Ingmar Bergmanの、Through a Glass Darkly (1961)を見た。
小説家の父 David (Gunnar Bjornstrand)、精神分裂病で完治しないだろうと言われている娘、Karin (Harriet Andersson)。
Karinを愛してやまない夫、Martin (Max von Sydow)。
そして、Karin同様に精神薄弱な弟 Minus (Lars Passgard)。
この4人の、感情の交錯がものすごい密度の濃さで描かれている。
特に、Harriet Anderssonと Lars Passgardの演技は素晴らしかった。
白黒の海の風景に、画面から溶け出してくるかと思う程の人間の感情。
静かなシーンの中で流れ出すチェロは、バッハのSarabande from Suite No. 2 in D minor。
美しさと、人間の感情の持つ繊細なグロテスクさの同居。
それから、精神分裂病により、現実と倒錯のふたつの世界を彷徨うKarinを愛する3人の男、という設定もおもしろいと思った。
ひとりの女と、その父、弟、夫という一番近しい3種類の男達が、他に誰もいない孤島で過ごすのだ。
その3人全員とKarinとの間に、とても微妙な具合の性的なニュアンスが描かれている。
父が、弟が、夫が、Karinを愛し、愛で、抱きしめる様子、
そしてその愛の雨にまみれて、さらに精神を病んでいくKarin。
印象に残っているのは、
ベッドで夫に抱きしめられながら、愛の言葉を囁かれ、
父の書斎では、椅子に座った父の膝の上に座り、なだめられ、
古い船の地下で、雨水のしたたる中、性的に弟をからかった後でその弟に抱きしめられ眠るKarin。
この映画の中での、それぞれの愛情表現のシーンというのが本当に衝撃的だった。
発狂寸前の愛、というか。。
こういう愛の表現を映像で見るのは初めてだった。
言葉や音楽にボキャブラリーがあるように、
愛の表現にもボキャブラリーというものがある、と思う。
そのボキャブラリーを増やしていくことで、人間は愛の美しさを体感するのだと思う。
どんな愛し方をするか、というのは、喋る時にどんな言葉を選ぶかと同じだ。
2011年4月6日水曜日
hexagram
when would the bird in the cage fly out?
In the night of dawn
A crane and a turtle will become as one
Who do you see in front of your back?
カオスを知り、秩序をあらためて知る。
絶望の淵に立ち、信念を抱く。
All I know is that everything around me is mirror, that's the trick.
All I know is that time is everywhere, inside of me, outside of me.
All I know is that "this" and "that" will merge into "none" but there's no done.
All I know is that it is just one orb that's going back and forth.
All I know is that I know nothing, and, nothingness is the godly self.
In the night of dawn
A crane and a turtle will become as one
Who do you see in front of your back?
カオスを知り、秩序をあらためて知る。
絶望の淵に立ち、信念を抱く。
All I know is that everything around me is mirror, that's the trick.
All I know is that time is everywhere, inside of me, outside of me.
All I know is that "this" and "that" will merge into "none" but there's no done.
All I know is that it is just one orb that's going back and forth.
All I know is that I know nothing, and, nothingness is the godly self.
2011年4月5日火曜日
companionship with god
"We can request the ability to erase ourselves as the conscious architects of what we create.
We can strive to serve by what we make and, in that quality of service, we can attain a degree of egoless anonymity that is the midwife of good work."
-Julia Cameron
We can strive to serve by what we make and, in that quality of service, we can attain a degree of egoless anonymity that is the midwife of good work."
-Julia Cameron
2011年3月22日火曜日
幾層の現実
昨日、
近所の自然公園に行って、大きな木の下で日光を浴びながら本を読んだ。
その広場では、子供達が駆けまわり、
犬が尻尾を懸命に降ってhappinessを表現しながら主人と歩き、
サッカーをする大人のグループの誰かが大声で話し、
私から10メートル程先には、金属探知機で何かを探している初老の男性がいた。
私の耳に入ってくるすべての音が、目を閉じると、不思議と調和して聞こえた。
日常が目の前に広がっている。
とてもピースフルな時間だった。
これが、「現実」とよばれるもののひとつの層であり、
それと同時に存在する別の「現実」がある、ということを私は考えていた。
私達は、無力な存在なんかではない、ということを、全力で思い出す時が来た。
そうするには、どうすればいい?
そればかりを考えていた。
音楽を。。
私の世界への想いを。。
どうすればいい?
シンクロニシティーは、いつもの様にあらゆる方向からキーワードを流してきた。
「責任を持つこと。」
自分の、創造している現実に、責任を持つこと。
私達ひとりひとりの思考、もしくは、その無意識の思考の集まりが、現実を作っている、そのことを再確認する。
だから、
自分をまず愛することからはじめる。
愛は、与えるもの。。。人に、期待をしない。
それでも、自分はハッピーになれる。 もし自分が自分を愛していたら。
自信を持てる?
私はどれくらい、こわいんだろう? 他人が? 自分が? 両方、同じ事。
こわいと言って、そのまま閉じてしまえば、無難に人生は過ぎ行くかもしれない。
だけど、きっと、このまま私のこころの中にあるわだかまりをかかえて、その責任を取って生きることになる。
いま、私の課題は、そのこわいという気持ちを かなぐりすてること。
私にはできない という気持ちを 私だからできる に変換すること。
そして、嘘をつかずに、正直に、誠実に毎日を生きること。
直観を信じること。
三位一体を、めざしてみる。
行動、言動、思考を一致させる。
そういう意味で、思考に責任を持って生きること。
決して簡単じゃないけど、やってみようと思う。
近所の自然公園に行って、大きな木の下で日光を浴びながら本を読んだ。
その広場では、子供達が駆けまわり、
犬が尻尾を懸命に降ってhappinessを表現しながら主人と歩き、
サッカーをする大人のグループの誰かが大声で話し、
私から10メートル程先には、金属探知機で何かを探している初老の男性がいた。
私の耳に入ってくるすべての音が、目を閉じると、不思議と調和して聞こえた。
日常が目の前に広がっている。
とてもピースフルな時間だった。
これが、「現実」とよばれるもののひとつの層であり、
それと同時に存在する別の「現実」がある、ということを私は考えていた。
私達は、無力な存在なんかではない、ということを、全力で思い出す時が来た。
そうするには、どうすればいい?
そればかりを考えていた。
音楽を。。
私の世界への想いを。。
どうすればいい?
シンクロニシティーは、いつもの様にあらゆる方向からキーワードを流してきた。
「責任を持つこと。」
自分の、創造している現実に、責任を持つこと。
私達ひとりひとりの思考、もしくは、その無意識の思考の集まりが、現実を作っている、そのことを再確認する。
だから、
自分をまず愛することからはじめる。
愛は、与えるもの。。。人に、期待をしない。
それでも、自分はハッピーになれる。 もし自分が自分を愛していたら。
自信を持てる?
私はどれくらい、こわいんだろう? 他人が? 自分が? 両方、同じ事。
こわいと言って、そのまま閉じてしまえば、無難に人生は過ぎ行くかもしれない。
だけど、きっと、このまま私のこころの中にあるわだかまりをかかえて、その責任を取って生きることになる。
いま、私の課題は、そのこわいという気持ちを かなぐりすてること。
私にはできない という気持ちを 私だからできる に変換すること。
そして、嘘をつかずに、正直に、誠実に毎日を生きること。
直観を信じること。
三位一体を、めざしてみる。
行動、言動、思考を一致させる。
そういう意味で、思考に責任を持って生きること。
決して簡単じゃないけど、やってみようと思う。
2011年3月17日木曜日
2011年3月16日水曜日
今は、自分が生きているこの時間に、精一杯できることをするだけ。
一番怖れていたこと。
反原発をずっと両親に言い聞かされて育った。
広島も長崎も、何度も訪れているけれど、その度に、どうして日本は未だに原子力発電をやめないのかと思った。
青森県六ヶ所村の核核燃料再処理工場についても去年ずっとリサーチしていた。
浜岡原発が(場所的に)危ないという話も前から出ていたはず。
今ニュースで静岡で震度6、しかし浜岡原発は異常なしで運転続行、というのを見て、心臓が止まる思いだった。
これから、余震が完全におさまる間だけでも、浜岡原発をとめておくことはできないのだろうか。。。
昨晩は、、
考え始めたら気が狂いそうだったので、早くベッドに入ったけれど、
叫び出しそうになるのを抑えるのだけで精一杯だった。
どうか、被害が最小限にとどまりますように。
一番怖れていたこと。
反原発をずっと両親に言い聞かされて育った。
広島も長崎も、何度も訪れているけれど、その度に、どうして日本は未だに原子力発電をやめないのかと思った。
青森県六ヶ所村の核核燃料再処理工場についても去年ずっとリサーチしていた。
浜岡原発が(場所的に)危ないという話も前から出ていたはず。
今ニュースで静岡で震度6、しかし浜岡原発は異常なしで運転続行、というのを見て、心臓が止まる思いだった。
これから、余震が完全におさまる間だけでも、浜岡原発をとめておくことはできないのだろうか。。。
昨晩は、、
考え始めたら気が狂いそうだったので、早くベッドに入ったけれど、
叫び出しそうになるのを抑えるのだけで精一杯だった。
どうか、被害が最小限にとどまりますように。
2011年3月3日木曜日
すきま
地下鉄の電車が、暗いトンネルを抜けてマンハッタン橋に差し掛かった。
真っ青な空と白い雲と、車窓から見えるイーストリバーの景色。
午後2時、
がらんとした車内の、私の向かいの席には、若い黒人青年がふてくされた顔で座っている。
その青年の表情に、アメリカという国の憂いというものを見た気がした。
両手を使って、手のひらの中に溜めてきたものが、少し指を開けば、さらさらとあっという間に消失してしまう、
そんな 「隙間」 がアメリカには沢山ある。
私の生まれ育った国、日本には、その「隙間」がほとんどないと思う。
指のすきまから、何かの欠片がこぼれ落ちていく時に、下から無数の手、無数の張り巡らされた網が、すべて受け止めていく、そんな感覚がある。
そうやって、ひとつもこぼさないように、受け止めなくたっていいんじゃないだろうか。。と皮肉な私は思ったりもするけれど。
「隙間」のあるアメリカは、いつも 失う という恐怖と隣合わせなんではないかと思う。
しっかりと自分で、自分の人生のパズルのピースを拾い集めていかないと、
「隙間」の空虚感に蝕まれて、あっという間に自分を見失ってしまう。
私がこの場所を離れられないのは、
多分、その「隙間」がつくる、こころもとなさを好んでいる自分がいるから。
異国に若い時移り住んで、
こわかったし、
不安だったし、
絶望したし、
葛藤した。
ただ、その、一寸先は闇かもしれない、という切迫感に、いつも後押しされてきた。
真っ青な空と白い雲と、車窓から見えるイーストリバーの景色。
午後2時、
がらんとした車内の、私の向かいの席には、若い黒人青年がふてくされた顔で座っている。
その青年の表情に、アメリカという国の憂いというものを見た気がした。
両手を使って、手のひらの中に溜めてきたものが、少し指を開けば、さらさらとあっという間に消失してしまう、
そんな 「隙間」 がアメリカには沢山ある。
私の生まれ育った国、日本には、その「隙間」がほとんどないと思う。
指のすきまから、何かの欠片がこぼれ落ちていく時に、下から無数の手、無数の張り巡らされた網が、すべて受け止めていく、そんな感覚がある。
そうやって、ひとつもこぼさないように、受け止めなくたっていいんじゃないだろうか。。と皮肉な私は思ったりもするけれど。
「隙間」のあるアメリカは、いつも 失う という恐怖と隣合わせなんではないかと思う。
しっかりと自分で、自分の人生のパズルのピースを拾い集めていかないと、
「隙間」の空虚感に蝕まれて、あっという間に自分を見失ってしまう。
私がこの場所を離れられないのは、
多分、その「隙間」がつくる、こころもとなさを好んでいる自分がいるから。
異国に若い時移り住んで、
こわかったし、
不安だったし、
絶望したし、
葛藤した。
ただ、その、一寸先は闇かもしれない、という切迫感に、いつも後押しされてきた。
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