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2015年4月9日木曜日

僕たちは海に潜った




僕たちは海に潜った

帰り道に砂浜で 砂にまみれた足を波で洗う時
波は僕たちの素足を撫で はじき 吹くのだった

生ぬるい水の感触は僕たちの理性を甘やかし
遠くに見える水平線が僕たちの理想を掻き回した

ラプ ラプと鳴る水の淵が僕たちの胸に届くころ
一匹の海猫が 近くの岩にとまった
海猫は 恍惚とした 救いようのない僕たちを一瞥し
そのまま目を閉じて眠った

ラプ ラプ

ラプ ラプ

僕たちの躰は 隙間のない海からの抱擁で
窮屈さと自由を 一度に感じていた

そして僕たちは海に潜った

その時から

すべては動き

すべては止まり

あらゆるものが同時に喋り

あらゆるものが同時に沈黙した


僕たちが海に潜った時から










2012年6月1日金曜日

thunder

そこはかとなく親密でいて、よそよそしいのだ。
初夏というのは。

やんわりと湿気を帯びた空気が、肌に張りつき、子供達の叫び声や車のクラクションはこだまのように聞こえる。
まるで体が繭に包まれているような感覚。
自分はそこにいるけれど、他の人からはもしかすると見えていないんじゃないかという疎外感。
空気の密度の濃さは着実に現実の正体という幻想のベールを私達にかぶせていく。
タイムトリップが一年のある時期にだけ可能だとしたら、それはきっとこんな初夏の夕暮れだろうと思う。


そんな初夏の夕暮れに、まだ赤く染まりだしたばかりの空に灰色の雲が立ちこめ、
雷の唸り声が聞こえだした頃に降り出す夕立ち。
 雨は勢いをまし、雷の唸りもそれに呼応して頻度を増す。

親密さとよそよそしさによって育てられた、初夏の気怠さが、
突然の夕立ちと雷鳴によりドラマチックに 覚醒を強いられる。
夕立ちは、人間のこころにいくらかの切迫した真剣さをもたらし、
強く降りしきる雨は私達に心を鎮める時間を与える。

そしてもし落雷があれば、
私達は必然的に観念としての 扉 の前に立たされる。
どこかへつづく、入り口、というものである。
そして畏怖を知る。







2011年9月1日木曜日

たまに、 全部、 手放してしまいたい欲求に駆られる。



こだわりとか、

自分はこういう人間だ、という思い込みとか、

そういうものから自分自身をすべて解放したところには、

自由が存在している。

自由ほど、こわいものはない。

自由を手にした時、人間は、創造という「性」の内なる存在に気づき愕然とする。

創造するということは、継続である。

その創造における自らの不能を垣間見る時、人間は生存の危機に近いものを感じるのかもしれない。

しかし、その継続性というものを実現するためには、

仏教的円環思想の観点から言えば、創造と共に、破壊が存在することが自然である。

破壊が存在してはじめて、創造が継続される。


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when you emancipate yourself from

clinging to things

or subjective labeling of oneself as being certain ways,

you see freedom.

freedom that you dread.

nothing else is more dreadful.

you stare at a handful of freedom in amazement,

realizing your undeniable urge for creation.

creation exists within continuity.

a glimpse of the fact

that you have just little authority over that flow of creation

gives you a shiver

the feeling that is very much like a struggle for life itself.

now,

to attain the continuity

the cyclical view of life is much helpful

for it shows us the meaning of construction and destruction.

may both sides be celebrated, as sacred parts of creation.

2011年7月21日木曜日

飛ぶ蓮

夏のあの日に
噎せ返るような暑い日差しの中で
透き通る青い蝶に魅せられた
蝶はあの高い木の上までいつも飛んでいき
水を飲みに水たまりへと降りた
私はひとり
心の中で鳴る鈴の音を聴きながら
夢中で森の中を 池の周りを 土の上を 走っていた

あの時に聴いていた音と感情
そういうものを音楽にしたい


なつかしくて 泣けてくるような


子供の頃はいつも
美しいものとおそろしいものに魅せられた

おそろしいものが美しかったり
美しいものがおそろしかったり

その得たいの知れない神々しい存在を
木の後ろに隠れて こっそりと見ていた

その自分の姿というのは 
本質的には
今も変わらない

2011年4月6日水曜日

hexagram

when would the bird in the cage fly out?

In the night of dawn

A crane and a turtle will become as one

Who do you see in front of your back?



カオスを知り、秩序をあらためて知る。

絶望の淵に立ち、信念を抱く。



All I know is that everything around me is mirror, that's the trick.

All I know is that time is everywhere, inside of me, outside of me.

All I know is that "this" and "that" will merge into "none" but there's no done.

All I know is that it is just one orb that's going back and forth.

All I know is that I know nothing, and, nothingness is the godly self.

2010年7月13日火曜日

芸術

其れが何かしらの舞踏であれ、

何かしらの球技であれ、

またはもてなしの美であれ、

もしくは本人によってのみ賞賛される類の才であれ、

ただひとつのことに専心し、そのことに秀でるということは、

芸術という、非常に魅力的な、宗教的または精神的な道である。