2016年3月21日月曜日

フリーダム・ミュージック 第三回

第三回目は、アート・ブレイキーのフリーダム・ミュージックに対するコメントに焦点をあてる。

言わずと知れたジャズ・メッセンジャーズを率いたブレイキーの経歴には、ジャズの歴史の中でも最も輝かしい時代を彩る奏者達の名前が並ぶ。マイルス・デイヴィス、チャーリー・パーカーにセロニアス・モンク。ビバップ、ハードバップの時代を牽引し、無数のレコードを後世に残したブレイキーだが、彼がフリーなアプローチの演奏に関わったことはほとんどなかったようだ。

アーサー・テイラーはこう質問している。
「アヴァンギャルドやフリーダム・ミュージックに関してはどのように感じていますか?」

理解できません。フリー・ジャズや、そんな類のものが聞こえてくると、そろそろ帰る時間だな、と思います。 
フリーダム、自由は素晴らしいものだけれど、秩序のない自由はただのカオスですから。
何かに到達するためには、あるポイントを定めることが必要です。
どこに行くのか?すべてがカオスであればそこには何の意味もありません。方向性というものがなければ。あなたが伝えようとしていることを、人が理解できないのは良くありません。
普通の人間は、音楽を聞く時に頭を使おうなんて思いませんよ。
音楽というものは、毎日の生活でたまった埃を振り払ってくれるべきものです。
 リスナーは、音楽家がやろうとしていることを頭を使って理解しようとはしません。
一日中頭を使っていろいろなことを理解しなければいけないのですから。
音楽を聴く時は、ただその音楽に別の世界に連れて行ってもらいたいのですよ。音楽はエンターテイメントなのです。

フリーダムをやっているミュージシャン達もいろいろいますが・・・
数年前に、レニー・トリスターノがそんなようなことをやっているのを聞きましたが、あれには方向性がきちんとありました。
最近よくある、みんなが同時にばっと演奏するようなものよりもずっと理解しやすかった。
あんなのは簡単にできる逃げだと思いますよ。
ああいう輩がロックンロールを馬鹿にするでしょう。そしてジャズのことも馬鹿にする。
チャーリー・パーカーのライブを聞いたことも、レコードを聞いたこともないような若い奴らが、チャーリーのことさえ馬鹿にする。単なる逃げです。
梯子の一番上から始めることなんて不可能なんです。きちんと下から登っていかないと。
基礎がないといけません。

音楽は生き続けています。チャーリー・パーカーがいて、それで最後なんかじゃないのです。
太陽が沈んで、しばらく真っ暗闇な期間があったとしても、突然に誰かが立ち上がり、太陽がまたのぼって、音楽における素晴らしいリーダーが現れるのです。
人々は、「バードは素晴らしかった。」と言って聞かないかもしれないけれど、新しいリーダーは否応なく現れる。注意深く、辺りを見回して耳をすませていれば必ず。
音楽は宗教の様なものです。
いつの時代にも、人より多く演奏し、人よりも度胸があって、人よりも多く表現することのある音楽家というのがいるのです。
だけどカオスからは何も生まれない。方向性というものがなければ、音楽は終わってしまいます。

アヴァンギャルドのミュージシャン達が、自分達は新しいことを発見していると思っているとすればそれは信じられないことです。
今演奏されていることの中で、これまでに演奏されたことのないものなんて存在しません。
少し違ったアプローチがあるかもしれないけれど、基本的には同じです。
窓の外を見て太陽があがっていることを確認して、「今は昼間です。」と得意になって言う人が何の称賛に値しますか?わかりきったことだと思いませんか?
太陽があがって、何かが起きて、何か画期的なことを発見した者だけが称賛を受けるに値するのです。バッハやベートーベンがそういう人達ですよ。彼らは自分達が何をしていたか理解していた。
それは彼らの領域での話です。黒人の音楽家である我々とは関係のない領域です。
我々の持っているのはスイングです。
白人の音楽家が「スイング」する唯一の方法は、ロープを使うことです。(注:ブランコ(英語でスイング)に乗ってればいい、という皮肉。)
スイングするのが我々の音楽的領域であって、我々はそこにとどまっていればいい。
ラテンの人々は彼らのやり方を貫いたし、アフリカの人々も彼らのやり方を貫いた。
なのに我々が、この世界でもっとも素晴らしいスイングというやり方を捨てる理由が一体どこにありますか?
ビートも何もない、ヤンヤン音がしてるだけのような変てこな音楽なんか・・
バッハやベートーベンのレコードを流してあげましょうか?凄くてひっくり返る様なものがありますよ。
彼らはあの音楽に精通している。 だけどあれは我々のものではない。
我々の持っているものは、スイングであって、それは恥ずかしがるようなことではないのです。誇りに思うべきものです。
我々は(ジャズを通して)色々な音楽的容れものに入ることができます。
ラテンの器、カリプソの器。 カリプソほどに素晴らしい器はこの世にありません。
ボサノバもあります。ボサノバは我々とも繋がっている。
我々は自身のアイデンティティを維持しなければならない。アイデンティティをなくしてしまうことこそが、奴らが求めていることなのですから。
我々が育むべき人材が育っていかないのは、若い才能がフリーダム・ミュージックのやり方に埋もれてしまって、「フリーで演奏するから勉強や練習はする必要がない」というような考え方に陥ってしまうからです。
近い将来、世代間で音楽家達が互いに乖離してしまうようなことが起こるでしょう。
さっき言ったような若い才能が、きちんと勉強しなかったことによって失われてしまう。
本当にそうなりますよ。
白人の若者達は、きちんと訓練されているから、彼らがそのうちに乗っ取ってしまうでしょう。
バンドに白人のミュージシャンを入れた奴らはそのうちに完全に乗っ取られてしまった。
我々にはスイングしかないのです。それが我々のアイデンティティです。
この国の黒人達がスイングというアイデンティティを失ってしまえば、それで奴らの画策はすべて成功したと言えるでしょう。そうならないことを神に祈ります。

<中略>

バードが言ってました。若いミュージシャン達には、ブルースの弾き方を学んで欲しいと。バード自身は少し表面をかじった程度だったから、と。
ブルースをきちんと習得することなしに、全部学びきったと思うなんてとんでもないことです。
本当にたくさんのやり方とアプローチがあって、それらを全部学ぶのにはすごく時間がかかるのです。
今の状況は本当に嘆かわしい。
けれど、変化は必ず訪れます。何かが起こるはずです。
誰かが何か素晴らしいものを持ってきて、これからはこういう方向性に向かうのだ、と導いてくれるはずです。そろそろ新しいリーダーシップが生まれてもいい頃ですし、私は本当にそう信じています。
今起こっていることは本当に忌々しいことだ。

この国の黒人のミュージシャン達は、協力して何かを成し遂げるというステージに達していません。
白人のミュージシャン達は協力するのが上手ですよ。もし頼めば、毎晩、年の始めから終わりまで、同じ演奏をしてくれるでしょう。協力的で、時間も厳守するし、エゴもありません。
彼らが何か素晴らしいことを成し遂げることがあれば、それは彼らに才能があるからではなくて、協調性があるから、ということにつきます。

私はこう思います。
神は、ソロモン王に対して、願うものはすべて与えられると教えました。
ソロモン王は長い間考えたすえに、自分の欲しいものは知識と英知だけであると言いました。
なぜなら知識と英知さえあれば、すべてのドアが開けられると思ったからです。
我々に必要なのもまた、協力し合うための知識と英知であり、そうして我々の前にもドアが開けるでしょう。何か世界に対して与えられるものを持っているのならば、道は開けるのです。
我々は社会的な理由で、協力し合うことがいままでできなかった。
黒人の若者達は落胆させられ、間違ったことを教えられてきました。
ひとりの人間が他の誰よりも金を持ちたがり、残りの我々には協力し合わなかったために何も残らなかった。
何年も時間が経ってからそんな間違いに気づくのです。気づいてからではもう遅いのです。
我々にできることは、若い世代が同じ間違いを犯さないためにドアを開けて導いてやることだけです。


辛辣な内容に、翻訳しながらいろいろな思いが交差した。
ブレイキーがこのインタビューで話した内容は、あまりジャズ史の表面では語られない部分であるかもしれない。少なくとも、21世紀の今では。
インタビューは1971年の12月に行われた。
68年にキング牧師が暗殺され、公民権運動及びブラック・パンサー党の運動が激化した時代であることを考えると、ブレイキーの音楽における人種についての過激な発言も仕方ないのかもしれないと思えてくる。
フリーダム・ミュージックについてはブレイキー自身がまったく良いイメージを持っておらず、
さらに彼はそれが「白人的な」音楽で、黒人文化を破壊するためのある種の陰謀であるとすら考えていたことが伺える。それはあまりにも極端で保守的なスタンスであるが、同時にこのようなブレイキーのコメントは、とても生々しくリアリティーを持って私達にせまってくる。
ジャズという音楽がアカデミックになり、古典になり、品格のある文化になり変わった今では忘れがちなことだけれど、もともとこの音楽は売春宿で生まれた「ストリート」の音楽で、
アフリカン・アメリカンの人々がまだ今よりももっと抑圧されていた時代に彼らに希望を与えたアイデンティティのひとつでもあった。
ブレイキーはそんな「ストリート」の立場からジャズという音楽を見ていた。
現代ではブレイキーの様に「ジャズは我々の所有する音楽でアイデンティティであり、他人種には弾けないものだ。」というようなあからさまな表現をする音楽家はほとんどいないと思うが、
実際のところ、ある種のアメリカ音楽が黒人にしか作り得ないという意識を持つ人は少なからず居ると思う。ただ、それが意図的であるかないかにかかわらず、そのような意識を持つ層がいることによって、人種によって創造できる音楽が(主観的にも客観的にも)精神的に規制されてしまうというのはなんとも哀しいことではないかと私は思う。
同時に、そのような精神的な枠組みを音楽のまわりに作らざるをえない状況を作った社会があり、その枠組みを必死で守ろうとした人々が居たのに対して、その精神的な枠組みをすべて取り払って自由になろうとした人々が居て、その彼らがフリーダム・ミュージックという流れをつくりだしていったのではないだろうか。



出典:Notes and Tones Musician-to-Musician Interviews, Expanded Edition by Arthur Taylor (蓮見令麻訳)

2016年3月10日木曜日

フリーダム・ミュージック 第二回

引き続き、アーサー・テイラーによるインタビューからの抜粋で、
「フリーダム・ミュージックをどう思うか?」という問いに対するミュージシャン達の答えを集めていく。

第二回目はフィラデルフィア出身のドラマー、フィリー・ジョー・ジョーンズ。
マイルス・デイヴィスとの共演によってその名を世に知らしめたフィリー・ジョーだが、マイルス以外にもジョン・コルトレーン、ソニー・クラーク、ビル・エヴァンスやエルモ・ホープを始めとして、ジャズの歴史を形作った第一線のミュージシャン達と共演した彼の経歴は輝かしいものだ。
ざっとその経歴を見ていくと、彼の参加作品はほとんどが50年代終わりから60年代終わりにかけてのビバップにかなり忠実なタイプのものばかりだ。
その中で注目したいのが、1969年にフィリー・ジョーが参加したアーチー・シェップのリーダー作品、「Blasé」。この録音でフィリー・ジョーは、デイヴ・バレルやレスター・ボウイなど、かなり「フリー」な面々と共演している。ここでのアーチー・シェップの音楽はかなり作曲構成されてはいるものの、ビバップからはかけはなれているという点で、フィリー・ジョーがフリーダム・ミュージックの世界と交差した瞬間のひとつはあるいはこの録音に聞くことができるかもしれない。また、フィリー・ジョーは晩年近く(またはもっと早い時期から?)にサンラ・アーケストラとも共演していることも興味深い。


「フリーダム・ミュージック」という言葉には私はなんの意味もないように感じます。
というのは、私はこれまでの人生の中でいつも「フリー」な演奏をしてきたからです。
自分の楽器についての深い理解がない限り、「フリーダム・ミュージック」を弾くことは不可能だと思います。
ひとつのとびらが開かれた、というただそれだけのことです。私がいわゆる「かばん持ち」と呼ぶ輩に対して、ジョン・コルトレーンはひとつのとびらを開いたのです。奴らはかばんの中に楽器を入れて持ち歩くでしょう?そうやって一年間ほどうろうろするわけです。そうしてすぐに、もしそのような機会があれば、つまり誰かがステージにあがっていいですよと声をかければ、嬉々としてステージに飛び上がり、自分の持つ楽器についての知識も何もないままにただ騒音を出すのです。
ジョン・コルトレーンは独自の演奏をやりました。彼は奇跡的に素晴らしく、熟練したミュージシャンです。 彼は勤勉で、本もよく読みました。
ジョンは最高のミュージシャンで、自身の楽器について、上から下まで知り尽くしていた。
上から下まで、と言ったけれど、それは、楽器のてっぺんの、そのさらに上から、一番下のさらに下の方まで、ということです。彼はどんどん飛び越えていくんです。
彼がやっていたことはとても美しかったし、同時に非常に良く構築されていた。
彼が動いて音を出すたびに、見ているこっちは、ジョンは例えサックスがさかさまであったとしても上手く弾けるんだろうと思わされました。
エリック・ドルフィーもそうです。ジョンやエリックは天才でした。
彼らは自分達が何をしでかすか、完全に知っていたのです。

己を知ることです。楽器は2年やそこらじゃあ習得できはしない。
私は27年ドラムを叩いてきているけれど、自分の満足いくほどに上達できていないんです。
あのトレーンさえも、自身の技術に満足できていなかった。それでも、彼は他のサックス奏者達を超越した演奏をしました。27年演奏してきた私が満足できていないのに、2年弾いただけの「かばん持ち」が果たして満足なんてできるでしょうか?そういう人に何年くらい楽器をやっているのか聞くと、大抵の場合は4年以下なんですよ。私はドラムを始めて4年目なんかはじたばたしていたものです。ステージにあがるなんてとてもじゃないけどできなかった。
4年目の頃は、ジョン・コルトレーンを聞いていました。彼は本当に美しい演奏をしていた。
その頃は、エディー・ロックジョウ・デイヴィスや、ベニー・ゴルソンがステージに立っていました。
我々はとてもじゃないけど彼らと張り合えなかった。フィラデルフィアで、年上のミュージシャン達が演奏するのを聞く毎日でした。

<中略>

フリーダム・ミュージックには沢山のファンが居るようだけど、彼らはほとんど音楽のコンセプトについて何も知らないんじゃないだろうか?そうでなければ説明がつきません。
サンラやファラオ・サンダースの場合には、ある種の全体性というものがあります。
ええ、彼らはあの類の音楽を正しく演奏していると思う。
サンラなんかは本当に素晴らしい音楽家です。彼のようにきちんと勉強した上でああいう弾き方をするミュージシャンの演奏は私は嫌いじゃない。あまりにも遠くへ行き過ぎるということがないからです。
かなり遠くに行くことはあっても、あまりにも遠くへ行きすぎてすべてが台無しになることは決してない。
サンラは、シカゴで何年もの間美しい演奏をしてきた人です。
彼は彼なりの「コズミック・ミュージック(宇宙の音楽)」を弾くと決めた。
彼の音楽は宇宙からおりてくるのです。それが彼の感覚なのです。
あのバンド(サンラ・アーケストラのことだろう)は本当に美しい演奏をします。
毎週月曜日にはニューヨークで猛練習していました。 バンドの誰しもが素晴らしかった。
パット・パトリック、ジョン・ギルモア、みんながです。
ジョン・ギルモアとは、二年間ほどストレートな音楽を一緒に演奏しました。
だから私には彼のコンセプトが何かわかります。一緒に仕事をし始める前にもシカゴで彼が演奏するのをよく見ていたし、サンラのバンドで演奏している彼を私が見つけてからも、彼はずっと素敵な演奏をしていました。

フリーダム・ミュージックは、それを演奏できる人だけが演奏するようにしたらいいと思います。
構成を開いて、フリーな演奏をするなんて、なんでもない。
楽器と混沌だけが存在する、たまにはそういうのもいいかなと私なんかは思います。
やってみる度胸はあっても、私がたまにフリーな演奏をしようとしても、なかなか統一性というものが得られません。単に手が導くところへ手を動かしている、という感じで。何をやってもいいわけですから。
そこには限界というものがありません。
ドラマーなんかは特に、フリーな演奏をしようとしても、楽器についての基本的な知識に欠けるために、ただ単に騒音を出すだけでつまづいてしまいます。
フリーダムというのは、ただ騒音を出すということじゃないと思いますよ。
前にも言った様に、みんなが「自由」に演奏してきたのです。
ソロをとる時には、どんな風に弾いたっていいのです。それは自由そのものじゃないですか?

音楽自体は変わっていません。みんな良い音楽が好きですから。
音楽は騒音とは違うのです。誰も騒音なんて聞きたくありません。
何か普通じゃない騒音が聞こえた時に、人は「なんだこの音は?」と言うでしょう?
フリーダム・ミュージックの中にはそれとほとんど変わらないものだってあるのです。

<中略>

それを「音楽」だと呼ぶミュージシャンもいるのです。
チャールス・ロイドがそんなことを言っていました。
ほとんどがジョン(コルトレーン)が探求していたものの中から切り取ったものなのに。
テナーを弾くミュージシャン達はこぞってジョンの真似をして、そこに何かを付け加えようとする。
だけどそういう奏者の演奏を聞いていると、ジョンの弾いたフレーズばかりが聞こえてくるわけです。
彼らはジョンのレコードを聞きながら練習しています。すぐにわかりますよ。
私自身もサックスをいくつか持っていますけど、彼らはそうやってステージにあがって、誰かの弾いたフレーズをそのまま弾くんです。自分自身を弾いていない。
チャールス・ロイドのレコードは二枚ほど持っていますが、彼の演奏の中でジョンのフレーズそのままのものがいくつもあって驚きました。
ジョンのようにただただ独自のやり方で前に進むことをしないで、みんな真似ばかりしている。
ジョンはいつも前に進み続けました。
そして、やろうとしていたことを完了できずに亡くなりました。
ミュージシャンの多くが、『クリフォード・ブラウンがもう少しだけ長く生きていれば、今でも彼の演奏を聞けたのに。』とか、『バードがもう少しだけ長く生きていれば・・・』だとか言っているのを聞きますが、そういうのはなんだか変な気がします。
だって彼らが今まで生きていたとして、あの頃と同じ演奏をしているとは限らないでしょう。
マイルスは今も演奏していて、クリフォードやバードのような位置にいます。ディジーもそうですし。
凝り固まってしまったり、後ろ向きになるのではなくて、前へ進もうとしているのです。


 このインタビューは1969年の10月に行われた。丁度アーチー・シェップとのレコーディングをした年であるのも面白い。
「フリーダム・ミュージック」に対する、かなり辛辣な意見には、約半世紀たった今読んでも、フリーというコンセプトを通しての良い音楽作りを志すものとしては恐縮してしまう。彼は他人にも自分自身にも厳しい生き方をした人だったのかもしれない。
だからこそあそこまでドラムの腕前をあげることができたのだろう。
「フリー」な演奏をすることは何も今はじまったことではない、昔からみんなそうやって演奏してきた、と言っている点は、ランディ・ウェストンと同じだ。
私個人的に思うことは、「ひとの真似をせずに独自のやり方で前へ進む」ということに興味がある奏者にとっては、フリーの演奏にたどりつくことはとても自然なことなのではないか、ということ。
「フリーダム・ミュージック」とひとくくりにしても、ひとつの演奏の中で、どれくらいの割合が既に構成されたもので、どれくらいの割合が完全な即興なのか、その完全な即興の中で、どれほど既成のジャズ言語の中から汲み取った音楽的「語彙」を使うか、そういうものによって印象がかなり変わってくると思う。
音楽が「外側」に飛び出る瞬間に、そこに自由や快楽を見出すか、それとも混沌や心地悪さを見出すかは、かなり人によって受け止め方が違ってくるだろう。



出典:Notes and Tones Musician-to-Musician Interviews, Expanded Edition by Arthur Taylor (蓮見令麻訳)

2016年3月5日土曜日

フリーダム・ミュージック 第一回


音楽家による音楽家へのインタビュー。
副題にそう記されているのは、Notes and Tonesという、ドラマーのアーサー・テイラーによる多数のジャズ・ミュージシャンへのインタビューからなる本だ。
この本で紹介されているインタビューは60年代の終わりから70年代の初めにかけて行われた。
テイラーは、様々なミュージシャンに対していくつかの同じ質問を投げかける手法をとっているのだが、その中のひとつで私が最も興味を引かれたものがあった。

What do you think about freedom music?
「フリーダム・ミュージックについてどう思うか?」という質問である。

現在はフリー・ジャズと一般的に呼ばれているものを、彼らはフリーダム・ミュージックと呼ぶこともあったようだ。
 オーネット・コールマンのThe Shape of Jazz to Comeが1959年に発表されてから、60年代初めにはセシル・テイラー、アルバート・アイラーやアート・アンサンブル・オブ・シカゴなどがいわゆるフリージャズを代表する作品群を次々に発表していった。
そんな時代背景の中で、「フリーダム・ミュージック」を痛烈に批判するミュージシャンも少なからず居た、ということを、私はこの本を読みながら初めて実感した。

そこで、自分自身の音楽に対するより深い理解のためにも、この質問の部分だけを切り取って、ミュージシャンごとの回答を訳し、紹介していきたいと思う。
 第一回はランディ・ウェストン。
彼は「フリーダム・ミュージック」をどう思っていただろうか。



まず初めにこの種の音楽に対して私が感じることですが、白人のライター達によってそのイメージが形作られているということです。
ファイブ・スポットでの出来事ですが、私の真向かいで、その夜オーネット・コールマンが演奏していました。
すると、客席に座っていたレオナード・バーンスタインが突然飛び出してきてこう言ったのです。
これこそがジャズの歴史における最高の場面であり、バードなんかは居なかったに等しいと。
まあこのような場面に代表される色々なことです。
私は、音楽を分析したりということは理解できません。
そういうのって、結構荒々しいことだと思いませんか?
初めにオーネットを聞いた時、私は良いと思えなかったのですが、今では彼の音楽が本当に好きです。
   フリーダム・ミュージックの功績というのはいくつかあります。
まず初めに、この音楽は今現在何が起きているかということを如実に反映しています。
ただ、私にとっては、 このフリーダム・ミュージックと俗に言われる音楽が、他の音楽よりも自由であるとは特に思えないのです。
モンクは一音を弾くだけで、信じられないほどの自由をそこに創造することができました。
自由を創造するためには、そんなに沢山の音は必要ないのです。
ひとつの音だけで曲が作れることもあるのです。
私の考えはこれだけです。
ここ数年の間で、音楽を通して、または音楽以外の別の場所で反抗の意思表明をしてきたミュージシャン達を沢山見てきました。
平たく言えば、この「フリーダム」という概念は新しいものでも何もないのです。
ジェリー・ロール・モートンを聞いたとき私はひっくりかえるような思いをしたし、
ファッツ・ウォーラーが弾くものなんて、その辺のアヴァン・ギャルドの奴らが弾いてるものかそれ以上に「自由」です。
「フリーダム」というのは自然な発展のかたちです。(ジャズ史において、という意味だと捉える)
そこから何が始まるのかはわかりませんが、これからもっと多くのアフリカ音楽の影響も我々の音楽に反映されていくでしょう。
もうそれ(アフリカ音楽のジャズへの影響)は起こっていますが、アヴァンギャルドほどに広告宣伝がなされていないだけのことです。
私が聞いたアヴァンギャルドの多くは、初期のヨーロッパの現代音楽の様でした。
聞いた感じこの種の音楽を好きだと思えないので、それらの音楽家の名前をあげられる程の知識は今のところないですね。

追記:
ランディ・ウェストンはブルックリン生まれのアメリカ人で、丁度この頃(インタビューは1968年と1970年の二回にわたって行われた)にアフリカ・ツアーを果たしている。
彼は1954年に初のリーダー作を発表し、ミュージシャンとしての活動を本格的に始めて割とすぐにアフリカへの興味を持ったのかもしれない。
ウェストンの音楽遍歴の中で、最初に明確なアフリカというテーマを主張したのは、Uhuru Africa (Roulette, 1960)だと思われる。「アフリカの自由」と題されたこのアルバムをターニング・ポイントに、ウェストンはアフリカというテーマをジャズを通して表現するというライフワークに足を踏み入れたのではないだろうか。
そんなことも考えると、アフリカをテーマにしたジャズというものが、「フリーダム・ミュージック」ほどに陽の目を浴びていないことをウェストンがもどかしく感じていた様子が伺える。
私の個人的な観点からすると、ランディ・ウェストンのピアノにはかなりアヴァン・ギャルドな要素が入っているように感じていたので、彼自身が、(少なくとも60年代〜70年代当時は)「フリーダム・ミュージック」に対してそれほど興味を持っていなかったということに少し驚いた。




出典:Notes and Tones Musician-to-Musician Interviews, Expanded Edition by Arthur Taylor
(蓮見令麻訳)



2016年2月3日水曜日

自由即興における儀式の場:アルバート・アイラー





アルバート・アイラーの吹くブルースを聞いて、
この人の音は何が違うのだろうと長い間考えてみた。

媚びずに、寄り添っている。
目の前が真っ白になるくらいの最上の喜びと、
哀しみの層を通り過ぎた後の恍惚と、
エネルギーをただ一点に集めて涙と共に流れ続ける怒りと、
全部が一緒くたになって、
マイナーとメジャーの間を鈍い金色の音が行き来する度に、
私達はあらゆる感情を旅する。

即興演奏をするということは、
自分の選択肢を創造することだ。
自分の創造を信じて、選択肢を信じることだ。
そうするためには、自分に嘘はつけない。
即興の演奏は自分の中にあるものをすべて反映するから、
信頼できる選択肢を創造できる人間性を自分の内に育むことだ。

それは極めて内省的なプロセスであるにもかかわらず、
響く音を出すことのできる奏者は、外界とほぼ一体化している。
そして自分を取り巻く世界に対しての信頼がある。
つまるところは、自分に対してもまた、信頼がある。
しかしそのひとは、演奏において醜さも情けなさもすべてをさらけ出す宿命にあるので、
自身への圧倒的信頼が、ナルシシズムに成り下がることがない。
醜さも情けなさもすべてをさらけ出すということは、
人間が、「社会においてあるべき姿」という鎧を脱いで、哀しみや弱さへの受け皿を持つ「信仰」の泉へ飛び込む行為である。
そして、そのような類の演奏行為は、信仰と儀式の持つ感覚に非常に近いものを私達に与える。
伝統音楽が受けおってきた、世界の中の儀式的な場所はほとんど生き残っていないかもしれない。
伝統音楽における儀式にはカタルシスがあり、
カタルシスの体験は私達の膿を洗い流してくれる。
自由即興には、その儀式としての場を作る力がある。

2015年12月15日火曜日

MATANA ROBERTS "Coin Coin Chapter Three"


マタナ・ロバーツのコイン・コイン・チャプター・スリー:リヴァー・ラン・ディー(2015, Constellation Records)を聞いた。

古めかしく懐かしくも、未来的で真新しくも聞こえるこのアルバムは、あらゆる種類のフィールド・レコーディング、サックスのオーヴァーダブ、マタナ自身のヴォイス、ノイズ音などのコラージュからなるキャンバスに、ところどころ遠くで響く様な聞こえ方でサックスのソロが入り込んでくるという不思議な構成を持っている。
構築された「リズム」という側面がほとんどないことがひとつの特徴と言えるかもしれない。全体の基盤を形作るのはドローンの様な音で、その音はアルバム全体に大きなひとつの織り物のような、または音で描かれた絵画のようなイメージを与えている。
それぞれの音の奥行きと、グレゴリー聖歌のようなコーラスの残響には宗教音楽的なものも感じられた。
一方で、聞けば聞くほどに、これはある種のフォーク・ミュージックなのではないかという思いも浮かび上がる。
マタナのサックス演奏はブルースに満たされているし、ところどころに聞こえる子守唄の様な歌声や静かな話し声を聞いているとトニ・モリスンの物語の世界にトリップしたような感覚さえ覚える。
どこかに、フォーク・テイル(おとぎ話)の風情があるのだ。
もしかすると、この音楽を聞く人は、どこか恐ろしく、覗いてはいけないような気分にさせられる一方で、懐かしく暖かい気持ちにもなるという複雑な二重の感覚を経験するかもしれない。


クリストファー・スタックハウス氏によるマタナ・ロバーツへのインタビュー内容がとても興味深いのでBOMB Magazineの許可を得て、下記に訳文を掲載する。
創作における「純粋さ」の可能性、そしてAACMの潮流を受け継ぐ新世代のシカゴミュージシャンとしてのアプローチ、アメリカ黒人史における社会的変遷とアクティビズムからの影響などについてロバーツは話している。要約した箇所もあるので、気になる方は下記のリンクより英語での原文も読んでみてほしい。

スタックハウス(以下S):会話という手段が使われず、そこに音楽と音のみが存在する状況では、時代を経た物語はどのように表現され得るでしょうか?純粋な音そのものによって、先祖代々の歴史的な経験を包括し、明瞭化してそれを「現在」に持ち込むことは可能だと思いますか?パフォーマンスだけではなくて、音楽全般において、ということです。

ロバーツ(以下R):純粋な音がそういったものを反映できるかどうかはわかりませんが、抽象作品にはできると確信しています。私には歴史というものが様々な点で無意味なものに思えることがあります。私にとって歴史は直線的なものではありません。いつも円環的に繰り返すものです。
このトピックは私が今研究している音と伝統を使った作品制作において注目していることでもあります。
プロジェクト自体は直線的に進むように形作られているけれども、実はそうではない。直線的なやり方であれば、このソロ作品が最初に発表され、チャプター・ワンが次に、そしてチャプター・トゥーがその後にくるはずです。音によって伝達される感情の純粋さそのものが、聞く側を、そしてパフォーマーとしての私自身を明らかに導いてくれます。
音は感情を再生することができ、それにより「違い」と「苦難」のあらゆる境界線を超えることもできます。
音というのは、私の呼ぶ「経験の子宮」というものの中で様々なものを縫い合わせることもできます。私は、作品をライブで仕上げていく、または、ライブにおいて作品を作品足らしめるということに挑戦しています。完全であることは決してないのです。音楽家や、アーティストの参加者、そして目撃者としての参加者、皆をひとつに集めて、この経験の子宮を通過し、その音を見つけるというのは、私にとっては純粋さに立ち戻るということになります。このような種類の音の持つ純粋さが包括する感情が、私の試みの根幹にあるものに人々を引き寄せてくれるのです。

S:シカゴという街はあなたの音楽や性格、エトスに影響を与えていますね。あなたが育ったところは人種分離された街で、さらに興味深いのはその街が商業用の倉庫街としてハイチ系の黒人であったジャン・バプティスト・ドゥサブルによって作られたということです。シカゴは、深い意味でのアフロセントリズム(黒人中心主義)に根付いた沢山の音楽とアートを創りだしてきました。この街は黒人中心主義的な文化の生まれた場所であり、労働における政治運動や革命的思想の中心地でもあります。フレッド・ハンプトン(黒人社会運動家でブラックパンサー党の指導者)も、ここで政治的に成長し、そして暗殺されました。この街にハウス・ミュージックが育ち、ブルースが帰りつきました。あなたにとって、精神的な面で、そしてインテレクチュアルな面でシカゴはどのような影響を与えましたか?
現在もあなたの中にシカゴは存在していますか?

R:私のシカゴでの経験は色々な顔を持っています。私の家系の者の多くは、30年代、そして40年代にシカゴへ移ってきました。私の両親ともにシカゴ生まれですが、父は研究者で、私が10代の時にシカゴに戻る前まではニューヨーク州のイサカや、ノースカロライナのダーハムなどを転々としていました。 シカゴ独特の政治的な気風から出てきたアーティストとしてのプライドを私は持っています。
両親がその当時シカゴで運動が始まっていた黒人ユダヤ教に傾倒していた為に、私はマタナという名前をつけられました。マタナには、ヘブライ語でギフトという意味があります。私の兄もヘブライ語の名前をつけられました。だけど弟だけは、ほんの一時期だけ両親がネーション・オブ・イスラムに傾倒したためにアラビア語の名前を持っています。
私はこの時期の私の家族の物語が好きです。その後、私の両親は少しだけブラック・パンサーとも関わりを持ちました。彼らは若かったのです。母は18歳の時に私を産みました。私は両親がそうやってシカゴのアフリカ系アメリカ人にとっての重要な政治的変遷を渡り歩いていくのを目撃することができたのです。
私の祖父母そして総祖父母も、投票権と共同体の編成のための草の根運動を支援していました。
南部からシカゴへ移動してきた最初の世代として、シカゴのアフリカ系アメリカ人達には一種の自尊心というものが芽生えていました。
去年私はミシシッピ、ルイジアナ、テネシーなどの場所に旅をして、子供の頃に経験し、(シカゴの様な)中西部にはそぐわない様に思えたシニフィアンやコードについて初めて理解することができました。

ー中略ー

S:アミリ・バラカがブラック・アーツ・ムーヴメントに対して定義したところの黒人のラディカルな伝統という枠組みの中にあなたの音楽は含まれると思いますか?

R:どちらとも言えません。何故人々が私とブラック・アーツ・ムーヴメントを結び付けたがるのかに関して理解はできますが、私の作品はアメリカにおいてあらゆる境界線を跳躍するラディカルな経験に対する信条なのです。バラカを始めとする、最初の波に乗った沢山のアーティスト達の創造なしには、私の作品が生まれることはありませんでした。
私は最後の時まで彼らのようなアーティスト達と繋がりを持っていたいですが、それと同時に、私の作品を、ただの黒人歴史月間のためだけのものでなく、ある種の「アメリカらしさ」という感覚として理解して欲しいとも願っています。
私の作品が、黒人歴史月間以外においてとりあげられることがないとすれば、それは私にとっては受け入れがたいことです。アフリカ系アメリカ人のアーティスト達が、彼らの作品の多面性や複雑さを無視され、一箇所に追いやられてしまうというのが私は好きでありません。それはまるでオークションにかけられるようなものです。アメリカ史の早い時期に起きた出来事とだけ自分を関連付けて存在することは不可能です。そういう捉え方には精神的にとても疲れてしまうようになりました。

S:アメリカという国家を、アフリカ系アメリカ人の経験したことと切り離して考えることは不可能だと私は考えています。文化的にも、政治的にも、そして社会的にも、その経験こそがアメリカをひとつに束ね、革新的に現代的社会を作り上げたと思います。
私達の社会はこの黒人的、アフリカン・アメリカン的側面のおかげで、所謂「モダン」という定義を超える何かの最先端に位置することができています。
ここで審美的な話になりますが、文化的な偏見なしに、完全に客観的で、音そのもの以外の何物とも一切の関係を持たない、純粋な音というものは存在すると思いますか?

R: そうですね、おそらく、ある意味では。私はほとんどの自由時間を小さな舟の上で過ごしています。今は近くにある運河に浮かんだ舟に住んでいます。舟に乗っている時は、純粋さに包まれた音を経験することができます。でも仕事中に私が奏でる「純粋な音」というものは、アフリカン・アメリカンの経験との関連性へと繋がっていきます。私にとってこのような純粋さとは、歴史の持つ「痛み」という種類の音です。
その生々しさは、文化という枠組みを越え、人間らしさという枠組みの中へと入っていくのです。
それはあるいは矛盾であるかもしれません。モダニスト的な審美眼というレンズを通す時、そこからアメリカの歴史はどこかに押しやられてしまいます。そういうやり方にはリスペクトがないのではないでしょうか。モダニズムは、過去の信仰や宗教などを理解しようと努めてきました。しかしアメリカの歴史、中でもアフリカン・アメリカンの歴史は、忌々しい宗教的歴史を基盤としています。白人、男性的、父権的な宗教という基盤です。
私は、アメリカにおいて黒人で女性であることに対しての自分の感覚に基づいた感覚的な行動のルールに基づいて活動しています。


ー中略ー

 R:この国でアフリカン・アメリカンの女性の持つ特権と、アフリカン・アメリカンの男性が持つそれの深い溝に関しては話が長くなりそうです。
実際にこのけだものの腹の中に入ってしまわなければ決して気づくことのない溝です。
若い世代の人々がデモを引っ張っているし、最前列にいるのは若いアフリカン・アメリカン女性達です。私が若い時に母や祖母、叔母のサポートを受けて経験した黒人のフェミニスト運動とはわけが違います。 
新しい何かが育まれつつあるのです。私の作品は、盲目な現代社会を生き延びるための杖の様なものです。 何が起こるのかは分からないけれど、ひとつだけ歴史において希望が持てることは、歴史はいつも解決を提示してくれたということです。この国が、否定に基づいて建国されたということをきちんと理解しない限りは、永久的な解決さくなどは何もありませんが。
すぐには変化は訪れないでしょう。ですから、アメリカのアーティスト達は、私達が前に進む責任があるということを思い出させられるような作品を作ることが大事です。 私がアーティストとして選ぶ物事にはこういったことが関係しています。


Bomb Magazine

http://bombmagazine.org/article/742833/matana-roberts
 
The interview with Matana Roberts by Christopher Stackhouse was commissioned by and first published in Bomb Magazine, issue 131, Spring 2015. © Bomb Magazine, New Art Publications, and its Contributors.
(クリストファー・スタックハウスによるマタナ・ロバーツへのインタビューはBomb Magazineにより委託され、2015年春の第131号で発行されている。訳文:蓮見令麻)




2015年12月7日月曜日

DUKE ELLINGTON "The Pianist"


デュークの演奏するピアノには、いつでも音楽の向かう道筋に灯る絶対的な光の様なものが存在している。
それは、演奏における「迷いの無さ」という奏者の主体的な感覚としての印象というよりも、音楽を通して何かに「奉仕する」という、ピアノの向こう側に居る対象の存在を浮かび上がらせるようなイメージである。そのピアノの向こう側の対象というのは、彼の音楽に耳を傾けるオーディエンスなのかもしれないし、あるいはデュークの言うところの「たったひとりの神」そのものであるのかもしれない。

このアルバム、"The Pianist"は、1966年のニューヨーク録音と、1970年のラスヴェガスでの録音を合わせたもので、すべてピアノ・トリオの編成での演奏が収録されている。
ニューヨークではJohn Lamb(bass)、Sam Woodyard(drums) 、ラスヴェガスではVictor Gaskin/Paul Kondziela (bass)とRufus Jones(drums)という顔ぶれになっている。
ラスヴェガス録音の部分は、ニューヨークのものよりも若干ピアノの聞こえ方が遠いのが惜しい気がするけれど、そんな思いを掻き消すくらいにデュークの演奏は圧倒的だ。

Duck Amok での厚い和音を重ねていく演奏には確実にオーケストラの残響が聞こえ、
そのブルースとリズムの感覚は「ジャズ」という言葉を辞書で引いたらそのままの音が聞こえてきそうなくらいに断定的だ。
かと思えば、そのすぐ後の Never Stop Remembering Bill の演奏において、デュークは優しさ、エレガンスとロマンチシズムというほとんど別人とも思えるような全く異なった表情を見せている。
それぞれの演目における雰囲気の対比の明瞭さは、悲劇と喜劇の限りなく薄い境界線についてきちんと知っている、才能ある俳優を思わせる。

デュークのピアノ演奏はとてもシンプルだ。
彼ほどに、たった一音で多くを語れるピアニストはそうそういない。
デュークの叩く鍵盤から響くひとつの音には、その一音が持ちうる最大限の「意味合い 」が詰まっている。それはできれば小説にして読みたいくらいに魅力的なストーリーの数々の欠片の様なものだ。
デレック・ジュウェル著「デューク:ポートレイト・オブ・デューク・エリントン」に、こんなデュークの言葉が記されている。
「私はジャズ(の曲)を書いているのではない。黒人の民族音楽を書いているんだ。」
「我々は長い間、ジャズという旗の下で働き、戦ってきたけれど、(ジャズという)言葉そのものには何の意味もない。ジャズという言葉にはある種の謙遜のようなものがある。」と、デュークは1968年にラジオで述べた。
彼はまぎれもなく大衆の持つジャズにおけるブラック・ゲットーのイメージを暗喩していた。

デューク・エリントンほどにエレガンス、知性、才能、そしてカリスマを兼ね備えた音楽家にとっては、ひとつのラベルによって彼自身の音楽がひとくくりにされてしまうのはひどく息苦しいことだったのかもしれない。そう考えると、エリントンという名前が今も「ジャズ」の代名詞の様にうたわれることは皮肉なものである。

ジュウェルは第一章をこのように締めくくっている。

デュークが亡くなった時、 何万人もの人々にとっての灯火が消えた。
彼らは、デュークがステージでいつも声高に宣言したのと同じくらいの愛を、デューク・エリントンという人とその音楽に対して持っていた。キャラバンは止まった。だが、音楽と、彼の残した文化的遺産は継続していく。

 デューク・エリントンのピアノ演奏は、一見すれば、様々なやり方で綺麗にラッピングされ、開けれられるのを待っているギフトボックスの様であるとも思う。
計算されつくしたわかりやすさ、まるで「あなたのために」とでも書いてあるかのように愛と奉仕精神に満ちた曲と演奏の数々。そのエレガンスと器の大きさという包装紙を何枚もめくっていくと、内側には何が隠されているのだろう?そんな私達の愚鈍な疑問を優雅な笑みでかわし続けるデュークの弾く先にはやはりいつも圧倒的な光が照らしだされ、その音楽を聞く私達は彼を通してその光を知ることができるのだ。


2015年10月5日月曜日

拡張されたマインド

ジョン・ケージの本、『A Year From Monday』の初めに書かれているこの文にものすごく惹かれた。

I believe -and am acting upon-Marshall Mcluhan's statement that we have through electronic technology produced an extension of our brains to the world formerly outside of us. To me that means that the disciplines, gradual and sudden (principally Oriental), formerly practiced by individuals to pacify their minds, bringing them into accord with ultimate reality, must now be practiced socially -that is, not just inside our heads, but outside of them, in the world, where our central nervous system effectively now is.

 「電子テクノロジーは、本来私達の外側にあった世界へと、我々の脳を拡張した」、というマーシャル・マクルハンの理論を私は信じているし、その理論に基づいて行動をしている。それが何を意味するかというと、徐々にでも突然でも、もともと個人個人が平和的精神を得る為に行い、本質的な現実と一体になることを可能にしてきた修練というものが、今後は社会的に行われる必要があるということである。つまり、私達の頭の中だけでなく、我々の神経中枢が今では効果的に存在する頭の外側の世界でも、修練がなされなければならない。
John Cage -A Year From Monday

この文章の意味をしばらく考えてみる。