"Stop categorizing music"と、静かに言われた。
その頃は、私は50年代60年代の、所謂ハードボップと言われるジャズばかり聞いていて、
そういうものを弾きたいと思っていた。
Rebel Music。 反抗精神と社会的プロパガンダ。
あの、炎のような、狂った、ブルースとヘロインに育てられた音楽。
最近になって、後期のマイルスとか、Experimental, Alternative, Free Jazz, そういう風にdescribeされる音楽をよく聞くようになって、音楽の境界線の曖昧さについてよくわかるようになったような気がする。
Do you wanna be a 'Jazz Musician' or a 'Musician'?"と聞かれたのだった。
前の私だったらたぶん、間違いなくジャズミュージシャンって答えていたけど、
今は迷わず後者を選ぶ。
それは、私が音楽を弾く至高の目的は、「自由」だから。。。
ジャズミュージシャンになりたければ、そこである程度、キャリアを積む為のカリキュラムは決まっているんだ。
例えば、何万曲ある、スタンダードを覚えること、
頭の中で曲を転調してすぐに弾けること、
そしてジャムセッションに行く事?
でも、それはあまりにも何十年も繰り返されてきたクリシェであって、
形どおりに何かを再現することは、例えその再現にいくらかのオリジナリティー、自分らしさやクリエイティブさがあったとしても、完全に自分の世界を表現することはできないと思う。
自分の世界を何もないところから創り出すことは、自分の作曲または即興しているものを最大限の完成度の高さをもって演奏することでしかできないものだと私は思う。
そこで、ある程度、道を選ぶことになる。
私は、スタンダードの曲をただ綺麗に演奏するミュージシャンになりたいかと自問したら、絶対そうじゃないの。
もちろんスタンダードを弾くのはすごく好きだし楽しいのだけれど、
直観が私に伝えているのは、自分の奥底からでてくるものを伝達するのだということ。
私の持っている本当のアーティストリーの概念は、完全オリジナルであることだ。。。。
でも、作曲することがどれくらい骨の折れる作業かも、知りかけている。
ただ、書いたものは、ずっと愛おしい。
タイトルとコンセプトだけ、もう頭の中に存在している曲もいくつかある。
それが私のBrain Children。
ただ、今回は、この曲達をすべて、自分が満足できる完成度に仕上げて、曲の全体像がきちんとクリアになってから、表に出そうと思う。
それが今年中にできたらいい。
2010年4月9日金曜日
音楽と学校
音楽家達が学校に行って音楽を学ぶ必要性がもう無くなってきているように思う。
理論や歴史を学ぶことに価値はあるかもしれないけれど、
音楽学校では肝心の一番大切なところを教えてくれない。
それはクリエイティブであること。
音楽、芸術の新しい形を模索して発表していくことによって、人類の意識に貢献する。
人類の歴史の中で、時代背景や環境に影響されて、自分が芸術を模倣ではなく、真に創造することで、足跡を残す。statementを残す。
耳に簡単なポップスもそれはそれで素晴らしい価値があるけれど、
私達が「進化」する過程において、今まで聞いたこともない音楽を耳にすることで、閉ざされていた魂の扉のひとつが開かれることはあると思う。
そういう風に、人の感性に挑戦的なものは、アルケミストの音楽と言えるかもしれない。
私は子供に学校でピアノを教えている。
教本通りに教えることに教師の私がとまどっている。。
今はある程度のルールがある中で、自由に弾かせてあげることしかできない。
将来、子供達にimprovisationを教えることは、私のもうひとつの夢。
でも私自身がまだimprovisationについてよくわかっていない今の段階では準備ができていない。
でもいつか、是非やってみたい。
音楽家達は音楽の道を志して音大へと進学するけれども、
そこで理論などを学んでいざ卒業してしまうと、実際に音楽というものがいかに生業となりにくいかということに気づく。
自分としては、音楽で大学の学位をとっているという自負があるにもかかわらず、
実際の世界に出てみると、学位では演奏の仕事は取っていけない。
インターネットで音楽を買える時代になって、ますます、それは難しくなっている。
そこで彼らはアイデンティティークライシスに陥る。
音楽家としての自分。学位では食べていけない。
教師になってもいい。でもそれが必ずしも音楽家になる夢と並行するとは限らない。
私は、、、
食べていけるだけのお金があればいい。それと、欲しい楽器を買うお金。。
ただ、もうやりたくない音楽は弾かないことにした。
やりたい音楽を弾く。自分の魂から出てくる音楽を弾く。
それで、お金じゃない何かを、手に入れるために。魂のために。
理論や歴史を学ぶことに価値はあるかもしれないけれど、
音楽学校では肝心の一番大切なところを教えてくれない。
それはクリエイティブであること。
音楽、芸術の新しい形を模索して発表していくことによって、人類の意識に貢献する。
人類の歴史の中で、時代背景や環境に影響されて、自分が芸術を模倣ではなく、真に創造することで、足跡を残す。statementを残す。
耳に簡単なポップスもそれはそれで素晴らしい価値があるけれど、
私達が「進化」する過程において、今まで聞いたこともない音楽を耳にすることで、閉ざされていた魂の扉のひとつが開かれることはあると思う。
そういう風に、人の感性に挑戦的なものは、アルケミストの音楽と言えるかもしれない。
私は子供に学校でピアノを教えている。
教本通りに教えることに教師の私がとまどっている。。
今はある程度のルールがある中で、自由に弾かせてあげることしかできない。
将来、子供達にimprovisationを教えることは、私のもうひとつの夢。
でも私自身がまだimprovisationについてよくわかっていない今の段階では準備ができていない。
でもいつか、是非やってみたい。
音楽家達は音楽の道を志して音大へと進学するけれども、
そこで理論などを学んでいざ卒業してしまうと、実際に音楽というものがいかに生業となりにくいかということに気づく。
自分としては、音楽で大学の学位をとっているという自負があるにもかかわらず、
実際の世界に出てみると、学位では演奏の仕事は取っていけない。
インターネットで音楽を買える時代になって、ますます、それは難しくなっている。
そこで彼らはアイデンティティークライシスに陥る。
音楽家としての自分。学位では食べていけない。
教師になってもいい。でもそれが必ずしも音楽家になる夢と並行するとは限らない。
私は、、、
食べていけるだけのお金があればいい。それと、欲しい楽器を買うお金。。
ただ、もうやりたくない音楽は弾かないことにした。
やりたい音楽を弾く。自分の魂から出てくる音楽を弾く。
それで、お金じゃない何かを、手に入れるために。魂のために。
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