ただ、彼がフリーな演奏に関わった形跡は、私の知る限りはほとんどないように思う。
真っ白なキャンバスに自由に絵を描くよりも、すでにかたどられたものに色彩を加えていくことに長けたタイプの演奏家のひとりかもしれない。今回はそんなロン・カーターの話に耳を傾けてみたい。
引き続きアーサー・テイラーによるインタビューから。
「電子楽器が演奏に使われることに関してどう思いますか?」というテイラーの質問に対して。
音楽は巡りつづけるもので、またスイングに立ち返るはずです。
今は色んなバンドがロックの道を模索してあてどもなく彷徨っているけれど。
私は、「フリーダム」 が流行りだす約一年ほど前にニューヨークに来ました。
その頃と同じ音楽を弾いていて未だにやっていけているバンドがどれくらいいるか数えてみると、
その数の少なさにきっと驚きますよ。
そのひとりはアーチー・シェップで、もうひとりはオーネットだけど、彼はあまりにも不規則にライブをするものだから、数には入りませんね。
彼はもう一週間のうちに6日間はギグをやるようなやり方をしなくなりました。
フリーダムが始まった頃からやっていて、今もそれを続けることができている音楽家っていうのはこの二人くらいしか思いつきません。
フリーダムをやったバンド達は、ニューヨークだけでも1000枚ほどのレコードを出したかもしれませんが、もう流行らないから棚の上に置きっぱなしのものが沢山あるでしょうね。
今あるのは、1953年から55年のビバップ、63年から65年のマイルス、69年のビートルズなんかのロック、そしてオーネットのアヴァンギャルドぐらいでしょう。
アヴァンギャルドはゆっくりと消滅しつつあります。
その痕跡、確実な痕跡は歴史に残るはずですが、アヴァンギャルドが始まった頃に比べると、こういうものを弾く奏者の数が圧倒的に減りました。
今でもフリーを弾いているミュージシャン達の仕事はどんどん減っています。オーディエンスはこれまで我慢してそういうのを聞いてきましたが、もう潮時でしょう。
オーディエンスの人たちは、ライブの後家に帰ってからこう言いたいんですよ。
「(ライブの時の)あのフレーズを思い出せるぞ。」 って。
ものすごく耳が長けたリスナーであるか、あるいはライブの出来がものすごく良くない限り、
慣れていない人にとってはフリーダムはなかなか理解し難いものなんですよ。
ビバップやスイングのフィールを知らない奏者がフリーダムを弾いたって、それはただ単に頭から出てくるものをそのまま垂れ流してるだけです。
もっと音楽的な経験を積んだ人より自由になることはできないと思います。
でもフリーに反対しているわけじゃありません。私だって時にはフリーの演奏をします。
だけど私はフリーダムをもっと理論的に演奏します。
もともとある音楽的知識、そこから構築できるものがあるからです。
最近では、完全なるフリーダムを聞くためには、10歳や12歳そこらの子供が弾く演奏を聞きたいという人さえ居ます。(オーネットのことだろうか?)
だけど、そんな限界的な次元でどうして自由になんてなれると思うのでしょうか?
まるで、「この部屋をどんな色に塗ってもいいけれど、この部屋から出てはいけません。」と言っているようなものです。そうするとあなたの手にする自由は、その部屋のみでしか行使されないということです。どれだけでもフリーに演奏すべきだと思いますが、ただその演奏内容のどこかは、あなたの持つ音楽的背景につながっている必要があるのです。
でなければ、隅っこに自分を追いやってしまうことになります。
もし私に選択の余地があるのなら、私はいつでもスイングすることを選びます。
音楽史の中で、フリーダムにはきちんとその居場所があります。ブラック・パワーや、ゲフィルテ・フィッシュや、ピザや、冬場の帽子とコートなんかと同じくらいに確実な居場所が。
あなたの音楽に対する姿勢がどんなものかによります。
もし瞬間的に、音楽への姿勢を変えることができるのなら、それは素晴らしいことです。
ドラマーの中にもスイングできない人は居るし、 フリーダムを弾くベーシストでコード・チェンジを弾けない人も居る。そんなベーシストにF7のコードを弾いてと言っても、弾けないんです。
コード進行の複雑な曲の譜面なんかあげても、その譜面通りには全然弾けないということです。
そういった場合に、彼らの言うところの「音楽的創造性」を表現するためには、結局なんらかの形でフリーを弾くしかないという状況になっているわけです。
フリーダムは彼らにとっては妥当なものかもしれないが、それはひとつの逃げ道のようにも見えます。
彼らが音楽的にやれることはそれしかないんです。
マイルス・デイヴィス・クインテットが演奏した1955年のビバップはフリーでしたよ。
一小節のコードを二小節のものにしたり。決めごとをしても、変化が必要だと思えば、自由に変えていました。「なんだ今のは?」なんて言って止めたりしませんでした。
<中略>
ひとつ気づいたことがあるのですが、ジャズの中で大きな変化が起こると、そのすぐ後に必ずと言っていいほど他の様々なものにも変化が訪れるのです。例えば絵画、彫刻や建築において。
驚くぐらいにいつもそうです。
フリーダム・ミュージックが私にとって意味するのは、若い世代のミュージシャン達が主流派に対して飽きてしまっているということです。その主流派、体制というのは、コード進行と32小節のフォームです。過激派の学生達は、フリーダムのジャズ・ミュージシャンのようなもので、ひとつの曲を弾くために、たくさんのスタンダード曲を素通りしていきます。
彼らは9小節のフレーズを弾いて満足していたいのです。
学生が、学校に行きたくないといって一週間欠席しても、テストで合格点をとる限り、退学にはならないのと一緒です。
1959年、オーネット・コールマンがニューヨークに来たとき、彼は社会的変化を音楽を通して予言しました。チャーリー・パーカーの時もそうでした。ディキシーランド、ルイ・アームストロングのスタイルもまた、奴隷制度からの解放を求める黒人の動きを象徴したのです。
今回もなかなか辛辣な意見だ。最後の方はなんだか支離滅裂だが、ロン・カーターの述べていることの中には、確かに、とうなずける部分もあれば、随分と保守的だと感じる部分もあった。
このシリーズでは、ジャズ・ミュージシャンには必読とされているアーサー・テイラーの著書、Notes and Tonesを参考に、ランディ・ウェストン、フィリー・ジョー、アート・ブレイキー、ロン・カーターのフリーダム・ミュージックに関する考えをまとめてきたけれども、どのインタビューにおいても一貫していたのは彼らがフリーダム・ミュージックに対してあまり良いイメージを持っていないということだった。
これは、インタビューが行われた1968年から1972年の間の音楽家達の考えの一般的傾向だったのか、それとも著者であるアーサー・テイラーの個人的な見解が反映された結果なのかは分かりかねる。 もしかすると、彼らの言う「フリーダム・ミュージック」のくくりは、我々が今日理解している「フリー・ジャズ」とまた少し違うものである可能性もなきにしもあらずだ。
オーネットやアイラーについての言及はあるものの、セシル・テイラーの名前が出てこないことも少し不思議ではある。
今年春にウィットニー・ミュージアムで行われたセシル・テイラーのレジデンシーでは、彼はひとりの偉大なる「アーティスト」として大々的に紹介され、 歴代のレコード、そして楽譜にポスターが会場一面に展示されたのに加えて、コンサートでは熱狂的なファンに迎えられ、次の日には各新聞の芸術欄にこぞってレビューが載った。現在生きているジャズ・ミュージシャンの中で、この様に「美術館」で「アーティスト」として取り上げられる人はいるだろうか、と考えてみたが、なかなか思いつかない。
セシル・テイラーはそれぐらいに稀有な才能であって、そんなアーティストを生んだフリー・ジャズというムーヴメントが現代のジャズ・シーンにも及ぼしている影響を考えると、私は前述のインタビューの内容に関してどうしても首をひねってしまうところがある。
ただ、彼らの話している内容は、フリーの演奏を試みる誰もがある程度は心にとめておく必要があることでもあると思う。インプロビゼーションにおいて、イディオムを用いるのか、用いないのか。イディオムを用いない場合、それは音楽における「反体制」的な立場として敢えて自らをイディオムから切り離すのか。では逆に、イディオムを用いる場合、そこから得られる音楽的効果とはなんだろうか?
そんなことをここから少しずつ考えていきたいと思う。
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