっかけはフランク・ロウの「Exotic Heartbreak」というレコードだった。
それからしばらくして、プーさんが「The Circle of Time」を貸してくれてそれを聞いたりしていた。
タイショーン・ソーリーはというと、近年話題にもなったオブリークの様なジャズの曲を書く一方で素晴らしく緻密なクラシックの作曲もする人。モートン・フェルドマンやシュトックハウゼンという名前もよく話にでてくる、本当に多種多様な音楽を聞いている人だ。そういう意味で、このインタビューの組み合わせはとっても面白いと思った。
今日のインタビューでも話していたけれど、マイヤーズ氏はまずクラシックピアノから音楽を弾きはじめて、その後に教会でゴスペルをやったのだそうだ。
オルガンもすごかったり、歌も素晴らしいのは、そういうバックグラウンドから来ているみたいだ。しかし彼女が面白いのは、その後教師の仕事を探してたどり着いたシカゴで、
AACMに参加するということだ。彼女自身のアルバムは、割とリズム&ブルースやゴスペルの影響が強い曲が目立つものの、サイドマンとしてはヘンリー・スレッドギルやArt Ensemble of Chicago、厶ハル・エイブラハム・リチャードソンなどの錚々たるミュージシャンと共演しているところからも、彼女の多才さをうかがえる。
これは、シカゴの当時の先鋭ジャズシーンにマイヤーズ氏を紹介したその人、レスター・ボウイーとの共演。
当のマイヤーズ氏は、なんだかとてもお茶目で気さくで面白い、少女の様な人、という印象を受けた。色々な話をしていたけれど、中でも印象に残ったのは、
自分はシカゴに引っ越した当時も音楽家になろうとは思っていなかった。と言っていたこと。
それからまだジャズを弾き始めてまもない頃に、クラブでの演奏の仕事をもらったマイヤーズ氏がステージでやっとの思いでオルガンを弾いているところで、ジミー・スミスが客席に居るのを見て心臓が口から飛び出るかと思った、というエピソード。
その後ジミー・スミスから「はじまりとおわりはなんとかちゃんと出来ていたから良いと思う。」というなんともいえない励ましをもらったそうだ。
それにしても、いいね、声や表情が素敵で、魅力的な経験をしてきた人のお話を聞くっていうのは。
私は質疑応答で、ブルースについてどう思うか、という質問をしたかったのだけど、
勇気が出ず断念。。
次の機会があることを願おう。
とっても良い時間だった。
2014年1月26日日曜日
巫女と遊び
一、申楽、神代の始まりといふは、
天照大神、天の岩戸に籠り給ひし時、
天下常闇になりしに、八百萬の神達、天の香具山に集まり、
大神の御心をとらんとて、神楽を奏し、細男を初め給ふ。
中にも、天の鈿女の尊、進み出で給ひて、榊の枝に幣を附けて、
聲を挙げ、火処焼き、踏み轟かし、神憑りすと、歌ひ、舞ひ、奏で給ふ。
その御聲ひそかに聞えければ、大神、岩戸を少し開き給ふ。
国土また明白たり。神達の御面、白かりけり。
その時の御遊び、申楽のはじめと、云々。
世阿弥
『風姿花伝』神儀篇
日本の芸能の歴史を辿っていくと、その先にあるのはこの場面だ。
あめのうずめが半裸でこっけいな舞をし、神々は それを笑った。
この場面が本当に面白いと思うのは、この神話の一面に、性、死、高揚感(笑いという形の)が一挙に描かれていることである。
「遊び」という言葉は、その昔、死者の魂降り、鎮魂のため、「もがり」という儀礼を行った際の歌や舞のことを表した。
そこにはきっと、現代で言うイタコのように憑依されて踊るシャーマンの存在もあっただろうと思う。
生と死の境界線で、魂の導くままに音楽を奏し、舞う。
それはきっと、おそろしく、畏れ多き光景であり、古代人の精神性の核となるものであったに違いないと感じるのだ。
もがりにおける儀礼を隠喩したものが、この神話の一場面であるとすれば、
あめのうずめが性的な芸能の表現をしているのは、なぜであろうか?
中世において、巫女、くぐつめ、遊女などが、儀式を司る立場であり、
同時に性的な存在であると位置づけられているのはなぜだろうか?
性の神聖さ、というのを、私達現代人は見直す時かもしれない。
性が虐げられ、搾取される時代には、真の精神性は見出されないのではないか。
この巫女と中世芸能について今勉強しているのだけれど、
脇田晴子という人が本当に面白い本を書いている。
その序文から、こういった一節がある。
「女性史の問題としては、家内に包含される女性、そこからはじきだされる尼僧、娼婦・芸能者、その三者に分断され、鼎立して存在する女性のあり方を、「家」をユニットとして成り立つ社会構造のなかに位置づけることこそ肝要であると考えている。」
このテーマはこれからしばらく続く。
天照大神、天の岩戸に籠り給ひし時、
天下常闇になりしに、八百萬の神達、天の香具山に集まり、
大神の御心をとらんとて、神楽を奏し、細男を初め給ふ。
中にも、天の鈿女の尊、進み出で給ひて、榊の枝に幣を附けて、
聲を挙げ、火処焼き、踏み轟かし、神憑りすと、歌ひ、舞ひ、奏で給ふ。
その御聲ひそかに聞えければ、大神、岩戸を少し開き給ふ。
国土また明白たり。神達の御面、白かりけり。
その時の御遊び、申楽のはじめと、云々。
世阿弥
『風姿花伝』神儀篇
日本の芸能の歴史を辿っていくと、その先にあるのはこの場面だ。
あめのうずめが半裸でこっけいな舞をし、神々は それを笑った。
この場面が本当に面白いと思うのは、この神話の一面に、性、死、高揚感(笑いという形の)が一挙に描かれていることである。
「遊び」という言葉は、その昔、死者の魂降り、鎮魂のため、「もがり」という儀礼を行った際の歌や舞のことを表した。
そこにはきっと、現代で言うイタコのように憑依されて踊るシャーマンの存在もあっただろうと思う。
生と死の境界線で、魂の導くままに音楽を奏し、舞う。
それはきっと、おそろしく、畏れ多き光景であり、古代人の精神性の核となるものであったに違いないと感じるのだ。
もがりにおける儀礼を隠喩したものが、この神話の一場面であるとすれば、
あめのうずめが性的な芸能の表現をしているのは、なぜであろうか?
中世において、巫女、くぐつめ、遊女などが、儀式を司る立場であり、
同時に性的な存在であると位置づけられているのはなぜだろうか?
性の神聖さ、というのを、私達現代人は見直す時かもしれない。
性が虐げられ、搾取される時代には、真の精神性は見出されないのではないか。
この巫女と中世芸能について今勉強しているのだけれど、
脇田晴子という人が本当に面白い本を書いている。
その序文から、こういった一節がある。
「女性史の問題としては、家内に包含される女性、そこからはじきだされる尼僧、娼婦・芸能者、その三者に分断され、鼎立して存在する女性のあり方を、「家」をユニットとして成り立つ社会構造のなかに位置づけることこそ肝要であると考えている。」
このテーマはこれからしばらく続く。
2014年1月22日水曜日
セシル・テイラーとメアリー・ルー・ウィリアムス
メアリー・ルー・ウィリアムスとセシル・テイラーが共演したライブ録音、Embracedというアルバムについて少し感想を書きたいと思う。
メアリー・ルー・ウィリアムスには私は多大な影響を受けているのだけれど、
それは当時本当に数えるほどしかいなかった女性ミュージシャンとして数々の偉業をおさめたことに加え、彼女の弾くピアノのオーセンティックな音色、そして彼女がジャズの歴史とともに進化し、ブギウギからフリーまで、あらゆる形の音楽を信念を持って演奏したことに帰する。
ただ、イメージとしてはメアリー・ルーの素晴らしさはやはり、ブルースのフィーリングにつきると思う。
シンプルで、女性的な柔らかさを表現しつつ、ブルースのフィーリング、ソウルフルなフィーリングを素晴らしく力強くまた表現する。まさに彼女にしかない音を持っていた、アメリカのジャズピアノの潮流の母体とでも呼ばれてしかるべき人だと私は思っている。
一方で、京都賞受賞が記憶に新しいセシル・テイラーはいうまでもなくフリージャズの先駆者の様な人で、言ってみればその時代の先端を突っ走ってきたミュージシャン。
エッジーで、そのハーモニーや音楽的構造を理解しようとする評論家がいれば、ただ、「Listen to THIS!!」と体当たりしてくるような裸の音楽を弾く。
この二人が共演することになった経過がメアリー・ルー・ウィリアムスによってライナーノーツに書かれている。
60年代に互いの演奏を見て、同じように衝撃を受け、
後に お互いがそれぞれのインスピレーションとなっていることを知り、一緒に演奏することを決めたのだそうだ。
テイラーの縦横無尽な音の羅列の中にこだまの様に聞こえるウィリアムスのオールドスクールなジャズやブルースの言葉達。
ふたりが共鳴したのも、わかる気がした。暖かさと情熱、それがすべてを繋げている。
2台のピアノと四本の手が奏でるだけの無数の音があるにも関わらず、不思議とすべての音が共生しているのだ。
これは是非、生でコンサートを鑑賞したかったと思った。
ジャズの壮大な歴史とそれを取り巻く嵐の様な様々な経験と感情を一斉に耳から受け取る、もはや儀式的な一枚、と私は思う。
「ジャズ」という言葉について、ウィリアムスはこう言っている。
『JAZZという差別的な呼び方が、このような素晴らしく精神的な音楽、魂にとっての癒しとなる音楽、につけられた。それぞれの年代のミュージシャン達が、この名前を変えようと努力したわ。20年代には私たちは自分達自身のことを「シンコペイター」と呼んだし、30年代にはこの音楽を「スイング」と呼んで、40年代には、「バップ」とか、「モダン・ミュージック」と呼んだ。徐々に私は呼び名のことにはこだわらずにただシンプルに音楽を弾こうと思うようになったの。
結局は、「芸術」という傘の下の、ひとつの表現の形なのだから。
私たちの魂にとって良いものなのだから、この音楽は、あらゆる場所で演奏され、聞かれるべき。学校、大学、ストリート、コンサートホールにクラブ、教会、ラジオ、テレビやレコード、そしてビリヤード場で。人々の手に届くところで音楽を弾ける場所ならばどこでも。』
今私たちがJAZZと呼んでいる音楽はなんだろう?
その精神は果たしてどこに、どのようにして存在しているだろう?
私はまたしてもFrank LoweやAlbert Aylerが創り出した世界を、憧れ、こころの中で探し求めている。
メアリー・ルー・ウィリアムスには私は多大な影響を受けているのだけれど、
それは当時本当に数えるほどしかいなかった女性ミュージシャンとして数々の偉業をおさめたことに加え、彼女の弾くピアノのオーセンティックな音色、そして彼女がジャズの歴史とともに進化し、ブギウギからフリーまで、あらゆる形の音楽を信念を持って演奏したことに帰する。
ただ、イメージとしてはメアリー・ルーの素晴らしさはやはり、ブルースのフィーリングにつきると思う。
シンプルで、女性的な柔らかさを表現しつつ、ブルースのフィーリング、ソウルフルなフィーリングを素晴らしく力強くまた表現する。まさに彼女にしかない音を持っていた、アメリカのジャズピアノの潮流の母体とでも呼ばれてしかるべき人だと私は思っている。
一方で、京都賞受賞が記憶に新しいセシル・テイラーはいうまでもなくフリージャズの先駆者の様な人で、言ってみればその時代の先端を突っ走ってきたミュージシャン。
エッジーで、そのハーモニーや音楽的構造を理解しようとする評論家がいれば、ただ、「Listen to THIS!!」と体当たりしてくるような裸の音楽を弾く。
この二人が共演することになった経過がメアリー・ルー・ウィリアムスによってライナーノーツに書かれている。
60年代に互いの演奏を見て、同じように衝撃を受け、
後に お互いがそれぞれのインスピレーションとなっていることを知り、一緒に演奏することを決めたのだそうだ。
テイラーの縦横無尽な音の羅列の中にこだまの様に聞こえるウィリアムスのオールドスクールなジャズやブルースの言葉達。
ふたりが共鳴したのも、わかる気がした。暖かさと情熱、それがすべてを繋げている。
2台のピアノと四本の手が奏でるだけの無数の音があるにも関わらず、不思議とすべての音が共生しているのだ。
これは是非、生でコンサートを鑑賞したかったと思った。
ジャズの壮大な歴史とそれを取り巻く嵐の様な様々な経験と感情を一斉に耳から受け取る、もはや儀式的な一枚、と私は思う。
「ジャズ」という言葉について、ウィリアムスはこう言っている。
『JAZZという差別的な呼び方が、このような素晴らしく精神的な音楽、魂にとっての癒しとなる音楽、につけられた。それぞれの年代のミュージシャン達が、この名前を変えようと努力したわ。20年代には私たちは自分達自身のことを「シンコペイター」と呼んだし、30年代にはこの音楽を「スイング」と呼んで、40年代には、「バップ」とか、「モダン・ミュージック」と呼んだ。徐々に私は呼び名のことにはこだわらずにただシンプルに音楽を弾こうと思うようになったの。
結局は、「芸術」という傘の下の、ひとつの表現の形なのだから。
私たちの魂にとって良いものなのだから、この音楽は、あらゆる場所で演奏され、聞かれるべき。学校、大学、ストリート、コンサートホールにクラブ、教会、ラジオ、テレビやレコード、そしてビリヤード場で。人々の手に届くところで音楽を弾ける場所ならばどこでも。』
今私たちがJAZZと呼んでいる音楽はなんだろう?
その精神は果たしてどこに、どのようにして存在しているだろう?
私はまたしてもFrank LoweやAlbert Aylerが創り出した世界を、憧れ、こころの中で探し求めている。
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