2013年10月1日火曜日

桃山晴衣とその素晴らしき世界

この頃は、桃山晴衣というひとの音楽を聞いている。
三味線を弾きながら唄をうたう彼女の音楽からは、古謡という枠組みに縛られないラディカルさ、自由さ、そして拡がりを感じる。



民謡や演歌を聞く層も限られて、大衆受けのする商業音楽が流行る最中、日本に古くからある音楽を模索し、日本各地を流浪して生きる唄を創りつづけた。
稀有な才能を持つ彼女の選んだ道は、伝統を継承しながらも打破し、歴史という時間の作り出したひとつの文化の形に身を浸しながら、その文化体系の海原の深く深くへもぐりこみ、そのまま自身が芸術と一体化した、そのような印象を受けずにはいられない。そしてその専心の様を私は少なからず自分に重ね合わせている。

 私にとっては即興演奏は自由という観念を体現できる媒体である。

今の世の中を見ていると、強力な力を持して戦争と資本を操る支配層があり、
プロレタリアートは左右に立つ同じ境遇の人を見て安心するのだ。
テレビの画面を通じて見るニュースは遥か彼方で起こる物語で、いざそのドラマティックな展開が自分の隣町で起こっても、大衆はポップコーンを片手にして、スクリーンを眺めつづけるだけかもしれない。

そんなとち狂った状態の世界にいるからこそ、私たち音楽家は演奏することを選ぶのだ。
 お金や保証のために東西南北奔走しても得られない、精神の自由を音楽が私たちにくれる。
 桃山晴衣から私が学ぶことは、
大衆の仲間意識から生まれる思考なき嗜好という壁を恐れないということ。
メディアの囃し立てるそういった大衆意識は資本主義社会の大好物である。

人間が精神から体まで人間らしく暮らすために、、、、
自然との共存繁栄は不可欠だ。
そういった意識を反映する私の音楽もまた自然主義的な響きになっていくだろうと思う。
 

創作する側の私達は、いかなる芸術的内省をえてしてもただの自己満足に終わらぬために、何度も自問を繰り替えさなければいけない。


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