2011年10月27日木曜日

Baldwin

ジェームス・ボールドウィンの著作を二冊。

Giovanni's Room と If Beale Street Could Talk。

人間と人間の、細かな感情の交わり合い。
情景が、手に取る様に伝わってくるような表現の仕方。
すごくリアルなのだ。

例えば地下鉄の電車に乗り込んで座った時に、目の前に座っているひとが居る。
そのひとのことは、何も知らないし、ただ脳に情報として入ってくるのは、彼/彼女の風貌のみである。
通常の感覚であれば、そのひとの人生に起こっていることに敢えて興味は持たないし、
ましてそのひとの感情のバリエーションなどには考えも及ばないものだ。

だけれど、
ボールドウィンを読んだ後は、その、他人と自分の世界を隔てるシールドの様なものを自分のマインドがいとも簡単に通り抜けてしまう感覚がある。

淡々と送られていく人生の中で、
感情を掻き乱されるという経験をひとはどれくらいするだろうか。
例えば、愛する人がある日ジェイルに行ってしまったら。
例えば、自分の、ぬるいものに包み隠された冷酷さに突然気づいてしまったら。

私は、幸せなことに、哀しみを生み出すたぐいの感情の揺れにはしばらく会っていない。

ただ、素晴らしい音楽を聞く時の高揚感は、知っている。

哀しみの陣痛も、悦びの高揚も、私達の内側から生まれる場所は、同じところのような気がする。
そして、その場所に存在するものは、時間と空間を超越する種類のものなのだと思う。

2011年10月6日木曜日

- The truth that we are intended to express is that we are all larger than we know.
We are part of a grand design. There is room for our expansion.
The Universe falls in with worthy plans.
As we strive to grow larger and more expansive, the Universe seeks to expand through us. - Julia Cameron



何度もすべての作品を消しゴムで消して、自分も消え去りたいと思った時があったけど、
あの時、そうしなくて本当によかった。

何かに確実に近づいている。

私の人生の根幹を形作っていく、何か。

自分で、手探りをして、体中泥まみれになりながら、涙を垂らしながら必死で探していた。

みつからなくて、あー、もう駄目かもなあ、なんて、

とりあえず仰向けに土の上に寝転んでみたら、

目に映るのは、一輪の鮮やかな花が、秋の澄んだ空に揺れている様。

それを見て、「あー これだ。」

無理しなくても、そこにあった。

っていうような感覚。