2011年7月28日木曜日

7/21、
演奏することによって、自分のスピリットが浄化されるということを経験した。

今まで、少し無理をしてでも、何かしらの形に入ろうと頑張ってきた事柄について、
もう無理をしなくてもいいんだと、ストンと理解できるようになった。
自然体で、そのままでいればそれでいいんだ、っていうことを、体で感じた。
形に入ろうとしなくてもいい。
自分が形をつくれば、窮屈じゃなくなる。

そして、そのピースフルなヴァイブレーションは、魂の内側からじわじわと生まれてくるものだということ。
自分を愛してみることは、そのまま他人を愛すること、大切にすることに繋がっていて、
それが平和のヴァイブレーションに繋がっていること。

好きなことを、自由にやっていい。
リミットー限界 という思考は、自分が自分の頭の中で作っている。


私のライブに、
沢山の人が来てくれた。
ひとりひとりに話しかけて、
私の音楽を聞いてもらって、

・・・こんなに溢れるくらいの愛情を、私は受け取っていいのだろうか? と自問した。

嬉しくて、
恥ずかしくて、
照れくさかった。


その時に、ごく自然に、その受け取った愛や想いを、みんなに転写/反射できた。
そして、みんなが、みんな、この壮大なストーリーの主役として生きているということを、手に取るように感じた。
そう思うと、それぞれの存在がとても愛おしく、大切に感じた。
その気持ちでひとりひとりの存在と接するごとに、場のエネルギーが強くなるのがわかった。
その感覚というのが、oneness と呼ばれるものにきっと限りなく近い。

2011年7月21日木曜日

reminder

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"It was just blind faith."
And yet, faith is not blind.
It is farseeing and, even as we claim to stumble in believing darkness,
we are led inch by inch and hunch by hunch into what we are becoming - and so is our art.

......

something larger and finer than we know calls us to be larger and finer than we dare.

Julia Cameron
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飛ぶ蓮

夏のあの日に
噎せ返るような暑い日差しの中で
透き通る青い蝶に魅せられた
蝶はあの高い木の上までいつも飛んでいき
水を飲みに水たまりへと降りた
私はひとり
心の中で鳴る鈴の音を聴きながら
夢中で森の中を 池の周りを 土の上を 走っていた

あの時に聴いていた音と感情
そういうものを音楽にしたい


なつかしくて 泣けてくるような


子供の頃はいつも
美しいものとおそろしいものに魅せられた

おそろしいものが美しかったり
美しいものがおそろしかったり

その得たいの知れない神々しい存在を
木の後ろに隠れて こっそりと見ていた

その自分の姿というのは 
本質的には
今も変わらない

2011年7月19日火曜日

solo concert

Rema Hasumi Solo

7/21 Thursday 8pm
at Gershwin Hotel (7 E27st between 5th and Madison Ave)
Admission : $10
Instrumentation : Grand Piano, Nord Electro 3 and Electro Harmonix 2880

Music of Alice Coltrane, Mary Lou Williams, little bit of John Cage and free improvisations...

2011年7月4日月曜日

la melancolina e la sensualita

倍音が好き。


アイヌの口琴、ムックリやアボリジナル音楽、ディジリドゥ、それからガムランの音。

キーボードの音にエフェクトをかけた、ひずんだ感じの音も良い。

イメージで言うと、カラフルな砂嵐。

模様が混ざっていく感じ。有機的な感じ。

そういう音楽を創りたいなあ。


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菊池成孔著の「憂鬱と官能を教えた学校」を読み始めた。

私は最近もっぱらピアノに向かうとバッハの平均律を何曲か2時間程弾き、
その後、キーボードで色々な音とエフェクトを試している。

菊池氏の本の中でも話が出て来る、ヨーロッパ的な音階に関する概念と、それ以前の、人間の音楽に対する感覚。
この本を読んで、何かものすごく腑に落ちたの。

私はクラシックピアノから入り、ジャズを大学で学んだ。
それは12音階という概念に基づいた勉強。
大学では、ほぼバークリーメソッドに忠実に従ったハーモニーの勉強をした。
その頃聞いていたのは、ハードボップ、ビーボップを中心とする、所謂ストレートアヘッドなジャズ。

それから数年後、
ケネディーセンターで演奏した時の映像を見た友人が、私がアリスコルトレーンを好きなのかと聞いた。
そこから、新しいものが生まれて、坂を転がり落ちる球体のように、色々なものを付着させながら、
その物体は大きくなってきている。
友人が私の中にアリスコルトレーンの様な要素を見つけたとすれば、そういうエレメントはすでに私の中にあったんだと思う。
だから、今、これまでになかった、精神=音楽のフィット感がある。
ニューヨークに来ていなかったら、こういう音楽的成長はできなかったかもしれない。


12音階のヨーロッパ的アプローチでピアノを弾くことと、
その概念をいかに打破するか、ということを今は同時にやっている感じだ。


二週間後のライブでは、今までにやったことのない新しいことをやろうと思っている。
それと、Alice Coltrane、 Mary Lou Williamsの曲をフィーチャーする、というアイディアは決まっている。
なんとか構成として合うのであれば、John Cageの曲も弾きたい。


何日か前に、友人の友人に、「どんなスタイルのピアノを弾くの?」と聞かれて、
言葉に詰まった自分が居た。
もう、即答でジャズって言えない。
でも、多分それはすごく良いことな気がする。