今回のコンサートでは、日本の唄を題材にしてフリーの即興をするという試みをした。
私はもともと音楽を勉強しに渡米し、アメリカの音楽を聴き、そのアメリカの音楽をアカデミックに分析した 観点からの音楽教育を受けた。
必死にジャズまたはアメリカ音楽というものを理解しようと切磋琢磨してきたものだから、
その盲目的な献身の副産物として、少なからず私の音楽についての理解はアメリセントリックなものになってしまっていたように思う。
アメリカの音楽は確かに素晴らしく魅力的で、
民族移動の歴史と文化的、あるいは社会的摩擦によって育てられたその創造的モーメンタムが作り出してきた蒼々たる音楽の系図は圧倒的な存在感を持つ。
その中でも私はいつもブルースという音楽的側面に心を揺さぶられるのが常で、
何度も聴いてきたのはメアリー・ルー・ウィリアムスであり、アルバート・アイラー だった。両者ともにジャズミュージシャンであるけれども、彼らのサウンドはとても土着的であり、それと同時にディアスポラ的洗練を持っている。それは純粋芸術の様なもので、大衆芸術的なアプローチをする類のジャズとはまったく違っているように思う。
でも、同じものは弾けない。
フリーインプロビゼーションが素晴らしいのは、形式がないこと。
形が決まっていない、ルールがない、ということは、先代の奏者達の影にとらわれることがない。ただ、例えば私がメアリー・ルーのピアノがとても好きで、そのエレメントを自分の音楽の中に表現したいと思えば、音楽理論を超えたもっと空間的な部分でそれは表現できると思う。
今回演奏したインプロビゼーションのテーマにした曲は「島原の子守唄」と「りんご追分」。
興味をひかれたのはこの二つの曲の起源をたどっていくと、両方に娼婦の存在があることだ。島原の子守唄はモチーフのなかに「からゆきさん」という異国の娼館で働いた娘達のことが描かれているし、「追分」という民謡が伝わった背景にも、「飯盛り女」と呼ばれた私娼達が居たようだ。
ビリーホリデイのことが頭に浮かぶけれど、、最悪な状況に置かれたとき人はブルースを唄った。ブルースは理論的にはメジャーコードの上でマイナースケールを弾くものであるけど、その二元的な性質がどこか、前にも書いたリチャード・プライヤーのことをビル・コズビーがあらわした、「悲劇と喜劇の間の限りなく薄い線」という言葉を思い出させる。
ブルースについて、それからブルースの中の女性性について、もっと深く考えてみることにする。
2013年3月20日水曜日
リチャード・プライヤーとボールドウィン
「リチャード・プライヤーは、悲劇と喜劇の間に可能な限り薄い線を描いた。」
ビル・コズビーはリチャード・プライヤーについてこう語ったといわれている。
最近になって初めて、1977年にNBCで放送され、たったの4シリーズで幻のように終わってしまったリチャード・プライヤー・ショー を見た。
社会を辛辣に風刺するひとつひとつの喜劇の中で、金儲け主義の教会の牧師、アメリカ初の黒人大統領、奇跡を起こすカルト的宗教の教祖などにプライヤーは扮している。
一時間程度の番組を見終わった後に、それは感じた事のない複雑な感情を私に抱かせた。
それは決してコメディを見終わったときに一般的に得る感情ではなくて、
哀しみと愉快さ、どしゃぶりの雨と晴天が全部混ざった様な、なんともいえない不思議な感情だった。
人間が何かに熱狂して我を忘れるということは興味深いもので、
その対象は俗世の辛さを忘れさせてくれる音楽かもしれないし、ただのめりこみ、信仰する以外にない何かの宗教かもしれない。
その熱狂という心理的状態が、時に人間を戦争へ駆り立て、また時には素晴らしくクリエイティブな芸術を創らせる。
そういう人間の性格そのものが、喜劇であり悲劇だ。
リチャード・プライヤーのことを考える時、自然とボールドウィンの世界を思い出す。
社会からの逸脱、疎外、孤独。怒り、愛、性、放蕩、生身の人間。
「俺もあなたのベイビーのひとりじゃないのか、マザーファッカー」と、神に対してつぶやくルーファス。
プライヤーとボールドウィンの世界観というのは、
人間の持つ性格の幾層の深みを丁寧に観察をし、且つその層の一枚一枚の色の違いを見分ける繊細さのある人間が作り出す類のものだと思う。
雨に降られてずぶ濡れになった人は、止まない雨に悪態をつきながらも、
自身の内面にある限界のない想像の世界のビビッドな色彩を深く愛するのだ。
音楽にこの感覚を呼び起こしたい。
と思う私は、
一見冷静に見えても、まったく冷静じゃないのかもしれない。
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