音楽家達が学校に行って音楽を学ぶ必要性がもう無くなってきているように思う。
理論や歴史を学ぶことに価値はあるかもしれないけれど、
音楽学校では肝心の一番大切なところを教えてくれない。
それはクリエイティブであること。
音楽、芸術の新しい形を模索して発表していくことによって、人類の意識に貢献する。
人類の歴史の中で、時代背景や環境に影響されて、自分が芸術を模倣ではなく、真に創造することで、足跡を残す。statementを残す。
耳に簡単なポップスもそれはそれで素晴らしい価値があるけれど、
私達が「進化」する過程において、今まで聞いたこともない音楽を耳にすることで、閉ざされていた魂の扉のひとつが開かれることはあると思う。
そういう風に、人の感性に挑戦的なものは、アルケミストの音楽と言えるかもしれない。
私は子供に学校でピアノを教えている。
教本通りに教えることに教師の私がとまどっている。。
今はある程度のルールがある中で、自由に弾かせてあげることしかできない。
将来、子供達にimprovisationを教えることは、私のもうひとつの夢。
でも私自身がまだimprovisationについてよくわかっていない今の段階では準備ができていない。
でもいつか、是非やってみたい。
音楽家達は音楽の道を志して音大へと進学するけれども、
そこで理論などを学んでいざ卒業してしまうと、実際に音楽というものがいかに生業となりにくいかということに気づく。
自分としては、音楽で大学の学位をとっているという自負があるにもかかわらず、
実際の世界に出てみると、学位では演奏の仕事は取っていけない。
インターネットで音楽を買える時代になって、ますます、それは難しくなっている。
そこで彼らはアイデンティティークライシスに陥る。
音楽家としての自分。学位では食べていけない。
教師になってもいい。でもそれが必ずしも音楽家になる夢と並行するとは限らない。
私は、、、
食べていけるだけのお金があればいい。それと、欲しい楽器を買うお金。。
ただ、もうやりたくない音楽は弾かないことにした。
やりたい音楽を弾く。自分の魂から出てくる音楽を弾く。
それで、お金じゃない何かを、手に入れるために。魂のために。
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