2014年6月14日土曜日

Charles Gayle Quartet @ Vision Festival 2014



息を切らして辿り着いた扉の向こうからは、駆け狂う様なサックスの音が溢れていた。
はやる気持ちで重い扉を開けると、そこには、人々の、初夏の訪れへの祝福と、暴力的な雨雲への鬱憤が混じり合った興奮が、濃密な空気を作り出していた。
もしかするとその空気は、そのまま、純粋な音楽への陶酔と、商業主義に対しての蓄積した芸術的不満に置き換えることができたかもしれない。

私は、まるで60年代にタイムトリップした様な感覚を覚えていた。
音楽の内側から響く、熱心さ、素朴さをこんなに直接的に感じるコンサートで、
大きな会場が満員になっている。そういう場面にはしばらく出会えていなかった。
熱狂する観客の拍手や歓声に、顔色ひとつ変えずに、
音楽へ献身していたその男は、チャールズ・ゲイルという人であり、またの名を、道化師「ストリーツ」といった。


チャールズ・ゲイルは、つぎはぎのあるよれよれのスーツを着て、鈍く光るサックスを吹いた。
Tシャツの上につけたネクタイも、長身の体躯のせいか、不思議とスタイリッシュだ。
ピエロの赤いつけ鼻が、彼の白い顎ひげとともに漆黒の肌から浮き立っていた。

ウィリアム・パーカーが、大木の幹を連想させる太いベースを弾き、
デイヴ・バレルのミニマルかつエッジーなピアノはモンクの様な響きで空間を覚醒させ、
マイケル・ウィンバーリーの雷の轟音の様なドラムが高揚を持続させた。
素晴らしいリズムセクションを後ろに、淡々と、しかし確実に熱を持って演奏するゲイル。
後にも先にも、私は、あんなに粋な道化師を見たことはなかった。

以下は、ゲイル自身が、彼の演じる道化師「ストリーツ」について語った内容だ。

そうだな。彼の格好を見てみれば分かると思うが、彼はぼろぼろの服を着た奴だ。
愛、痛み、喜び、生きていく中で起こるすべてのことに反応するんだ。
心がずたずたになって、俺もその心をずたずたに破って、泣き始めるさ、
そしてそれをピアノとか、サックスで弾こうとしてみるんだ。
その中には社会的、政治的な理由だってある。 何かの結果を招く原因を作ろうとかじゃないんだ。
ただ、心の中にあるもの、それだけだよ。
いくつかの問題は、他の問題よりも少しやっかいだ。だけど俺はそれも演じる。
たまに小道具を使ったりするときもあるし、使わない時もある。
だいたいはパントマイムだ。伝統的なものとは少し違う。言葉は使わない。 
そうして、ストリーツを動かして、遊ばせるんだ。
愛の演目もある。小さな赤ん坊のことだったり、ただ誰かを手助けすることだったり。
または暴力の演目もある。ピアノの上に血が滴る様なね。まあ、目には見えない形で、だけど。
ただ演奏しようとするんじゃなくて、何か他の形の見えるものを演奏に取り入れたかった。
そんなにだいそれたものだとは思っていないけれど、
俺の心の中にはずっとあったものだ。
ずっと、ただ演奏するだけでは自分には充分じゃないと感じていた。
特に、ストリートでの生活を経験してからは。
ストリートでは、演奏するだけじゃなくて、食事もしたし、ぶらぶらしたし、時には寝たよ。
パフォーマンスや演奏っていう、フォーマルなことだけに意味があるとは思わない。
多くの場合は、それ以外にもたくさんの要素が混じっている。
ストリートで演奏する奴の多くは、家に帰っても演奏できる。
だが、本当にストリートで生活してる場合は、曲をパフォーマンスするっていうことだけじゃないんだ。
他の色んな事が、マインドにも演奏にも関わってくる。
色んな人と話をするだろうし、時にはサイレンを追いかけてるかもしれない。
救急車を追いかけるってことじゃなくて、サイレンと音で遊ぶっていうことだよ。
見た目の面白さのためにそういうことをするのではなくて、
演奏しているその瞬間に、そういう色んな出来事が周りで起こっているから。
少なくとも俺の場合は、そう、演奏するだけじゃ充分じゃないんだ。

ゲイルは、過去に20年近く、ホームレス生活をしていた。
ストリートをただひたすら歩き、サックスを吹く生活、を送っていたのだそうだ。
私が興味を引かれるのは、音楽家として彼が経験してきたであろう、人間の「評価」というもののめまぐるしさである。同じ人間が、同じ楽器を弾いて、ある時は路上の片隅で見過ごされ、
またある時は豪奢なステージで拍手喝采を浴びるのだ。
その様子をゲイルは、どんな気持ちで眺めてきたのだろうか。

自由に即興をすることと、自由であることは別物だと思うんだ。
誰だって自由な即興はできるさ、だけど、精神は自由か?
そうでなければ、ただ自由即興のための音楽的語彙を学ぶだけ。
個人的な話だが、自慢じゃないけど、私は自由な人間だ。
だけど、それが必ずしも良いこととは言わない。
時には自由であるということは障害にもなるけれど、
私はそういう人間だから、それでいい。
これは、自由のための声明だ。そこには、喜びもあるし、悲しみもある。


超資本主義を人間の無知さが容認する世相において、芸術も商業と同じ程度の生産性を期待される。どれだけのお金に還元されるかという物差しで芸術を評価してしまいがちな私達現代人は、
まるで夢を喰い尽くしてしまう盲目の獏(ばく)の集まりだ。
この安易な評価基準に甘んじることなく、個人の経験と感受性を反映した独特の基準を維持できるように、私達は注意深くいなければならないと思う。

ゲイルの演奏が私に教えてくれたことは、
ミニマルな表現の一端を深く、忍耐強く、掘り下げていくことで、
そこに、あらゆる事象を包括するひとつの小宇宙を見出すことができる、ということだった。





引用:チャールズ・ゲイル ジェームス・リンドブルームによるインタビュー
             ケン・ワイスによるインタビュー 
              

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