2015年8月17日月曜日

ブラジル、アマゾンの詩と歌(一)





チアゴ・チアゴ・ヂ・メロの音楽は、とても親しみやすい。
一度聞いたら、ずっと頭の中で響き続け、気づけば口ずさんでしまう種類の音楽だ。
そういったブラジル音楽特有の親密さのある一方で、リズムやメロディーには洗練されたディテールが散りばめられている。
カートゥラが書いてきた歌の様に、チアゴ・チアゴ・ヂ・メロの心地よいメロディーに乗せられた歌詞には、燃えるような力強さと物語がある。

チアゴ・ヂ・メロというアーティストは、私の知る限りでも全部で4人居る。
アマゾンの詩人で、素晴らしい作品を発表してきたアマドゥ・チアゴ・ヂ・メロ。
作曲家でマルチ・インストゥルメンタリストのガデンシオ ・チアゴ・ヂ・メロ。
実験的フォーク・ミュージックのシンガー、マンドゥカ・チアゴ・ヂ・メロ。
そして、シンガーソングライターのチアゴ・チアゴ・ヂ・メロだ。
詩人のアマドゥはチアゴ・チアゴの父であり、シンガーのマンドゥカは兄、作曲家のガデンシオは叔父にあたる。

先日、チアゴ・チアゴと話をする機会があった。
彼はとても誇らしげに父、アマドゥについて語った。
アマドゥ・チアゴ・ヂ・メロは、1926年に生まれ、パブロ・ネルーダを始め、チェ・ゲバラやフィデル・カストロなど、ラテンアメリカを代表するアーティスト、政治家と交流を持ち、制作活動を続けてきた。
そんな父を持ち、音楽家の兄と叔父を持つ彼は、このような活動の系譜を受け継いでいくことに情熱的だ。
 音楽家達の感性が豊かであり続けること、メディアを介したジャーナリズムだけに頼らないこと、
伝統的な楽器で新しい音楽を弾く、または、新しい楽器で伝統的な音楽を弾くこと、
そしてそこに、「story-telling ものがたりを伝える」という淡々とした深遠なる流れがあること。
チアゴは私達にそんなことを語った。

チアゴと、パンデイロ奏者のセルジオ・クラコウスキは、同じくブラジル音楽に新しい潮流を送り込むため、実験的な音楽を演奏する同志のミュージシャン達と共に、コレクチボ・シャマ(炎の集団)をたちあげた。
このコレクティブを結成した当初、
「今、手を繋いでひとつの『集団』にならないと、僕達はつぶされて消えてしまう。」という風に感じていたとチアゴは言った。
コレクティブを結成してから最初の三ヶ月、彼らはそれぞれの楽器を手にすることなく、まず互いの思想を交換するために話し合いを続けたという。
以下は、nprのコレクチボ・シャマについての記事より抜粋。

ブラジルの楽曲は、想像の世界を見事に表現する。
中でも、リオデジャネイロはそういった楽曲の宝庫と言っていい。
19世紀のマシーシェやショロに始まり、20世紀のサンバやボサノバに繋がっていった、リズムと深い叙情性の素晴らしい融合がリオにはある。
ブラジル人にとって、このような楽曲の数々は特に大きな意味を持っている。
ブラジルでは正式な教育が万人に開かれていないために、人気のある曲がある種の教育になることがあるのだ。

「ほとんどのブラジル人は、ソングライターの曲を聞いて、話し方、書き方、そして感じ方さえも学ぶんだ。」チアゴ・チアゴ・ヂ・メロは言う。
チアゴは、リオのソングライターの中でも新しい世代で、ブラジルの音楽について真剣に考えている。
チアゴは、アマゾンの詩人、アマドゥ・チアゴ・ヂ・メロの息子であり、
ブラジルの豊かな文学的伝統とサンバやフォホ、パゴヂの様なアフリカ的リズムを、ジャズ、ロック、エレクトロニカと融合させてきた。

チアゴと彼の仲間は、彼らの試みている新しいブラジル音楽の形を、「explorative-探求的なもの」と呼ぶ。
トム・ジョビンとジョアオ・ジルベルトがボサノバのムーヴメントを、
あるいは、カエタノ・ベローソとジルベルト・ジルがトロピカリアというムーヴメントを牽引し、音楽として発展してきた時の様に、
今の時点でこの「explorative」 という言葉を、うまく英語に訳すことは難しいかもしれないが、この言葉はブラジルのユートピア的系譜と野望を確実に思い起こさせる。




(npr jazz "In time for world cup, explorative new music from Brazil" by Tim Wilkins
http://www.npr.org/sections/ablogsupreme/2014/06/13/320978456/in-time-for-the-world-cup-explorative-new-music-from-brazil

ブラジル、アマゾンの詩と歌(二)




Estatutos Do Homemという、アマゾンの詩人、チアゴ・ヂ・メロの代表作の詩集を、息子であるチアゴ・チアゴ・ヂ・メロからもらったのは、夏も本格的になってきた7月の終わり頃だった。

丁度その頃、休暇のためにマーサズ・ヴィニヤード島に行く直前だった私は、
休暇中に読む本として、『ヤノマミ』(国分拓著)を選んだ。
ずっと昔に、古本屋で見た写真集の中で、ヤノマミの人々が川べりで蝶に囲まれて水浴びをしている写真に魅了されてから、ヤノマミという名前がずっと頭の中にあった。


その本を買って数日後に、チアゴ・チアゴ・ヂ・メロのライブを見に行った時、
チアゴは歌の中でヤノマミを始めとする様々な部族の名前をあげていた。
ポルトガル語だったので、ヤノマミだけは聞き取れたのだけど、それについて何を歌っていたのかは残念ながらわからない。
ライブの後に、「丁度ヤノマミに関する本を買ったところだった。」 という話をしたら、
彼はすごく喜んで、「友情の印に。」と言って、私の手首にアマゾンで作られたという木製の腕輪をはめてプレゼントしてくれた。

マーサズ・ヴィニヤード島についてからも、
ヤノマミやアマゾンのことが頭から離れず、気づけば私は島のネイティブ・アメリカンの歴史館へと足を運んでいた。
残念なことにヴィニヤード島に昔から暮らしていたワンパノアグ族の人々の数は劇的に少なく、ワンパノアグの血を受け継ぐ少数の人々が、ひっそりと集落に暮らしているくらいだ。
この美しい島に、文明化された側の人間として足を踏み入れる自分は、あるいは偽善的であるかもしれない。
だけどそれでも、私にはアメリカ大陸の先住民達のことを考えずにはいられない時がある。
静かな部屋で海の音を聴きながら『ヤノマミ』を読み、
私は ヤノマミの暮らし、人の純粋さ、文明と接しない決断、文明と接する決断、運命を思った。


詩人、チアゴ・ヂ・メロはブラジルにおいて軍事政権が台頭した60年代に投獄され、
国外に亡命した。亡命先のチリで、チリの代表的な詩人、パブロ・ネルーダと出会い、そこでこの詩を書いた。チアゴ・ヂ・メロは現在も、アマゾンの熱帯雨林と、アマゾンに暮らす先住民族の社会的権利を守るための活動を続けている。



 「人間の条項」 チアゴ・ヂ・メロ




第一条
重要なものは真実であり、
重要なものは命である。
我々は互いの手を取りあい、
命の意味について考えることをここに定める。


第二条
平日でも毎日が、
曇り空の火曜日でさえもが、
日曜日の朝になり得る権利を持つことをここに定める。


第三条
これから先ずっと、
すべての窓際にはひまわりがあり、
そのひまわりは日陰で咲く権利を持ち、
その窓は一日中、希望を育む新緑へと向かい開き続けることをここに定める。


第四条
人間は、人間をもう決して疑わないこと、
やしの木が風を信じる様に、
風が空気を信じる様に、
空気が空の青い拡がりを信じる様に、
人間は人間を信じることをここに定める。

 第一項 
 子供がまたひとりの子供を信じる様に、
 大人もまたひとりの大人を信じる。


第五条
人間は、偽りへの隷属から解放され、
誰一人として、沈黙の鎧をまとい、言葉の武器を使う必要はないこと、
人間が曇りのない瞳でテーブルの前に座れば、
デザートの前には、「真実」の皿が出されることをここに定める。


第六条
十世紀もの間、イザヤという預言者が夢に見た習わし、
すなわち、狼が子羊と同じ草原で草を食べる時、
彼らの食事は生命の春の味つけであることをここに定める。


第七条
正義と明瞭さの永続的統治は、撤回し得ない条としてここに定める。
よって、幸福は、人間の魂の中で永久にたなびく寛大な旗となる。


第八条
最上級の痛みとは、これまでも、そしてこれからも、
植物に花咲く奇跡を与えるのは水であると知りながら、
愛すべきひとに愛を与えられない無力さであることをここに定める。


第九条
毎日のパンには、人間の汗の商標が施されることをここに許可するが、
パンはいつでも温かく柔らかな味でいなければならない。 


第十条
すべての人間が、
人生のいかなる時においても、
日曜日用のベストを着用することをここに許可する。


第十一条
人間は、愛を知る動物であると定義し、
よって人間はいかなる夜明けの星よりも美しいということをここに定める。


第十二条
命令、禁止事項というものは存在せず、
サイと戯れることも、巨大なベゴニアの花を襟にさして午後の散歩をすることも、
すべてが許可されることをここに定める。

 第一項
 唯一の禁止事項は、
 愛しながら愛に不感であること。


第十三条
金で夜明けの太陽を買うことは金輪際不可能であり、
恐れの詰まった箱から放り出された時に金は友愛の剣となり、歌歌う権利を守護し、来たる日々を祝福するであろうことをここに定める。


最終条項
自由という言葉の使用をここに禁ずる。
自由という言葉はすべての辞書から、
そして当てにならない「口」というぬかるみからはじきだされる。
よって自由とは、
火、または川の様な、
小麦のひと粒の様な、
目に見えぬ生命体となり、
その帰り着く場所は必ず人間の心となる。



(Estatutos Do Homem by Thiago de Mello(1964) 訳:蓮見令麻)


2015年8月7日金曜日

TONY MALABY GROUP@ RYE


音楽とはイデアそのものであり、この世の中のさまざまな事象とは一線を画すもので、
それは宇宙の外側に理想的なかたちで存在し、「空間」ではなく「時間」のみによって理解される。
その結果として目的論的な仮説により侵食されることもない。
この根本的な音楽の品位は、非純粋的な聞き手が、その理想的でいて視覚的ではない音楽というものに形を与えようとする行為、また、聞き手自身が調度良いと感じる典型にイデアを当てはめるという行為によってねじまげられてしまう。
サミュエル・ベケット、プルースト論より


このような、ベケットの言葉を借りると、「根本的な音楽の品位をねじ曲げる」行為を、私達の多くが日常的に続けている。皮肉なことに、音楽について評論するような立場の者にとっては、
音楽に形や典型、または説明を見出そうとするという構えは、捨てきれない一種の性の様なものなのかもしれない。
私自身も例外に漏れず、 音楽をある大きさ、かたちの額縁に入れて鑑賞する趣きがあることを自覚している。
だがそれは、評論的な類の額縁ではなくて、「ものがたり」の額縁である。
音楽の演奏を目の前にして、音の波に呑まれながら、
私は多くの場合、演奏している人の背景に拡がる膨大な束のものがたりについての想像を膨らませる。
ものがたりの束、それ自体は、イデアとしての音楽的領域を侵すことはないけれども、
演奏する者が経験してきたものがたりは、その人の身体と記憶を通して音楽に色彩を加える。
俗世的なものが音楽にそうやって入り込んでしまえば、あるいはベケットはそれが未だイデアそのものであるとは言わないかもしれない。
圧倒的に純粋であるという魅力、そして同時に俗世的であるのという魅力、
音楽はそのふたつの顔を時と場合によって使い分け、私達を混乱させ、酔わせる。



ここ何日か、セシル・テイラーの音楽を聞き直すことに没頭していたこともあって、
この日のトニー・マラビー・グループの演奏を聴きながら、
私はフリージャズの潮流の中における、セシル・テイラーというひとつの分岐点、
特に、リズムをひとつの大きな母体として形作る、音楽の感触について考えた。
トニー・マラビーはテナーとソプラノを交互に吹いた。
時には聞こえないくらいの小さな音で、時にはこれ以上にないくらいワイルドな咆哮で。
ベースのアイヴァンド・オプスヴィックはくぐもった音のベースで、密度の高い音の粒をはじきだし、デイヴィッド・トロイトのドラムがエッジーな音で空間に裂け目を作った。
クリストファー・ホフマンのチェロは中音域に厚みをもたせたファンタジックな演奏。
ベン・ガースティンのトロンボーンは密林に住むけものの様に本能的だ。

グループの全員が、吹きすさぶ音の嵐の中で、ひとつの舟を沈没させない為に手綱にしているのは、
「感触」なのだろうと私は思う。
それは、メロディックな概念としての、音感よりも、音楽理論の理解よりも、
本能的、プリミティブな音楽の作り方だ。
ざらざらとしていて、掴みどころがない。
音楽は、ただそこにあり、呼吸をし、流れていく。

セシル・テイラーの素晴らしさとは、リミットがないことだと思う。
まず、「ピアノはこんな風に弾くものである。」 というリミットがない。
そして、「私はピアニストである。」というリミットもまたない。
セシル・テイラーは、詩を朗読していても、踊っているときも、同じ躍動で「演奏」している。

トニー・マラビー・グループの奏者達ひとりひとりは、一体これまでにどんな場面でセシル・テイラーの演奏を聞いて、
それについてどんな風に感じてきただろう。
こんな風に直観と衝動に突き動かされる演奏をすること、
そういう精神的な場所から新しいものを構築すること、
この奏法が、彼らにとって、そして彼らを取り巻く小さく、大きな世界にとっての「スタンダード」に 成り得つつあることをどんな風に思っているだろう。
その「スタンダード」の潮流の始まりの一端の、大きな部分を担ったテイラー。
異なった時間枠を通して延々と繋がっていく音楽家達。
セシル・テイラーから、ウィリアム・パーカーに。
ウィリアム・パーカーから、トニー・マラビーに。


ものがたりが、どこまでも、どこまでも続いていく。

2015年7月13日月曜日

追悼

20周年を迎えたヴィジョン・フェスティバルについて書こうと思ったけれど、

なんだか頭の中が空白で何も浮かんでこない。


プーさんのこの言葉が、鮮明によみがえる。

「俺達はすごくモダンなことをやってるんだ。」

その日に会った、見知らぬ誰かに親しく語りかける彼は、自分のグループのことを、嬉々としてこう説明していた。


この言葉を聞いた時、何かが体中を駆け抜けるような感覚が走った。

モダンという言葉には、ただ単に、今の時代、現代、という意味もあれば、
芸術の枠においては、 伝統的に受け継がれてきたやり方から脱却し、
より個人的、実験的な領域での感性に重きを置いた姿勢、という意味もある。

芸術的な未開の領域における勇敢な開拓者として、
誰もいまだかつて見たことのない領域の美しさを目のあたりにした者にしか、
あれだけ堂々と、 自分の作品はモダンだ、と言い切ることはできないだろうと思うのだ。


素晴らしい音楽の数々をありがとうございました。









2015年4月29日水曜日

REMA HASUMI "UTAZATA"




2013年に録音をしてからというもの、編集をゆっくりとしてきたもので、割と長い期間が経ってしまったけれど、いよいよ5月3日にリリースする。

この作品は、結論から言うと、コンセプト・アルバムという形になった。
日本の伝統音楽から、「東遊」、「筑前今様」、「御詠歌」、「竹田の子守唄」を取り上げ、それぞれのテーマをキャンバスにして、インプロビゼーションで抽象画を描いていく様に演奏したものだ。

正直に言って、自分が、最初の作品を創るにあたって、「日本風」のものを取り入れるという考えは、
初めは私の頭の中に微塵もなかった。
 録音の構想を始める前の数年間は、かなり深くアリス・コルトレーンの音楽にのめり込んでいたし、
60〜70年代のスピリチュアルジャズと呼ばれるようなものが好きで、ファラオ・サンダースやサンラなんかをよく聞いていた。
この時期私は、ダリウス・ジョーンズと一緒にアリス・コルトレーンの曲を演奏するコンサートを重ねていたのだけど、彼女の創りあげたコンポジションの持つ魅力へより深く潜り、彼女の音楽的軌跡を辿るうちに、音楽の独創性は自分自身の内側を見ることでしか得られないのだということをアリスに教えられた気がした。
同時に、女性特有の表現をしたいという気持ちも、メアリー・ルー・ウィリアムスやアミナ・クローディン・マイヤースを聴きながら日に日に私の内側で育っていた。

そういう感覚というのは、アメリカで、「ジャズ」という言葉でくくられる種類の音楽を演奏する経験の中で感じた強い違和感を発端にしたひとつの着地点であったと思う。
理論や格好良さを武器にしたものばかりではなく、抽象や「いびつ」さが中心になる世界観が表現されてもいいのではないかと感じていた。

インプロビゼーションという奏法の奥へ奥へと足を踏み入れる程に、
「自分ではないもの」を弾くことができなくなっていた。
私はジャズを弾きたくて今までやってきたけれど、だいたい、自分の表現は何を根幹としているだろうかという素朴な疑問に私はその頃ぶつかっていた。
その時に初めて、きちんと自分の生まれた場所の芸能と一度向き合ってみようと思い、
日本の芸能、女性史、土着文化、信仰を焦点とした様々な資料を読んだ。
そのひとつのまとめとして、日本芸能史に見る音楽と平和 を書いた。
そういった探索の中で、私は桃山晴衣の音楽と出会い、日本の唄の素晴らしさを知った。
同時に、西洋的な音楽の解釈や理論に呑み込まれて、非西洋的音楽が少しずつその姿を消していくことに恐ろしさを感じていたし、自分がそういう潮流に何も考えずに身をまかせてきたことにも落胆した。
その頃、同時に素晴らしい音楽家達との出会いもあった。
タイショーン・ソーリーの「公案」は特に、このアルバムを創るにあたっての大きなインスピレーションになっている。
初めて「公案」を聞いた時、そのミニマリズム、静謐さの中に同時に存在する緊張と緩和の絶妙なバランスに圧倒された。タイトルからも分かる様に、意図的に東洋的アプローチをした音楽であるように思えるが、そこには所謂オリエンタリズムと呼ばれる類のものとは一線を画す、洗練された「何か」があった。
「公案」でソーリーと共演しているギタリスト、トッド・ニューフェルドとベーシスト、トーマス・モーガンの演奏、そして彼らを経由して聴き始めた菊地雅章さんの音楽。
ジェン・シューの祭祀音楽、民族音楽をインプロビゼーションに持ち込んだパフォーマンス。
彼らはそれぞれに非常に個性的な音楽へのアプローチを持っていて、
このままあらゆるものすべてが一面化されていってしまうかもしれないという現代社会の本質的な脆さ、そこに一石を投じるインパクトを持つように感じられた。
彼らからの鼓舞、影響ははかり知れない。

このアルバムに私がつけたタイトルは『UTAZATA』といって、「女性芸能の源流(脇田晴子著)」という本の中で述べられている「歌沙汰」という表現から来ている。
今様狂いであった後白河院と今様唄いであった傀儡女たちの間で交わされた「正しい歌の旋律」を決める熱心な音楽談義の事をさす言葉として、著書の中では使われている。
この話を読んだ時に、ふと私が思ったのは、
そういう音楽談義というのは、「何がジャズで何がジャズではない」、とか、「誰々がジャズを弾くにふさわしく、誰々がふさわしくない」という話し合い、つまり「正しいジャズとは何か」という現代のディスカッションと割と似ているんじゃないだろうか、ということだった。

フリー・インプロビゼーションの手法を持って、平均律にとらわれない演奏を求め、切磋琢磨している音楽家のひとりであるからこそ、私は「正しい旋律」や「正しいジャズ」というテーマを持ったディスカッションに対して不条理的な見方をしている。
と、同時に、そういったテーマについて何時間も話しあえるというのは、ある意味では素晴らしく平和的、人間的行為だという称賛の思いも持っている。
この様なテーマのディスカッションを喚起する様な側面が、UTAZATAには少なからずあるんじゃないかと思う。そういう意味合いがアルバムタイトルに込められている。
「歌沙汰」という言葉は、音楽狂いの我々を、不条理と滑稽と愛着をもって俯瞰する。
先に述べたテーマに見る人間の「形状の継受」への執着と、
その反動としてのインプロビゼーションという対比は面白いし、私はその今その渦中にいる。


もしどこかの誰かがこのアルバムを聞いてくれた時に、
「どうして日本の歌をテーマにしたんだろう。」という疑問がきっと湧くと思ったので、
そういう時にこの文章にたどり着いて参考にしてくれたら、と思っている。


"UTAZATA" CD Release Concert
5/3 sunday
8pm @ ShapeShifter Lab

Rema Hasumi (piano/keyboard/vocal)
Todd Neufeld (guitar)
Thomas Morgan (bass)
Billy Mintz (drums)
Sergio Krakowski (pandeiro/adufo)
Ben Gerstein (trombone)


CD Available at Ruweh Records Website




2015年4月19日日曜日

MARIA FARANTOURI

音楽というのは、表面的にはひとつの文化的現象に過ぎないように見えることがあっても、
それぞれの異なった音楽が内側で主体としているものにはものすごいバリエーションがあると思う。
例えば、ひとつの社会的階級を象徴する音楽があって、その音楽は誰かにとっては城壁の様な役割をする。
あるいは、また別の音楽は、どこかの誰かにとっては、 過去を走馬灯の様に蘇らせるアルバムの様なものかもしれない。
また別の誰かにとっての音楽は、ただがむしゃらに踊って陶酔するための乗り物で、
その向こう側の誰かにとっては、音楽は恐怖である可能性すらある。


今晩、私はマリア・ファラントゥーリのステージを見た。
ギリシャの伝説的な歌手、政治家であり、文化活動家でもある彼女は、近年チャールズ・ロイドとも共演し、ECMからアルバムを出している。
彼女の、内側から響きわたる歌声の中に聞こえる力強さには、
例えばエリス・レジーナがAtras da Portaを歌った時の様な、聴く側の精神をかき回すざわざわとしたものが存在していた。
2時間半の長いステージの間、歌った曲の多くを、観客席の大半を占めていたギリシャ人達は一緒に口ずさんでいた。
後にわかるのだけれど、ファラントゥーリの存在というのは、
ギリシャという国とその人々にとってはただの音楽家以上のものであるようだった。
ファラントゥーリは、70年代頃から、ギリシャの代表的作曲家、ミキス・テオドロキスと共に活動し、
ギリシャの軍事政権に対しての批判的な姿勢をとって、音楽を制作し続け、国の民主化に貢献した。
テオドロキスはレジスタンスとして投獄され、彼の楽曲が国内で禁止されたことさえあった。

ファラントゥーリの歌は、ステージの上から歌われる歌ではなかった。
彼女は、ステージの横に、同じ高さに、すぐ隣にいるすべての人へ向けて歌を歌い、
観客と、そのこころにどこまでも寄り添っていた。

その当時の政治的状況の渦中では、音楽を純粋に音楽として楽しむという需要よりも、
より良い明日への希望を持ち、苦境を乗り込むための音楽という需要の方がずっと強かったのかもしれない。
そういった政治的背景、イデオロギーがあったにもかかわらず、
ファラントゥーリの歌は、とても率直に「歌」であり続け、人々はその歌を通して、
ノスタルジアや、苦境を乗り越えた者同士の団結を感じている様に見えた。
根源的な、人間の肉声、「歌」の持つパワー、そういうものを目の当たりにした日だった。







2015年4月17日金曜日

TOM RAINEY TRIO@ Clemente Soto Velez

クレメンテ・ソト・ヴェレズというプエルトリコの詩人がニューヨークに居た。
彼はプエルトリコで生まれ、文学者や詩人の有志と共に政治活動に参加し、
第二次大戦後にニューヨークへ渡り、逮捕、収監を経てなお政治活動、執筆活動を続けた。



 『孤独』         クレメンテ・ソト・ヴェレズ


飛ぶこと ただひとりで 
燃え上がる様な 想像の空の上を
飛びまわること

ただひとり
終わりのない
人生飛行を
創造すること

考えること ただひとりで
考えること
すべての創造的な力が集まればそうするように
ただひとり
ただひとり
ただひとり
光の中で振動する
手つかずの道理を求め
耳をすます




歌うこと
ただひとり
歌うこと
原子達が
行動する意志を歌うように
ただひとり
歌うこと
エネルギーの覚醒が伝えるように

孤独 ー孤独!

磁石の様な吸引力を持った雨雲
跳ね返してくる すべての生きる力の中でバランスをとる

孤独 ー孤独!
生命のこころ!


(訳:蓮見令麻)



かの詩人はこのような詩を書き、感銘を受けた同志達は、
のちに彼の名にちなんだ文化センターを設立した。
Arts For Artという団体がオーガナイズするこの文化センターでのパフォーマンス・シリーズに、詩の朗読やダンス、アート、という要素が必ず盛り込まれているのは、そんな歴史をこの建物が持っていることもひとつの理由だろう。

なかなか古いこの建物は、天井も高く、かなり響きの良い造りになっている。
今日はここでトム・レイニーのトリオを見た。
共演者は、レイニーのパートナーでもあるサックス奏者、イングリッド・ラウブロックと、ギタリスト、メアリー・ハルヴァーソンの二人。
トム・レイニーの演奏は以前何度か見たことはあったけれど、
今回は音響も良く、真正面から見ることができて、レイニーのドラミングの凄さをあらためて思い知った。
予測不可能な方向性、粗っぽいスティックさばきがはじき出すざらざらとした感触の音。
直線を走っているわけではないのにずっと存在する疾走感。
トム・レイニーの音は、アメリカの荒野を突っ切る風や空気を思わせる。
イングリッドの吹くテナーの、風の抜けるような美しく素朴な音がそのまわりを浮遊し、
メアリー・ハルヴァーソンの規則的なカッティングやエフェクトを多様した様々な音の羅列は、
少しぎこちなさを残しながらも、ひとつの世界観を作り上げていた。
なんというか、非常に個人主義的な即興演奏だと私には感じられた。
もちろん、良い意味で。
3人とも、自分の世界、自分の音のいく道をまっすぐにどんどん進んでいく。
私はこっちにいく。あなたはそっちにいく。それでいい。
もしどこか向こうの方で、また顔を合わせるかもしれないし、それもいいね。

そんな雰囲気だった。
そういうやり方は、私にとってはあるいは新鮮なもので、
それくらいお互いが自由にやっていて、心地が良い、それでもなんとなくまとまる、というのは素敵なことだなと思った。

荒野のまっただなかに、ただひとりでいること。
それでも、どん、と構えていられる、
そういう演奏者でいれたら。