2011年5月2日月曜日

本当の芸術は神学である

Mary Lou Williamsの音楽を研究している。

彼女は、アメリカの歴史においての、女性の楽器奏者という意味でとても重要な位置にいる、
レジェンダリーな人物である。

そういう意味でも非常に尊敬しているのだけれど、
彼女のブルースの演奏というのは本当に素晴らしい。嘘がない演奏というか。。

最近、ジャズのライブ等を見に行って、飽き飽きしてしまう気持ちになることが多々ある。
それはなんというか、エゴの為に演奏している奏者があまりにも多い気がするから。

音楽というのは、色んな種類のものがある。
自分が注目されたいとか、有名になりたいという薄っぺらいエゴを捨て、
神、または偉大なる存在、スピリチュアリティー、そういうものの為に演奏する、
それが究極的な音楽、または芸術の形であり、それは神学に身を投じるということだと理解している。

その一方で、エンターテイメント性の高い音楽が数えきれない程たくさんあり、
それはもはや芸術とは呼べないものが多い。
ジャズの世界にも、そういう音楽がたくさんあるような気がして、
それをしたり顔で、うんうん、素晴らしい、なんてワイングラスを片手に聞く聴衆がいる、という光景を見て、馬鹿らしいと思ってしまう。
それは、ジャズ雑誌の評論家にも言えることだ。
私達は、それぞれに、それぞれの感性を目一杯生かして、芸術を紐解いていくという姿勢が必要だと思う。
評論家や大衆、マスメディアの多数決が決めるヒットチャートの一位に踊らされるのは野暮だ。
自分の耳を、目を、感覚を、磨いていくことだ。
それは他の誰も自分のためにやってくれない。
本当に良いものは、ピカピカに磨かれた大型グローサリーの野菜やくだもののように媚びてあなたを待ちはしないのだ。
良いものは、土に埋もれ、泥にまみれ、その美しさをひけらかすことなく、ただ存在している。
それを見つけ出しにいくのは、私達自身。

これが実は本音。


話が飛んだけれど、
Mary Lou Williamsが、いかにジャズの根本であるブルースとスピリチュアル音楽を彼女の音楽に昇華したか、それでいてアバンギャルドな要素も持ち合わせている彼女が、
どうしてこんなにも知られていないのかが不思議でならない。

これについてはまた書こう。

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