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2015年8月7日金曜日

TONY MALABY GROUP@ RYE


音楽とはイデアそのものであり、この世の中のさまざまな事象とは一線を画すもので、
それは宇宙の外側に理想的なかたちで存在し、「空間」ではなく「時間」のみによって理解される。
その結果として目的論的な仮説により侵食されることもない。
この根本的な音楽の品位は、非純粋的な聞き手が、その理想的でいて視覚的ではない音楽というものに形を与えようとする行為、また、聞き手自身が調度良いと感じる典型にイデアを当てはめるという行為によってねじまげられてしまう。
サミュエル・ベケット、プルースト論より


このような、ベケットの言葉を借りると、「根本的な音楽の品位をねじ曲げる」行為を、私達の多くが日常的に続けている。皮肉なことに、音楽について評論するような立場の者にとっては、
音楽に形や典型、または説明を見出そうとするという構えは、捨てきれない一種の性の様なものなのかもしれない。
私自身も例外に漏れず、 音楽をある大きさ、かたちの額縁に入れて鑑賞する趣きがあることを自覚している。
だがそれは、評論的な類の額縁ではなくて、「ものがたり」の額縁である。
音楽の演奏を目の前にして、音の波に呑まれながら、
私は多くの場合、演奏している人の背景に拡がる膨大な束のものがたりについての想像を膨らませる。
ものがたりの束、それ自体は、イデアとしての音楽的領域を侵すことはないけれども、
演奏する者が経験してきたものがたりは、その人の身体と記憶を通して音楽に色彩を加える。
俗世的なものが音楽にそうやって入り込んでしまえば、あるいはベケットはそれが未だイデアそのものであるとは言わないかもしれない。
圧倒的に純粋であるという魅力、そして同時に俗世的であるのという魅力、
音楽はそのふたつの顔を時と場合によって使い分け、私達を混乱させ、酔わせる。



ここ何日か、セシル・テイラーの音楽を聞き直すことに没頭していたこともあって、
この日のトニー・マラビー・グループの演奏を聴きながら、
私はフリージャズの潮流の中における、セシル・テイラーというひとつの分岐点、
特に、リズムをひとつの大きな母体として形作る、音楽の感触について考えた。
トニー・マラビーはテナーとソプラノを交互に吹いた。
時には聞こえないくらいの小さな音で、時にはこれ以上にないくらいワイルドな咆哮で。
ベースのアイヴァンド・オプスヴィックはくぐもった音のベースで、密度の高い音の粒をはじきだし、デイヴィッド・トロイトのドラムがエッジーな音で空間に裂け目を作った。
クリストファー・ホフマンのチェロは中音域に厚みをもたせたファンタジックな演奏。
ベン・ガースティンのトロンボーンは密林に住むけものの様に本能的だ。

グループの全員が、吹きすさぶ音の嵐の中で、ひとつの舟を沈没させない為に手綱にしているのは、
「感触」なのだろうと私は思う。
それは、メロディックな概念としての、音感よりも、音楽理論の理解よりも、
本能的、プリミティブな音楽の作り方だ。
ざらざらとしていて、掴みどころがない。
音楽は、ただそこにあり、呼吸をし、流れていく。

セシル・テイラーの素晴らしさとは、リミットがないことだと思う。
まず、「ピアノはこんな風に弾くものである。」 というリミットがない。
そして、「私はピアニストである。」というリミットもまたない。
セシル・テイラーは、詩を朗読していても、踊っているときも、同じ躍動で「演奏」している。

トニー・マラビー・グループの奏者達ひとりひとりは、一体これまでにどんな場面でセシル・テイラーの演奏を聞いて、
それについてどんな風に感じてきただろう。
こんな風に直観と衝動に突き動かされる演奏をすること、
そういう精神的な場所から新しいものを構築すること、
この奏法が、彼らにとって、そして彼らを取り巻く小さく、大きな世界にとっての「スタンダード」に 成り得つつあることをどんな風に思っているだろう。
その「スタンダード」の潮流の始まりの一端の、大きな部分を担ったテイラー。
異なった時間枠を通して延々と繋がっていく音楽家達。
セシル・テイラーから、ウィリアム・パーカーに。
ウィリアム・パーカーから、トニー・マラビーに。


ものがたりが、どこまでも、どこまでも続いていく。

2015年4月17日金曜日

TOM RAINEY TRIO@ Clemente Soto Velez

クレメンテ・ソト・ヴェレズというプエルトリコの詩人がニューヨークに居た。
彼はプエルトリコで生まれ、文学者や詩人の有志と共に政治活動に参加し、
第二次大戦後にニューヨークへ渡り、逮捕、収監を経てなお政治活動、執筆活動を続けた。



 『孤独』         クレメンテ・ソト・ヴェレズ


飛ぶこと ただひとりで 
燃え上がる様な 想像の空の上を
飛びまわること

ただひとり
終わりのない
人生飛行を
創造すること

考えること ただひとりで
考えること
すべての創造的な力が集まればそうするように
ただひとり
ただひとり
ただひとり
光の中で振動する
手つかずの道理を求め
耳をすます




歌うこと
ただひとり
歌うこと
原子達が
行動する意志を歌うように
ただひとり
歌うこと
エネルギーの覚醒が伝えるように

孤独 ー孤独!

磁石の様な吸引力を持った雨雲
跳ね返してくる すべての生きる力の中でバランスをとる

孤独 ー孤独!
生命のこころ!


(訳:蓮見令麻)



かの詩人はこのような詩を書き、感銘を受けた同志達は、
のちに彼の名にちなんだ文化センターを設立した。
Arts For Artという団体がオーガナイズするこの文化センターでのパフォーマンス・シリーズに、詩の朗読やダンス、アート、という要素が必ず盛り込まれているのは、そんな歴史をこの建物が持っていることもひとつの理由だろう。

なかなか古いこの建物は、天井も高く、かなり響きの良い造りになっている。
今日はここでトム・レイニーのトリオを見た。
共演者は、レイニーのパートナーでもあるサックス奏者、イングリッド・ラウブロックと、ギタリスト、メアリー・ハルヴァーソンの二人。
トム・レイニーの演奏は以前何度か見たことはあったけれど、
今回は音響も良く、真正面から見ることができて、レイニーのドラミングの凄さをあらためて思い知った。
予測不可能な方向性、粗っぽいスティックさばきがはじき出すざらざらとした感触の音。
直線を走っているわけではないのにずっと存在する疾走感。
トム・レイニーの音は、アメリカの荒野を突っ切る風や空気を思わせる。
イングリッドの吹くテナーの、風の抜けるような美しく素朴な音がそのまわりを浮遊し、
メアリー・ハルヴァーソンの規則的なカッティングやエフェクトを多様した様々な音の羅列は、
少しぎこちなさを残しながらも、ひとつの世界観を作り上げていた。
なんというか、非常に個人主義的な即興演奏だと私には感じられた。
もちろん、良い意味で。
3人とも、自分の世界、自分の音のいく道をまっすぐにどんどん進んでいく。
私はこっちにいく。あなたはそっちにいく。それでいい。
もしどこか向こうの方で、また顔を合わせるかもしれないし、それもいいね。

そんな雰囲気だった。
そういうやり方は、私にとってはあるいは新鮮なもので、
それくらいお互いが自由にやっていて、心地が良い、それでもなんとなくまとまる、というのは素敵なことだなと思った。

荒野のまっただなかに、ただひとりでいること。
それでも、どん、と構えていられる、
そういう演奏者でいれたら。







2015年3月15日日曜日

TYSHAWN SOREY "Koan II"

タイショーン・ソーリーの『公案 II』を見てきた。

オリジナルの『公案(I)』では、トッド・ニューフェルド(エレクトリック・ギター)、トーマス・モーガン(ベース)の二人を軸にしたトリオでソーリーの作曲を中心に演奏されているのに対し、
今回の新しいプロジェクトは、マット・マネリ(ヴィオラ)、ベン・ガースティン(トロンボーン)、トッド・ニューフェルド(アコースティック・ギター)を迎えたカルテットで、通しでフリー・インプロビゼーション
が演奏された。

彼らの演奏においては、静寂の中の一音というものが、とにかく大事に大事に扱われる。
その一音を、その瞬間に、弾くか弾かないか、という駆け引きに、全員がごく真剣に参加するのだ。
そこには自然と、ぴんと張り詰めた一本の見えない糸が浮かび上がってくる。
この音楽は、理性と野性のあいだを縫って歩く。
作曲家としてのソーリーの冷静沈着な「構築」の為の統制は、
彼がマレットで叩き出す柔らかなとどろきによって指揮されていく。
雅楽的とも言える、12音階の境目を縫うように漂うヴィオラの音が、張り詰める緊張の糸をところどころほぐす。
その得体の知れない、心地良いのか心地良くないのか決めかねる雰囲気の中で、
漆黒の森林から飛び出してくる獣の様にトロンボーンが咆哮し、
ギターのためらいと革新の繰り返しによって新しい方向性が提示されていくのだった。

それはまるで、はじまりも、終わりも存在しない演劇の様であったとも思う。
そう感じたのは、私には全体の音から武満徹の映画音楽に通じるものが聞こえたからかもしれない。
もしくは演奏中盤、奏者全員が立ち上がり、舞台や客席を歩きまわって演奏したことも影響しているだろう。

演奏は約90分に及び、全てをインプロビゼーションで通したことは、奏者にとっても、観客にとっても容易ではなかったはずだ。
しかし、奏者達が60分で演奏を終わらせずそこからさらに展開させていったことにより、
人は何故起承転結を求めがちであるか、ということを私は考えるに至った。
なぜ、はじまりと終わりは相応の様子でなければならず、
その間にクライマックスが存在しないと満足できないことになってしまうのだろうか。
そういうイメージの枠組みを、自分はまづすべて取り払ってしまいたいと思った。

以下は、ダニエル・レナー氏による、タイショーン・ソーリーへのインタビューより抜粋したもので、
『公案』の制作にいたった経緯などを少し知ることができる。
 


2006年に日本を訪れたことをきっかけにして、ソーリーの作曲手法には重要な変化が現れた。
「その年に日本へ行った時、休みの日に僧院を訪れた。
アメリカに帰ってから、自分の状態を良くするため、という目的だけではなく、音楽への影響として、禅への興味が湧き始めた。その頃、自分の演奏している音楽は割と良い音楽だという自覚はあったのだけど、何かがしっくり来ていなかった。そういう音楽は、『難しくあるための、難しい音楽』なだけな気がしていた。

禅と瞑想のコンセプト(アラン・ワッツの著書などを読んだという)は、確実にソーリーに影響を与えていった。 まず彼が書いたのは、前年のクインテットとしての全作品からは大きくかけはなれた長編で、のちに物議を醸すことになった、『ソロピアノのための順列』だった。
この曲は演奏に45分を要し、ひとつのコードを、休符と音域、ピッチやアタック、減衰などの変化をつけながら繰り返すことで細部に砕かれた音の情報を操作するというコンセプトを探求したものだ。

「この曲が誰かに演奏されることはないかもしれないけれど、少なくともこれから私が創作していくもののひとつのシニフィアンにはなるだろうと思う。」そうソーリーは説明した。
「そういう経緯で、That/Not (Firehouse 12, 2007)の為に、この曲を書いた。音楽自体がずっと上手く呼吸できていることが分かるだろうと思う。演奏には技工を要するけれど、この曲には音楽が呼吸し、話しかけてくるような、そういう側面がある。
オブリークのために書いた曲達よりもメロディックだと思う。オブリークにはオブリークのメロディックさ、というのがあるけれどね。 」

中略

次作、『公案』Koan (482 Music, 2009)は、That/Not からの継続と言うよりも、日本で経験したことの継続と呼ぶ方が正確だ。他のどんな作品よりも、『公案』は作曲におけるあらゆる種類の言語を網羅した。
「音と時間に対する自分自身の関係性とその全体的な思考を試された。こういう類の音楽にはシステムなんていうものは存在しない。ただ、その音楽が聞こえた瞬間に書き留める、そういう風にして生まれたものだ。音楽的な語彙だけでは説明できない。もっと実存的な語彙で、聴く経験とは何かということを考えることはできると思う。

『公案』は目を見張る程様々な種類の音楽的アイディアや音律の残像を映した。
"Nocturnal"の様な曲では、フレーズを何度も異なったやり方で繰り返す手法が使われ、"Two Guitars"ではピッチに制限を用いたし、"Correct Truth"においては十二音技法のみならず、もっと抽象的な「可聴度」の概念にも焦点がおかれ、"Awakening"は異なる時間の層に軸を置いた。
作曲における手法のあまりの幅の広さに、全ての手法は使い切れなかったとのことだが。

ソーリーが作曲家として発表した音楽への世間の最初の反応は、残念ながら、
彼のドラマーとしての功績よりもむしろ、彼がアフリカン・アメリカンの音楽家であるという人種的アイデンティティに注目した。「黒人」で、「ドラマー」、そして「作曲家」であるというソーリーの個人的そして音楽家として当てはまる3つの形容詞は、不器用な具合にお互いに摩擦しあい、ファンや同士、そして批評家達を混乱させた。次に述べるのは、ソーリーが表現した、「黒人ドラマー」に課せられた典型的イメージ、頻繁に見られるステレオタイプである。

「アフリカン・アメリカンのジャズドラマーというある種の幻想は、例えばスイングしたり、2拍と4拍を叩いたり、技術を見せびらかしたりする、『超絶技巧のドラマー』 であるというイメージだ。
だが、そういったイメージの継続体から一歩外側に足を踏み出してしまうと、黒人らしくないと言われる。私自身も、スイングしない、とかそういう理由でこういったコメントをもらったことが何度かある。これは、AACMの作曲家達の多くや、ミンガスさえもが直面した問題そのままだ。
ミンガスの音楽が黒人らしくない、なんて、どうしてそんなことが言えるんだろう?
アフリカン・アメリカンの音楽は聞こえる。、ゴスペルからブルース、所謂「ジャズ」と呼ばれる音楽まで。でも、同じように、ストラヴィンスキも、シュトックハウゼンもそこにあるんだ。そう、ミンガスはシュトックハウゼンのファンだったんだ。
私自身の音楽はマックス・ローチ、チャーリー・パーカー、セロニアス・モンクの影響と同じ様に、トランス・ヨーロピアンの作曲家達や、アメリカの実験音楽家達、インドの音楽家達などからの影響も受けている。
まるで、私が作品を発表する際には、アフリカン・アメリカンであるという事を証明するためにブルースを弾かなきゃいけないと誰かに言われてるみたいだ。
私はゲトーに生まれ育って、ブルースを生きているのに、だ。
これ以上に彼らは私に何であって欲しいのだろう?

中略

もうひとつ、黒人の作曲家であることについてソーリーが述べた問題がある。
「アフリカン・アメリカンの作曲家が、それなりの 作曲的語彙からはみ出してしまうと、人々は眉をひそめるんだ。私はいわゆるジャズという伝統の世界を歩いてきたし、系譜としてもジャズの世界は一番近いところにあった。しかしだからと言って、いつまでもそこにじっとしていなければいけない訳じゃない。私がエクスペリメンタルやトランス・ヨーロピアンの音楽を聴き始めた時、周りの人々はすぐに驚いた顔をした。私がモートン・フェルドマンに捧げた43分のピアノ曲を書いたことは、彼らにとってはショッキングな出来事だった。私の知る限りでは、過去にそんなことをしたドラマーは居なかったからだ。ある種の人々にとっては、私がまるでわざと謀反者になろうとしているように見える様だった。
でも私は先にあげた音楽を、マックス・ローチや、ウィリアム・グラント・スティルや、ヘイル・スミス(注:全員黒人の作曲家である)と同じくらい愛している。
次世代のインド人作曲家、または次世代の南アフリカ人作曲家、なんていう紹介を我々がほとんど目にしないのはおかしいと思わないか。
白人の作曲家達は声部進行や音楽の歴史について詳しいインテレクチュアルな専門技術者として高位におかれ、黒人の音楽家達は、白人の作曲家達の演奏するものよりも、「魂」や「フィーリング」はあるのに知性はない、という位置づけをされている様に見える。
黒人のインテレクチュアルでとても重要な作品を発表している人々が居るのに、私達がそれについて聞くことがほとんどないのはとても残念なことだ。

中略

「良いか悪いかということを判断することはあまり好きではない。
何故かというと、すぐに判断しだしてしまうと、そこから学ぶチャンスを失ってしまうからだ。
判断は後に残しておけばいいし、今そこにある音楽を作っている最中には、良くも悪くも、ただ流れに身をまかせるしかないんだ。」

ダニエル・レナー、Tyshawn Sorey :Composite Realityより。
訳:蓮見今麻

参考
http://www.allaboutjazz.com/tyshawn-sorey-composite-reality-tyshawn-sorey-by-daniel-lehner.php?&pg=5

2014年12月23日火曜日

VIJAY IYER : MUSIC OF TRANSFORMATION


「変容の音楽」と題された、ピアニスト・作曲家、ヴィジェイ・アイヤーのコンサート。


第一部がソロ・ピアノ、第二部が弦楽器カルテットとピアノ、エレクトロニックスのための作品、ミューテーションズI-X、そして第三部が「ラジェ・ラジェ: ライツ・オブ・ホーリー」と題された、プラシャント・バーガルヴァ監督による映画のためにヴィジェイ・アイヤーが書き下ろした組曲が、大きなスクリーンに映る映画をバックグラウンドに、演奏された。

第三部の演奏は、インターナショナル・コンテンポラリー・アンサンブル、通称ICE(アイス)という気鋭のオーケストラで、クラシックやコンテンポラリー音楽とクロス・オーヴァーするジャズ・ミュージシャンと頻繁に共演している。
この12人からなる小さなオーケストラにタイショーン・ソーリーとヴィジェイ・アイヤーが加わった編成。

一番印象に残ったのは第三部の「ラジェ・ラジェ: ライツ・オブ・ホーリー」。

バーガルヴァ監督のこの映画は、春の訪れを祝って色粉や色水を掛け合うインドの祭り、ホーリーでの人々の熱狂をその強烈な色彩とともに記録したものだ。

アイヤーとバーガルヴァ共著の解説によると、 このヒンドゥー教の祭りの起源となった神話の中の一節にこんなものがある。
若く、浅黒い肌をしたクリシュナは、自分の恋焦がれる相手、ラジャ(またはラジェ)の肌の色が薄いことに腹を立て、彼女と彼女の友人達にこっそりと近づき、色粉をかぶせて驚かせた。

「このクリシュナの行為が、肌の色を乗り越えるための少しの悪ふざけ、
または女性と男性の間の力の交錯の瞬間、
または単なる若さゆえの酔狂の行為、
この中のどれであったとしても、
とにかくこの、神話の中のクリシュナの突発的行為が、ホーリー祭におけるカタルシスの儀式の中心となり得たのだ。」

このホーリー祭りにおける色彩豊かな春のカオスとユーフォリアをテーマにしたこの作品は、ストラヴィンスキーの「春の祭典」におけるカオスと儀式、そして変容というテーマへの芸術的応答なのだそうだ。


演奏が始まってからしばらくは、オーケストラは、クラシカルなサウンドをしばらく保っていた。
映像も、まだ祭りの始まる少し前の村の風景なんかを映したものだったように思う。
ふいに、タイショーン・ソーリーが、今まで弾いていたティンパニからドラムセットへと移って出した音で、全体のサウンドが確実にオーケストラ主体のクラシカルなものから、ジャズの音に変わった。
一時間ほどの組曲の中で、ストラヴィンスキとの対比的なオーケストラの音、
タイショーン・ソーリーとヴィジェイ・アイヤーが「フィールドワーク」などで培ってきた現代ジャズの音、そしてヴィジェイ・アイヤーのルーツで彼が表現し続けようとするインド音楽の音、
大きく言えばこの三つの音が交じり合い、共存していたと思う。

組曲が終盤にさしかかったところで、映像の中で踊り狂う集団のリズム(映画自体は無声映画である)と、オーケストラが演奏するリズムがシンクロナイズした時、
映像に収められた「過去」と、観客が体験する「現在」がリズムを通して異次元で繋がり合っているという感覚を覚えた。
映像自体がまた、とても土着的、民族的、儀式的であるがゆえに、
その感覚が次に呼び起こすものは、体験している「現在」において、「観客がステージのオーケストラを見る」というある種の無機質さと、映像の中の「過去」のまぎれもない儀式の中で酔狂しながら踊る人間達のプリミティブな芸術体験の力強さとの対比であった。

アリス・コルトレーンは、インド人ではなかったものの、60−70年代にかけてインド音楽に影響された作品を多数発表した。

 image

男性的、またユーロセントリック(もしくはアフロセントリック)になりがちなアメリカのジャズ音楽界において、東洋音楽との融合に精神の赴くままに取り組んだアリスのこの作品群を、私は言うまでもなく素晴らしく、歴史的意義のあるものだと思っている。
しかし、この同じ側面に対し、安易なexoticism(異国趣味)であるという批判をした評論家も居たらしい。

ジャズという音楽と、ディアスポラの定義を考える時に、最近はいつもこのことが頭に浮かぶ。
異国の音楽、文化的なものをジャズという枠組みの中に取り入れること。
その根本的な動機とは何か、そしてリスナーはそれをどう捉え理解するか、ということだ。

ヴィジェイ・アイヤーも、アリス・コルトレーンもディアスポラの子孫で、
ジャズをそのままの形ではなく、民族的ルーツまたは精神的ルーツに繋がる場所の音楽と交差させて新しい表現方法を掴んでいる。

現代のジャズは幅広くクロスオーヴァーしているし、ポップスという「グローバリズム的」音楽とも交差するわけだが、
反グローバリズム的(超資本主義のために一様化されていくという意味でのグローバリズム)な立場をとっている私としては、世界各地の伝統的音楽がジャズと融合し、
変容し、継承されていく、という過程は重要なものであると感じている。
そして、そういった「文化的変容」に対して非常に柔軟であるという意味で、ジャズと即興演奏には現代に生きる人間にとってとても重要な何かが残されているとも思う。



ネイティブ・アメリカンが淘汰された後のアメリカには、儀式がなく、神話がなく、土着宗教もない。
そういった現代社会の淋しさと同時に、変容への積極性と柔軟性も、アメリカという国は兼ね備えている。そういうことを私はこのコンサートから感じた。


先に述べた神話の一節の神々の肌の色についての話も人種的なことを想起させるが、
実は第一部では「黒人の命にも意味がある」という標語がスクリーンに映しだされた。
これは最近のアメリカでの人種差別問題でのデモで頻繁に使われてきた標語で、
明らかにアメリカ社会への批判が込められていた。
かなり政治的な意見を取り込んだパフォーマンスであった、という一面もあり、
そのことについてはまた考えてみたいと思う。




















2014年12月13日土曜日

TONY MALABY QUINTET @ CORNELIA STREET CAFE

マンハッタンに数少なく残る、アンダーグラウンドな雰囲気のクラブ、コーネリア・ストリート・カフェ。

天井の低い地下のスペースに窮屈にテーブルと椅子が並べられて、青い壁とステージの赤いカーテンが照明に照らされる。
変に気取っていない、オールド・スクールな場所だ。


この場所は、ジャズだけでなくクラシックやポエトリー・リーディングなど幅広いパフォーマンスをホストしている。ジャズに関していうと、フリーっぽいものや、実験的要素の強いコンテンポラリーなミュージシャン達が沢山演奏している場所だ。
あとはブルックリン派と呼ばれる様なミュージシャン達がマンハッタンで演奏する足場になっている様なイメージもある。
新しいスタイルやインプロビゼーションなどに対してかなり積極的でオープンなクラブだ。
 
今晩はここで、トニー・マラビー率いるクインテットを見てきた。
ビリー・ミンツ(drums)、アイヴァンド・オプスヴィック(bass)、ダン・ペック(tuba)、クリストファー・ホフマン(cello)をバックに、トニー・マラビーがブロウするという、とても魅力的なプロジェクトだ。
チューバとチェロが入っていることで、通常の予測されるジャズ・クインテットのイメージの枠は容易に破壊される。
ふたつの強力な弦楽器の音は、アンサンブル全体の音に厚みを持たせ、
少しくぐもった様なチューバの音は、不思議な存在感を持って全体音の周りを浮遊する。
ビリー・ミンツの出すドラムの音が、その浮遊感を補足しつつ、音楽の舟から錨をするすると下ろしていく。
インプロビゼーションを演奏するビリーのドラミングには、ほとんどの場合、明確なビートは刻まれない。
明確なビートを主張してこない、究極的ミニマリズム。それは、逆に言うと、音楽的に素晴らしく柔軟である、ということで、音響を主体とする演奏には特に、最高のキャンバスを用意してくれる。
彼の表現は、テクスチュアを中心にしたもので、とにかく繊細で綺麗な音をドラムから出す。

トニー・マラビーの演奏は期待していた通り素晴らしかった。
彼ほどひとつの楽器から変幻自在にあらゆる音を出す奏者を私はあまり見たことがない。
そして、どの音も、絶妙な加減でコントロールされている。

グループ全体でインプロビゼーションを演奏した時には、その細やかな音の粒、ざらざらした感じと大きな一体感が、レヴォリューショナリー・アンサンブルの様だった。
かと思うと、楽譜を取り出して弾いた曲では、基本に流れるメロディーのヘテロフォニックな感じと、
その周りを流れる少し、ほんの少しだけ狂った感じの音の層に、エリントン・オーケストラの残響が聞こえた。

このグループの演奏は是非もう一度聞いてみたいと思う。
是非アルバムも作って欲しい。



2014年11月22日土曜日

VINICIUS CANTUARIA @ JAZZ STANDARD



そろそろ冬が訪れなければいけないことを、ふと急に思い出したかの様に、ニューヨークが心地良い晩秋の日々から氷点下の肌を刺すような寒さへと変化したのがその日だった。

分厚いコートを着込んだ私達は、寒さを言い訳に、少しだけ遅れて到着した。
私達を迎えた会場のドアマンは、すごく紳士的な青年で、「お二人ですね。」とチケットを手配した後に、
「今宵はお越し頂き幸いです。」と付け加えた。
その訳は、扉を開いて席へと案内されて少し分かった気がした。
その夜の最後のセットとは言え、場内はかなり空席が目立ったのだ。

ヴィニシウス・カントゥアリアは、ギターを抱え込み、Insensatezを歌っていた。
聞き慣れた旋律。ジョビンへの堅実な解釈。主張する魅力的な憂鬱。
なんだかわからないうちに私は彼の独特な雰囲気に惹きこまれていた。

耳に聞こえる音楽自体は、そこはかとなく明るい。
ドラムとパーカッションで軽快に刻まれるリズムと、淡々と流れる様にヴィニシウスが歌うジョビンの曲達。ヴィトー・ゴンサルヴェスのピアノは繊細ながらもゴージャスなサウンドで、それぞれの曲を表情豊かなものにしていく。

それなのに、歌うヴィニシウスの表情には、響いてくる音楽とはおよそ符合しない類の、
鬼気迫る「何か」があったのだ。
あくまでも私個人の印象だけれど、彼の風貌と表情からは、何かもっと、労働歌だとか、反戦歌だとか、そういうぎりぎりのところに立っている者の訴えかける音楽、つまりブルースが聞こえてくる気がした。もちろん、音楽自体は生粋のブラジリアン・ジャズなのだけれど、ヴィニシウスの表情を見ていると、どうもブルース・シンガーを見ているような気がしてしょうがなかった。
ブルースというのは、もしかしたら必ずしもブルースとして私達の耳に届くわけではないのかもしれない、と私は自分の頭の中で結論づけた。

考えてみれば、「憂鬱」を歌うシンガーというのは、今も昔も、どれ程存在しただろう?
ニナ・シモンと山崎ハコしか今は思いつかない。
聞いているうちに楽しくなって、踊れて、笑顔になるような音楽が主流の世の中で、
憂鬱を歌うのは決して楽なことではないと思う。
しかし、誰かがその役を買って出てくれないことには、世の中のバランスが取れないと私は思うのだ。
ヴィニシウス・カントゥアリアは、そういう風に、何かとても不思議な形で、世の中のバランスを取っているタイプの音楽家なのかもしれない。





2014年8月22日金曜日

George Cables Trio @ The Village Vanguard



八月の中旬から終わりにかけてのニューヨークは、少し閑散としている。
ニューヨーカー達は、来る長い冬を乗り越える覚悟を持って過ごすために、夏の間は休暇を思い切り楽しむ。
彼らは暑苦しい街を出て、ニューヨーク郊外やボストンやカリブ海に行き、自然に囲まれた夏の思い出を作るのだ。そういう彼らの口癖は、「街を出たい。」「街を出なきゃ。」
だけれど、このニューヨーカーにとっての「街を出る。」は、大体いつも一時的にそうする、ということを意味していて、その言葉の裏には、「それでも僕達はニューヨークを愛しているけどね。」という暗黙の了解が潜んでいる。

一方で、街中に残ることを選んだ別のニューヨーカー達は、心地よい夏の夜に、いつもより人通りの少ない静かな通りを大股を開いてゆっくりと闊歩する特権を得る。
さらっとした晩夏の夜風を受けながら、七番街を下っていくと、
そこには見慣れた赤いドアが待ち受けている。
ヴィレッジ・ヴァンガードという場所はやっぱり、すごく特別な場所だ。
老舗の店ということもあるし、歴史を紡いできた重みもある。
何よりも、ここはとてもロマンチックな場所だ。それは、恋人達の交わす愛のためだけに使うロマンスという意味ではなくて、ありとあらゆる人間模様とそこに付随する感情をそっくりそのまま、万人の記憶の片隅に印刷してしまうという類のロマンスである。


ここで昨晩、私はジョージ・ケイブルス・トリオの演奏を見た。
ベースはエシエット・エシエット。そしてドラムはヴィクター・ルイス。

トリオの演奏はボビー・ハッチャーソンの曲で始まり、 二曲目はYou're My Everythingだった。
この曲を聞くと、どうしても、テザード・ムーンの演奏したバージョンが頭の中に響いてしまう。
最後にポール・モチアンと菊地雅章が一緒に演奏するのを見たのもヴァンガードだったのだ。
それでもやっぱり、演奏が盛り上がるにつれて、ジョージの演奏するスタンダードの素晴らしさを私は徐々に思い出していた。
私が恩師と呼ぶふたりのピアニストはジョージ・ケイブルスとジョン・ヒックスで、この二人の演奏は、全く違うといえば全く違うのだけれど、その流れる様なフレージングと秀逸なタッチにはどこか共通するものがある。
するすると流れていく細やかな音、そのうしろにしっかりと根をはったブルース、
スタンダードに、「歌」を感じさせる情感、ああ、これが私は大好きだったなぁ、とあらためて思った。なにしろ最近はフリー・ジャズと呼ばれるものばかり聞いていたので、ジョージのピアノを聴くのはなおさら新鮮だった。
他にもバンドはBody and Soulやジョージの作曲した曲をいくつか演奏した。
どれも聴き応えのある、見事な演奏だった。
椅子に沈み込んで、ヴォッカトニックを啜りながら私は考えていた。
「音楽を演奏すると、自分の本当の姿を隠すことはできない。」と言ったのはメアリー・ルー・ウィリアムスだっただろうか。
ジョージの演奏からは、暖かさ、明るさ、ユーモア、美しさ、深み、そういうものが溢れ出していた。
音楽を通して、観客席の私達は、彼の素晴らしい人柄に触れ、人間の素晴らしい創造力に触れ、幸せな気持ちになり、家路につく。
音楽を演奏するというのは、そういうことなんだよなぁ、と、しみじみと感じたのだった。
ヴィクター・ルイスの演奏も素晴らしかった。
彼のドラムは、シンプルなのに饒舌で、繊細だけどワイルドで、太陽の光を浴びた土の匂いがした。
口では多くを語らないのに、表情や仕草から、滲みだす存在感と深い味わいは隠し切れない、そういう人っている。
ヴィクター・ルイスは、きっとそんな人なんじゃないだろうか。
途中、彼はスティックをおろし、素手で長い間ドラムソロを取った。
言うまでもなく、素晴らしかった。

新しい世代のジャズも素敵なものがたくさんあるけれど、
こうやって長い間、自分が愛すると決めた曲をとことん愛して、弾きこんで、
ただ純粋に音楽を演奏してきた、そういうオールド・スクールな渋さを目の当たりにすると、
やっぱりジャズの素晴らしさはこれだな、と思う。
自分以外の何者にもなろうとしない。飾り立てることなしに、率直に、自分の生身のままを弾く。
ぐちゃぐちゃのどろどろの世界から、楽器を通して叫んで、歌って、夢見てきた、そういうリアリズムが、ジャズを魅力的なものにしてきたのだ。

帰り際に、長い間借りたままだったマハリア・ジャクソンのレコードをジョージに手渡し、
素晴らしい演奏だったと告げた。
私の記憶の中のヴィレッジ・ヴァンガードには、またもう一ページ、新しい色の思い出が加わった。





2014年7月31日木曜日

「方向の変化」以上のものを 〜つづき〜

このインタビューを読んで、私は穏やかな感嘆を覚えた。
ヴィジョン・フェスティバルでのマシュー・シップ・トリオの演奏は、まさにシップ自身がインタビューで述べている内容通りの表情を私達に見せてくれていたからだ。
ピアノ、ドラム、ベースという伝統的なピアノトリオの構成。
今までの彼の作品よりも、もっと「馴染みやすい」、「ジャズ的」サウンド。
きっと彼は、とても頭の冴えた、そして優しい人なのだろうと、つい私などは想像してしまうのだけれど、
感性の細やかな人だからこそ、オーディエンスへの橋渡し、という感覚を音楽的実験の中に取り入れたりできるのかもしれない。
しかも、マシュー・シップはそれを、自身の音楽的理想を犠牲にせず、限りなく繊細なバランスを保って成し遂げている。
彼の少し以前の演奏は、もうすこし荒いというか、どすのきいたフリージャズピアノという感じがあった。そこから、今のもう少しオーディエンスにとっては入り込みやすい演奏への試みをする課程において、どういう心境の変化があったのだろう?

フリーのピアノトリオ演奏で、私がすぐに思いつくのは、セシル・テイラー、そして菊地雅章のふたりだ。
セシル・テイラー:フィール・トリオの混沌と舞踏、 または菊地雅章:テザード・ムーンの静謐さとエレガンスとも違う、独自のスタイルをマシュー・シップ・トリオは持っている。
トリオのメンバーそれぞれが独立した、個々の音の表情を演出する。
それでいて、そのバランスや一体感は研ぎ澄まされていた。
演奏の中で、静寂や激情といった表情の変化は豊富にあるのだけれど、そこで決して遠くへ行き過ぎない、統制を保っているのだ。
大人のする恋愛ってこういう感じだろうか。
特に印象に残っているのだが、 ドラマー、ウィット・ディッキーが、大きな体の背筋を伸ばし、 目を瞑って、ただスネアドラムだけを長い間叩き続ける様子はまるでどこかの僧侶が一心に瞑想をしながら木魚をたたく姿の様であった。
それくらい、内省的な音楽だ、という印象を得たということだが、
内省的であると同時に、音のエネルギーは確実に聞く側に差し出されている。

インタビューの中で、彼はこう言っている。
「ひどい文化、社会の状態とのバランスをとるためにも、音楽家達は、例え自分達が稼げなくても、
この種類の音楽(主にフリージャズのことだろう)を継続していかなくてはならない」と。

世の中の人々の多くの眼が利益とコンフォート(居心地の良さ)に向いている中で、
純粋に芸術への専心、という活動をする芸術家、音楽家の存在は、
大げさではなく、そういった世の中のバランスをとるはずだと私も思う。

少し前に書いたものの中で、自己決定権という話をしたが、これはもちろん音楽に対する姿勢に関しても同じことが言える。
演奏する側は、利益が例えでなくとも、自分がその作品を信じている限り、魂を投じて演奏すればいいのだし、演奏を聞く側も、他者からの評判を頼らずに、自分の感性と判断のみを信じて鑑賞するしないを決定する、そういうスタンスがこの種の音楽においては求められる。
そしてそういう姿勢こそ、「大衆」というひと括りの枠が価値基準になっている現在の世界で、私達が今見直していかなければいけないことだと思うのだ。


最後に、与謝野晶子の、「愛、理性及び勇気」より以下を引用したい。

ほんとうに芸術を愛そうとすると、世間の評判なんかに拘泥して居る余裕はありません。
寧ろ世間の評判なんか害こそあれ何にもならないという気が起こります。
自分のまだ知らずに居る 漠然とした大きな生命を ー真実をー 一寸よりは二寸、一尺よりは二尺と云う風に深く掘り下げて覗かせてくれる芸術ほど好い芸術だと思います。
そう云う芸術を余計な仲介者無しに自分自身で発見しようと心掛けることが芸術を鑑賞する唯一の態度でしょう。
鑑賞とは、芸術の奥に宇宙の真実を透感し体験することです。
芸術家の特異な心意気や巧妙な言い回しやに感服することでは無い、断じて無いと思います。
真実は無限、無量無際です。如何なる芸術家でも真実の全部を窺うことは出来ません。
その一角を誇張して、その一角に繋がった奥行を或程度まで深く浮き出させることが芸術の使命です。





2014年6月14日土曜日

Charles Gayle Quartet @ Vision Festival 2014



息を切らして辿り着いた扉の向こうからは、駆け狂う様なサックスの音が溢れていた。
はやる気持ちで重い扉を開けると、そこには、人々の、初夏の訪れへの祝福と、暴力的な雨雲への鬱憤が混じり合った興奮が、濃密な空気を作り出していた。
もしかするとその空気は、そのまま、純粋な音楽への陶酔と、商業主義に対しての蓄積した芸術的不満に置き換えることができたかもしれない。

私は、まるで60年代にタイムトリップした様な感覚を覚えていた。
音楽の内側から響く、熱心さ、素朴さをこんなに直接的に感じるコンサートで、
大きな会場が満員になっている。そういう場面にはしばらく出会えていなかった。
熱狂する観客の拍手や歓声に、顔色ひとつ変えずに、
音楽へ献身していたその男は、チャールズ・ゲイルという人であり、またの名を、道化師「ストリーツ」といった。


チャールズ・ゲイルは、つぎはぎのあるよれよれのスーツを着て、鈍く光るサックスを吹いた。
Tシャツの上につけたネクタイも、長身の体躯のせいか、不思議とスタイリッシュだ。
ピエロの赤いつけ鼻が、彼の白い顎ひげとともに漆黒の肌から浮き立っていた。

ウィリアム・パーカーが、大木の幹を連想させる太いベースを弾き、
デイヴ・バレルのミニマルかつエッジーなピアノはモンクの様な響きで空間を覚醒させ、
マイケル・ウィンバーリーの雷の轟音の様なドラムが高揚を持続させた。
素晴らしいリズムセクションを後ろに、淡々と、しかし確実に熱を持って演奏するゲイル。
後にも先にも、私は、あんなに粋な道化師を見たことはなかった。

以下は、ゲイル自身が、彼の演じる道化師「ストリーツ」について語った内容だ。

そうだな。彼の格好を見てみれば分かると思うが、彼はぼろぼろの服を着た奴だ。
愛、痛み、喜び、生きていく中で起こるすべてのことに反応するんだ。
心がずたずたになって、俺もその心をずたずたに破って、泣き始めるさ、
そしてそれをピアノとか、サックスで弾こうとしてみるんだ。
その中には社会的、政治的な理由だってある。 何かの結果を招く原因を作ろうとかじゃないんだ。
ただ、心の中にあるもの、それだけだよ。
いくつかの問題は、他の問題よりも少しやっかいだ。だけど俺はそれも演じる。
たまに小道具を使ったりするときもあるし、使わない時もある。
だいたいはパントマイムだ。伝統的なものとは少し違う。言葉は使わない。 
そうして、ストリーツを動かして、遊ばせるんだ。
愛の演目もある。小さな赤ん坊のことだったり、ただ誰かを手助けすることだったり。
または暴力の演目もある。ピアノの上に血が滴る様なね。まあ、目には見えない形で、だけど。
ただ演奏しようとするんじゃなくて、何か他の形の見えるものを演奏に取り入れたかった。
そんなにだいそれたものだとは思っていないけれど、
俺の心の中にはずっとあったものだ。
ずっと、ただ演奏するだけでは自分には充分じゃないと感じていた。
特に、ストリートでの生活を経験してからは。
ストリートでは、演奏するだけじゃなくて、食事もしたし、ぶらぶらしたし、時には寝たよ。
パフォーマンスや演奏っていう、フォーマルなことだけに意味があるとは思わない。
多くの場合は、それ以外にもたくさんの要素が混じっている。
ストリートで演奏する奴の多くは、家に帰っても演奏できる。
だが、本当にストリートで生活してる場合は、曲をパフォーマンスするっていうことだけじゃないんだ。
他の色んな事が、マインドにも演奏にも関わってくる。
色んな人と話をするだろうし、時にはサイレンを追いかけてるかもしれない。
救急車を追いかけるってことじゃなくて、サイレンと音で遊ぶっていうことだよ。
見た目の面白さのためにそういうことをするのではなくて、
演奏しているその瞬間に、そういう色んな出来事が周りで起こっているから。
少なくとも俺の場合は、そう、演奏するだけじゃ充分じゃないんだ。

ゲイルは、過去に20年近く、ホームレス生活をしていた。
ストリートをただひたすら歩き、サックスを吹く生活、を送っていたのだそうだ。
私が興味を引かれるのは、音楽家として彼が経験してきたであろう、人間の「評価」というもののめまぐるしさである。同じ人間が、同じ楽器を弾いて、ある時は路上の片隅で見過ごされ、
またある時は豪奢なステージで拍手喝采を浴びるのだ。
その様子をゲイルは、どんな気持ちで眺めてきたのだろうか。

自由に即興をすることと、自由であることは別物だと思うんだ。
誰だって自由な即興はできるさ、だけど、精神は自由か?
そうでなければ、ただ自由即興のための音楽的語彙を学ぶだけ。
個人的な話だが、自慢じゃないけど、私は自由な人間だ。
だけど、それが必ずしも良いこととは言わない。
時には自由であるということは障害にもなるけれど、
私はそういう人間だから、それでいい。
これは、自由のための声明だ。そこには、喜びもあるし、悲しみもある。


超資本主義を人間の無知さが容認する世相において、芸術も商業と同じ程度の生産性を期待される。どれだけのお金に還元されるかという物差しで芸術を評価してしまいがちな私達現代人は、
まるで夢を喰い尽くしてしまう盲目の獏(ばく)の集まりだ。
この安易な評価基準に甘んじることなく、個人の経験と感受性を反映した独特の基準を維持できるように、私達は注意深くいなければならないと思う。

ゲイルの演奏が私に教えてくれたことは、
ミニマルな表現の一端を深く、忍耐強く、掘り下げていくことで、
そこに、あらゆる事象を包括するひとつの小宇宙を見出すことができる、ということだった。





引用:チャールズ・ゲイル ジェームス・リンドブルームによるインタビュー
             ケン・ワイスによるインタビュー 
              

2014年5月30日金曜日

Jen Shyu "Solo Rites"



私達は、音楽を儀式として演奏する喜びを、どこかに忘れてきてしまっていた。

そもそも、私達が音楽を演奏し、聞く理由は何だろうか?


ジェン・シューのソロ・オペラ、「Solo Rites」は圧倒的な存在感を持って私達観客を引き込んだ。
布を使ったインスタレーションと、
その布を美しく活用したジェンの舞踏。
古楽器とピアノの演奏もさることながら、彼女のボーカルの素晴らしさはまた言葉にできない程の深みで、迫りくるものがあった。
ジェン・シューを聞くというのは、ただ美しい音楽を聞く、という経験ではない。
人間の醜さ、魂の叫び、そういうもの一切を、「声」という裸の楽器で、
直接的に表現してくる。
彼女の歌を聞いていると、
ザワザワと、精神の奥底をえぐられるような感覚を掻き立てられる。
その感覚こそが、音とシャーマニズムの原点にある感覚ではないだろうか。

すべての演奏が終わった後に、
ジェンは静かにそれぞれの楽器に布をかぶせていった。
そして最後に、後ろに束ねていた髪をほどき、舞台の真中に座った。
静かに語り、歌いながら、彼女は自らの髪を鋏で切り落とし、
舞台は幕を閉じたのだった。

ジェン・シューの何が素晴らしいか、というと、彼女の作品は、
私達の中にある、凝り固まった思い込みや思想を一度解体し、解き放ってくれるのだ。

例えば彼女は自分自身を「実験的ジャズボーカリスト」であると説明するが、
このオペラを見て一般的な意味でのジャズだと受け取る人はほぼいないだろう。
そこで喚起される疑問とは、「ジャズ」は何であるか?ということだ。

ピアニスト、ビジェイ・アイヤーも言及しているが、アジア系のアメリカ人(または非アメリカ人)が、
長い間白人と黒人の葛藤をシンボライズしてきた、アメリカの文化、「ジャズ」を演奏するということはどういうことか、という命題も、彼女のパフォーマンスは提議すると思う。

このオペラでの多くの音楽的コンセプトは、彼女のルーツであるインドネシア、東ティモール、韓国の伝統音楽から生まれたものであった。
アジア文化をこれだけ豊富に取り入れた内容の作品を、
ジャズ・インプロビゼーション的なスタンスを用いて、
しかもボーカルという声をメインにして演奏したことは、
私達ミュージシャンにとっても非常に刺激的なものになった。

伝統における、儀式としての音楽、シャーマニズム。
音楽を、精神の成長の為、または献身への没頭の為に純粋に演奏するというスタンスもあるということを、商業主義に翻弄されてしまう、私達、都市の音楽家達はいま一度教えられた。

西洋と東洋の壁、人種の壁、音楽と踊りの壁、
演劇と音楽の壁、アートと音楽の壁、
楽器と声の壁、
すべての見えない壁は、私達のマインドにある「限界」というイマジネーションが創りだしたもの。
実際には存在しない壁に、無意識のうちに、線を引いて、私達はその線を超えないようにしているのかもしれない。
創造においては、限界は存在しない、
ただ必要なのは、柔軟な発想と、それを経験しようとする姿勢だ。



2014年5月28日水曜日

Susie Ibarra + Matana Roberts Duo @ Stone



スージー・イバラの演奏の魅力は、彼女がドラムとパーカッションで紡ぎだす民族音楽的な音とリズムの数々にある。
アメリカで生まれ育った彼女は、10年程前から、両親の故郷であるフィリピンへ度々渡り、現地の希少民族音楽の研究、録音を行ってきた。



シンバルやゴングの音は、まるでガムランのような率直でためらいのない響きで室内を包み、
スージーがマレットのミュートされた音で祭祀音楽の様なヒプノティックなリズムを刻んだ。
その土着的なリズムに乗せるマタナ・ロバーツのサックスは完全にブルースだった。


ディアスポラのルーツを持つ者が、自分という人間の中に脈打つ系譜と自分の音楽を統合するというのは、自然な成り行きであると思う。
音楽というものは、自分の精神そのものから生まれてくるものであるから、
良い音楽家は、常に自分自身が何者であるか、何を音楽にしているかということを探求している。



ブルースの響きと、民族音楽の響きの融合には、新しい発見があった。


民族音楽には、地に足のついた一種の明るさがある。
民族が一体となり、共に歌い踊り、神を祭祀する。
先祖代々生まれ育った土地で、血の繋がった者達、食料を分かち合う者達同士で、
同じ神にすべてを委ねるという絶対的な安心感がそこにはある。


ブルースに関しては、ラングストン・ヒューズの言葉を。



あなたが女たちの一部分をつかまえると、他の一部分があなたから逃げます。
悲しくておかしい歌、
おかしがるには悲しすぎ、悲しがるにはおかしすぎる。

スピリチュアルズは集団の歌だが、ブルースはあなたがひとりで歌う歌だ。
スピリチュアルズは天幕の集会や、遠隔の農園地方で生まれた宗教歌だ。
だがブルースは、大都会のごみごみした通りから発生する街の歌だ。
あるいはまた、あなたが眠ることのできない狭い安部屋の淋しい壁にぶつかって鳴り出してくる。
スピリチュアルズは、天に、明日に、神にむかう、逃亡の歌だ。
だがブルースは、現世で、いま、あなたが心に悩みをもち、
どうしていいかわからず、誰もかまってくれないとき、破れかぶれで、
心を打ち砕かれた、今日の歌だ。
(訳:木島始 「詩 黒人 ジャズ」より抜粋)


ブルースは、個人的な、神への直接的な訴えと言えるかもしれない。
生来の地から切り離された人間は、神の存在に対し、具体性を持たない。
土着の神社や、祭りというものを通して神を経験することがもはやないのだ。
だからこそ、ブルースを歌う個人にとっての神の存在とは、
あたかも、何処かに存在する「もうひとりの個人」の様に感じられるのかもしれない。
そうやって、ブルースは、
「どうしてなんだ?おかしくて悲しくて涙が出てしまうよ。」と、
訴え、語りかけるのだ。

こんな風にまったく異なった「神に対してのスタンス」から生まれる音楽の断片が相互に交わり、
互いの領域を侵略することなく、空間をうまく共有することができるのは、
インプロビゼーションという表現技法の柔軟性を持ってして、であるように思える。 




それにしても、
マタナ・ロバーツがサックスをかけたままで、クラリネットを手に持って吹き出した時、
頭にまとめたドレッドロックスとサングラスのせいもあってか、
今は亡き、素晴らしき音楽家ローランド・カークの影を見た気がした。

   

2014年4月25日金曜日

RITE - Russ Lossing / Louie Belogenis / Kenny Wollesen

三人の熱量は、丸々一時間半ずっと変わらない。
ラス・ロッシングがグランドピアノの弦をはじいて最初の音を出してから、ドラムのケニー・ウォルセン、テナーのルイ・ベロジニスはおろか、
私達客席の数人も、音の洪水にひたりきったまま、誰も休むことを赦されていない。
静謐さが、二十人も入ればいっぱいになってしまう小さな箱を包み込んだ。
三人が瞬間ごとに造り出す音のかたまりは、あたかも波のように、満ちては引き、満ちては引きを繰り返していた。
波そのもののように、一体として動きつつも、一度として同じ波はない。
その中で、顔色を変えないまま、熱量の高い演奏をし続けている音楽家達を見ながら、
私はぼんやりと考えるのだった。

この、冷静さの中に遠慮がちに見え隠れする感情の昂ぶり。
洗練されたコントロールと、少しずつ確実にあらわになる、手なずけられた狂気。
アメリカの人は、本当に真面目で堅苦しく、本当に自由でひらけている。
その自由さは精神の畑を縦横無尽に走り回る。
人工物と自然の共存。
緻密に作り上げられた構成を、惜しげもなくなぎ倒す暴力。
秩序のあるように見えて、秩序もルールも本当はない世界。
秩序のないカオスに見えて、最後にはすべてが交わり合うという秩序がある世界。
どちらが人間で、どちらが自然?

ピアノの中身を覗き込むようにして、あらゆる方法でピアノ内部の弦や金属部から音を作り出していくロッシングの様子を見ながら、
私は、次第に、漆黒に光るそのピアノの脇腹のゆるやかなカーヴに見惚れてしまうのだった。音、静寂、音、静寂。
まるで手術着を着た医師の様に、ロッシングはピアノの12音性を解体し、
もっとプリミティブなやり方で音を出すことで、ピアノの見えない拘束具をはずしていった。弦を使ったりして、とても土着的な音を出す一方で、ピアノの持つ美しい宮廷的金属音をも美しく演出する、ピアニスト、ラス・ロッシング。
なんという創造力と技巧だろうか。
ウォルセンとベロジニスの演奏ももちろんとても良く、上手くロッシングを引き立てていた。ベロジニスは中盤まで綺麗なメロディー、ロングトーンを吹きつづけているだけ、という感じだったのが、途中でソロを取った時に神懸った様にアルバート・アイラーの様な音を出したのが印象的だった。

素晴らしいフリーインプロビゼーションというのは何か、教えてもらった夜。

I Beam Brooklynにて。

2014年1月31日金曜日

アミナ・クローディン・マイヤーズ

気鋭のドラマー作曲家のタイショーン・ソーリーがアミナ・クローディン・マイヤーズに対話形式でインタビューするというなんだか凄いイベントに参加した。


アミナ・クローディン・マイヤーズの音楽を知ったのは本当にここ何年かのことで、
十分に彼女の音楽性を熟知しているとはとても言いきれないのだけれど、
彼女の作品の多岐にわたる内容は素晴らしく興味深い。
確かきっかけはフランク・ロウの「Exotic Heartbreak」というレコードだった。
それからしばらくして、プーさんが「The Circle of Time」を貸してくれてそれを聞いたりしていた。
タイショーン・ソーリーはというと、近年話題にもなったオブリークの様なジャズの曲を書く一方で素晴らしく緻密なクラシックの作曲もする人。モートン・フェルドマンやシュトックハウゼンという名前もよく話にでてくる、本当に多種多様な音楽を聞いている人だ。そういう意味で、このインタビューの組み合わせはとっても面白いと思った。


今日のインタビューでも話していたけれど、マイヤーズ氏はまずクラシックピアノから音楽を弾きはじめて、その後に教会でゴスペルをやったのだそうだ。
オルガンもすごかったり、歌も素晴らしいのは、そういうバックグラウンドから来ているみたいだ。しかし彼女が面白いのは、その後教師の仕事を探してたどり着いたシカゴで、
AACMに参加するということだ。彼女自身のアルバムは、割とリズム&ブルースやゴスペルの影響が強い曲が目立つものの、サイドマンとしてはヘンリー・スレッドギルやArt Ensemble of Chicago、厶ハル・エイブラハム・リチャードソンなどの錚々たるミュージシャンと共演しているところからも、彼女の多才さをうかがえる。

これは、シカゴの当時の先鋭ジャズシーンにマイヤーズ氏を紹介したその人、レスター・ボウイーとの共演。




当のマイヤーズ氏は、なんだかとてもお茶目で気さくで面白い、少女の様な人、という印象を受けた。色々な話をしていたけれど、中でも印象に残ったのは、
自分はシカゴに引っ越した当時も音楽家になろうとは思っていなかった。と言っていたこと。
それからまだジャズを弾き始めてまもない頃に、クラブでの演奏の仕事をもらったマイヤーズ氏がステージでやっとの思いでオルガンを弾いているところで、ジミー・スミスが客席に居るのを見て心臓が口から飛び出るかと思った、というエピソード。
その後ジミー・スミスから「はじまりとおわりはなんとかちゃんと出来ていたから良いと思う。」というなんともいえない励ましをもらったそうだ。

それにしても、いいね、声や表情が素敵で、魅力的な経験をしてきた人のお話を聞くっていうのは。

私は質疑応答で、ブルースについてどう思うか、という質問をしたかったのだけど、
勇気が出ず断念。。
次の機会があることを願おう。
とっても良い時間だった。













2011年6月27日月曜日

new world

Henry Threadgill and ZOOID

Henry Threadgill - reeds
Christopher Hoffman - cello
Liberty Ellman - acoustic guitar
Stomu Takeishi - bass guitar
Elliot Humberto Kavee - drums
Jose Davila - tuba/trombone

@ Jazz Gallery


素晴らしかった。
ずっと聞いていたかった。
なんというか、リズムセクションによって有機的な音の粒がびっしりと描写されている中に、
(今思えば私の大好きなアボリジナルアート、Emily Kame Kngwarreyeの絵画の様であった。)
Threadgillの、官能的でエモーショナルなアルトサックスが唸る。
わー、すごかった。
うん。


最近、本当に、むさぼるようにレコードを買い、新しい音を聞いていて、
今までいかに自分がコンサバティブなリスナーであったかということを思い知らされている。
特に今よく聞いているのは Albert Ayler、エチオピア音楽、そしてハープ音楽 (Alice Coltrane / Dorothy Ashby)。
やっぱりAlbert Aylerは大好きだ。
あの粘り狂う音が大好き。


お尻が取れてしまうくらいたくさん働いて、少しお金ができたので、今週ループペダルを買う予定。
キーボードに対して楽器としての興味がすごく湧いてきて、色んなことを実験してみたいので、
とても楽しみにしている。
7月のコンサートまでに、頭にあるアイディアを形にしたいと思う。