2011年4月25日月曜日

piano is a mother of romance

前に借りていたアパートの私の部屋の階下に住んでいた、会ったことのないエジプト人の女の子が、
その当時、ひとつの恋愛を終えたばかりで、私の弾くピアノで少しだけ悲しみを埋めることができていた、と人に聞いた。
あれから4ヶ月、私がそのアパートから引っ越して、
彼女も引っ越したらしいのだけど、
ピアノの音色がどうしても恋しくなって、とうとうピアノを購入してしまったらしい。


もう4年ほどピアノを教えている大好きな12歳の生徒がいて、
彼女は本当に天真爛漫で才能に溢れている。
先週のレッスンの時に、ふと彼女の手を見て、もうすでにピアニストの手になっていることに気づいた。
少し無骨で、指の関節がしっかりしている。
私の手とそっくりな彼女の手。
「大きさが同じくらいなのね、ほら。」と言って、私の手を彼女の手に合わせると、
「ワオ、本当だ!先生って手が小さいのね!」と満面の笑顔で答えてくれる。
そんな彼女に、すごくきっと私は癒されてると思う。


私はどうしようもなくセンチメンタルな人間だ。
だからこそ、ピアノを人生の中に持つことで、
素晴らしくロマンティックで情緒ある生き方をできていると思う。

ロマンスを感じるための、幾多もの層を私の心に創り出してくれたのも、
きっと、昔から弾いてきたショパンでありベートーベンであり、ドビュッシーなのだ。。

2011年4月23日土曜日

reminder

怖れることなく、偏見を持たず、自分の世界を拡げていくこと。

ある事物、人に対して自分の中に生まれた観念に、変化の余裕を常に与えること。

自分の世界に常に新しい風が吹くように、窓を開けておくこと。

2011年4月19日火曜日

don't think, just play

We cannot play it safe and expand as artists at the same time.
We must risk expanding our territory. -Julia Cameron


今日はThe StoneでKarl Bergerという作曲家、ピアニスト、ヴァイビストの、即興オーケストラのワークショップを見た。
『70~80年代に、Ornette Colemanらと共にCreative Music Studioを立ち上げ、ジャズとワールドミュージックにおいての前衛的な開拓者となった。』と説明書きがあった。

オーケストラは、総勢20名くらい。
Don Cherry作曲のテーマなどにしたがい、その場で耳で曲を覚え、そこからcollective free improvisationがはじまる。
面白かったのは、Karl Berger氏の指揮の取り方。
その場で即興でオーケストラをひとつにまとめるのは容易ではないはずだけれど、
音楽はすごく良かった。

途中でBerger氏が言っていて印象に残った言葉。

「感じたままに即興してください。この音、フレーズでいいだろうか、などと考えないでください。
『思考』は遅すぎて、即興演奏についていけないのです。」

2011年4月16日土曜日

鏡の中にある如く

Ingmar Bergmanの、Through a Glass Darkly (1961)を見た。


小説家の父 David (Gunnar Bjornstrand)、精神分裂病で完治しないだろうと言われている娘、Karin (Harriet Andersson)。
Karinを愛してやまない夫、Martin (Max von Sydow)。
そして、Karin同様に精神薄弱な弟 Minus (Lars Passgard)。

この4人の、感情の交錯がものすごい密度の濃さで描かれている。
特に、Harriet Anderssonと Lars Passgardの演技は素晴らしかった。

白黒の海の風景に、画面から溶け出してくるかと思う程の人間の感情。
静かなシーンの中で流れ出すチェロは、バッハのSarabande from Suite No. 2 in D minor。
美しさと、人間の感情の持つ繊細なグロテスクさの同居。

それから、精神分裂病により、現実と倒錯のふたつの世界を彷徨うKarinを愛する3人の男、という設定もおもしろいと思った。

ひとりの女と、その父、弟、夫という一番近しい3種類の男達が、他に誰もいない孤島で過ごすのだ。
その3人全員とKarinとの間に、とても微妙な具合の性的なニュアンスが描かれている。
父が、弟が、夫が、Karinを愛し、愛で、抱きしめる様子、
そしてその愛の雨にまみれて、さらに精神を病んでいくKarin。


印象に残っているのは、
ベッドで夫に抱きしめられながら、愛の言葉を囁かれ、
父の書斎では、椅子に座った父の膝の上に座り、なだめられ、
古い船の地下で、雨水のしたたる中、性的に弟をからかった後でその弟に抱きしめられ眠るKarin。

この映画の中での、それぞれの愛情表現のシーンというのが本当に衝撃的だった。
発狂寸前の愛、というか。。
こういう愛の表現を映像で見るのは初めてだった。


言葉や音楽にボキャブラリーがあるように、
愛の表現にもボキャブラリーというものがある、と思う。

そのボキャブラリーを増やしていくことで、人間は愛の美しさを体感するのだと思う。

どんな愛し方をするか、というのは、喋る時にどんな言葉を選ぶかと同じだ。

2011年4月6日水曜日

hexagram

when would the bird in the cage fly out?

In the night of dawn

A crane and a turtle will become as one

Who do you see in front of your back?



カオスを知り、秩序をあらためて知る。

絶望の淵に立ち、信念を抱く。



All I know is that everything around me is mirror, that's the trick.

All I know is that time is everywhere, inside of me, outside of me.

All I know is that "this" and "that" will merge into "none" but there's no done.

All I know is that it is just one orb that's going back and forth.

All I know is that I know nothing, and, nothingness is the godly self.

2011年4月5日火曜日

companionship with god

"We can request the ability to erase ourselves as the conscious architects of what we create.
We can strive to serve by what we make and, in that quality of service, we can attain a degree of egoless anonymity that is the midwife of good work."

-Julia Cameron