2014年1月31日金曜日

アミナ・クローディン・マイヤーズ

気鋭のドラマー作曲家のタイショーン・ソーリーがアミナ・クローディン・マイヤーズに対話形式でインタビューするというなんだか凄いイベントに参加した。


アミナ・クローディン・マイヤーズの音楽を知ったのは本当にここ何年かのことで、
十分に彼女の音楽性を熟知しているとはとても言いきれないのだけれど、
彼女の作品の多岐にわたる内容は素晴らしく興味深い。
確かきっかけはフランク・ロウの「Exotic Heartbreak」というレコードだった。
それからしばらくして、プーさんが「The Circle of Time」を貸してくれてそれを聞いたりしていた。
タイショーン・ソーリーはというと、近年話題にもなったオブリークの様なジャズの曲を書く一方で素晴らしく緻密なクラシックの作曲もする人。モートン・フェルドマンやシュトックハウゼンという名前もよく話にでてくる、本当に多種多様な音楽を聞いている人だ。そういう意味で、このインタビューの組み合わせはとっても面白いと思った。


今日のインタビューでも話していたけれど、マイヤーズ氏はまずクラシックピアノから音楽を弾きはじめて、その後に教会でゴスペルをやったのだそうだ。
オルガンもすごかったり、歌も素晴らしいのは、そういうバックグラウンドから来ているみたいだ。しかし彼女が面白いのは、その後教師の仕事を探してたどり着いたシカゴで、
AACMに参加するということだ。彼女自身のアルバムは、割とリズム&ブルースやゴスペルの影響が強い曲が目立つものの、サイドマンとしてはヘンリー・スレッドギルやArt Ensemble of Chicago、厶ハル・エイブラハム・リチャードソンなどの錚々たるミュージシャンと共演しているところからも、彼女の多才さをうかがえる。

これは、シカゴの当時の先鋭ジャズシーンにマイヤーズ氏を紹介したその人、レスター・ボウイーとの共演。




当のマイヤーズ氏は、なんだかとてもお茶目で気さくで面白い、少女の様な人、という印象を受けた。色々な話をしていたけれど、中でも印象に残ったのは、
自分はシカゴに引っ越した当時も音楽家になろうとは思っていなかった。と言っていたこと。
それからまだジャズを弾き始めてまもない頃に、クラブでの演奏の仕事をもらったマイヤーズ氏がステージでやっとの思いでオルガンを弾いているところで、ジミー・スミスが客席に居るのを見て心臓が口から飛び出るかと思った、というエピソード。
その後ジミー・スミスから「はじまりとおわりはなんとかちゃんと出来ていたから良いと思う。」というなんともいえない励ましをもらったそうだ。

それにしても、いいね、声や表情が素敵で、魅力的な経験をしてきた人のお話を聞くっていうのは。

私は質疑応答で、ブルースについてどう思うか、という質問をしたかったのだけど、
勇気が出ず断念。。
次の機会があることを願おう。
とっても良い時間だった。













2014年1月26日日曜日

巫女と遊び

一、申楽、神代の始まりといふは、

天照大神、天の岩戸に籠り給ひし時、

天下常闇になりしに、八百萬の神達、天の香具山に集まり、

大神の御心をとらんとて、神楽を奏し、細男を初め給ふ。

中にも、天の鈿女の尊、進み出で給ひて、榊の枝に幣を附けて、 

聲を挙げ、火処焼き、踏み轟かし、神憑りすと、歌ひ、舞ひ、奏で給ふ。

その御ひそかに聞えければ、大神、岩戸を少し開き給ふ。

国土また明白たり。神達の御面、白かりけり。
 

その時の御遊び、申楽のはじめと、云々。


世阿弥
『風姿花伝』神儀篇 



日本の芸能の歴史を辿っていくと、その先にあるのはこの場面だ。
あめのうずめが半裸でこっけいな舞をし、神々は それを笑った。
この場面が本当に面白いと思うのは、この神話の一面に、性、死、高揚感(笑いという形の)が一挙に描かれていることである。

「遊び」という言葉は、その昔、死者の魂降り、鎮魂のため、「もがり」という儀礼を行った際の歌や舞のことを表した。

そこにはきっと、現代で言うイタコのように憑依されて踊るシャーマンの存在もあっただろうと思う。
生と死の境界線で、魂の導くままに音楽を奏し、舞う。
それはきっと、おそろしく、畏れ多き光景であり、古代人の精神性の核となるものであったに違いないと感じるのだ。

もがりにおける儀礼を隠喩したものが、この神話の一場面であるとすれば、
あめのうずめが性的な芸能の表現をしているのは、なぜであろうか?

中世において、巫女、くぐつめ、遊女などが、儀式を司る立場であり、
同時に性的な存在であると位置づけられているのはなぜだろうか?
性の神聖さ、というのを、私達現代人は見直す時かもしれない。
性が虐げられ、搾取される時代には、真の精神性は見出されないのではないか。

この巫女と中世芸能について今勉強しているのだけれど、
脇田晴子という人が本当に面白い本を書いている。
その序文から、こういった一節がある。

「女性史の問題としては、家内に包含される女性、そこからはじきだされる尼僧、娼婦・芸能者、その三者に分断され、鼎立して存在する女性のあり方を、「家」をユニットとして成り立つ社会構造のなかに位置づけることこそ肝要であると考えている。」


このテーマはこれからしばらく続く。
 

 



 
 

2014年1月22日水曜日

セシル・テイラーとメアリー・ルー・ウィリアムス

メアリー・ルー・ウィリアムスとセシル・テイラーが共演したライブ録音、Embracedというアルバムについて少し感想を書きたいと思う。


メアリー・ルー・ウィリアムスには私は多大な影響を受けているのだけれど、
それは当時本当に数えるほどしかいなかった女性ミュージシャンとして数々の偉業をおさめたことに加え、彼女の弾くピアノのオーセンティックな音色、そして彼女がジャズの歴史とともに進化し、ブギウギからフリーまで、あらゆる形の音楽を信念を持って演奏したことに帰する。

ただ、イメージとしてはメアリー・ルーの素晴らしさはやはり、ブルースのフィーリングにつきると思う。




シンプルで、女性的な柔らかさを表現しつつ、ブルースのフィーリング、ソウルフルなフィーリングを素晴らしく力強くまた表現する。まさに彼女にしかない音を持っていた、アメリカのジャズピアノの潮流の母体とでも呼ばれてしかるべき人だと私は思っている。


一方で、京都賞受賞が記憶に新しいセシル・テイラーはいうまでもなくフリージャズの先駆者の様な人で、言ってみればその時代の先端を突っ走ってきたミュージシャン。
エッジーで、そのハーモニーや音楽的構造を理解しようとする評論家がいれば、ただ、「Listen to THIS!!」と体当たりしてくるような裸の音楽を弾く。




この二人が共演することになった経過がメアリー・ルー・ウィリアムスによってライナーノーツに書かれている。
60年代に互いの演奏を見て、同じように衝撃を受け、
後に お互いがそれぞれのインスピレーションとなっていることを知り、一緒に演奏することを決めたのだそうだ。

テイラーの縦横無尽な音の羅列の中にこだまの様に聞こえるウィリアムスのオールドスクールなジャズやブルースの言葉達。
ふたりが共鳴したのも、わかる気がした。暖かさと情熱、それがすべてを繋げている。
2台のピアノと四本の手が奏でるだけの無数の音があるにも関わらず、不思議とすべての音が共生しているのだ。
これは是非、生でコンサートを鑑賞したかったと思った。
ジャズの壮大な歴史とそれを取り巻く嵐の様な様々な経験と感情を一斉に耳から受け取る、もはや儀式的な一枚、と私は思う。

「ジャズ」という言葉について、ウィリアムスはこう言っている。

『JAZZという差別的な呼び方が、このような素晴らしく精神的な音楽、魂にとっての癒しとなる音楽、につけられた。それぞれの年代のミュージシャン達が、この名前を変えようと努力したわ。20年代には私たちは自分達自身のことを「シンコペイター」と呼んだし、30年代にはこの音楽を「スイング」と呼んで、40年代には、「バップ」とか、「モダン・ミュージック」と呼んだ。徐々に私は呼び名のことにはこだわらずにただシンプルに音楽を弾こうと思うようになったの。
結局は、「芸術」という傘の下の、ひとつの表現の形なのだから。
私たちの魂にとって良いものなのだから、この音楽は、あらゆる場所で演奏され、聞かれるべき。学校、大学、ストリート、コンサートホールにクラブ、教会、ラジオ、テレビやレコード、そしてビリヤード場で。人々の手に届くところで音楽を弾ける場所ならばどこでも。』



今私たちがJAZZと呼んでいる音楽はなんだろう?
その精神は果たしてどこに、どのようにして存在しているだろう?
 私はまたしてもFrank LoweやAlbert Aylerが創り出した世界を、憧れ、こころの中で探し求めている。