2012年9月14日金曜日

今日思ったこと

魂で演奏をする音楽家というのは、生と死、そして、時間と空間を跨いで存在する。

録音された形で残った魂の音は、聴く者達に極端な親密さを残す。

それは、実際にフィジカルな形で触れ合ったりだとかした場合の関係性よりも直接的な感覚を聴く者に与えるかもしれない。


とにかく音楽を魂の域で演奏するということは、

物理的な体を有するかどうか、その体がいつの時代のどの場所にあるかも関係なく、

すべての次元にそのバイブレーションを浸透させる生き方なんだ。

2012年9月2日日曜日

草間彌生と60年代

草間彌生展を見てきた。

彼女の作品ももちろんたくさん展示されていたのだけれど、
一番私が見入ったのは、ガラスケースに詰め込まれた彼女の若い頃の写真、新聞等に載せられたアーティクル、そして草間氏自身が送った、または草間氏宛に送られた手紙の数々が陳列された一室だった。

この中に、リチャードニクソンに向けて草間氏が書いた手紙というものがあった。
下記はその手紙の中の一節である。

Let's forget ourselves, dearest Richard, and become one with the Absolute, all together in the altogether. As we soar through the heavens, we'll paint each other with polka dots, lose our egos in timeless eternity, and finally discover the naked truth: You can't eradicate violence by using more violence.

「親愛なるリチャード、我々自身のことなど忘れましょう、そして、すべてと共に、完全なる神との一体化を遂げましょう。天国を飛び回りながら、私達は互いの体に水玉模様を塗り、時間の存在しない永遠の中でエゴを捨て去り、隠しきれない真実というものを発見するのです。その真実とは、暴力撲滅のために更なる暴力を使う事はできない、ということです。」


いかにも、60年代らしい、サイケデリックなイメージをもったロマンチシズムとでも言おうか、私は彼女の書いたこの手紙の文章を気に入った。

そして、60年代に彼女がニューヨークに住み、反戦活動、そして過激なパフォーマンスをしていた時代に、マイルスデイビスはBitches Brewを録音し、ESPがファラオサンダースやアルバートアイラーの音楽を録音していたのか、と思った。
なんという時代だろうか。
 きっと人々はあらゆるものを渇望していたのだろう。
平和への渇望、そして人権への渇望。
繰り返されてきた不平等と戦争に対する嫌悪で渇ききった芸術家達の喉は、
創作という行為によって潤ったに違いない。






人間が誰かの芸術作品に惹かれるというのは、創作者の個性、生き方、そういうものに惹かれるということかもしれない。

ずっとあきらめずに、創作し続けている人というのは、作品に良い意味での一貫性そして個性がある。
その一貫性が表すものが、人が創作において無意識に放っている霊性の表現なのだと思う。