小さい頃から絵を描くことが好きで、画家になりたいと思った時もあった。
ピアノも好きだったけれど、自分が本当にいつでもやりたいと思うのは、絵を描くことだった気がする。
色彩というものに、魅了された子供だった。
それは、小学生の時に露草や朝顔などの花からつくった色水、夏に庭に咲き乱れた百合の花、
夜に咲いた月見草の群れ、空き地でおそるおそる眺めた彼岸花などの色彩のイメージだった。
近頃、対するスタンス、そして内容的なものも、私の音楽は、painting に近いものになりつつある。
フリー即興演奏を始めてから、限りなく感覚的な奏法を用いているため、コードを選んで弾く感覚、単音を散らしていく感覚というものが、絵の具をキャンバスに落とす作業の様に感じるようになった。
私が即興演奏によって表現したい世界観というのは、Emily Kngwarreyの描くアボリジナルアートの世界観である。earthyで、spiritual、そしてpeaceful。
木や花や人の様に、芸術作品というのは、ひとつとして同じものは存在せず、
それぞれに魂が宿っているもの。
不完全であったり、一見、不格好なものに、魂が宿っている。
そして、その一見不格好なものを、不格好で価値がない、と捉える価値観というのは、それだけの価値観である。
人が「不格好だ」と言って、ある対象を嘲笑する時、
嘲笑される対象は、時に、おそろしく洗練された見識眼で、その嘲笑という行為を受け入れる。
その対象が、自身の「不完全さ」という美を賛美する限り、嘲笑は風となって消え、
嘲笑する者達は、己の知らぬ間に、対象の美の存在感により圧倒される。
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