昨日、
近所の自然公園に行って、大きな木の下で日光を浴びながら本を読んだ。
その広場では、子供達が駆けまわり、
犬が尻尾を懸命に降ってhappinessを表現しながら主人と歩き、
サッカーをする大人のグループの誰かが大声で話し、
私から10メートル程先には、金属探知機で何かを探している初老の男性がいた。
私の耳に入ってくるすべての音が、目を閉じると、不思議と調和して聞こえた。
日常が目の前に広がっている。
とてもピースフルな時間だった。
これが、「現実」とよばれるもののひとつの層であり、
それと同時に存在する別の「現実」がある、ということを私は考えていた。
私達は、無力な存在なんかではない、ということを、全力で思い出す時が来た。
そうするには、どうすればいい?
そればかりを考えていた。
音楽を。。
私の世界への想いを。。
どうすればいい?
シンクロニシティーは、いつもの様にあらゆる方向からキーワードを流してきた。
「責任を持つこと。」
自分の、創造している現実に、責任を持つこと。
私達ひとりひとりの思考、もしくは、その無意識の思考の集まりが、現実を作っている、そのことを再確認する。
だから、
自分をまず愛することからはじめる。
愛は、与えるもの。。。人に、期待をしない。
それでも、自分はハッピーになれる。 もし自分が自分を愛していたら。
自信を持てる?
私はどれくらい、こわいんだろう? 他人が? 自分が? 両方、同じ事。
こわいと言って、そのまま閉じてしまえば、無難に人生は過ぎ行くかもしれない。
だけど、きっと、このまま私のこころの中にあるわだかまりをかかえて、その責任を取って生きることになる。
いま、私の課題は、そのこわいという気持ちを かなぐりすてること。
私にはできない という気持ちを 私だからできる に変換すること。
そして、嘘をつかずに、正直に、誠実に毎日を生きること。
直観を信じること。
三位一体を、めざしてみる。
行動、言動、思考を一致させる。
そういう意味で、思考に責任を持って生きること。
決して簡単じゃないけど、やってみようと思う。
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