2015年2月26日木曜日

非存在としてのインプロビゼーション

インプロビゼーションと呼ばれる音楽は、まるで幻獣の様である。

実体を完全に掴むことはできない。
だから、得体の知れない存在として人々の想像の中に生きる。
時に、得体の知れない存在であるがゆえに美化され、
また時には、得体の知れない存在であるがゆえに拒絶され、
そして時には、得体の知れない存在という名の「存在せぬもの」という扱いを受ける。

実際に演奏する音楽家にとってさえ、完全なる形で捕らえ、乗りこなすことはできないのだから、
聴き手側が簡単に納得するはずがない。

存在の裏付けがされないということが何を意味するかというと、
それはその幻獣についてあなたが想像する、姿や形、動き方や性質には限界がなく、
よってあなたの想像は人間の集合体による観念に完全に支配されることがないということ。

もし幻獣に少しでも興味があるのなら、
同じように幻獣に興味を持つ人々(世間からは「変わり者」と呼ばれたりする)の提示する、
幻獣についての見解を聞いてみるだろう。
それぞれの見解は、ある「存在せぬもの」に関する個性的な翻訳の数々であり、
そこに普遍的なものはほとんど見出されない。

そこで興味を失い、「想像してみること」を放棄し、「理解する」価値を見出さないという道もある。
理解することなんてはなっから期待してはいけないのだ。
幻獣なのだから。
もし、「想像してみる」という道を選べば、
幻獣はあなたのゆく先々で、一瞬姿を見せては去り、
あなたを狂おしい気持ちにさせ、惑わすだろう。