I believe -and am acting upon-Marshall Mcluhan's statement that we have through electronic technology produced an extension of our brains to the world formerly outside of us. To me that means that the disciplines, gradual and sudden (principally Oriental), formerly practiced by individuals to pacify their minds, bringing them into accord with ultimate reality, must now be practiced socially -that is, not just inside our heads, but outside of them, in the world, where our central nervous system effectively now is.
「電子テクノロジーは、本来私達の外側にあった世界へと、我々の脳を拡張した」、というマーシャル・マクルハンの理論を私は信じているし、その理論に基づいて行動をしている。それが何を意味するかというと、徐々にでも突然でも、もともと個人個人が平和的精神を得る為に行い、本質的な現実と一体になることを可能にしてきた修練というものが、今後は社会的に行われる必要があるということである。つまり、私達の頭の中だけでなく、我々の神経中枢が今では効果的に存在する頭の外側の世界でも、修練がなされなければならない。
John Cage -A Year From Monday
この文章の意味をしばらく考えてみる。
親愛なる蓮見さん、
返信削除テレビやラジオがなかった時代に個人間で平和化がなされるべく修練されたのに次いで、電子テクノロジーのもとで、テレビやラジオによるメディアの時代においては、遠隔の地の現実に触れてそれと調和的な関係に入るという修練がなされるに違いない、というだけのことをケージは言っているのではないのでしょうか?
そのことと、ケージが自分の曲「4分33秒」で、そういった電子テクノロジーメディアを巡る世界への向き合いとは別の世界への向き合いをメッセージしていることとの間には、接点が見出し難いということはありますが。