2015年1月18日日曜日

CECIL TAYLOR ON FREEDOM

自由という言葉の意味はいつも履き違われてきた。
外側の世界の人々によって、そしてさらには「運動」の渦中に居たはずの音楽家達によって。

ひとりの音楽家がある旋律を一定の時間奏でる時、そこにはひとつの秩序が芽を出す。
その個人的秩序というものを提示する、あるいはそれについて一種の論争に高じる、
どちらにしても、もしその音楽家が、演奏によって何かを表現しようとすれば、必ず秩序はそこに存在する。
秩序なしには音楽はありえないのだ。
もしその音楽が奏者自身の内側から湧き出ているものであれば。
しかしこの種の秩序というのは、外部から抑圧されてできあがる種類の秩序の基準とは何の関係性もないということを述べておく。

つまり、大事なのは、『自由』の反対側にある『非自由』ではなく、
秩序に関するアイディアと表現を認知することそのものなのだ。
         ーセシル・テイラー(FLY!FLY!FLY!FLY!FLY!(1980)ライナーノーツより抜粋)
    


「表現の自由」について、この頃、ひとびとは考えるだろう。

ディストピアの憂鬱に視界は曇り、根幹と視野を失った「表現」が創造性の柔らかな草地を蹂躙する。
そのような世界では、私達の多くは、「表現の自由」と言う言葉を聞けば、『非自由』の概念を想起し、
あるいは、自由を搾取する存在に対する行き場のない困惑の思いを感じるだろう。

ここでセシル・テイラーが述べていること、「自由」という言葉の理解は、
このような世界に生きる私達にとって、そしてまさに、「フリージャズ」または「自由即興」とも呼ばれる類の音楽を演奏する奏者達にとって、 極めて重要である。

「自由」という言葉は、「抑圧」または「束縛」というような非自由的概念と並べて理解されるべきではなく、
「創造性」そしてそれを芸術的表現たらしめる、そのひと特有の「創造における秩序」、その色彩の豊かさと優美な統制という自発的感覚を持って理解されるべきなのだ。

このような「自由」の側面について、私達は充分に考えることをしてこなかったのかもしれない。
私は、これに、「自由」は詩的であることもつけ加えたい。
創造性そのものを幹にして生まれるものであるが故、「自由」は、詩的であることを避けられないと思うのだ。



2014年12月23日火曜日

VIJAY IYER : MUSIC OF TRANSFORMATION


「変容の音楽」と題された、ピアニスト・作曲家、ヴィジェイ・アイヤーのコンサート。


第一部がソロ・ピアノ、第二部が弦楽器カルテットとピアノ、エレクトロニックスのための作品、ミューテーションズI-X、そして第三部が「ラジェ・ラジェ: ライツ・オブ・ホーリー」と題された、プラシャント・バーガルヴァ監督による映画のためにヴィジェイ・アイヤーが書き下ろした組曲が、大きなスクリーンに映る映画をバックグラウンドに、演奏された。

第三部の演奏は、インターナショナル・コンテンポラリー・アンサンブル、通称ICE(アイス)という気鋭のオーケストラで、クラシックやコンテンポラリー音楽とクロス・オーヴァーするジャズ・ミュージシャンと頻繁に共演している。
この12人からなる小さなオーケストラにタイショーン・ソーリーとヴィジェイ・アイヤーが加わった編成。

一番印象に残ったのは第三部の「ラジェ・ラジェ: ライツ・オブ・ホーリー」。

バーガルヴァ監督のこの映画は、春の訪れを祝って色粉や色水を掛け合うインドの祭り、ホーリーでの人々の熱狂をその強烈な色彩とともに記録したものだ。

アイヤーとバーガルヴァ共著の解説によると、 このヒンドゥー教の祭りの起源となった神話の中の一節にこんなものがある。
若く、浅黒い肌をしたクリシュナは、自分の恋焦がれる相手、ラジャ(またはラジェ)の肌の色が薄いことに腹を立て、彼女と彼女の友人達にこっそりと近づき、色粉をかぶせて驚かせた。

「このクリシュナの行為が、肌の色を乗り越えるための少しの悪ふざけ、
または女性と男性の間の力の交錯の瞬間、
または単なる若さゆえの酔狂の行為、
この中のどれであったとしても、
とにかくこの、神話の中のクリシュナの突発的行為が、ホーリー祭におけるカタルシスの儀式の中心となり得たのだ。」

このホーリー祭りにおける色彩豊かな春のカオスとユーフォリアをテーマにしたこの作品は、ストラヴィンスキーの「春の祭典」におけるカオスと儀式、そして変容というテーマへの芸術的応答なのだそうだ。


演奏が始まってからしばらくは、オーケストラは、クラシカルなサウンドをしばらく保っていた。
映像も、まだ祭りの始まる少し前の村の風景なんかを映したものだったように思う。
ふいに、タイショーン・ソーリーが、今まで弾いていたティンパニからドラムセットへと移って出した音で、全体のサウンドが確実にオーケストラ主体のクラシカルなものから、ジャズの音に変わった。
一時間ほどの組曲の中で、ストラヴィンスキとの対比的なオーケストラの音、
タイショーン・ソーリーとヴィジェイ・アイヤーが「フィールドワーク」などで培ってきた現代ジャズの音、そしてヴィジェイ・アイヤーのルーツで彼が表現し続けようとするインド音楽の音、
大きく言えばこの三つの音が交じり合い、共存していたと思う。

組曲が終盤にさしかかったところで、映像の中で踊り狂う集団のリズム(映画自体は無声映画である)と、オーケストラが演奏するリズムがシンクロナイズした時、
映像に収められた「過去」と、観客が体験する「現在」がリズムを通して異次元で繋がり合っているという感覚を覚えた。
映像自体がまた、とても土着的、民族的、儀式的であるがゆえに、
その感覚が次に呼び起こすものは、体験している「現在」において、「観客がステージのオーケストラを見る」というある種の無機質さと、映像の中の「過去」のまぎれもない儀式の中で酔狂しながら踊る人間達のプリミティブな芸術体験の力強さとの対比であった。

アリス・コルトレーンは、インド人ではなかったものの、60−70年代にかけてインド音楽に影響された作品を多数発表した。

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男性的、またユーロセントリック(もしくはアフロセントリック)になりがちなアメリカのジャズ音楽界において、東洋音楽との融合に精神の赴くままに取り組んだアリスのこの作品群を、私は言うまでもなく素晴らしく、歴史的意義のあるものだと思っている。
しかし、この同じ側面に対し、安易なexoticism(異国趣味)であるという批判をした評論家も居たらしい。

ジャズという音楽と、ディアスポラの定義を考える時に、最近はいつもこのことが頭に浮かぶ。
異国の音楽、文化的なものをジャズという枠組みの中に取り入れること。
その根本的な動機とは何か、そしてリスナーはそれをどう捉え理解するか、ということだ。

ヴィジェイ・アイヤーも、アリス・コルトレーンもディアスポラの子孫で、
ジャズをそのままの形ではなく、民族的ルーツまたは精神的ルーツに繋がる場所の音楽と交差させて新しい表現方法を掴んでいる。

現代のジャズは幅広くクロスオーヴァーしているし、ポップスという「グローバリズム的」音楽とも交差するわけだが、
反グローバリズム的(超資本主義のために一様化されていくという意味でのグローバリズム)な立場をとっている私としては、世界各地の伝統的音楽がジャズと融合し、
変容し、継承されていく、という過程は重要なものであると感じている。
そして、そういった「文化的変容」に対して非常に柔軟であるという意味で、ジャズと即興演奏には現代に生きる人間にとってとても重要な何かが残されているとも思う。



ネイティブ・アメリカンが淘汰された後のアメリカには、儀式がなく、神話がなく、土着宗教もない。
そういった現代社会の淋しさと同時に、変容への積極性と柔軟性も、アメリカという国は兼ね備えている。そういうことを私はこのコンサートから感じた。


先に述べた神話の一節の神々の肌の色についての話も人種的なことを想起させるが、
実は第一部では「黒人の命にも意味がある」という標語がスクリーンに映しだされた。
これは最近のアメリカでの人種差別問題でのデモで頻繁に使われてきた標語で、
明らかにアメリカ社会への批判が込められていた。
かなり政治的な意見を取り込んだパフォーマンスであった、という一面もあり、
そのことについてはまた考えてみたいと思う。




















2014年12月13日土曜日

TONY MALABY QUINTET @ CORNELIA STREET CAFE

マンハッタンに数少なく残る、アンダーグラウンドな雰囲気のクラブ、コーネリア・ストリート・カフェ。

天井の低い地下のスペースに窮屈にテーブルと椅子が並べられて、青い壁とステージの赤いカーテンが照明に照らされる。
変に気取っていない、オールド・スクールな場所だ。


この場所は、ジャズだけでなくクラシックやポエトリー・リーディングなど幅広いパフォーマンスをホストしている。ジャズに関していうと、フリーっぽいものや、実験的要素の強いコンテンポラリーなミュージシャン達が沢山演奏している場所だ。
あとはブルックリン派と呼ばれる様なミュージシャン達がマンハッタンで演奏する足場になっている様なイメージもある。
新しいスタイルやインプロビゼーションなどに対してかなり積極的でオープンなクラブだ。
 
今晩はここで、トニー・マラビー率いるクインテットを見てきた。
ビリー・ミンツ(drums)、アイヴァンド・オプスヴィック(bass)、ダン・ペック(tuba)、クリストファー・ホフマン(cello)をバックに、トニー・マラビーがブロウするという、とても魅力的なプロジェクトだ。
チューバとチェロが入っていることで、通常の予測されるジャズ・クインテットのイメージの枠は容易に破壊される。
ふたつの強力な弦楽器の音は、アンサンブル全体の音に厚みを持たせ、
少しくぐもった様なチューバの音は、不思議な存在感を持って全体音の周りを浮遊する。
ビリー・ミンツの出すドラムの音が、その浮遊感を補足しつつ、音楽の舟から錨をするすると下ろしていく。
インプロビゼーションを演奏するビリーのドラミングには、ほとんどの場合、明確なビートは刻まれない。
明確なビートを主張してこない、究極的ミニマリズム。それは、逆に言うと、音楽的に素晴らしく柔軟である、ということで、音響を主体とする演奏には特に、最高のキャンバスを用意してくれる。
彼の表現は、テクスチュアを中心にしたもので、とにかく繊細で綺麗な音をドラムから出す。

トニー・マラビーの演奏は期待していた通り素晴らしかった。
彼ほどひとつの楽器から変幻自在にあらゆる音を出す奏者を私はあまり見たことがない。
そして、どの音も、絶妙な加減でコントロールされている。

グループ全体でインプロビゼーションを演奏した時には、その細やかな音の粒、ざらざらした感じと大きな一体感が、レヴォリューショナリー・アンサンブルの様だった。
かと思うと、楽譜を取り出して弾いた曲では、基本に流れるメロディーのヘテロフォニックな感じと、
その周りを流れる少し、ほんの少しだけ狂った感じの音の層に、エリントン・オーケストラの残響が聞こえた。

このグループの演奏は是非もう一度聞いてみたいと思う。
是非アルバムも作って欲しい。



2014年11月22日土曜日

VINICIUS CANTUARIA @ JAZZ STANDARD



そろそろ冬が訪れなければいけないことを、ふと急に思い出したかの様に、ニューヨークが心地良い晩秋の日々から氷点下の肌を刺すような寒さへと変化したのがその日だった。

分厚いコートを着込んだ私達は、寒さを言い訳に、少しだけ遅れて到着した。
私達を迎えた会場のドアマンは、すごく紳士的な青年で、「お二人ですね。」とチケットを手配した後に、
「今宵はお越し頂き幸いです。」と付け加えた。
その訳は、扉を開いて席へと案内されて少し分かった気がした。
その夜の最後のセットとは言え、場内はかなり空席が目立ったのだ。

ヴィニシウス・カントゥアリアは、ギターを抱え込み、Insensatezを歌っていた。
聞き慣れた旋律。ジョビンへの堅実な解釈。主張する魅力的な憂鬱。
なんだかわからないうちに私は彼の独特な雰囲気に惹きこまれていた。

耳に聞こえる音楽自体は、そこはかとなく明るい。
ドラムとパーカッションで軽快に刻まれるリズムと、淡々と流れる様にヴィニシウスが歌うジョビンの曲達。ヴィトー・ゴンサルヴェスのピアノは繊細ながらもゴージャスなサウンドで、それぞれの曲を表情豊かなものにしていく。

それなのに、歌うヴィニシウスの表情には、響いてくる音楽とはおよそ符合しない類の、
鬼気迫る「何か」があったのだ。
あくまでも私個人の印象だけれど、彼の風貌と表情からは、何かもっと、労働歌だとか、反戦歌だとか、そういうぎりぎりのところに立っている者の訴えかける音楽、つまりブルースが聞こえてくる気がした。もちろん、音楽自体は生粋のブラジリアン・ジャズなのだけれど、ヴィニシウスの表情を見ていると、どうもブルース・シンガーを見ているような気がしてしょうがなかった。
ブルースというのは、もしかしたら必ずしもブルースとして私達の耳に届くわけではないのかもしれない、と私は自分の頭の中で結論づけた。

考えてみれば、「憂鬱」を歌うシンガーというのは、今も昔も、どれ程存在しただろう?
ニナ・シモンと山崎ハコしか今は思いつかない。
聞いているうちに楽しくなって、踊れて、笑顔になるような音楽が主流の世の中で、
憂鬱を歌うのは決して楽なことではないと思う。
しかし、誰かがその役を買って出てくれないことには、世の中のバランスが取れないと私は思うのだ。
ヴィニシウス・カントゥアリアは、そういう風に、何かとても不思議な形で、世の中のバランスを取っているタイプの音楽家なのかもしれない。





2014年11月13日木曜日

Rema Hasumi Solo : "Patterns of Duplicity"

今回のソロ・コンサートは、
テーマとして、宮沢賢治の『春と修羅』を選んだ。

ここ数カ月間、私は即興の演奏をすることと、言葉を話す行為との関係について考えていた。
即興演奏の世界には、私はもともとジャズという媒体を通じて入っていったけれど、
ジャズの即興には意外に沢山のきまりごとがあって、私はそれをきちんと全部守って流暢に弾くことができなかった。または、ある程度はできていたとしても、そうする課程において、コンファタブルと感じることができなかった。
一定の理論的ルールを守っての即興、という演奏方法に対して感じたフラストレーションは、私が言語に対して感じてきたフラストレーションに通じるものがあった。
考えてみれば、私が一番『流暢に』言葉を話すことができていたのは、 高校生くらいの時じゃないかと思う。
それは、会話する言語として英語を使い始める前のことだ。
その時期が一番、伝えたいことを的確に、躊躇せず会話の中の言葉で表現することができていたと思う。


例えば生まれたばかりの赤ん坊が、母親に伝えたいことを伝えるために あうあうあう という音を発する。
例えば言葉を持つ前の原始人類が、仲間同士で意思伝達するために、声を使い、試行錯誤して何らかの音的シンボルを作り出す。

このとてもプリミティブな声を伴った表現とそれを誘発する人間の共有意識、
それが、私がインプロビゼーションの根本に据えているものだ。

コンサートでは、『春と修羅』の英語訳を朗読しながらインプロヴァイズし、
日本語の原詩の朗読、即興言語での同詩の表現に続く。
第一言語と第二言語での朗読、それぞれにおいて、もちろん即興の媒体となる私自身の言語的経験が濃密に音楽的表現にも反映されていく。
これを練習する課程において、
いかにリズムとイントネーションが言語表現において重要な役割を担っているかを再確認した。
結果的に、自分が普段、会話においては使わない音韻的表現を、朗読しながら初体験し、
自らのオルターエゴを発見するような、不思議な経験をすることになった。

推測される通り、三つ目の、創作言語を使った即興演奏においては、
原詩において表現される世界観を視覚的に認知したものを抽象表現する。
既存の言語的枠組みからの解放、及び、既存の音楽理論からの解放を二重に経験する。
演奏者はもちろん、可能性として、オーディエンスもをそれを感じることができるかもしれない。


もうひとつ、パフォーマンスの一部としてのインスタレーションに、
パブロ・ネルーダの『二十の愛の詩とひとつの絶望の歌』からの詩の一部を引用を使う。

偶然なのだが、ネルーダの『二十の愛の詩とひとつの絶望の歌』と、
宮沢の『春と修羅』は同じ1924年に出版されていた。

1924年。
日本では大正デモクラシーが収束を迎え、文化という言葉がもてはやされた。
ニューヨークではガーシュインの『ラプソディー・イン・ブルー』が初演。
サラ・ヴォーンやマックス・ローチ、そしてジェームス・ボールドウィンが誕生した。
今からさかのぼって90年前のこと。
 

=== November 14, 2014 ===


• 7pm: Rema Hasumi solo "Patterns of Duplicity - The Poetry and Sound of Kenji Miyazawa”: piano & vocals


• 8pm: Jen Shyu’s “Solo Rites: Seven Breaths”: vocals, Taiwanese moon lute, gayageum, piano, dance, directed by Garin Nugroho


• 9pm: Jade Tongue’s “Sounds and Cries of the World” 1st Fold: "Wehali: Birds from Inside"
John Hébert, bass
Ben Monder, guitar
Satoshi Haga, dance
Val-Inc, electronics
Jen Shyu, vocals, instruments, dance



@ Shapeshifter Lab
18 Whitwell Place, Brooklyn, NY 11215
Tix: http://www.brownpapertickets.com/event/896655
$15 ($12 w/ student ID)
















2014年10月31日金曜日

"LOVE AND GHOSTS" FARMERS BY NATURE





例えば、真夏の湿った空気の中で鴨川の土手に座って青空を見あげ、汗をかきつつヘッドフォンで聴くのもいい。
または、しんしんと雪の降る寒い夜に山小屋の中で暖炉にあたたまりながら大きなスピーカーで聴くのもきっといい。

すべてコレクティブ・インプロビゼーションに基づいたFARMERS BY NATUREの音楽。
この録音、"LOVE AND GHOSTS"は2011年にフランスのフェスティバルで演奏されたライブ録音だ。


衝動が音を突き動かし、経験と感覚が統制を取る。

ピアニスト、クレイグ・テイボーンの弾くピアノは都会的な響き方をする。
都会のエレガンス、思考、レジスタンスと制御、多面的構造、枯渇することのない創造性。

ウィリアム・パーカーの太いベース音はテイボーンの弾くピアノの音の間をうねるように通りぬけ、まるで大きな織り物を縫い上げる糸の様に音と音を繋いでいく。

そこに加わるジェラルド・クリーヴァーのドラム、パーカッションの自然なサウンドが、一気に音楽をまとまりのあるオーセンティックなものに仕上げる。彼の叩くドラムの音は音響的にも本当に素晴らしく、
このグループの音楽性を確固たるものにしている、と私は思う。

その音楽の構成は、大きな部分が『感触』に基づいているのではないだろうか。
仕立屋があらゆる布を手にとって、その感触を元に様々な服を仕上げていくように、
音楽家達も、音のあらゆる感触を、記憶と感覚に刻みこみ、または瞬間的に創造しながら表現し、
その感触のバリエーションのコントラストを音楽の構成にしていく。
それは多くの場合、楽譜にはしにくいものである。
二次元的に、メロディーはこれで、コードはこうで、リズムはこうなる、という決め事をせずに、
音の響き方を立体的に吟味しながら、作り上げていく類のものだから。

文字が好きな私はどうしてもファーマーズ・バイ・ネイチャーという名前の意味を考えてしまったりする。
「生来、農民である」というのは、
自ら畑を耕し、自らの食べ物を育てるように生まれた、ということだ。
つまり、自ら音楽的アイディアの畑を耕して、自らの創造性を持って芸術への空腹を満たしていく、というところだろうか。
紛れもなく、3人はそのようなテーマにふさわしい音楽の作り方をしていると思う。
農民というのは、本来、とても自由な職業なのだ。
これくらいの大きさで、こんな甘さで、こんな酸っぱさのりんごを食べたい、と想像した時に、じゃあ、作ってみようじゃないか、といって実際にりんごを形にする。
そういう自由さと行動力を持った、「農民」でありたいと願うのは、優れた芸術家にとって、
きっとあたりまえのことなのかもしれない。





2014年10月25日土曜日

DUKE ELLINGTON'S CONCERT OF SACRED MUSIC (1966)



デューク・エリントンを持って「自分の達成した仕事の中で一番大事な作品」と言わしめたこのコンサート録音は、65年に初めてサンフランシスコで上演され、翌年の66年のニューヨーク公演で録音された。
まず、音が良い。ビッグバンドに合唱隊もつけた大編成のコンサートでも、天井の高い大きな教会での録音には臨場感とまとまり、適度な響き具合がある。
音楽的には少し実験的なところが感じられる。
合唱隊のところどころユーモラスな感じもする歌の入り方や、リズミカルなポエトリー・リーディング、タップダンスなどが織り込まれていて、単純に音楽として聴くよりも、ひとつの壮大なテーマを持った舞台として鑑賞する方がしっくりくるものかもしれない
そして、その舞台のテーマというのは、聖書と信仰なのだ。
そういったテーマとアルバムタイトルだけを見ると、このレコードはものすごく重厚なスピリチュアル音楽であってもおかしくはない。
だけどそこはデューク。テンポ良く話の進む物語の様に、少し驚く様なエンターテイメント性も織り込み、同時にジャズの伝統を駆使して見事なオーケストレーションとアレンジメントを繰り広げている。

イントロでのハリー・カーニーのバリトンの音から、ジミー・ハミルトンのクラリネット・ソロへの流れは美しく、いかにデューク・エリントン楽団がデュークの作曲・編曲の才能だけでなく、人選の質の良さの賜物であるかを実感させられる。
A面で4曲中3曲を歌い上げているのが、エスター・マロウというシンガーで、彼女はデュークに才能を認められ、この舞台でデビューしたのだそうだ。マハリア・ジャクソンをとても尊敬していた様で、
ジャズ・シンガーというよりも、生粋のゴスペル出身という歌いまわし。
バンドのジャズの演奏と、エスター・マロウのあまりジャズっぽくない歌い方のコントラストが新鮮だ。

ここで、ライナー・ノーツのデューク自身の言葉を引用したい。

コミュニケーションというのは、大勢の人々を困惑させるものである。
それはとてつもなく難しいと同時に、とてつもなく単純明快である。
人間の持つ恐れの中で、私達が一番恐れているものとは、実に私達自身ではないだろうか。
世の中全体との直接的なコミュニケーションの中で、もっとも個人的なレベルでの報復、つまり理解されないということを深く恐れているのだ。
それでも、神を信じた者達が誠実さを求めて恐れを投げ打ち、理解されようがされまいが意思疎通を試みた時に、いつも奇跡は起きる。
人間は「叡智」というものの恩恵を部分的に享受しているものの、すべての叡智を持つのはただひとりだけである。
神は全体を理解している。
ひとつの言語を喋る者もいれば、複数の言語を喋る者もいる。
人間は皆、それぞれの言語で祈り、そのすべての祈りを神は理解している。
昔、ある男がジャグリングをしながら神に祈りを捧げたという。
彼は世界一のジャグラーという訳ではなかったが、彼にとってはジャグリングは一番の特技だった。
神は男のジャグリングと祈りをそのまま受け入れた。
あるドラマーやサックス奏者の技術がどれほどのものであったとしても、もしその楽器を演奏することが彼らの特技で、深い信仰心に由来するものであれば、その演奏が楽器の種類によって神に否定されるということはない。その楽器が例えトムトムであっても、ただのパイプであってもだ。
悩み事がある時、人は祈りを捧げながら呻き、泣くだろう。
神の恩恵があって初めて自分の人生が存在することに気づいた時に、人は歓喜し、歌い、踊るだろう。
この演目では、言葉の存在しない様々な声明が聴かれるが、6つのトーンからなるフレーズには意味が込められている。それは、聖書の最初の4文字、In the beggining Godというフレーズの中にある6つの発声音のシンボルなのだ。この曲は何度も、違うやり方でそのシンボルを繰り返している。

私の持つ印象では、ジャズという音楽は宗教との深い関わりを持っている様には思えない。
地理、時代的背景を考えて、ここではキリスト教のことになるけれど、教義の様なものを全面に押し出したジャズ・レコードというのはあまり聞いたことがない。
その時代のアメリカでは、ジャズという音楽が生まれ始めた頃、「そんな野蛮な音楽を聴くな」と両親が子供に告げることもあったくらい、「危険」な音楽だと認識されていたこともあった様だから、教会で演奏されるゴスペル・ミュージックとストリートや酒場で演奏されたジャズの間には明確な一線が引かれていたのかもしれない。それに加えて、ジャズという音楽そのものが論理的、芸術的深みを増していくにつれて、ミュージシャン達は音楽そのものを信仰するようになった、とも考えられる。

そういう印象もあって、デューク・エリントンのこの音楽的試みは何かとても新鮮な輝きを持って私に迫ってきた。
何か深い精神性を包括するような、ぐちゃぐちゃ、どろどろ、したものを想像していた私には、
拍子抜けするくらい、デュークの"Sacred Music"、『聖なる音楽』は、あっけらかんとしているように感じた。
これだったら、アルバートアイラーの音楽の方が随分「宗教的」「スピリチュアル」だと思う。

とにもかくにも、この作品は、ジャズにすっかり慣れてきつつあった60年代のアメリカの大衆に、大変高い評価を持って受け入れられた様だ。
デューク・エリントンの作品には、ものすごく高度なエンターテイメント性と、ものすごく高度な芸術性が奇跡的なバランスで共存している。これはすごいことだと思う。

私はキリスト教についてほとんど何も知らないけれど、
デュークが、キリスト教の「神」という存在を通じて話している内容は、よく理解できる気がする。
理解されないかもしれない、という恐れを乗り越えて表現し続ける、というのは芸術の本質だと私も思うのだ。理解されないかもしれないが、自分にはそれを表現したいという自然な欲求がある。
その欲求に誠実に、表現する、ということが、宗教的な意味での「祈り」と同義であるということだ。

コメディの神聖さについてもジャグリングの話を通じて彼は話しているが、
もしかしたら、デューク・エリントンは、音楽家としての自分がエンターテイナーであり、ある意味での道化師である、ということを考えていたのかもしれない。