2015年4月17日金曜日

TOM RAINEY TRIO@ Clemente Soto Velez

クレメンテ・ソト・ヴェレズというプエルトリコの詩人がニューヨークに居た。
彼はプエルトリコで生まれ、文学者や詩人の有志と共に政治活動に参加し、
第二次大戦後にニューヨークへ渡り、逮捕、収監を経てなお政治活動、執筆活動を続けた。



 『孤独』         クレメンテ・ソト・ヴェレズ


飛ぶこと ただひとりで 
燃え上がる様な 想像の空の上を
飛びまわること

ただひとり
終わりのない
人生飛行を
創造すること

考えること ただひとりで
考えること
すべての創造的な力が集まればそうするように
ただひとり
ただひとり
ただひとり
光の中で振動する
手つかずの道理を求め
耳をすます




歌うこと
ただひとり
歌うこと
原子達が
行動する意志を歌うように
ただひとり
歌うこと
エネルギーの覚醒が伝えるように

孤独 ー孤独!

磁石の様な吸引力を持った雨雲
跳ね返してくる すべての生きる力の中でバランスをとる

孤独 ー孤独!
生命のこころ!


(訳:蓮見令麻)



かの詩人はこのような詩を書き、感銘を受けた同志達は、
のちに彼の名にちなんだ文化センターを設立した。
Arts For Artという団体がオーガナイズするこの文化センターでのパフォーマンス・シリーズに、詩の朗読やダンス、アート、という要素が必ず盛り込まれているのは、そんな歴史をこの建物が持っていることもひとつの理由だろう。

なかなか古いこの建物は、天井も高く、かなり響きの良い造りになっている。
今日はここでトム・レイニーのトリオを見た。
共演者は、レイニーのパートナーでもあるサックス奏者、イングリッド・ラウブロックと、ギタリスト、メアリー・ハルヴァーソンの二人。
トム・レイニーの演奏は以前何度か見たことはあったけれど、
今回は音響も良く、真正面から見ることができて、レイニーのドラミングの凄さをあらためて思い知った。
予測不可能な方向性、粗っぽいスティックさばきがはじき出すざらざらとした感触の音。
直線を走っているわけではないのにずっと存在する疾走感。
トム・レイニーの音は、アメリカの荒野を突っ切る風や空気を思わせる。
イングリッドの吹くテナーの、風の抜けるような美しく素朴な音がそのまわりを浮遊し、
メアリー・ハルヴァーソンの規則的なカッティングやエフェクトを多様した様々な音の羅列は、
少しぎこちなさを残しながらも、ひとつの世界観を作り上げていた。
なんというか、非常に個人主義的な即興演奏だと私には感じられた。
もちろん、良い意味で。
3人とも、自分の世界、自分の音のいく道をまっすぐにどんどん進んでいく。
私はこっちにいく。あなたはそっちにいく。それでいい。
もしどこか向こうの方で、また顔を合わせるかもしれないし、それもいいね。

そんな雰囲気だった。
そういうやり方は、私にとってはあるいは新鮮なもので、
それくらいお互いが自由にやっていて、心地が良い、それでもなんとなくまとまる、というのは素敵なことだなと思った。

荒野のまっただなかに、ただひとりでいること。
それでも、どん、と構えていられる、
そういう演奏者でいれたら。







2015年4月9日木曜日

僕たちは海に潜った




僕たちは海に潜った

帰り道に砂浜で 砂にまみれた足を波で洗う時
波は僕たちの素足を撫で はじき 吹くのだった

生ぬるい水の感触は僕たちの理性を甘やかし
遠くに見える水平線が僕たちの理想を掻き回した

ラプ ラプと鳴る水の淵が僕たちの胸に届くころ
一匹の海猫が 近くの岩にとまった
海猫は 恍惚とした 救いようのない僕たちを一瞥し
そのまま目を閉じて眠った

ラプ ラプ

ラプ ラプ

僕たちの躰は 隙間のない海からの抱擁で
窮屈さと自由を 一度に感じていた

そして僕たちは海に潜った

その時から

すべては動き

すべては止まり

あらゆるものが同時に喋り

あらゆるものが同時に沈黙した


僕たちが海に潜った時から










2015年3月15日日曜日

TYSHAWN SOREY "Koan II"

タイショーン・ソーリーの『公案 II』を見てきた。

オリジナルの『公案(I)』では、トッド・ニューフェルド(エレクトリック・ギター)、トーマス・モーガン(ベース)の二人を軸にしたトリオでソーリーの作曲を中心に演奏されているのに対し、
今回の新しいプロジェクトは、マット・マネリ(ヴィオラ)、ベン・ガースティン(トロンボーン)、トッド・ニューフェルド(アコースティック・ギター)を迎えたカルテットで、通しでフリー・インプロビゼーション
が演奏された。

彼らの演奏においては、静寂の中の一音というものが、とにかく大事に大事に扱われる。
その一音を、その瞬間に、弾くか弾かないか、という駆け引きに、全員がごく真剣に参加するのだ。
そこには自然と、ぴんと張り詰めた一本の見えない糸が浮かび上がってくる。
この音楽は、理性と野性のあいだを縫って歩く。
作曲家としてのソーリーの冷静沈着な「構築」の為の統制は、
彼がマレットで叩き出す柔らかなとどろきによって指揮されていく。
雅楽的とも言える、12音階の境目を縫うように漂うヴィオラの音が、張り詰める緊張の糸をところどころほぐす。
その得体の知れない、心地良いのか心地良くないのか決めかねる雰囲気の中で、
漆黒の森林から飛び出してくる獣の様にトロンボーンが咆哮し、
ギターのためらいと革新の繰り返しによって新しい方向性が提示されていくのだった。

それはまるで、はじまりも、終わりも存在しない演劇の様であったとも思う。
そう感じたのは、私には全体の音から武満徹の映画音楽に通じるものが聞こえたからかもしれない。
もしくは演奏中盤、奏者全員が立ち上がり、舞台や客席を歩きまわって演奏したことも影響しているだろう。

演奏は約90分に及び、全てをインプロビゼーションで通したことは、奏者にとっても、観客にとっても容易ではなかったはずだ。
しかし、奏者達が60分で演奏を終わらせずそこからさらに展開させていったことにより、
人は何故起承転結を求めがちであるか、ということを私は考えるに至った。
なぜ、はじまりと終わりは相応の様子でなければならず、
その間にクライマックスが存在しないと満足できないことになってしまうのだろうか。
そういうイメージの枠組みを、自分はまづすべて取り払ってしまいたいと思った。

以下は、ダニエル・レナー氏による、タイショーン・ソーリーへのインタビューより抜粋したもので、
『公案』の制作にいたった経緯などを少し知ることができる。
 


2006年に日本を訪れたことをきっかけにして、ソーリーの作曲手法には重要な変化が現れた。
「その年に日本へ行った時、休みの日に僧院を訪れた。
アメリカに帰ってから、自分の状態を良くするため、という目的だけではなく、音楽への影響として、禅への興味が湧き始めた。その頃、自分の演奏している音楽は割と良い音楽だという自覚はあったのだけど、何かがしっくり来ていなかった。そういう音楽は、『難しくあるための、難しい音楽』なだけな気がしていた。

禅と瞑想のコンセプト(アラン・ワッツの著書などを読んだという)は、確実にソーリーに影響を与えていった。 まず彼が書いたのは、前年のクインテットとしての全作品からは大きくかけはなれた長編で、のちに物議を醸すことになった、『ソロピアノのための順列』だった。
この曲は演奏に45分を要し、ひとつのコードを、休符と音域、ピッチやアタック、減衰などの変化をつけながら繰り返すことで細部に砕かれた音の情報を操作するというコンセプトを探求したものだ。

「この曲が誰かに演奏されることはないかもしれないけれど、少なくともこれから私が創作していくもののひとつのシニフィアンにはなるだろうと思う。」そうソーリーは説明した。
「そういう経緯で、That/Not (Firehouse 12, 2007)の為に、この曲を書いた。音楽自体がずっと上手く呼吸できていることが分かるだろうと思う。演奏には技工を要するけれど、この曲には音楽が呼吸し、話しかけてくるような、そういう側面がある。
オブリークのために書いた曲達よりもメロディックだと思う。オブリークにはオブリークのメロディックさ、というのがあるけれどね。 」

中略

次作、『公案』Koan (482 Music, 2009)は、That/Not からの継続と言うよりも、日本で経験したことの継続と呼ぶ方が正確だ。他のどんな作品よりも、『公案』は作曲におけるあらゆる種類の言語を網羅した。
「音と時間に対する自分自身の関係性とその全体的な思考を試された。こういう類の音楽にはシステムなんていうものは存在しない。ただ、その音楽が聞こえた瞬間に書き留める、そういう風にして生まれたものだ。音楽的な語彙だけでは説明できない。もっと実存的な語彙で、聴く経験とは何かということを考えることはできると思う。

『公案』は目を見張る程様々な種類の音楽的アイディアや音律の残像を映した。
"Nocturnal"の様な曲では、フレーズを何度も異なったやり方で繰り返す手法が使われ、"Two Guitars"ではピッチに制限を用いたし、"Correct Truth"においては十二音技法のみならず、もっと抽象的な「可聴度」の概念にも焦点がおかれ、"Awakening"は異なる時間の層に軸を置いた。
作曲における手法のあまりの幅の広さに、全ての手法は使い切れなかったとのことだが。

ソーリーが作曲家として発表した音楽への世間の最初の反応は、残念ながら、
彼のドラマーとしての功績よりもむしろ、彼がアフリカン・アメリカンの音楽家であるという人種的アイデンティティに注目した。「黒人」で、「ドラマー」、そして「作曲家」であるというソーリーの個人的そして音楽家として当てはまる3つの形容詞は、不器用な具合にお互いに摩擦しあい、ファンや同士、そして批評家達を混乱させた。次に述べるのは、ソーリーが表現した、「黒人ドラマー」に課せられた典型的イメージ、頻繁に見られるステレオタイプである。

「アフリカン・アメリカンのジャズドラマーというある種の幻想は、例えばスイングしたり、2拍と4拍を叩いたり、技術を見せびらかしたりする、『超絶技巧のドラマー』 であるというイメージだ。
だが、そういったイメージの継続体から一歩外側に足を踏み出してしまうと、黒人らしくないと言われる。私自身も、スイングしない、とかそういう理由でこういったコメントをもらったことが何度かある。これは、AACMの作曲家達の多くや、ミンガスさえもが直面した問題そのままだ。
ミンガスの音楽が黒人らしくない、なんて、どうしてそんなことが言えるんだろう?
アフリカン・アメリカンの音楽は聞こえる。、ゴスペルからブルース、所謂「ジャズ」と呼ばれる音楽まで。でも、同じように、ストラヴィンスキも、シュトックハウゼンもそこにあるんだ。そう、ミンガスはシュトックハウゼンのファンだったんだ。
私自身の音楽はマックス・ローチ、チャーリー・パーカー、セロニアス・モンクの影響と同じ様に、トランス・ヨーロピアンの作曲家達や、アメリカの実験音楽家達、インドの音楽家達などからの影響も受けている。
まるで、私が作品を発表する際には、アフリカン・アメリカンであるという事を証明するためにブルースを弾かなきゃいけないと誰かに言われてるみたいだ。
私はゲトーに生まれ育って、ブルースを生きているのに、だ。
これ以上に彼らは私に何であって欲しいのだろう?

中略

もうひとつ、黒人の作曲家であることについてソーリーが述べた問題がある。
「アフリカン・アメリカンの作曲家が、それなりの 作曲的語彙からはみ出してしまうと、人々は眉をひそめるんだ。私はいわゆるジャズという伝統の世界を歩いてきたし、系譜としてもジャズの世界は一番近いところにあった。しかしだからと言って、いつまでもそこにじっとしていなければいけない訳じゃない。私がエクスペリメンタルやトランス・ヨーロピアンの音楽を聴き始めた時、周りの人々はすぐに驚いた顔をした。私がモートン・フェルドマンに捧げた43分のピアノ曲を書いたことは、彼らにとってはショッキングな出来事だった。私の知る限りでは、過去にそんなことをしたドラマーは居なかったからだ。ある種の人々にとっては、私がまるでわざと謀反者になろうとしているように見える様だった。
でも私は先にあげた音楽を、マックス・ローチや、ウィリアム・グラント・スティルや、ヘイル・スミス(注:全員黒人の作曲家である)と同じくらい愛している。
次世代のインド人作曲家、または次世代の南アフリカ人作曲家、なんていう紹介を我々がほとんど目にしないのはおかしいと思わないか。
白人の作曲家達は声部進行や音楽の歴史について詳しいインテレクチュアルな専門技術者として高位におかれ、黒人の音楽家達は、白人の作曲家達の演奏するものよりも、「魂」や「フィーリング」はあるのに知性はない、という位置づけをされている様に見える。
黒人のインテレクチュアルでとても重要な作品を発表している人々が居るのに、私達がそれについて聞くことがほとんどないのはとても残念なことだ。

中略

「良いか悪いかということを判断することはあまり好きではない。
何故かというと、すぐに判断しだしてしまうと、そこから学ぶチャンスを失ってしまうからだ。
判断は後に残しておけばいいし、今そこにある音楽を作っている最中には、良くも悪くも、ただ流れに身をまかせるしかないんだ。」

ダニエル・レナー、Tyshawn Sorey :Composite Realityより。
訳:蓮見今麻

参考
http://www.allaboutjazz.com/tyshawn-sorey-composite-reality-tyshawn-sorey-by-daniel-lehner.php?&pg=5

2015年2月26日木曜日

非存在としてのインプロビゼーション

インプロビゼーションと呼ばれる音楽は、まるで幻獣の様である。

実体を完全に掴むことはできない。
だから、得体の知れない存在として人々の想像の中に生きる。
時に、得体の知れない存在であるがゆえに美化され、
また時には、得体の知れない存在であるがゆえに拒絶され、
そして時には、得体の知れない存在という名の「存在せぬもの」という扱いを受ける。

実際に演奏する音楽家にとってさえ、完全なる形で捕らえ、乗りこなすことはできないのだから、
聴き手側が簡単に納得するはずがない。

存在の裏付けがされないということが何を意味するかというと、
それはその幻獣についてあなたが想像する、姿や形、動き方や性質には限界がなく、
よってあなたの想像は人間の集合体による観念に完全に支配されることがないということ。

もし幻獣に少しでも興味があるのなら、
同じように幻獣に興味を持つ人々(世間からは「変わり者」と呼ばれたりする)の提示する、
幻獣についての見解を聞いてみるだろう。
それぞれの見解は、ある「存在せぬもの」に関する個性的な翻訳の数々であり、
そこに普遍的なものはほとんど見出されない。

そこで興味を失い、「想像してみること」を放棄し、「理解する」価値を見出さないという道もある。
理解することなんてはなっから期待してはいけないのだ。
幻獣なのだから。
もし、「想像してみる」という道を選べば、
幻獣はあなたのゆく先々で、一瞬姿を見せては去り、
あなたを狂おしい気持ちにさせ、惑わすだろう。






2015年1月18日日曜日

CECIL TAYLOR ON FREEDOM

自由という言葉の意味はいつも履き違われてきた。
外側の世界の人々によって、そしてさらには「運動」の渦中に居たはずの音楽家達によって。

ひとりの音楽家がある旋律を一定の時間奏でる時、そこにはひとつの秩序が芽を出す。
その個人的秩序というものを提示する、あるいはそれについて一種の論争に高じる、
どちらにしても、もしその音楽家が、演奏によって何かを表現しようとすれば、必ず秩序はそこに存在する。
秩序なしには音楽はありえないのだ。
もしその音楽が奏者自身の内側から湧き出ているものであれば。
しかしこの種の秩序というのは、外部から抑圧されてできあがる種類の秩序の基準とは何の関係性もないということを述べておく。

つまり、大事なのは、『自由』の反対側にある『非自由』ではなく、
秩序に関するアイディアと表現を認知することそのものなのだ。
         ーセシル・テイラー(FLY!FLY!FLY!FLY!FLY!(1980)ライナーノーツより抜粋)
    


「表現の自由」について、この頃、ひとびとは考えるだろう。

ディストピアの憂鬱に視界は曇り、根幹と視野を失った「表現」が創造性の柔らかな草地を蹂躙する。
そのような世界では、私達の多くは、「表現の自由」と言う言葉を聞けば、『非自由』の概念を想起し、
あるいは、自由を搾取する存在に対する行き場のない困惑の思いを感じるだろう。

ここでセシル・テイラーが述べていること、「自由」という言葉の理解は、
このような世界に生きる私達にとって、そしてまさに、「フリージャズ」または「自由即興」とも呼ばれる類の音楽を演奏する奏者達にとって、 極めて重要である。

「自由」という言葉は、「抑圧」または「束縛」というような非自由的概念と並べて理解されるべきではなく、
「創造性」そしてそれを芸術的表現たらしめる、そのひと特有の「創造における秩序」、その色彩の豊かさと優美な統制という自発的感覚を持って理解されるべきなのだ。

このような「自由」の側面について、私達は充分に考えることをしてこなかったのかもしれない。
私は、これに、「自由」は詩的であることもつけ加えたい。
創造性そのものを幹にして生まれるものであるが故、「自由」は、詩的であることを避けられないと思うのだ。



2014年12月23日火曜日

VIJAY IYER : MUSIC OF TRANSFORMATION


「変容の音楽」と題された、ピアニスト・作曲家、ヴィジェイ・アイヤーのコンサート。


第一部がソロ・ピアノ、第二部が弦楽器カルテットとピアノ、エレクトロニックスのための作品、ミューテーションズI-X、そして第三部が「ラジェ・ラジェ: ライツ・オブ・ホーリー」と題された、プラシャント・バーガルヴァ監督による映画のためにヴィジェイ・アイヤーが書き下ろした組曲が、大きなスクリーンに映る映画をバックグラウンドに、演奏された。

第三部の演奏は、インターナショナル・コンテンポラリー・アンサンブル、通称ICE(アイス)という気鋭のオーケストラで、クラシックやコンテンポラリー音楽とクロス・オーヴァーするジャズ・ミュージシャンと頻繁に共演している。
この12人からなる小さなオーケストラにタイショーン・ソーリーとヴィジェイ・アイヤーが加わった編成。

一番印象に残ったのは第三部の「ラジェ・ラジェ: ライツ・オブ・ホーリー」。

バーガルヴァ監督のこの映画は、春の訪れを祝って色粉や色水を掛け合うインドの祭り、ホーリーでの人々の熱狂をその強烈な色彩とともに記録したものだ。

アイヤーとバーガルヴァ共著の解説によると、 このヒンドゥー教の祭りの起源となった神話の中の一節にこんなものがある。
若く、浅黒い肌をしたクリシュナは、自分の恋焦がれる相手、ラジャ(またはラジェ)の肌の色が薄いことに腹を立て、彼女と彼女の友人達にこっそりと近づき、色粉をかぶせて驚かせた。

「このクリシュナの行為が、肌の色を乗り越えるための少しの悪ふざけ、
または女性と男性の間の力の交錯の瞬間、
または単なる若さゆえの酔狂の行為、
この中のどれであったとしても、
とにかくこの、神話の中のクリシュナの突発的行為が、ホーリー祭におけるカタルシスの儀式の中心となり得たのだ。」

このホーリー祭りにおける色彩豊かな春のカオスとユーフォリアをテーマにしたこの作品は、ストラヴィンスキーの「春の祭典」におけるカオスと儀式、そして変容というテーマへの芸術的応答なのだそうだ。


演奏が始まってからしばらくは、オーケストラは、クラシカルなサウンドをしばらく保っていた。
映像も、まだ祭りの始まる少し前の村の風景なんかを映したものだったように思う。
ふいに、タイショーン・ソーリーが、今まで弾いていたティンパニからドラムセットへと移って出した音で、全体のサウンドが確実にオーケストラ主体のクラシカルなものから、ジャズの音に変わった。
一時間ほどの組曲の中で、ストラヴィンスキとの対比的なオーケストラの音、
タイショーン・ソーリーとヴィジェイ・アイヤーが「フィールドワーク」などで培ってきた現代ジャズの音、そしてヴィジェイ・アイヤーのルーツで彼が表現し続けようとするインド音楽の音、
大きく言えばこの三つの音が交じり合い、共存していたと思う。

組曲が終盤にさしかかったところで、映像の中で踊り狂う集団のリズム(映画自体は無声映画である)と、オーケストラが演奏するリズムがシンクロナイズした時、
映像に収められた「過去」と、観客が体験する「現在」がリズムを通して異次元で繋がり合っているという感覚を覚えた。
映像自体がまた、とても土着的、民族的、儀式的であるがゆえに、
その感覚が次に呼び起こすものは、体験している「現在」において、「観客がステージのオーケストラを見る」というある種の無機質さと、映像の中の「過去」のまぎれもない儀式の中で酔狂しながら踊る人間達のプリミティブな芸術体験の力強さとの対比であった。

アリス・コルトレーンは、インド人ではなかったものの、60−70年代にかけてインド音楽に影響された作品を多数発表した。

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男性的、またユーロセントリック(もしくはアフロセントリック)になりがちなアメリカのジャズ音楽界において、東洋音楽との融合に精神の赴くままに取り組んだアリスのこの作品群を、私は言うまでもなく素晴らしく、歴史的意義のあるものだと思っている。
しかし、この同じ側面に対し、安易なexoticism(異国趣味)であるという批判をした評論家も居たらしい。

ジャズという音楽と、ディアスポラの定義を考える時に、最近はいつもこのことが頭に浮かぶ。
異国の音楽、文化的なものをジャズという枠組みの中に取り入れること。
その根本的な動機とは何か、そしてリスナーはそれをどう捉え理解するか、ということだ。

ヴィジェイ・アイヤーも、アリス・コルトレーンもディアスポラの子孫で、
ジャズをそのままの形ではなく、民族的ルーツまたは精神的ルーツに繋がる場所の音楽と交差させて新しい表現方法を掴んでいる。

現代のジャズは幅広くクロスオーヴァーしているし、ポップスという「グローバリズム的」音楽とも交差するわけだが、
反グローバリズム的(超資本主義のために一様化されていくという意味でのグローバリズム)な立場をとっている私としては、世界各地の伝統的音楽がジャズと融合し、
変容し、継承されていく、という過程は重要なものであると感じている。
そして、そういった「文化的変容」に対して非常に柔軟であるという意味で、ジャズと即興演奏には現代に生きる人間にとってとても重要な何かが残されているとも思う。



ネイティブ・アメリカンが淘汰された後のアメリカには、儀式がなく、神話がなく、土着宗教もない。
そういった現代社会の淋しさと同時に、変容への積極性と柔軟性も、アメリカという国は兼ね備えている。そういうことを私はこのコンサートから感じた。


先に述べた神話の一節の神々の肌の色についての話も人種的なことを想起させるが、
実は第一部では「黒人の命にも意味がある」という標語がスクリーンに映しだされた。
これは最近のアメリカでの人種差別問題でのデモで頻繁に使われてきた標語で、
明らかにアメリカ社会への批判が込められていた。
かなり政治的な意見を取り込んだパフォーマンスであった、という一面もあり、
そのことについてはまた考えてみたいと思う。




















2014年12月13日土曜日

TONY MALABY QUINTET @ CORNELIA STREET CAFE

マンハッタンに数少なく残る、アンダーグラウンドな雰囲気のクラブ、コーネリア・ストリート・カフェ。

天井の低い地下のスペースに窮屈にテーブルと椅子が並べられて、青い壁とステージの赤いカーテンが照明に照らされる。
変に気取っていない、オールド・スクールな場所だ。


この場所は、ジャズだけでなくクラシックやポエトリー・リーディングなど幅広いパフォーマンスをホストしている。ジャズに関していうと、フリーっぽいものや、実験的要素の強いコンテンポラリーなミュージシャン達が沢山演奏している場所だ。
あとはブルックリン派と呼ばれる様なミュージシャン達がマンハッタンで演奏する足場になっている様なイメージもある。
新しいスタイルやインプロビゼーションなどに対してかなり積極的でオープンなクラブだ。
 
今晩はここで、トニー・マラビー率いるクインテットを見てきた。
ビリー・ミンツ(drums)、アイヴァンド・オプスヴィック(bass)、ダン・ペック(tuba)、クリストファー・ホフマン(cello)をバックに、トニー・マラビーがブロウするという、とても魅力的なプロジェクトだ。
チューバとチェロが入っていることで、通常の予測されるジャズ・クインテットのイメージの枠は容易に破壊される。
ふたつの強力な弦楽器の音は、アンサンブル全体の音に厚みを持たせ、
少しくぐもった様なチューバの音は、不思議な存在感を持って全体音の周りを浮遊する。
ビリー・ミンツの出すドラムの音が、その浮遊感を補足しつつ、音楽の舟から錨をするすると下ろしていく。
インプロビゼーションを演奏するビリーのドラミングには、ほとんどの場合、明確なビートは刻まれない。
明確なビートを主張してこない、究極的ミニマリズム。それは、逆に言うと、音楽的に素晴らしく柔軟である、ということで、音響を主体とする演奏には特に、最高のキャンバスを用意してくれる。
彼の表現は、テクスチュアを中心にしたもので、とにかく繊細で綺麗な音をドラムから出す。

トニー・マラビーの演奏は期待していた通り素晴らしかった。
彼ほどひとつの楽器から変幻自在にあらゆる音を出す奏者を私はあまり見たことがない。
そして、どの音も、絶妙な加減でコントロールされている。

グループ全体でインプロビゼーションを演奏した時には、その細やかな音の粒、ざらざらした感じと大きな一体感が、レヴォリューショナリー・アンサンブルの様だった。
かと思うと、楽譜を取り出して弾いた曲では、基本に流れるメロディーのヘテロフォニックな感じと、
その周りを流れる少し、ほんの少しだけ狂った感じの音の層に、エリントン・オーケストラの残響が聞こえた。

このグループの演奏は是非もう一度聞いてみたいと思う。
是非アルバムも作って欲しい。