2019年2月3日日曜日
ABIDING DAWN
去年の暮れから制作を開始したソロアルバム、『ABIDING DAWN』が完成した。
前回の記事から繋がる話なのだけれど、
子供を生んだのが2017年の夏。
それから2018年の暮れまで、両手で数えられるほどしかライブをしなかった。
環境の変化や親として全うしなければならない責任を考えると仕方ない。
とにかくアウトプットする機会も、外に出て他のミュージシャン達と交流する機会も圧倒的に減った。
そういう環境の中で何ができるかと考えた時に、
私に残されていた道は、自宅録音で音楽制作をすることだった。
うちではセッションやレコーディングをこれまでに100回以上は行ってきているから、
幸い、楽器も機材もそれなりに自宅スタジオに揃えてある。
パートナーでエンジニアリングもこなすトッドと話し合い、このアルバムを制作することに決めた。
自宅録音というアイディアを実行することになったのは、
やっぱりプーさんの影響が大きい。
晩年のプーさんは、自宅のピアノで膨大な量のソロピアノを録音して、
それを繰り返し大音量で聞いてはまた新しいものを録音するということを繰り返していた。
プロのレコーディング・スタジオで、よりすぐりの機材を使用して録ったものと違い、
自宅録音には、時に恐ろしいほど親密な、ある種の生々しさがあると思う。
『ABIDING DAWN』の録音で使用したピアノは、スタインウェイのモデルCというコンサートグランドピアノだ。
一生音楽をやっていくことを自分に約束するために、自宅用のグランドピアノを探し始めた頃、
プーさんにピアノのことを聞いたことがあった。
その時に話してくれたのはこんな内容だった。
モデルCなら、自宅の一部屋でも丁度良い大きさで響くし、モデルBやAなどの多少サイズが小さいものよりも低音がしっかりしている。
(彼の場合はロフトだったけれど、アメリカでピアノを置くような部屋は、ある程度の広さがあることが多い。)
それから、何ヶ月もかけてモデルCを探して、運命的に出会ったピアノを自宅に運び入れた。
そのピアノを今でも定期的に調律してくれているのは、
長年プーさんのピアノを調律してきたベテランの調律師だ。
彼は、スタインウェイピアノのことを知り尽くしている、とても謙虚で繊細な感覚を持った人で、
彼は確か父親もまたスタインウェイで働くピアノ職人だった人で、ピアノ工場で遊びながら育ったという生粋のピアノマンなのだ。
これまでにリリースした2作品ではできなかったこと、
ソロだからこそできる表現を試してみたいと思い、
KORGのアナログシンセサイザーをオーバーダブした楽曲や、ソロピアノ、朗読などを取り入れて、
ひとつのナラティブとして仕上げた。
このアルバムは、アリス・コルトレーン、アーサー・ラッセル、マタナ・ロバーツ、ムハル・リチャード・エイブラムスなどから受けた影響が強く出ていると思う。
実際に、アリス・コルトレーンに捧げる楽曲「monument eternal」も収録されている。
ちなみに、
このアルバムのイメージを頭の中に描いていた時に繰り返し浮かんできたのが、「夜明け」の情景だった。
子育てという気の遠くなるような時間、否応なく感じる疎外感や孤独、
そういったものが長い「夜」だとしたら、この音楽が「夜明け」を宣言してくれるのではないかという期待から「夜明け(Dawn)」という言葉を使おうと当初は思っていた。
だけど、考えれば考えるほどに、
私はある意味では、シンボルとしての太陽に対して大きな期待や愛着は感じておらず、
できることなら夜明けにずっと包まれていたいと感じていることに気づいた。
その不完全な美、暗闇と光の交差する場所、刹那的時間、静けさ、に惹かれる。
そういうわけで、このアルバムのタイトルは「永久的な(Abiding) 夜明け(Dawn)」 になった。
アルバムのリリースは3月1日。
東京・福岡のライブで先行発売するので、是非聞きに来て下さい。
2019/2/13(水) 公園通りクラシックス(東京)
蓮見令麻SOLO『COSMIC SOUNDSCAPE』
(piano/voice/pre-recorded synthesizer)
開場:19:30 / 開演: 20:00
予約:¥3,000 当日:¥3,500 学生:¥2,500
http://koendoriclassics.com/
2019/2/14(木) 神保町試聴室(東京)
蓮見令麻SOLO『文学x即興:サミュエル・ベケットの世界』
(piano/voice)
開場19:30 / 開演20:00
予約3,000円(1ドリンク、スナック込)※学生1000円引
http://shicho.org/
2019/2/20(水) NEW COMBO(福岡)
『蓮見令麻& 長沢哲SOLO+DUO』
蓮見令麻(piano/voice) / 長沢哲(drums)
開場19:00 / 開演20:00
予約:¥3,000 当日:¥3,500 学生:¥2,000
http://newcombo.sakura.ne.jp/
2019/3/9(土) 箱崎水族館(福岡)
蓮見令麻(piano) / 武井庸郎(drums) / アックス小野(bass)
19:30~
http://www.hakosui.net/
2019年1月28日月曜日
アーティストが母親になるとき
前回ここに書き物をしてから、随分と時間が経ってしまった。
2017年に出産した息子は今年6月で2歳になる。
妊娠・出産は、個人的には人生の中でまったく予期していなかった出来事で、それまでは目の前にある音楽を最優先事項としてきた暮らし方が180度方向転換することになった。
振り返れば、この2年はとにかく内側に向かい続ける時間の連続だった。
もともと内向的な性格の私は、1人で過ごすことが全く苦痛ではない。
どちらかといえば、黙々と、人知れず、何かに没頭する時間を大事にする方だ。
だからこそなおさら、
妊娠中には、歩き回るのも電車に乗るのも億劫になり、
子供が生まれたら、今度は子供の世話と仕事で忙しくなり、
音楽を人前で弾く回数も、人の演奏する音楽を見に行く回数も随分と減ってしまった。
これから先、少しずつ復帰していこうという所存ではあるけれども。
母親になるという、あまりにも陳腐であまりにも壮大な出来事に、
創作者としての自分が当たり前のように身に纏っていたデカダンスはいとも簡単に剥ぎ取られてしまった。
抽象的な感覚を音にすることは、その抽象的世界にある程度身を浸して生きるということだ。
おむつや哺乳瓶に翻弄されながら、そこに抽象的な美を見出すことは、不器用な私にはとてもできなかった。
アウトプットを出来ずにいる時間が徐々に増えて、
表現すべきものが自分の中にまだ棲息しているのかどうかさえ分からなくなった頃、
このまま私は「ただの母親」になるのだろうか、という恐怖に襲われるようになった。
それは恐怖でもあり、安堵でもあった。
私は、このまま「ただの母親」になってしまえば楽だろうに、と同時に感じていたのだ。
この瞬間に、私は初めて、自分の創作生活の終わる場所を目撃した。
チラリと見えたそのフィニッシュテープは、
地平線のかなたでゆらゆらと蜃気楼のように揺れているような気がした。
一方で、私が生み出した小さな人は、
何の躊躇も恐れもなく、朝から晩まで表現して、表現して、表現していた。
その圧倒的な求心力とよろこびは、私の浸りきっていたデカダンスとは真逆に位置するものであり、
私はその爆発的なエネルギーに、たじろぎ、憧れた。
時に一歩下がってその異質さを眺め、時に抱きしめてその率直さに寄りかかった。
そういうわけで、
物理的に時間が許すときでさえ、どんな表現が今の私にとって正直なのかわからず右往左往する始末だった。
こどもを生んで数年もしないうちに、
哺乳瓶やおむつがリュックサックや長靴やパズルや宿題やなんかに変化していく毎日の中で、
「自分の表現」を十分に出していくことができる人は、
きっとものすごく強い意志と行動力を持っている人なんだろうと思う。
私はまだ、バランスを上手く取りかねている。
こどもとの距離感も、音楽との距離感も。
息と止めて踏ん張って何かを必死に掻き集めて作り出すのはどこか違う気がする。
とりあえずは心のおもむくままに、「表現すべきもの」を眠らせ、走らせ、佇ませようかと思う。
そういえば、
私の中に棲む「表現すべきもの」の生態は、どこか「小さな人」の暮らしぶりに似ている。
2017年に出産した息子は今年6月で2歳になる。
妊娠・出産は、個人的には人生の中でまったく予期していなかった出来事で、それまでは目の前にある音楽を最優先事項としてきた暮らし方が180度方向転換することになった。
振り返れば、この2年はとにかく内側に向かい続ける時間の連続だった。
もともと内向的な性格の私は、1人で過ごすことが全く苦痛ではない。
どちらかといえば、黙々と、人知れず、何かに没頭する時間を大事にする方だ。
だからこそなおさら、
妊娠中には、歩き回るのも電車に乗るのも億劫になり、
子供が生まれたら、今度は子供の世話と仕事で忙しくなり、
音楽を人前で弾く回数も、人の演奏する音楽を見に行く回数も随分と減ってしまった。
これから先、少しずつ復帰していこうという所存ではあるけれども。
母親になるという、あまりにも陳腐であまりにも壮大な出来事に、
創作者としての自分が当たり前のように身に纏っていたデカダンスはいとも簡単に剥ぎ取られてしまった。
抽象的な感覚を音にすることは、その抽象的世界にある程度身を浸して生きるということだ。
おむつや哺乳瓶に翻弄されながら、そこに抽象的な美を見出すことは、不器用な私にはとてもできなかった。
アウトプットを出来ずにいる時間が徐々に増えて、
表現すべきものが自分の中にまだ棲息しているのかどうかさえ分からなくなった頃、
このまま私は「ただの母親」になるのだろうか、という恐怖に襲われるようになった。
それは恐怖でもあり、安堵でもあった。
私は、このまま「ただの母親」になってしまえば楽だろうに、と同時に感じていたのだ。
この瞬間に、私は初めて、自分の創作生活の終わる場所を目撃した。
チラリと見えたそのフィニッシュテープは、
地平線のかなたでゆらゆらと蜃気楼のように揺れているような気がした。
一方で、私が生み出した小さな人は、
何の躊躇も恐れもなく、朝から晩まで表現して、表現して、表現していた。
その圧倒的な求心力とよろこびは、私の浸りきっていたデカダンスとは真逆に位置するものであり、
私はその爆発的なエネルギーに、たじろぎ、憧れた。
時に一歩下がってその異質さを眺め、時に抱きしめてその率直さに寄りかかった。
そういうわけで、
物理的に時間が許すときでさえ、どんな表現が今の私にとって正直なのかわからず右往左往する始末だった。
こどもを生んで数年もしないうちに、
哺乳瓶やおむつがリュックサックや長靴やパズルや宿題やなんかに変化していく毎日の中で、
「自分の表現」を十分に出していくことができる人は、
きっとものすごく強い意志と行動力を持っている人なんだろうと思う。
私はまだ、バランスを上手く取りかねている。
こどもとの距離感も、音楽との距離感も。
息と止めて踏ん張って何かを必死に掻き集めて作り出すのはどこか違う気がする。
とりあえずは心のおもむくままに、「表現すべきもの」を眠らせ、走らせ、佇ませようかと思う。
そういえば、
私の中に棲む「表現すべきもの」の生態は、どこか「小さな人」の暮らしぶりに似ている。
2016年5月31日火曜日
フリーダム・ミュージック 第四回
ロン・カーターと言えば、その経歴の幅の広さは目が回るほどで、マイルス・デイビスをはじめとする錚々たるジャズ・ミュージシャンとの共演からエルメート・パスコワール、ロベルタ・フラックにトライブ・コールド・クエストとの共演まで、とにかくあらゆる種類の音楽を万能にこなしてきたベーシストだ。
ただ、彼がフリーな演奏に関わった形跡は、私の知る限りはほとんどないように思う。
真っ白なキャンバスに自由に絵を描くよりも、すでにかたどられたものに色彩を加えていくことに長けたタイプの演奏家のひとりかもしれない。今回はそんなロン・カーターの話に耳を傾けてみたい。
引き続きアーサー・テイラーによるインタビューから。
「電子楽器が演奏に使われることに関してどう思いますか?」というテイラーの質問に対して。
今回もなかなか辛辣な意見だ。最後の方はなんだか支離滅裂だが、ロン・カーターの述べていることの中には、確かに、とうなずける部分もあれば、随分と保守的だと感じる部分もあった。
このシリーズでは、ジャズ・ミュージシャンには必読とされているアーサー・テイラーの著書、Notes and Tonesを参考に、ランディ・ウェストン、フィリー・ジョー、アート・ブレイキー、ロン・カーターのフリーダム・ミュージックに関する考えをまとめてきたけれども、どのインタビューにおいても一貫していたのは彼らがフリーダム・ミュージックに対してあまり良いイメージを持っていないということだった。
これは、インタビューが行われた1968年から1972年の間の音楽家達の考えの一般的傾向だったのか、それとも著者であるアーサー・テイラーの個人的な見解が反映された結果なのかは分かりかねる。 もしかすると、彼らの言う「フリーダム・ミュージック」のくくりは、我々が今日理解している「フリー・ジャズ」とまた少し違うものである可能性もなきにしもあらずだ。
オーネットやアイラーについての言及はあるものの、セシル・テイラーの名前が出てこないことも少し不思議ではある。
今年春にウィットニー・ミュージアムで行われたセシル・テイラーのレジデンシーでは、彼はひとりの偉大なる「アーティスト」として大々的に紹介され、 歴代のレコード、そして楽譜にポスターが会場一面に展示されたのに加えて、コンサートでは熱狂的なファンに迎えられ、次の日には各新聞の芸術欄にこぞってレビューが載った。現在生きているジャズ・ミュージシャンの中で、この様に「美術館」で「アーティスト」として取り上げられる人はいるだろうか、と考えてみたが、なかなか思いつかない。
セシル・テイラーはそれぐらいに稀有な才能であって、そんなアーティストを生んだフリー・ジャズというムーヴメントが現代のジャズ・シーンにも及ぼしている影響を考えると、私は前述のインタビューの内容に関してどうしても首をひねってしまうところがある。
ただ、彼らの話している内容は、フリーの演奏を試みる誰もがある程度は心にとめておく必要があることでもあると思う。インプロビゼーションにおいて、イディオムを用いるのか、用いないのか。イディオムを用いない場合、それは音楽における「反体制」的な立場として敢えて自らをイディオムから切り離すのか。では逆に、イディオムを用いる場合、そこから得られる音楽的効果とはなんだろうか?
そんなことをここから少しずつ考えていきたいと思う。
ただ、彼がフリーな演奏に関わった形跡は、私の知る限りはほとんどないように思う。
真っ白なキャンバスに自由に絵を描くよりも、すでにかたどられたものに色彩を加えていくことに長けたタイプの演奏家のひとりかもしれない。今回はそんなロン・カーターの話に耳を傾けてみたい。
引き続きアーサー・テイラーによるインタビューから。
「電子楽器が演奏に使われることに関してどう思いますか?」というテイラーの質問に対して。
音楽は巡りつづけるもので、またスイングに立ち返るはずです。
今は色んなバンドがロックの道を模索してあてどもなく彷徨っているけれど。
私は、「フリーダム」 が流行りだす約一年ほど前にニューヨークに来ました。
その頃と同じ音楽を弾いていて未だにやっていけているバンドがどれくらいいるか数えてみると、
その数の少なさにきっと驚きますよ。
そのひとりはアーチー・シェップで、もうひとりはオーネットだけど、彼はあまりにも不規則にライブをするものだから、数には入りませんね。
彼はもう一週間のうちに6日間はギグをやるようなやり方をしなくなりました。
フリーダムが始まった頃からやっていて、今もそれを続けることができている音楽家っていうのはこの二人くらいしか思いつきません。
フリーダムをやったバンド達は、ニューヨークだけでも1000枚ほどのレコードを出したかもしれませんが、もう流行らないから棚の上に置きっぱなしのものが沢山あるでしょうね。
今あるのは、1953年から55年のビバップ、63年から65年のマイルス、69年のビートルズなんかのロック、そしてオーネットのアヴァンギャルドぐらいでしょう。
アヴァンギャルドはゆっくりと消滅しつつあります。
その痕跡、確実な痕跡は歴史に残るはずですが、アヴァンギャルドが始まった頃に比べると、こういうものを弾く奏者の数が圧倒的に減りました。
今でもフリーを弾いているミュージシャン達の仕事はどんどん減っています。オーディエンスはこれまで我慢してそういうのを聞いてきましたが、もう潮時でしょう。
オーディエンスの人たちは、ライブの後家に帰ってからこう言いたいんですよ。
「(ライブの時の)あのフレーズを思い出せるぞ。」 って。
ものすごく耳が長けたリスナーであるか、あるいはライブの出来がものすごく良くない限り、
慣れていない人にとってはフリーダムはなかなか理解し難いものなんですよ。
ビバップやスイングのフィールを知らない奏者がフリーダムを弾いたって、それはただ単に頭から出てくるものをそのまま垂れ流してるだけです。
もっと音楽的な経験を積んだ人より自由になることはできないと思います。
でもフリーに反対しているわけじゃありません。私だって時にはフリーの演奏をします。
だけど私はフリーダムをもっと理論的に演奏します。
もともとある音楽的知識、そこから構築できるものがあるからです。
最近では、完全なるフリーダムを聞くためには、10歳や12歳そこらの子供が弾く演奏を聞きたいという人さえ居ます。(オーネットのことだろうか?)
だけど、そんな限界的な次元でどうして自由になんてなれると思うのでしょうか?
まるで、「この部屋をどんな色に塗ってもいいけれど、この部屋から出てはいけません。」と言っているようなものです。そうするとあなたの手にする自由は、その部屋のみでしか行使されないということです。どれだけでもフリーに演奏すべきだと思いますが、ただその演奏内容のどこかは、あなたの持つ音楽的背景につながっている必要があるのです。
でなければ、隅っこに自分を追いやってしまうことになります。
もし私に選択の余地があるのなら、私はいつでもスイングすることを選びます。
音楽史の中で、フリーダムにはきちんとその居場所があります。ブラック・パワーや、ゲフィルテ・フィッシュや、ピザや、冬場の帽子とコートなんかと同じくらいに確実な居場所が。
あなたの音楽に対する姿勢がどんなものかによります。
もし瞬間的に、音楽への姿勢を変えることができるのなら、それは素晴らしいことです。
ドラマーの中にもスイングできない人は居るし、 フリーダムを弾くベーシストでコード・チェンジを弾けない人も居る。そんなベーシストにF7のコードを弾いてと言っても、弾けないんです。
コード進行の複雑な曲の譜面なんかあげても、その譜面通りには全然弾けないということです。
そういった場合に、彼らの言うところの「音楽的創造性」を表現するためには、結局なんらかの形でフリーを弾くしかないという状況になっているわけです。
フリーダムは彼らにとっては妥当なものかもしれないが、それはひとつの逃げ道のようにも見えます。
彼らが音楽的にやれることはそれしかないんです。
マイルス・デイヴィス・クインテットが演奏した1955年のビバップはフリーでしたよ。
一小節のコードを二小節のものにしたり。決めごとをしても、変化が必要だと思えば、自由に変えていました。「なんだ今のは?」なんて言って止めたりしませんでした。
<中略>
ひとつ気づいたことがあるのですが、ジャズの中で大きな変化が起こると、そのすぐ後に必ずと言っていいほど他の様々なものにも変化が訪れるのです。例えば絵画、彫刻や建築において。
驚くぐらいにいつもそうです。
フリーダム・ミュージックが私にとって意味するのは、若い世代のミュージシャン達が主流派に対して飽きてしまっているということです。その主流派、体制というのは、コード進行と32小節のフォームです。過激派の学生達は、フリーダムのジャズ・ミュージシャンのようなもので、ひとつの曲を弾くために、たくさんのスタンダード曲を素通りしていきます。
彼らは9小節のフレーズを弾いて満足していたいのです。
学生が、学校に行きたくないといって一週間欠席しても、テストで合格点をとる限り、退学にはならないのと一緒です。
1959年、オーネット・コールマンがニューヨークに来たとき、彼は社会的変化を音楽を通して予言しました。チャーリー・パーカーの時もそうでした。ディキシーランド、ルイ・アームストロングのスタイルもまた、奴隷制度からの解放を求める黒人の動きを象徴したのです。
今回もなかなか辛辣な意見だ。最後の方はなんだか支離滅裂だが、ロン・カーターの述べていることの中には、確かに、とうなずける部分もあれば、随分と保守的だと感じる部分もあった。
このシリーズでは、ジャズ・ミュージシャンには必読とされているアーサー・テイラーの著書、Notes and Tonesを参考に、ランディ・ウェストン、フィリー・ジョー、アート・ブレイキー、ロン・カーターのフリーダム・ミュージックに関する考えをまとめてきたけれども、どのインタビューにおいても一貫していたのは彼らがフリーダム・ミュージックに対してあまり良いイメージを持っていないということだった。
これは、インタビューが行われた1968年から1972年の間の音楽家達の考えの一般的傾向だったのか、それとも著者であるアーサー・テイラーの個人的な見解が反映された結果なのかは分かりかねる。 もしかすると、彼らの言う「フリーダム・ミュージック」のくくりは、我々が今日理解している「フリー・ジャズ」とまた少し違うものである可能性もなきにしもあらずだ。
オーネットやアイラーについての言及はあるものの、セシル・テイラーの名前が出てこないことも少し不思議ではある。
今年春にウィットニー・ミュージアムで行われたセシル・テイラーのレジデンシーでは、彼はひとりの偉大なる「アーティスト」として大々的に紹介され、 歴代のレコード、そして楽譜にポスターが会場一面に展示されたのに加えて、コンサートでは熱狂的なファンに迎えられ、次の日には各新聞の芸術欄にこぞってレビューが載った。現在生きているジャズ・ミュージシャンの中で、この様に「美術館」で「アーティスト」として取り上げられる人はいるだろうか、と考えてみたが、なかなか思いつかない。
セシル・テイラーはそれぐらいに稀有な才能であって、そんなアーティストを生んだフリー・ジャズというムーヴメントが現代のジャズ・シーンにも及ぼしている影響を考えると、私は前述のインタビューの内容に関してどうしても首をひねってしまうところがある。
ただ、彼らの話している内容は、フリーの演奏を試みる誰もがある程度は心にとめておく必要があることでもあると思う。インプロビゼーションにおいて、イディオムを用いるのか、用いないのか。イディオムを用いない場合、それは音楽における「反体制」的な立場として敢えて自らをイディオムから切り離すのか。では逆に、イディオムを用いる場合、そこから得られる音楽的効果とはなんだろうか?
そんなことをここから少しずつ考えていきたいと思う。
2016年3月21日月曜日
フリーダム・ミュージック 第三回
第三回目は、アート・ブレイキーのフリーダム・ミュージックに対するコメントに焦点をあてる。
言わずと知れたジャズ・メッセンジャーズを率いたブレイキーの経歴には、ジャズの歴史の中でも最も輝かしい時代を彩る奏者達の名前が並ぶ。マイルス・デイヴィス、チャーリー・パーカーにセロニアス・モンク。ビバップ、ハードバップの時代を牽引し、無数のレコードを後世に残したブレイキーだが、彼がフリーなアプローチの演奏に関わったことはほとんどなかったようだ。
アーサー・テイラーはこう質問している。
「アヴァンギャルドやフリーダム・ミュージックに関してはどのように感じていますか?」
ブレイキーがこのインタビューで話した内容は、あまりジャズ史の表面では語られない部分であるかもしれない。少なくとも、21世紀の今では。
インタビューは1971年の12月に行われた。
68年にキング牧師が暗殺され、公民権運動及びブラック・パンサー党の運動が激化した時代であることを考えると、ブレイキーの音楽における人種についての過激な発言も仕方ないのかもしれないと思えてくる。
フリーダム・ミュージックについてはブレイキー自身がまったく良いイメージを持っておらず、
さらに彼はそれが「白人的な」音楽で、黒人文化を破壊するためのある種の陰謀であるとすら考えていたことが伺える。それはあまりにも極端で保守的なスタンスであるが、同時にこのようなブレイキーのコメントは、とても生々しくリアリティーを持って私達にせまってくる。
ジャズという音楽がアカデミックになり、古典になり、品格のある文化になり変わった今では忘れがちなことだけれど、もともとこの音楽は売春宿で生まれた「ストリート」の音楽で、
アフリカン・アメリカンの人々がまだ今よりももっと抑圧されていた時代に彼らに希望を与えたアイデンティティのひとつでもあった。
ブレイキーはそんな「ストリート」の立場からジャズという音楽を見ていた。
現代ではブレイキーの様に「ジャズは我々の所有する音楽でアイデンティティであり、他人種には弾けないものだ。」というようなあからさまな表現をする音楽家はほとんどいないと思うが、
実際のところ、ある種のアメリカ音楽が黒人にしか作り得ないという意識を持つ人は少なからず居ると思う。ただ、それが意図的であるかないかにかかわらず、そのような意識を持つ層がいることによって、人種によって創造できる音楽が(主観的にも客観的にも)精神的に規制されてしまうというのはなんとも哀しいことではないかと私は思う。
同時に、そのような精神的な枠組みを音楽のまわりに作らざるをえない状況を作った社会があり、その枠組みを必死で守ろうとした人々が居たのに対して、その精神的な枠組みをすべて取り払って自由になろうとした人々が居て、その彼らがフリーダム・ミュージックという流れをつくりだしていったのではないだろうか。
出典:Notes and Tones Musician-to-Musician Interviews, Expanded Edition by Arthur Taylor (蓮見令麻訳)
言わずと知れたジャズ・メッセンジャーズを率いたブレイキーの経歴には、ジャズの歴史の中でも最も輝かしい時代を彩る奏者達の名前が並ぶ。マイルス・デイヴィス、チャーリー・パーカーにセロニアス・モンク。ビバップ、ハードバップの時代を牽引し、無数のレコードを後世に残したブレイキーだが、彼がフリーなアプローチの演奏に関わったことはほとんどなかったようだ。
アーサー・テイラーはこう質問している。
「アヴァンギャルドやフリーダム・ミュージックに関してはどのように感じていますか?」
理解できません。フリー・ジャズや、そんな類のものが聞こえてくると、そろそろ帰る時間だな、と思います。
フリーダム、自由は素晴らしいものだけれど、秩序のない自由はただのカオスですから。
何かに到達するためには、あるポイントを定めることが必要です。
どこに行くのか?すべてがカオスであればそこには何の意味もありません。方向性というものがなければ。あなたが伝えようとしていることを、人が理解できないのは良くありません。
普通の人間は、音楽を聞く時に頭を使おうなんて思いませんよ。辛辣な内容に、翻訳しながらいろいろな思いが交差した。
音楽というものは、毎日の生活でたまった埃を振り払ってくれるべきものです。
リスナーは、音楽家がやろうとしていることを頭を使って理解しようとはしません。
一日中頭を使っていろいろなことを理解しなければいけないのですから。
音楽を聴く時は、ただその音楽に別の世界に連れて行ってもらいたいのですよ。音楽はエンターテイメントなのです。
フリーダムをやっているミュージシャン達もいろいろいますが・・・
数年前に、レニー・トリスターノがそんなようなことをやっているのを聞きましたが、あれには方向性がきちんとありました。
最近よくある、みんなが同時にばっと演奏するようなものよりもずっと理解しやすかった。
あんなのは簡単にできる逃げだと思いますよ。
ああいう輩がロックンロールを馬鹿にするでしょう。そしてジャズのことも馬鹿にする。
チャーリー・パーカーのライブを聞いたことも、レコードを聞いたこともないような若い奴らが、チャーリーのことさえ馬鹿にする。単なる逃げです。
梯子の一番上から始めることなんて不可能なんです。きちんと下から登っていかないと。
基礎がないといけません。
音楽は生き続けています。チャーリー・パーカーがいて、それで最後なんかじゃないのです。
太陽が沈んで、しばらく真っ暗闇な期間があったとしても、突然に誰かが立ち上がり、太陽がまたのぼって、音楽における素晴らしいリーダーが現れるのです。
人々は、「バードは素晴らしかった。」と言って聞かないかもしれないけれど、新しいリーダーは否応なく現れる。注意深く、辺りを見回して耳をすませていれば必ず。
音楽は宗教の様なものです。
いつの時代にも、人より多く演奏し、人よりも度胸があって、人よりも多く表現することのある音楽家というのがいるのです。
だけどカオスからは何も生まれない。方向性というものがなければ、音楽は終わってしまいます。
アヴァンギャルドのミュージシャン達が、自分達は新しいことを発見していると思っているとすればそれは信じられないことです。
今演奏されていることの中で、これまでに演奏されたことのないものなんて存在しません。
少し違ったアプローチがあるかもしれないけれど、基本的には同じです。
窓の外を見て太陽があがっていることを確認して、「今は昼間です。」と得意になって言う人が何の称賛に値しますか?わかりきったことだと思いませんか?
太陽があがって、何かが起きて、何か画期的なことを発見した者だけが称賛を受けるに値するのです。バッハやベートーベンがそういう人達ですよ。彼らは自分達が何をしていたか理解していた。
それは彼らの領域での話です。黒人の音楽家である我々とは関係のない領域です。
我々の持っているのはスイングです。
白人の音楽家が「スイング」する唯一の方法は、ロープを使うことです。(注:ブランコ(英語でスイング)に乗ってればいい、という皮肉。)
スイングするのが我々の音楽的領域であって、我々はそこにとどまっていればいい。
ラテンの人々は彼らのやり方を貫いたし、アフリカの人々も彼らのやり方を貫いた。
なのに我々が、この世界でもっとも素晴らしいスイングというやり方を捨てる理由が一体どこにありますか?
ビートも何もない、ヤンヤン音がしてるだけのような変てこな音楽なんか・・
バッハやベートーベンのレコードを流してあげましょうか?凄くてひっくり返る様なものがありますよ。
彼らはあの音楽に精通している。 だけどあれは我々のものではない。
我々の持っているものは、スイングであって、それは恥ずかしがるようなことではないのです。誇りに思うべきものです。
我々は(ジャズを通して)色々な音楽的容れものに入ることができます。
ラテンの器、カリプソの器。 カリプソほどに素晴らしい器はこの世にありません。
ボサノバもあります。ボサノバは我々とも繋がっている。
我々は自身のアイデンティティを維持しなければならない。アイデンティティをなくしてしまうことこそが、奴らが求めていることなのですから。
我々が育むべき人材が育っていかないのは、若い才能がフリーダム・ミュージックのやり方に埋もれてしまって、「フリーで演奏するから勉強や練習はする必要がない」というような考え方に陥ってしまうからです。
近い将来、世代間で音楽家達が互いに乖離してしまうようなことが起こるでしょう。
さっき言ったような若い才能が、きちんと勉強しなかったことによって失われてしまう。
本当にそうなりますよ。
白人の若者達は、きちんと訓練されているから、彼らがそのうちに乗っ取ってしまうでしょう。
バンドに白人のミュージシャンを入れた奴らはそのうちに完全に乗っ取られてしまった。
我々にはスイングしかないのです。それが我々のアイデンティティです。
この国の黒人達がスイングというアイデンティティを失ってしまえば、それで奴らの画策はすべて成功したと言えるでしょう。そうならないことを神に祈ります。
<中略>
バードが言ってました。若いミュージシャン達には、ブルースの弾き方を学んで欲しいと。バード自身は少し表面をかじった程度だったから、と。
ブルースをきちんと習得することなしに、全部学びきったと思うなんてとんでもないことです。
本当にたくさんのやり方とアプローチがあって、それらを全部学ぶのにはすごく時間がかかるのです。
今の状況は本当に嘆かわしい。
けれど、変化は必ず訪れます。何かが起こるはずです。
誰かが何か素晴らしいものを持ってきて、これからはこういう方向性に向かうのだ、と導いてくれるはずです。そろそろ新しいリーダーシップが生まれてもいい頃ですし、私は本当にそう信じています。
今起こっていることは本当に忌々しいことだ。
この国の黒人のミュージシャン達は、協力して何かを成し遂げるというステージに達していません。
白人のミュージシャン達は協力するのが上手ですよ。もし頼めば、毎晩、年の始めから終わりまで、同じ演奏をしてくれるでしょう。協力的で、時間も厳守するし、エゴもありません。
彼らが何か素晴らしいことを成し遂げることがあれば、それは彼らに才能があるからではなくて、協調性があるから、ということにつきます。
私はこう思います。
神は、ソロモン王に対して、願うものはすべて与えられると教えました。
ソロモン王は長い間考えたすえに、自分の欲しいものは知識と英知だけであると言いました。
なぜなら知識と英知さえあれば、すべてのドアが開けられると思ったからです。
我々に必要なのもまた、協力し合うための知識と英知であり、そうして我々の前にもドアが開けるでしょう。何か世界に対して与えられるものを持っているのならば、道は開けるのです。
我々は社会的な理由で、協力し合うことがいままでできなかった。
黒人の若者達は落胆させられ、間違ったことを教えられてきました。
ひとりの人間が他の誰よりも金を持ちたがり、残りの我々には協力し合わなかったために何も残らなかった。
何年も時間が経ってからそんな間違いに気づくのです。気づいてからではもう遅いのです。
我々にできることは、若い世代が同じ間違いを犯さないためにドアを開けて導いてやることだけです。
ブレイキーがこのインタビューで話した内容は、あまりジャズ史の表面では語られない部分であるかもしれない。少なくとも、21世紀の今では。
インタビューは1971年の12月に行われた。
68年にキング牧師が暗殺され、公民権運動及びブラック・パンサー党の運動が激化した時代であることを考えると、ブレイキーの音楽における人種についての過激な発言も仕方ないのかもしれないと思えてくる。
フリーダム・ミュージックについてはブレイキー自身がまったく良いイメージを持っておらず、
さらに彼はそれが「白人的な」音楽で、黒人文化を破壊するためのある種の陰謀であるとすら考えていたことが伺える。それはあまりにも極端で保守的なスタンスであるが、同時にこのようなブレイキーのコメントは、とても生々しくリアリティーを持って私達にせまってくる。
ジャズという音楽がアカデミックになり、古典になり、品格のある文化になり変わった今では忘れがちなことだけれど、もともとこの音楽は売春宿で生まれた「ストリート」の音楽で、
アフリカン・アメリカンの人々がまだ今よりももっと抑圧されていた時代に彼らに希望を与えたアイデンティティのひとつでもあった。
ブレイキーはそんな「ストリート」の立場からジャズという音楽を見ていた。
現代ではブレイキーの様に「ジャズは我々の所有する音楽でアイデンティティであり、他人種には弾けないものだ。」というようなあからさまな表現をする音楽家はほとんどいないと思うが、
実際のところ、ある種のアメリカ音楽が黒人にしか作り得ないという意識を持つ人は少なからず居ると思う。ただ、それが意図的であるかないかにかかわらず、そのような意識を持つ層がいることによって、人種によって創造できる音楽が(主観的にも客観的にも)精神的に規制されてしまうというのはなんとも哀しいことではないかと私は思う。
同時に、そのような精神的な枠組みを音楽のまわりに作らざるをえない状況を作った社会があり、その枠組みを必死で守ろうとした人々が居たのに対して、その精神的な枠組みをすべて取り払って自由になろうとした人々が居て、その彼らがフリーダム・ミュージックという流れをつくりだしていったのではないだろうか。
出典:Notes and Tones Musician-to-Musician Interviews, Expanded Edition by Arthur Taylor (蓮見令麻訳)
2016年3月10日木曜日
フリーダム・ミュージック 第二回
引き続き、アーサー・テイラーによるインタビューからの抜粋で、
「フリーダム・ミュージックをどう思うか?」という問いに対するミュージシャン達の答えを集めていく。
第二回目はフィラデルフィア出身のドラマー、フィリー・ジョー・ジョーンズ。
マイルス・デイヴィスとの共演によってその名を世に知らしめたフィリー・ジョーだが、マイルス以外にもジョン・コルトレーン、ソニー・クラーク、ビル・エヴァンスやエルモ・ホープを始めとして、ジャズの歴史を形作った第一線のミュージシャン達と共演した彼の経歴は輝かしいものだ。
ざっとその経歴を見ていくと、彼の参加作品はほとんどが50年代終わりから60年代終わりにかけてのビバップにかなり忠実なタイプのものばかりだ。
その中で注目したいのが、1969年にフィリー・ジョーが参加したアーチー・シェップのリーダー作品、「Blasé」。この録音でフィリー・ジョーは、デイヴ・バレルやレスター・ボウイなど、かなり「フリー」な面々と共演している。ここでのアーチー・シェップの音楽はかなり作曲構成されてはいるものの、ビバップからはかけはなれているという点で、フィリー・ジョーがフリーダム・ミュージックの世界と交差した瞬間のひとつはあるいはこの録音に聞くことができるかもしれない。また、フィリー・ジョーは晩年近く(またはもっと早い時期から?)にサンラ・アーケストラとも共演していることも興味深い。
このインタビューは1969年の10月に行われた。丁度アーチー・シェップとのレコーディングをした年であるのも面白い。
「フリーダム・ミュージック」に対する、かなり辛辣な意見には、約半世紀たった今読んでも、フリーというコンセプトを通しての良い音楽作りを志すものとしては恐縮してしまう。彼は他人にも自分自身にも厳しい生き方をした人だったのかもしれない。
だからこそあそこまでドラムの腕前をあげることができたのだろう。
「フリー」な演奏をすることは何も今はじまったことではない、昔からみんなそうやって演奏してきた、と言っている点は、ランディ・ウェストンと同じだ。
私個人的に思うことは、「ひとの真似をせずに独自のやり方で前へ進む」ということに興味がある奏者にとっては、フリーの演奏にたどりつくことはとても自然なことなのではないか、ということ。
「フリーダム・ミュージック」とひとくくりにしても、ひとつの演奏の中で、どれくらいの割合が既に構成されたもので、どれくらいの割合が完全な即興なのか、その完全な即興の中で、どれほど既成のジャズ言語の中から汲み取った音楽的「語彙」を使うか、そういうものによって印象がかなり変わってくると思う。
音楽が「外側」に飛び出る瞬間に、そこに自由や快楽を見出すか、それとも混沌や心地悪さを見出すかは、かなり人によって受け止め方が違ってくるだろう。
出典:Notes and Tones Musician-to-Musician Interviews, Expanded Edition by Arthur Taylor (蓮見令麻訳)
「フリーダム・ミュージックをどう思うか?」という問いに対するミュージシャン達の答えを集めていく。
第二回目はフィラデルフィア出身のドラマー、フィリー・ジョー・ジョーンズ。
マイルス・デイヴィスとの共演によってその名を世に知らしめたフィリー・ジョーだが、マイルス以外にもジョン・コルトレーン、ソニー・クラーク、ビル・エヴァンスやエルモ・ホープを始めとして、ジャズの歴史を形作った第一線のミュージシャン達と共演した彼の経歴は輝かしいものだ。
ざっとその経歴を見ていくと、彼の参加作品はほとんどが50年代終わりから60年代終わりにかけてのビバップにかなり忠実なタイプのものばかりだ。
その中で注目したいのが、1969年にフィリー・ジョーが参加したアーチー・シェップのリーダー作品、「Blasé」。この録音でフィリー・ジョーは、デイヴ・バレルやレスター・ボウイなど、かなり「フリー」な面々と共演している。ここでのアーチー・シェップの音楽はかなり作曲構成されてはいるものの、ビバップからはかけはなれているという点で、フィリー・ジョーがフリーダム・ミュージックの世界と交差した瞬間のひとつはあるいはこの録音に聞くことができるかもしれない。また、フィリー・ジョーは晩年近く(またはもっと早い時期から?)にサンラ・アーケストラとも共演していることも興味深い。
「フリーダム・ミュージック」という言葉には私はなんの意味もないように感じます。
というのは、私はこれまでの人生の中でいつも「フリー」な演奏をしてきたからです。
自分の楽器についての深い理解がない限り、「フリーダム・ミュージック」を弾くことは不可能だと思います。
ひとつのとびらが開かれた、というただそれだけのことです。私がいわゆる「かばん持ち」と呼ぶ輩に対して、ジョン・コルトレーンはひとつのとびらを開いたのです。奴らはかばんの中に楽器を入れて持ち歩くでしょう?そうやって一年間ほどうろうろするわけです。そうしてすぐに、もしそのような機会があれば、つまり誰かがステージにあがっていいですよと声をかければ、嬉々としてステージに飛び上がり、自分の持つ楽器についての知識も何もないままにただ騒音を出すのです。
ジョン・コルトレーンは独自の演奏をやりました。彼は奇跡的に素晴らしく、熟練したミュージシャンです。 彼は勤勉で、本もよく読みました。
ジョンは最高のミュージシャンで、自身の楽器について、上から下まで知り尽くしていた。
上から下まで、と言ったけれど、それは、楽器のてっぺんの、そのさらに上から、一番下のさらに下の方まで、ということです。彼はどんどん飛び越えていくんです。
彼がやっていたことはとても美しかったし、同時に非常に良く構築されていた。
彼が動いて音を出すたびに、見ているこっちは、ジョンは例えサックスがさかさまであったとしても上手く弾けるんだろうと思わされました。
エリック・ドルフィーもそうです。ジョンやエリックは天才でした。
彼らは自分達が何をしでかすか、完全に知っていたのです。
己を知ることです。楽器は2年やそこらじゃあ習得できはしない。
私は27年ドラムを叩いてきているけれど、自分の満足いくほどに上達できていないんです。
あのトレーンさえも、自身の技術に満足できていなかった。それでも、彼は他のサックス奏者達を超越した演奏をしました。27年演奏してきた私が満足できていないのに、2年弾いただけの「かばん持ち」が果たして満足なんてできるでしょうか?そういう人に何年くらい楽器をやっているのか聞くと、大抵の場合は4年以下なんですよ。私はドラムを始めて4年目なんかはじたばたしていたものです。ステージにあがるなんてとてもじゃないけどできなかった。
4年目の頃は、ジョン・コルトレーンを聞いていました。彼は本当に美しい演奏をしていた。
その頃は、エディー・ロックジョウ・デイヴィスや、ベニー・ゴルソンがステージに立っていました。
我々はとてもじゃないけど彼らと張り合えなかった。フィラデルフィアで、年上のミュージシャン達が演奏するのを聞く毎日でした。
<中略>
フリーダム・ミュージックには沢山のファンが居るようだけど、彼らはほとんど音楽のコンセプトについて何も知らないんじゃないだろうか?そうでなければ説明がつきません。
サンラやファラオ・サンダースの場合には、ある種の全体性というものがあります。
ええ、彼らはあの類の音楽を正しく演奏していると思う。
サンラなんかは本当に素晴らしい音楽家です。彼のようにきちんと勉強した上でああいう弾き方をするミュージシャンの演奏は私は嫌いじゃない。あまりにも遠くへ行き過ぎるということがないからです。
かなり遠くに行くことはあっても、あまりにも遠くへ行きすぎてすべてが台無しになることは決してない。
サンラは、シカゴで何年もの間美しい演奏をしてきた人です。
彼は彼なりの「コズミック・ミュージック(宇宙の音楽)」を弾くと決めた。
彼の音楽は宇宙からおりてくるのです。それが彼の感覚なのです。
あのバンド(サンラ・アーケストラのことだろう)は本当に美しい演奏をします。
毎週月曜日にはニューヨークで猛練習していました。 バンドの誰しもが素晴らしかった。
パット・パトリック、ジョン・ギルモア、みんながです。
ジョン・ギルモアとは、二年間ほどストレートな音楽を一緒に演奏しました。
だから私には彼のコンセプトが何かわかります。一緒に仕事をし始める前にもシカゴで彼が演奏するのをよく見ていたし、サンラのバンドで演奏している彼を私が見つけてからも、彼はずっと素敵な演奏をしていました。
フリーダム・ミュージックは、それを演奏できる人だけが演奏するようにしたらいいと思います。
構成を開いて、フリーな演奏をするなんて、なんでもない。
楽器と混沌だけが存在する、たまにはそういうのもいいかなと私なんかは思います。
やってみる度胸はあっても、私がたまにフリーな演奏をしようとしても、なかなか統一性というものが得られません。単に手が導くところへ手を動かしている、という感じで。何をやってもいいわけですから。
そこには限界というものがありません。
ドラマーなんかは特に、フリーな演奏をしようとしても、楽器についての基本的な知識に欠けるために、ただ単に騒音を出すだけでつまづいてしまいます。
フリーダムというのは、ただ騒音を出すということじゃないと思いますよ。
前にも言った様に、みんなが「自由」に演奏してきたのです。
ソロをとる時には、どんな風に弾いたっていいのです。それは自由そのものじゃないですか?
音楽自体は変わっていません。みんな良い音楽が好きですから。
音楽は騒音とは違うのです。誰も騒音なんて聞きたくありません。
何か普通じゃない騒音が聞こえた時に、人は「なんだこの音は?」と言うでしょう?
フリーダム・ミュージックの中にはそれとほとんど変わらないものだってあるのです。
<中略>
それを「音楽」だと呼ぶミュージシャンもいるのです。
チャールス・ロイドがそんなことを言っていました。
ほとんどがジョン(コルトレーン)が探求していたものの中から切り取ったものなのに。
テナーを弾くミュージシャン達はこぞってジョンの真似をして、そこに何かを付け加えようとする。
だけどそういう奏者の演奏を聞いていると、ジョンの弾いたフレーズばかりが聞こえてくるわけです。
彼らはジョンのレコードを聞きながら練習しています。すぐにわかりますよ。
私自身もサックスをいくつか持っていますけど、彼らはそうやってステージにあがって、誰かの弾いたフレーズをそのまま弾くんです。自分自身を弾いていない。
チャールス・ロイドのレコードは二枚ほど持っていますが、彼の演奏の中でジョンのフレーズそのままのものがいくつもあって驚きました。
ジョンのようにただただ独自のやり方で前に進むことをしないで、みんな真似ばかりしている。
ジョンはいつも前に進み続けました。
そして、やろうとしていたことを完了できずに亡くなりました。
ミュージシャンの多くが、『クリフォード・ブラウンがもう少しだけ長く生きていれば、今でも彼の演奏を聞けたのに。』とか、『バードがもう少しだけ長く生きていれば・・・』だとか言っているのを聞きますが、そういうのはなんだか変な気がします。
だって彼らが今まで生きていたとして、あの頃と同じ演奏をしているとは限らないでしょう。
マイルスは今も演奏していて、クリフォードやバードのような位置にいます。ディジーもそうですし。
凝り固まってしまったり、後ろ向きになるのではなくて、前へ進もうとしているのです。
このインタビューは1969年の10月に行われた。丁度アーチー・シェップとのレコーディングをした年であるのも面白い。
「フリーダム・ミュージック」に対する、かなり辛辣な意見には、約半世紀たった今読んでも、フリーというコンセプトを通しての良い音楽作りを志すものとしては恐縮してしまう。彼は他人にも自分自身にも厳しい生き方をした人だったのかもしれない。
だからこそあそこまでドラムの腕前をあげることができたのだろう。
「フリー」な演奏をすることは何も今はじまったことではない、昔からみんなそうやって演奏してきた、と言っている点は、ランディ・ウェストンと同じだ。
私個人的に思うことは、「ひとの真似をせずに独自のやり方で前へ進む」ということに興味がある奏者にとっては、フリーの演奏にたどりつくことはとても自然なことなのではないか、ということ。
「フリーダム・ミュージック」とひとくくりにしても、ひとつの演奏の中で、どれくらいの割合が既に構成されたもので、どれくらいの割合が完全な即興なのか、その完全な即興の中で、どれほど既成のジャズ言語の中から汲み取った音楽的「語彙」を使うか、そういうものによって印象がかなり変わってくると思う。
音楽が「外側」に飛び出る瞬間に、そこに自由や快楽を見出すか、それとも混沌や心地悪さを見出すかは、かなり人によって受け止め方が違ってくるだろう。
出典:Notes and Tones Musician-to-Musician Interviews, Expanded Edition by Arthur Taylor (蓮見令麻訳)
2016年3月5日土曜日
フリーダム・ミュージック 第一回
音楽家による音楽家へのインタビュー。
副題にそう記されているのは、Notes and Tonesという、ドラマーのアーサー・テイラーによる多数のジャズ・ミュージシャンへのインタビューからなる本だ。
この本で紹介されているインタビューは60年代の終わりから70年代の初めにかけて行われた。
テイラーは、様々なミュージシャンに対していくつかの同じ質問を投げかける手法をとっているのだが、その中のひとつで私が最も興味を引かれたものがあった。
What do you think about freedom music?
「フリーダム・ミュージックについてどう思うか?」という質問である。
現在はフリー・ジャズと一般的に呼ばれているものを、彼らはフリーダム・ミュージックと呼ぶこともあったようだ。
オーネット・コールマンのThe Shape of Jazz to Comeが1959年に発表されてから、60年代初めにはセシル・テイラー、アルバート・アイラーやアート・アンサンブル・オブ・シカゴなどがいわゆるフリージャズを代表する作品群を次々に発表していった。
そんな時代背景の中で、「フリーダム・ミュージック」を痛烈に批判するミュージシャンも少なからず居た、ということを、私はこの本を読みながら初めて実感した。
そこで、自分自身の音楽に対するより深い理解のためにも、この質問の部分だけを切り取って、ミュージシャンごとの回答を訳し、紹介していきたいと思う。
第一回はランディ・ウェストン。
彼は「フリーダム・ミュージック」をどう思っていただろうか。
まず初めにこの種の音楽に対して私が感じることですが、白人のライター達によってそのイメージが形作られているということです。フリーダム・ミュージックの功績というのはいくつかあります。
ファイブ・スポットでの出来事ですが、私の真向かいで、その夜オーネット・コールマンが演奏していました。
すると、客席に座っていたレオナード・バーンスタインが突然飛び出してきてこう言ったのです。
これこそがジャズの歴史における最高の場面であり、バードなんかは居なかったに等しいと。
まあこのような場面に代表される色々なことです。
私は、音楽を分析したりということは理解できません。
そういうのって、結構荒々しいことだと思いませんか?
初めにオーネットを聞いた時、私は良いと思えなかったのですが、今では彼の音楽が本当に好きです。
まず初めに、この音楽は今現在何が起きているかということを如実に反映しています。
ただ、私にとっては、 このフリーダム・ミュージックと俗に言われる音楽が、他の音楽よりも自由であるとは特に思えないのです。
モンクは一音を弾くだけで、信じられないほどの自由をそこに創造することができました。
自由を創造するためには、そんなに沢山の音は必要ないのです。
ひとつの音だけで曲が作れることもあるのです。
私の考えはこれだけです。
ここ数年の間で、音楽を通して、または音楽以外の別の場所で反抗の意思表明をしてきたミュージシャン達を沢山見てきました。
平たく言えば、この「フリーダム」という概念は新しいものでも何もないのです。
ジェリー・ロール・モートンを聞いたとき私はひっくりかえるような思いをしたし、
ファッツ・ウォーラーが弾くものなんて、その辺のアヴァン・ギャルドの奴らが弾いてるものかそれ以上に「自由」です。
「フリーダム」というのは自然な発展のかたちです。(ジャズ史において、という意味だと捉える)
そこから何が始まるのかはわかりませんが、これからもっと多くのアフリカ音楽の影響も我々の音楽に反映されていくでしょう。
もうそれ(アフリカ音楽のジャズへの影響)は起こっていますが、アヴァンギャルドほどに広告宣伝がなされていないだけのことです。
私が聞いたアヴァンギャルドの多くは、初期のヨーロッパの現代音楽の様でした。
聞いた感じこの種の音楽を好きだと思えないので、それらの音楽家の名前をあげられる程の知識は今のところないですね。
追記:
ランディ・ウェストンはブルックリン生まれのアメリカ人で、丁度この頃(インタビューは1968年と1970年の二回にわたって行われた)にアフリカ・ツアーを果たしている。
彼は1954年に初のリーダー作を発表し、ミュージシャンとしての活動を本格的に始めて割とすぐにアフリカへの興味を持ったのかもしれない。
ウェストンの音楽遍歴の中で、最初に明確なアフリカというテーマを主張したのは、Uhuru Africa (Roulette, 1960)だと思われる。「アフリカの自由」と題されたこのアルバムをターニング・ポイントに、ウェストンはアフリカというテーマをジャズを通して表現するというライフワークに足を踏み入れたのではないだろうか。
そんなことも考えると、アフリカをテーマにしたジャズというものが、「フリーダム・ミュージック」ほどに陽の目を浴びていないことをウェストンがもどかしく感じていた様子が伺える。
私の個人的な観点からすると、ランディ・ウェストンのピアノにはかなりアヴァン・ギャルドな要素が入っているように感じていたので、彼自身が、(少なくとも60年代〜70年代当時は)「フリーダム・ミュージック」に対してそれほど興味を持っていなかったということに少し驚いた。
出典:Notes and Tones Musician-to-Musician Interviews, Expanded Edition by Arthur Taylor
(蓮見令麻訳)
2016年2月3日水曜日
自由即興における儀式の場:アルバート・アイラー
アルバート・アイラーの吹くブルースを聞いて、
この人の音は何が違うのだろうと長い間考えてみた。
媚びずに、寄り添っている。
目の前が真っ白になるくらいの最上の喜びと、
哀しみの層を通り過ぎた後の恍惚と、
エネルギーをただ一点に集めて涙と共に流れ続ける怒りと、
全部が一緒くたになって、
マイナーとメジャーの間を鈍い金色の音が行き来する度に、
私達はあらゆる感情を旅する。
即興演奏をするということは、
自分の選択肢を創造することだ。
自分の創造を信じて、選択肢を信じることだ。
そうするためには、自分に嘘はつけない。
即興の演奏は自分の中にあるものをすべて反映するから、
信頼できる選択肢を創造できる人間性を自分の内に育むことだ。
それは極めて内省的なプロセスであるにもかかわらず、
響く音を出すことのできる奏者は、外界とほぼ一体化している。
そして自分を取り巻く世界に対しての信頼がある。
つまるところは、自分に対してもまた、信頼がある。
しかしそのひとは、演奏において醜さも情けなさもすべてをさらけ出す宿命にあるので、
自身への圧倒的信頼が、ナルシシズムに成り下がることがない。
醜さも情けなさもすべてをさらけ出すということは、
人間が、「社会においてあるべき姿」という鎧を脱いで、哀しみや弱さへの受け皿を持つ「信仰」の泉へ飛び込む行為である。
そして、そのような類の演奏行為は、信仰と儀式の持つ感覚に非常に近いものを私達に与える。
伝統音楽が受けおってきた、世界の中の儀式的な場所はほとんど生き残っていないかもしれない。
伝統音楽における儀式にはカタルシスがあり、
カタルシスの体験は私達の膿を洗い流してくれる。
自由即興には、その儀式としての場を作る力がある。
2015年12月15日火曜日
MATANA ROBERTS "Coin Coin Chapter Three"
マタナ・ロバーツのコイン・コイン・チャプター・スリー:リヴァー・ラン・ディー(2015, Constellation Records)を聞いた。
古めかしく懐かしくも、未来的で真新しくも聞こえるこのアルバムは、あらゆる種類のフィールド・レコーディング、サックスのオーヴァーダブ、マタナ自身のヴォイス、ノイズ音などのコラージュからなるキャンバスに、ところどころ遠くで響く様な聞こえ方でサックスのソロが入り込んでくるという不思議な構成を持っている。
構築された「リズム」という側面がほとんどないことがひとつの特徴と言えるかもしれない。全体の基盤を形作るのはドローンの様な音で、その音はアルバム全体に大きなひとつの織り物のような、または音で描かれた絵画のようなイメージを与えている。
それぞれの音の奥行きと、グレゴリー聖歌のようなコーラスの残響には宗教音楽的なものも感じられた。
一方で、聞けば聞くほどに、これはある種のフォーク・ミュージックなのではないかという思いも浮かび上がる。
マタナのサックス演奏はブルースに満たされているし、ところどころに聞こえる子守唄の様な歌声や静かな話し声を聞いているとトニ・モリスンの物語の世界にトリップしたような感覚さえ覚える。
どこかに、フォーク・テイル(おとぎ話)の風情があるのだ。
もしかすると、この音楽を聞く人は、どこか恐ろしく、覗いてはいけないような気分にさせられる一方で、懐かしく暖かい気持ちにもなるという複雑な二重の感覚を経験するかもしれない。
クリストファー・スタックハウス氏によるマタナ・ロバーツへのインタビュー内容がとても興味深いのでBOMB Magazineの許可を得て、下記に訳文を掲載する。
創作における「純粋さ」の可能性、そしてAACMの潮流を受け継ぐ新世代のシカゴミュージシャンとしてのアプローチ、アメリカ黒人史における社会的変遷とアクティビズムからの影響などについてロバーツは話している。要約した箇所もあるので、気になる方は下記のリンクより英語での原文も読んでみてほしい。
スタックハウス(以下S):会話という手段が使われず、そこに音楽と音のみが存在する状況では、時代を経た物語はどのように表現され得るでしょうか?純粋な音そのものによって、先祖代々の歴史的な経験を包括し、明瞭化してそれを「現在」に持ち込むことは可能だと思いますか?パフォーマンスだけではなくて、音楽全般において、ということです。
ロバーツ(以下R):純粋な音がそういったものを反映できるかどうかはわかりませんが、抽象作品にはできると確信しています。私には歴史というものが様々な点で無意味なものに思えることがあります。私にとって歴史は直線的なものではありません。いつも円環的に繰り返すものです。
このトピックは私が今研究している音と伝統を使った作品制作において注目していることでもあります。
プロジェクト自体は直線的に進むように形作られているけれども、実はそうではない。直線的なやり方であれば、このソロ作品が最初に発表され、チャプター・ワンが次に、そしてチャプター・トゥーがその後にくるはずです。音によって伝達される感情の純粋さそのものが、聞く側を、そしてパフォーマーとしての私自身を明らかに導いてくれます。
音は感情を再生することができ、それにより「違い」と「苦難」のあらゆる境界線を超えることもできます。
音というのは、私の呼ぶ「経験の子宮」というものの中で様々なものを縫い合わせることもできます。私は、作品をライブで仕上げていく、または、ライブにおいて作品を作品足らしめるということに挑戦しています。完全であることは決してないのです。音楽家や、アーティストの参加者、そして目撃者としての参加者、皆をひとつに集めて、この経験の子宮を通過し、その音を見つけるというのは、私にとっては純粋さに立ち戻るということになります。このような種類の音の持つ純粋さが包括する感情が、私の試みの根幹にあるものに人々を引き寄せてくれるのです。
S:シカゴという街はあなたの音楽や性格、エトスに影響を与えていますね。あなたが育ったところは人種分離された街で、さらに興味深いのはその街が商業用の倉庫街としてハイチ系の黒人であったジャン・バプティスト・ドゥサブルによって作られたということです。シカゴは、深い意味でのアフロセントリズム(黒人中心主義)に根付いた沢山の音楽とアートを創りだしてきました。この街は黒人中心主義的な文化の生まれた場所であり、労働における政治運動や革命的思想の中心地でもあります。フレッド・ハンプトン(黒人社会運動家でブラックパンサー党の指導者)も、ここで政治的に成長し、そして暗殺されました。この街にハウス・ミュージックが育ち、ブルースが帰りつきました。あなたにとって、精神的な面で、そしてインテレクチュアルな面でシカゴはどのような影響を与えましたか?
現在もあなたの中にシカゴは存在していますか?
R:私のシカゴでの経験は色々な顔を持っています。私の家系の者の多くは、30年代、そして40年代にシカゴへ移ってきました。私の両親ともにシカゴ生まれですが、父は研究者で、私が10代の時にシカゴに戻る前まではニューヨーク州のイサカや、ノースカロライナのダーハムなどを転々としていました。 シカゴ独特の政治的な気風から出てきたアーティストとしてのプライドを私は持っています。
両親がその当時シカゴで運動が始まっていた黒人ユダヤ教に傾倒していた為に、私はマタナという名前をつけられました。マタナには、ヘブライ語でギフトという意味があります。私の兄もヘブライ語の名前をつけられました。だけど弟だけは、ほんの一時期だけ両親がネーション・オブ・イスラムに傾倒したためにアラビア語の名前を持っています。
私はこの時期の私の家族の物語が好きです。その後、私の両親は少しだけブラック・パンサーとも関わりを持ちました。彼らは若かったのです。母は18歳の時に私を産みました。私は両親がそうやってシカゴのアフリカ系アメリカ人にとっての重要な政治的変遷を渡り歩いていくのを目撃することができたのです。
私の祖父母そして総祖父母も、投票権と共同体の編成のための草の根運動を支援していました。
南部からシカゴへ移動してきた最初の世代として、シカゴのアフリカ系アメリカ人達には一種の自尊心というものが芽生えていました。
去年私はミシシッピ、ルイジアナ、テネシーなどの場所に旅をして、子供の頃に経験し、(シカゴの様な)中西部にはそぐわない様に思えたシニフィアンやコードについて初めて理解することができました。
ー中略ー
S:アミリ・バラカがブラック・アーツ・ムーヴメントに対して定義したところの黒人のラディカルな伝統という枠組みの中にあなたの音楽は含まれると思いますか?
R:どちらとも言えません。何故人々が私とブラック・アーツ・ムーヴメントを結び付けたがるのかに関して理解はできますが、私の作品はアメリカにおいてあらゆる境界線を跳躍するラディカルな経験に対する信条なのです。バラカを始めとする、最初の波に乗った沢山のアーティスト達の創造なしには、私の作品が生まれることはありませんでした。
私は最後の時まで彼らのようなアーティスト達と繋がりを持っていたいですが、それと同時に、私の作品を、ただの黒人歴史月間のためだけのものでなく、ある種の「アメリカらしさ」という感覚として理解して欲しいとも願っています。
私の作品が、黒人歴史月間以外においてとりあげられることがないとすれば、それは私にとっては受け入れがたいことです。アフリカ系アメリカ人のアーティスト達が、彼らの作品の多面性や複雑さを無視され、一箇所に追いやられてしまうというのが私は好きでありません。それはまるでオークションにかけられるようなものです。アメリカ史の早い時期に起きた出来事とだけ自分を関連付けて存在することは不可能です。そういう捉え方には精神的にとても疲れてしまうようになりました。
S:アメリカという国家を、アフリカ系アメリカ人の経験したことと切り離して考えることは不可能だと私は考えています。文化的にも、政治的にも、そして社会的にも、その経験こそがアメリカをひとつに束ね、革新的に現代的社会を作り上げたと思います。
私達の社会はこの黒人的、アフリカン・アメリカン的側面のおかげで、所謂「モダン」という定義を超える何かの最先端に位置することができています。
ここで審美的な話になりますが、文化的な偏見なしに、完全に客観的で、音そのもの以外の何物とも一切の関係を持たない、純粋な音というものは存在すると思いますか?
R: そうですね、おそらく、ある意味では。私はほとんどの自由時間を小さな舟の上で過ごしています。今は近くにある運河に浮かんだ舟に住んでいます。舟に乗っている時は、純粋さに包まれた音を経験することができます。でも仕事中に私が奏でる「純粋な音」というものは、アフリカン・アメリカンの経験との関連性へと繋がっていきます。私にとってこのような純粋さとは、歴史の持つ「痛み」という種類の音です。
その生々しさは、文化という枠組みを越え、人間らしさという枠組みの中へと入っていくのです。
それはあるいは矛盾であるかもしれません。モダニスト的な審美眼というレンズを通す時、そこからアメリカの歴史はどこかに押しやられてしまいます。そういうやり方にはリスペクトがないのではないでしょうか。モダニズムは、過去の信仰や宗教などを理解しようと努めてきました。しかしアメリカの歴史、中でもアフリカン・アメリカンの歴史は、忌々しい宗教的歴史を基盤としています。白人、男性的、父権的な宗教という基盤です。
私は、アメリカにおいて黒人で女性であることに対しての自分の感覚に基づいた感覚的な行動のルールに基づいて活動しています。
ー中略ー
R:この国でアフリカン・アメリカンの女性の持つ特権と、アフリカン・アメリカンの男性が持つそれの深い溝に関しては話が長くなりそうです。
実際にこのけだものの腹の中に入ってしまわなければ決して気づくことのない溝です。
若い世代の人々がデモを引っ張っているし、最前列にいるのは若いアフリカン・アメリカン女性達です。私が若い時に母や祖母、叔母のサポートを受けて経験した黒人のフェミニスト運動とはわけが違います。
新しい何かが育まれつつあるのです。私の作品は、盲目な現代社会を生き延びるための杖の様なものです。 何が起こるのかは分からないけれど、ひとつだけ歴史において希望が持てることは、歴史はいつも解決を提示してくれたということです。この国が、否定に基づいて建国されたということをきちんと理解しない限りは、永久的な解決さくなどは何もありませんが。
すぐには変化は訪れないでしょう。ですから、アメリカのアーティスト達は、私達が前に進む責任があるということを思い出させられるような作品を作ることが大事です。 私がアーティストとして選ぶ物事にはこういったことが関係しています。
Bomb Magazine
http://bombmagazine.org/article/742833/matana-roberts
The interview with Matana Roberts by Christopher Stackhouse was commissioned by and first published in Bomb Magazine, issue 131, Spring 2015. © Bomb Magazine, New Art Publications, and its Contributors.
(クリストファー・スタックハウスによるマタナ・ロバーツへのインタビューはBomb Magazineにより委託され、2015年春の第131号で発行されている。訳文:蓮見令麻)
2015年12月7日月曜日
DUKE ELLINGTON "The Pianist"
デュークの演奏するピアノには、いつでも音楽の向かう道筋に灯る絶対的な光の様なものが存在している。
それは、演奏における「迷いの無さ」という奏者の主体的な感覚としての印象というよりも、音楽を通して何かに「奉仕する」という、ピアノの向こう側に居る対象の存在を浮かび上がらせるようなイメージである。そのピアノの向こう側の対象というのは、彼の音楽に耳を傾けるオーディエンスなのかもしれないし、あるいはデュークの言うところの「たったひとりの神」そのものであるのかもしれない。
このアルバム、"The Pianist"は、1966年のニューヨーク録音と、1970年のラスヴェガスでの録音を合わせたもので、すべてピアノ・トリオの編成での演奏が収録されている。
ニューヨークではJohn Lamb(bass)、Sam Woodyard(drums) 、ラスヴェガスではVictor Gaskin/Paul Kondziela (bass)とRufus Jones(drums)という顔ぶれになっている。
ラスヴェガス録音の部分は、ニューヨークのものよりも若干ピアノの聞こえ方が遠いのが惜しい気がするけれど、そんな思いを掻き消すくらいにデュークの演奏は圧倒的だ。
Duck Amok での厚い和音を重ねていく演奏には確実にオーケストラの残響が聞こえ、
そのブルースとリズムの感覚は「ジャズ」という言葉を辞書で引いたらそのままの音が聞こえてきそうなくらいに断定的だ。
かと思えば、そのすぐ後の Never Stop Remembering Bill の演奏において、デュークは優しさ、エレガンスとロマンチシズムというほとんど別人とも思えるような全く異なった表情を見せている。
それぞれの演目における雰囲気の対比の明瞭さは、悲劇と喜劇の限りなく薄い境界線についてきちんと知っている、才能ある俳優を思わせる。
デュークのピアノ演奏はとてもシンプルだ。
彼ほどに、たった一音で多くを語れるピアニストはそうそういない。
デュークの叩く鍵盤から響くひとつの音には、その一音が持ちうる最大限の「意味合い 」が詰まっている。それはできれば小説にして読みたいくらいに魅力的なストーリーの数々の欠片の様なものだ。
デレック・ジュウェル著「デューク:ポートレイト・オブ・デューク・エリントン」に、こんなデュークの言葉が記されている。
「私はジャズ(の曲)を書いているのではない。黒人の民族音楽を書いているんだ。」
「我々は長い間、ジャズという旗の下で働き、戦ってきたけれど、(ジャズという)言葉そのものには何の意味もない。ジャズという言葉にはある種の謙遜のようなものがある。」と、デュークは1968年にラジオで述べた。
彼はまぎれもなく大衆の持つジャズにおけるブラック・ゲットーのイメージを暗喩していた。
デューク・エリントンほどにエレガンス、知性、才能、そしてカリスマを兼ね備えた音楽家にとっては、ひとつのラベルによって彼自身の音楽がひとくくりにされてしまうのはひどく息苦しいことだったのかもしれない。そう考えると、エリントンという名前が今も「ジャズ」の代名詞の様にうたわれることは皮肉なものである。
ジュウェルは第一章をこのように締めくくっている。
デュークが亡くなった時、 何万人もの人々にとっての灯火が消えた。
彼らは、デュークがステージでいつも声高に宣言したのと同じくらいの愛を、デューク・エリントンという人とその音楽に対して持っていた。キャラバンは止まった。だが、音楽と、彼の残した文化的遺産は継続していく。
デューク・エリントンのピアノ演奏は、一見すれば、様々なやり方で綺麗にラッピングされ、開けれられるのを待っているギフトボックスの様であるとも思う。
計算されつくしたわかりやすさ、まるで「あなたのために」とでも書いてあるかのように愛と奉仕精神に満ちた曲と演奏の数々。そのエレガンスと器の大きさという包装紙を何枚もめくっていくと、内側には何が隠されているのだろう?そんな私達の愚鈍な疑問を優雅な笑みでかわし続けるデュークの弾く先にはやはりいつも圧倒的な光が照らしだされ、その音楽を聞く私達は彼を通してその光を知ることができるのだ。
2015年10月5日月曜日
拡張されたマインド
ジョン・ケージの本、『A Year From Monday』の初めに書かれているこの文にものすごく惹かれた。
この文章の意味をしばらく考えてみる。
I believe -and am acting upon-Marshall Mcluhan's statement that we have through electronic technology produced an extension of our brains to the world formerly outside of us. To me that means that the disciplines, gradual and sudden (principally Oriental), formerly practiced by individuals to pacify their minds, bringing them into accord with ultimate reality, must now be practiced socially -that is, not just inside our heads, but outside of them, in the world, where our central nervous system effectively now is.
「電子テクノロジーは、本来私達の外側にあった世界へと、我々の脳を拡張した」、というマーシャル・マクルハンの理論を私は信じているし、その理論に基づいて行動をしている。それが何を意味するかというと、徐々にでも突然でも、もともと個人個人が平和的精神を得る為に行い、本質的な現実と一体になることを可能にしてきた修練というものが、今後は社会的に行われる必要があるということである。つまり、私達の頭の中だけでなく、我々の神経中枢が今では効果的に存在する頭の外側の世界でも、修練がなされなければならない。
John Cage -A Year From Monday
この文章の意味をしばらく考えてみる。
2015年9月5日土曜日
2015 日本公演
2年ぶりに日本で演奏します。
今年の初め頃から挑戦している新しい試み、いわば、詩、言語と即興芸術としての音楽を編み合わせる試みの延長が、今回の日本公演の内容に影響してくると思います。
即興演奏を始めてからというもの、様々な音楽家達との共演、そして会話に刺激を受ける毎日ですが、特に、ピアノという面では今年の7月に亡くなった菊地雅章さん、そして、ボーカルの面ではジェン・シューに教えてもらったこと(音楽の理論的なことでなく、音楽との向き合い方、創造力の面で、ということになりますが)が、深く今の私には沁み入ってる感覚があります。
今回の日本公演は以下の二箇所になります。
会場では、今年リリースしたばかりのアルバム、UTAZATAのCDをお買い求め頂ける他、
同アルバムのLP盤の先行発売を致します。
文章を通して私のことを知っている方にも、
是非実際に音楽をライブで聴いてみて頂きたいと思います。
宜しくお願いします。
9月12日(土)
スピニングミル (大阪)
7pm start
蓮見令麻ソロ (piano/voice)
2500円 (adv)/ 3000円 (door)
予約:contact@ruweh.com
9月14日(月)
荻窪ベルベットサン (東京)
蓮見令麻 (piano/voice)
菅原崇志 (bass)
本田珠也 (drums)
7:30 door/ 8pm start
3000円 (with 1drink)
スピニングミル(大阪)
住所: 590-0912 大阪府堺市堺区並松町45
南海本線 七道駅から徒歩7分
阪堺電車 高須神社駅から徒歩5分
ベルベットサン(東京)
住所:杉並区荻窪3-47-21 サンライズ ビル1F
荻窪駅南口を出て目の前の線路に沿った道を新宿方面へ。
青梅街道に合流してから約100M。
荻窪駅から徒歩約8分。
2015年8月17日月曜日
ブラジル、アマゾンの詩と歌(一)
チアゴ・チアゴ・ヂ・メロの音楽は、とても親しみやすい。
一度聞いたら、ずっと頭の中で響き続け、気づけば口ずさんでしまう種類の音楽だ。
そういったブラジル音楽特有の親密さのある一方で、リズムやメロディーには洗練されたディテールが散りばめられている。
カートゥラが書いてきた歌の様に、チアゴ・チアゴ・ヂ・メロの心地よいメロディーに乗せられた歌詞には、燃えるような力強さと物語がある。
チアゴ・ヂ・メロというアーティストは、私の知る限りでも全部で4人居る。
アマゾンの詩人で、素晴らしい作品を発表してきたアマドゥ・チアゴ・ヂ・メロ。
作曲家でマルチ・インストゥルメンタリストのガデンシオ ・チアゴ・ヂ・メロ。
実験的フォーク・ミュージックのシンガー、マンドゥカ・チアゴ・ヂ・メロ。
そして、シンガーソングライターのチアゴ・チアゴ・ヂ・メロだ。
詩人のアマドゥはチアゴ・チアゴの父であり、シンガーのマンドゥカは兄、作曲家のガデンシオは叔父にあたる。
先日、チアゴ・チアゴと話をする機会があった。
彼はとても誇らしげに父、アマドゥについて語った。
アマドゥ・チアゴ・ヂ・メロは、1926年に生まれ、パブロ・ネルーダを始め、チェ・ゲバラやフィデル・カストロなど、ラテンアメリカを代表するアーティスト、政治家と交流を持ち、制作活動を続けてきた。
そんな父を持ち、音楽家の兄と叔父を持つ彼は、このような活動の系譜を受け継いでいくことに情熱的だ。
音楽家達の感性が豊かであり続けること、メディアを介したジャーナリズムだけに頼らないこと、
伝統的な楽器で新しい音楽を弾く、または、新しい楽器で伝統的な音楽を弾くこと、
そしてそこに、「story-telling ものがたりを伝える」という淡々とした深遠なる流れがあること。
チアゴは私達にそんなことを語った。
チアゴと、パンデイロ奏者のセルジオ・クラコウスキは、同じくブラジル音楽に新しい潮流を送り込むため、実験的な音楽を演奏する同志のミュージシャン達と共に、コレクチボ・シャマ(炎の集団)をたちあげた。
このコレクティブを結成した当初、
「今、手を繋いでひとつの『集団』にならないと、僕達はつぶされて消えてしまう。」という風に感じていたとチアゴは言った。
コレクティブを結成してから最初の三ヶ月、彼らはそれぞれの楽器を手にすることなく、まず互いの思想を交換するために話し合いを続けたという。
以下は、nprのコレクチボ・シャマについての記事より抜粋。
ブラジルの楽曲は、想像の世界を見事に表現する。
中でも、リオデジャネイロはそういった楽曲の宝庫と言っていい。
19世紀のマシーシェやショロに始まり、20世紀のサンバやボサノバに繋がっていった、リズムと深い叙情性の素晴らしい融合がリオにはある。
ブラジル人にとって、このような楽曲の数々は特に大きな意味を持っている。
ブラジルでは正式な教育が万人に開かれていないために、人気のある曲がある種の教育になることがあるのだ。
「ほとんどのブラジル人は、ソングライターの曲を聞いて、話し方、書き方、そして感じ方さえも学ぶんだ。」チアゴ・チアゴ・ヂ・メロは言う。
チアゴは、リオのソングライターの中でも新しい世代で、ブラジルの音楽について真剣に考えている。
チアゴは、アマゾンの詩人、アマドゥ・チアゴ・ヂ・メロの息子であり、
ブラジルの豊かな文学的伝統とサンバやフォホ、パゴヂの様なアフリカ的リズムを、ジャズ、ロック、エレクトロニカと融合させてきた。
チアゴと彼の仲間は、彼らの試みている新しいブラジル音楽の形を、「explorative-探求的なもの」と呼ぶ。
トム・ジョビンとジョアオ・ジルベルトがボサノバのムーヴメントを、
あるいは、カエタノ・ベローソとジルベルト・ジルがトロピカリアというムーヴメントを牽引し、音楽として発展してきた時の様に、
今の時点でこの「explorative」 という言葉を、うまく英語に訳すことは難しいかもしれないが、この言葉はブラジルのユートピア的系譜と野望を確実に思い起こさせる。
(npr jazz "In time for world cup, explorative new music from Brazil" by Tim Wilkins
http://www.npr.org/sections/ablogsupreme/2014/06/13/320978456/in-time-for-the-world-cup-explorative-new-music-from-brazil
ブラジル、アマゾンの詩と歌(二)
Estatutos Do Homemという、アマゾンの詩人、チアゴ・ヂ・メロの代表作の詩集を、息子であるチアゴ・チアゴ・ヂ・メロからもらったのは、夏も本格的になってきた7月の終わり頃だった。
丁度その頃、休暇のためにマーサズ・ヴィニヤード島に行く直前だった私は、
休暇中に読む本として、『ヤノマミ』(国分拓著)を選んだ。
ずっと昔に、古本屋で見た写真集の中で、ヤノマミの人々が川べりで蝶に囲まれて水浴びをしている写真に魅了されてから、ヤノマミという名前がずっと頭の中にあった。
その本を買って数日後に、チアゴ・チアゴ・ヂ・メロのライブを見に行った時、
チアゴは歌の中でヤノマミを始めとする様々な部族の名前をあげていた。
ポルトガル語だったので、ヤノマミだけは聞き取れたのだけど、それについて何を歌っていたのかは残念ながらわからない。
ライブの後に、「丁度ヤノマミに関する本を買ったところだった。」 という話をしたら、
彼はすごく喜んで、「友情の印に。」と言って、私の手首にアマゾンで作られたという木製の腕輪をはめてプレゼントしてくれた。
マーサズ・ヴィニヤード島についてからも、
ヤノマミやアマゾンのことが頭から離れず、気づけば私は島のネイティブ・アメリカンの歴史館へと足を運んでいた。
残念なことにヴィニヤード島に昔から暮らしていたワンパノアグ族の人々の数は劇的に少なく、ワンパノアグの血を受け継ぐ少数の人々が、ひっそりと集落に暮らしているくらいだ。
この美しい島に、文明化された側の人間として足を踏み入れる自分は、あるいは偽善的であるかもしれない。
だけどそれでも、私にはアメリカ大陸の先住民達のことを考えずにはいられない時がある。
静かな部屋で海の音を聴きながら『ヤノマミ』を読み、
私は ヤノマミの暮らし、人の純粋さ、文明と接しない決断、文明と接する決断、運命を思った。
詩人、チアゴ・ヂ・メロはブラジルにおいて軍事政権が台頭した60年代に投獄され、
国外に亡命した。亡命先のチリで、チリの代表的な詩人、パブロ・ネルーダと出会い、そこでこの詩を書いた。チアゴ・ヂ・メロは現在も、アマゾンの熱帯雨林と、アマゾンに暮らす先住民族の社会的権利を守るための活動を続けている。
「人間の条項」 チアゴ・ヂ・メロ
第一条
重要なものは真実であり、
重要なものは命である。
我々は互いの手を取りあい、
命の意味について考えることをここに定める。
第二条
平日でも毎日が、
曇り空の火曜日でさえもが、
日曜日の朝になり得る権利を持つことをここに定める。
第三条
これから先ずっと、
すべての窓際にはひまわりがあり、
そのひまわりは日陰で咲く権利を持ち、
その窓は一日中、希望を育む新緑へと向かい開き続けることをここに定める。
第四条
人間は、人間をもう決して疑わないこと、
やしの木が風を信じる様に、
風が空気を信じる様に、
空気が空の青い拡がりを信じる様に、
人間は人間を信じることをここに定める。
第一項
子供がまたひとりの子供を信じる様に、
大人もまたひとりの大人を信じる。
第五条
人間は、偽りへの隷属から解放され、
誰一人として、沈黙の鎧をまとい、言葉の武器を使う必要はないこと、
人間が曇りのない瞳でテーブルの前に座れば、
デザートの前には、「真実」の皿が出されることをここに定める。
第六条
十世紀もの間、イザヤという預言者が夢に見た習わし、
すなわち、狼が子羊と同じ草原で草を食べる時、
彼らの食事は生命の春の味つけであることをここに定める。
第七条
正義と明瞭さの永続的統治は、撤回し得ない条としてここに定める。
よって、幸福は、人間の魂の中で永久にたなびく寛大な旗となる。
第八条
最上級の痛みとは、これまでも、そしてこれからも、
植物に花咲く奇跡を与えるのは水であると知りながら、
愛すべきひとに愛を与えられない無力さであることをここに定める。
第九条
毎日のパンには、人間の汗の商標が施されることをここに許可するが、
パンはいつでも温かく柔らかな味でいなければならない。
第十条
すべての人間が、
人生のいかなる時においても、
日曜日用のベストを着用することをここに許可する。
第十一条
人間は、愛を知る動物であると定義し、
よって人間はいかなる夜明けの星よりも美しいということをここに定める。
第十二条
命令、禁止事項というものは存在せず、
サイと戯れることも、巨大なベゴニアの花を襟にさして午後の散歩をすることも、
すべてが許可されることをここに定める。
第一項
唯一の禁止事項は、
愛しながら愛に不感であること。
第十三条
金で夜明けの太陽を買うことは金輪際不可能であり、
恐れの詰まった箱から放り出された時に金は友愛の剣となり、歌歌う権利を守護し、来たる日々を祝福するであろうことをここに定める。
最終条項
自由という言葉の使用をここに禁ずる。
自由という言葉はすべての辞書から、
そして当てにならない「口」というぬかるみからはじきだされる。
よって自由とは、
火、または川の様な、
小麦のひと粒の様な、
目に見えぬ生命体となり、
その帰り着く場所は必ず人間の心となる。
(Estatutos Do Homem by Thiago de Mello(1964) 訳:蓮見令麻)
2015年8月7日金曜日
TONY MALABY GROUP@ RYE
音楽とはイデアそのものであり、この世の中のさまざまな事象とは一線を画すもので、
それは宇宙の外側に理想的なかたちで存在し、「空間」ではなく「時間」のみによって理解される。
その結果として目的論的な仮説により侵食されることもない。
この根本的な音楽の品位は、非純粋的な聞き手が、その理想的でいて視覚的ではない音楽というものに形を与えようとする行為、また、聞き手自身が調度良いと感じる典型にイデアを当てはめるという行為によってねじまげられてしまう。
サミュエル・ベケット、プルースト論より
このような、ベケットの言葉を借りると、「根本的な音楽の品位をねじ曲げる」行為を、私達の多くが日常的に続けている。皮肉なことに、音楽について評論するような立場の者にとっては、
音楽に形や典型、または説明を見出そうとするという構えは、捨てきれない一種の性の様なものなのかもしれない。
私自身も例外に漏れず、 音楽をある大きさ、かたちの額縁に入れて鑑賞する趣きがあることを自覚している。
だがそれは、評論的な類の額縁ではなくて、「ものがたり」の額縁である。
音楽の演奏を目の前にして、音の波に呑まれながら、
私は多くの場合、演奏している人の背景に拡がる膨大な束のものがたりについての想像を膨らませる。
ものがたりの束、それ自体は、イデアとしての音楽的領域を侵すことはないけれども、
演奏する者が経験してきたものがたりは、その人の身体と記憶を通して音楽に色彩を加える。
俗世的なものが音楽にそうやって入り込んでしまえば、あるいはベケットはそれが未だイデアそのものであるとは言わないかもしれない。
圧倒的に純粋であるという魅力、そして同時に俗世的であるのという魅力、
音楽はそのふたつの顔を時と場合によって使い分け、私達を混乱させ、酔わせる。
ここ何日か、セシル・テイラーの音楽を聞き直すことに没頭していたこともあって、
この日のトニー・マラビー・グループの演奏を聴きながら、
私はフリージャズの潮流の中における、セシル・テイラーというひとつの分岐点、
特に、リズムをひとつの大きな母体として形作る、音楽の感触について考えた。
トニー・マラビーはテナーとソプラノを交互に吹いた。
時には聞こえないくらいの小さな音で、時にはこれ以上にないくらいワイルドな咆哮で。
ベースのアイヴァンド・オプスヴィックはくぐもった音のベースで、密度の高い音の粒をはじきだし、デイヴィッド・トロイトのドラムがエッジーな音で空間に裂け目を作った。
クリストファー・ホフマンのチェロは中音域に厚みをもたせたファンタジックな演奏。
ベン・ガースティンのトロンボーンは密林に住むけものの様に本能的だ。
グループの全員が、吹きすさぶ音の嵐の中で、ひとつの舟を沈没させない為に手綱にしているのは、
「感触」なのだろうと私は思う。
それは、メロディックな概念としての、音感よりも、音楽理論の理解よりも、
本能的、プリミティブな音楽の作り方だ。
ざらざらとしていて、掴みどころがない。
音楽は、ただそこにあり、呼吸をし、流れていく。
セシル・テイラーの素晴らしさとは、リミットがないことだと思う。
まず、「ピアノはこんな風に弾くものである。」 というリミットがない。
そして、「私はピアニストである。」というリミットもまたない。
セシル・テイラーは、詩を朗読していても、踊っているときも、同じ躍動で「演奏」している。
トニー・マラビー・グループの奏者達ひとりひとりは、一体これまでにどんな場面でセシル・テイラーの演奏を聞いて、
それについてどんな風に感じてきただろう。
こんな風に直観と衝動に突き動かされる演奏をすること、
そういう精神的な場所から新しいものを構築すること、
この奏法が、彼らにとって、そして彼らを取り巻く小さく、大きな世界にとっての「スタンダード」に 成り得つつあることをどんな風に思っているだろう。
その「スタンダード」の潮流の始まりの一端の、大きな部分を担ったテイラー。
異なった時間枠を通して延々と繋がっていく音楽家達。
セシル・テイラーから、ウィリアム・パーカーに。
ウィリアム・パーカーから、トニー・マラビーに。
ものがたりが、どこまでも、どこまでも続いていく。
2015年7月13日月曜日
追悼
20周年を迎えたヴィジョン・フェスティバルについて書こうと思ったけれど、
なんだか頭の中が空白で何も浮かんでこない。
プーさんのこの言葉が、鮮明によみがえる。
「俺達はすごくモダンなことをやってるんだ。」
その日に会った、見知らぬ誰かに親しく語りかける彼は、自分のグループのことを、嬉々としてこう説明していた。
この言葉を聞いた時、何かが体中を駆け抜けるような感覚が走った。
モダンという言葉には、ただ単に、今の時代、現代、という意味もあれば、
芸術の枠においては、 伝統的に受け継がれてきたやり方から脱却し、
より個人的、実験的な領域での感性に重きを置いた姿勢、という意味もある。
芸術的な未開の領域における勇敢な開拓者として、
誰もいまだかつて見たことのない領域の美しさを目のあたりにした者にしか、
あれだけ堂々と、 自分の作品はモダンだ、と言い切ることはできないだろうと思うのだ。
素晴らしい音楽の数々をありがとうございました。
なんだか頭の中が空白で何も浮かんでこない。
プーさんのこの言葉が、鮮明によみがえる。
「俺達はすごくモダンなことをやってるんだ。」
その日に会った、見知らぬ誰かに親しく語りかける彼は、自分のグループのことを、嬉々としてこう説明していた。
この言葉を聞いた時、何かが体中を駆け抜けるような感覚が走った。
モダンという言葉には、ただ単に、今の時代、現代、という意味もあれば、
芸術の枠においては、 伝統的に受け継がれてきたやり方から脱却し、
より個人的、実験的な領域での感性に重きを置いた姿勢、という意味もある。
芸術的な未開の領域における勇敢な開拓者として、
誰もいまだかつて見たことのない領域の美しさを目のあたりにした者にしか、
あれだけ堂々と、 自分の作品はモダンだ、と言い切ることはできないだろうと思うのだ。
素晴らしい音楽の数々をありがとうございました。
2015年4月29日水曜日
REMA HASUMI "UTAZATA"
2013年に録音をしてからというもの、編集をゆっくりとしてきたもので、割と長い期間が経ってしまったけれど、いよいよ5月3日にリリースする。
この作品は、結論から言うと、コンセプト・アルバムという形になった。
日本の伝統音楽から、「東遊」、「筑前今様」、「御詠歌」、「竹田の子守唄」を取り上げ、それぞれのテーマをキャンバスにして、インプロビゼーションで抽象画を描いていく様に演奏したものだ。
正直に言って、自分が、最初の作品を創るにあたって、「日本風」のものを取り入れるという考えは、
初めは私の頭の中に微塵もなかった。
録音の構想を始める前の数年間は、かなり深くアリス・コルトレーンの音楽にのめり込んでいたし、
60〜70年代のスピリチュアルジャズと呼ばれるようなものが好きで、ファラオ・サンダースやサンラなんかをよく聞いていた。
この時期私は、ダリウス・ジョーンズと一緒にアリス・コルトレーンの曲を演奏するコンサートを重ねていたのだけど、彼女の創りあげたコンポジションの持つ魅力へより深く潜り、彼女の音楽的軌跡を辿るうちに、音楽の独創性は自分自身の内側を見ることでしか得られないのだということをアリスに教えられた気がした。
同時に、女性特有の表現をしたいという気持ちも、メアリー・ルー・ウィリアムスやアミナ・クローディン・マイヤースを聴きながら日に日に私の内側で育っていた。
そういう感覚というのは、アメリカで、「ジャズ」という言葉でくくられる種類の音楽を演奏する経験の中で感じた強い違和感を発端にしたひとつの着地点であったと思う。
理論や格好良さを武器にしたものばかりではなく、抽象や「いびつ」さが中心になる世界観が表現されてもいいのではないかと感じていた。
インプロビゼーションという奏法の奥へ奥へと足を踏み入れる程に、
「自分ではないもの」を弾くことができなくなっていた。
私はジャズを弾きたくて今までやってきたけれど、だいたい、自分の表現は何を根幹としているだろうかという素朴な疑問に私はその頃ぶつかっていた。
その時に初めて、きちんと自分の生まれた場所の芸能と一度向き合ってみようと思い、
日本の芸能、女性史、土着文化、信仰を焦点とした様々な資料を読んだ。
そのひとつのまとめとして、日本芸能史に見る音楽と平和 を書いた。
そういった探索の中で、私は桃山晴衣の音楽と出会い、日本の唄の素晴らしさを知った。
同時に、西洋的な音楽の解釈や理論に呑み込まれて、非西洋的音楽が少しずつその姿を消していくことに恐ろしさを感じていたし、自分がそういう潮流に何も考えずに身をまかせてきたことにも落胆した。
その頃、同時に素晴らしい音楽家達との出会いもあった。
タイショーン・ソーリーの「公案」は特に、このアルバムを創るにあたっての大きなインスピレーションになっている。
初めて「公案」を聞いた時、そのミニマリズム、静謐さの中に同時に存在する緊張と緩和の絶妙なバランスに圧倒された。タイトルからも分かる様に、意図的に東洋的アプローチをした音楽であるように思えるが、そこには所謂オリエンタリズムと呼ばれる類のものとは一線を画す、洗練された「何か」があった。
「公案」でソーリーと共演しているギタリスト、トッド・ニューフェルドとベーシスト、トーマス・モーガンの演奏、そして彼らを経由して聴き始めた菊地雅章さんの音楽。
ジェン・シューの祭祀音楽、民族音楽をインプロビゼーションに持ち込んだパフォーマンス。
彼らはそれぞれに非常に個性的な音楽へのアプローチを持っていて、
このままあらゆるものすべてが一面化されていってしまうかもしれないという現代社会の本質的な脆さ、そこに一石を投じるインパクトを持つように感じられた。
彼らからの鼓舞、影響ははかり知れない。
このアルバムに私がつけたタイトルは『UTAZATA』といって、「女性芸能の源流(脇田晴子著)」という本の中で述べられている「歌沙汰」という表現から来ている。
今様狂いであった後白河院と今様唄いであった傀儡女たちの間で交わされた「正しい歌の旋律」を決める熱心な音楽談義の事をさす言葉として、著書の中では使われている。
この話を読んだ時に、ふと私が思ったのは、
そういう音楽談義というのは、「何がジャズで何がジャズではない」、とか、「誰々がジャズを弾くにふさわしく、誰々がふさわしくない」という話し合い、つまり「正しいジャズとは何か」という現代のディスカッションと割と似ているんじゃないだろうか、ということだった。
フリー・インプロビゼーションの手法を持って、平均律にとらわれない演奏を求め、切磋琢磨している音楽家のひとりであるからこそ、私は「正しい旋律」や「正しいジャズ」というテーマを持ったディスカッションに対して不条理的な見方をしている。
と、同時に、そういったテーマについて何時間も話しあえるというのは、ある意味では素晴らしく平和的、人間的行為だという称賛の思いも持っている。
この様なテーマのディスカッションを喚起する様な側面が、UTAZATAには少なからずあるんじゃないかと思う。そういう意味合いがアルバムタイトルに込められている。
「歌沙汰」という言葉は、音楽狂いの我々を、不条理と滑稽と愛着をもって俯瞰する。
先に述べたテーマに見る人間の「形状の継受」への執着と、
その反動としてのインプロビゼーションという対比は面白いし、私はその今その渦中にいる。
もしどこかの誰かがこのアルバムを聞いてくれた時に、
「どうして日本の歌をテーマにしたんだろう。」という疑問がきっと湧くと思ったので、
そういう時にこの文章にたどり着いて参考にしてくれたら、と思っている。
"UTAZATA" CD Release Concert
5/3 sunday
8pm @ ShapeShifter Lab
Rema Hasumi (piano/keyboard/vocal)
Todd Neufeld (guitar)
Thomas Morgan (bass)
Billy Mintz (drums)
Sergio Krakowski (pandeiro/adufo)
Ben Gerstein (trombone)
CD Available at Ruweh Records Website
2015年4月19日日曜日
MARIA FARANTOURI
音楽というのは、表面的にはひとつの文化的現象に過ぎないように見えることがあっても、
それぞれの異なった音楽が内側で主体としているものにはものすごいバリエーションがあると思う。
例えば、ひとつの社会的階級を象徴する音楽があって、その音楽は誰かにとっては城壁の様な役割をする。
あるいは、また別の音楽は、どこかの誰かにとっては、 過去を走馬灯の様に蘇らせるアルバムの様なものかもしれない。
また別の誰かにとっての音楽は、ただがむしゃらに踊って陶酔するための乗り物で、
その向こう側の誰かにとっては、音楽は恐怖である可能性すらある。
今晩、私はマリア・ファラントゥーリのステージを見た。
ギリシャの伝説的な歌手、政治家であり、文化活動家でもある彼女は、近年チャールズ・ロイドとも共演し、ECMからアルバムを出している。
彼女の、内側から響きわたる歌声の中に聞こえる力強さには、
例えばエリス・レジーナがAtras da Portaを歌った時の様な、聴く側の精神をかき回すざわざわとしたものが存在していた。
2時間半の長いステージの間、歌った曲の多くを、観客席の大半を占めていたギリシャ人達は一緒に口ずさんでいた。
後にわかるのだけれど、ファラントゥーリの存在というのは、
ギリシャという国とその人々にとってはただの音楽家以上のものであるようだった。
ファラントゥーリは、70年代頃から、ギリシャの代表的作曲家、ミキス・テオドロキスと共に活動し、
ギリシャの軍事政権に対しての批判的な姿勢をとって、音楽を制作し続け、国の民主化に貢献した。
テオドロキスはレジスタンスとして投獄され、彼の楽曲が国内で禁止されたことさえあった。
ファラントゥーリの歌は、ステージの上から歌われる歌ではなかった。
彼女は、ステージの横に、同じ高さに、すぐ隣にいるすべての人へ向けて歌を歌い、
観客と、そのこころにどこまでも寄り添っていた。
その当時の政治的状況の渦中では、音楽を純粋に音楽として楽しむという需要よりも、
より良い明日への希望を持ち、苦境を乗り込むための音楽という需要の方がずっと強かったのかもしれない。
そういった政治的背景、イデオロギーがあったにもかかわらず、
ファラントゥーリの歌は、とても率直に「歌」であり続け、人々はその歌を通して、
ノスタルジアや、苦境を乗り越えた者同士の団結を感じている様に見えた。
根源的な、人間の肉声、「歌」の持つパワー、そういうものを目の当たりにした日だった。
それぞれの異なった音楽が内側で主体としているものにはものすごいバリエーションがあると思う。
例えば、ひとつの社会的階級を象徴する音楽があって、その音楽は誰かにとっては城壁の様な役割をする。
あるいは、また別の音楽は、どこかの誰かにとっては、 過去を走馬灯の様に蘇らせるアルバムの様なものかもしれない。
また別の誰かにとっての音楽は、ただがむしゃらに踊って陶酔するための乗り物で、
その向こう側の誰かにとっては、音楽は恐怖である可能性すらある。
今晩、私はマリア・ファラントゥーリのステージを見た。
ギリシャの伝説的な歌手、政治家であり、文化活動家でもある彼女は、近年チャールズ・ロイドとも共演し、ECMからアルバムを出している。
彼女の、内側から響きわたる歌声の中に聞こえる力強さには、
例えばエリス・レジーナがAtras da Portaを歌った時の様な、聴く側の精神をかき回すざわざわとしたものが存在していた。
2時間半の長いステージの間、歌った曲の多くを、観客席の大半を占めていたギリシャ人達は一緒に口ずさんでいた。
後にわかるのだけれど、ファラントゥーリの存在というのは、
ギリシャという国とその人々にとってはただの音楽家以上のものであるようだった。
ファラントゥーリは、70年代頃から、ギリシャの代表的作曲家、ミキス・テオドロキスと共に活動し、
ギリシャの軍事政権に対しての批判的な姿勢をとって、音楽を制作し続け、国の民主化に貢献した。
テオドロキスはレジスタンスとして投獄され、彼の楽曲が国内で禁止されたことさえあった。
ファラントゥーリの歌は、ステージの上から歌われる歌ではなかった。
彼女は、ステージの横に、同じ高さに、すぐ隣にいるすべての人へ向けて歌を歌い、
観客と、そのこころにどこまでも寄り添っていた。
その当時の政治的状況の渦中では、音楽を純粋に音楽として楽しむという需要よりも、
より良い明日への希望を持ち、苦境を乗り込むための音楽という需要の方がずっと強かったのかもしれない。
そういった政治的背景、イデオロギーがあったにもかかわらず、
ファラントゥーリの歌は、とても率直に「歌」であり続け、人々はその歌を通して、
ノスタルジアや、苦境を乗り越えた者同士の団結を感じている様に見えた。
根源的な、人間の肉声、「歌」の持つパワー、そういうものを目の当たりにした日だった。
2015年4月17日金曜日
TOM RAINEY TRIO@ Clemente Soto Velez
クレメンテ・ソト・ヴェレズというプエルトリコの詩人がニューヨークに居た。
彼はプエルトリコで生まれ、文学者や詩人の有志と共に政治活動に参加し、
第二次大戦後にニューヨークへ渡り、逮捕、収監を経てなお政治活動、執筆活動を続けた。
『孤独』 クレメンテ・ソト・ヴェレズ
飛ぶこと ただひとりで
燃え上がる様な 想像の空の上を
飛びまわること
ただひとり
終わりのない
人生飛行を
創造すること
考えること ただひとりで
考えること
すべての創造的な力が集まればそうするように
ただひとり
ただひとり
ただひとり
光の中で振動する
手つかずの道理を求め
耳をすます
歌うこと
ただひとり
歌うこと
原子達が
行動する意志を歌うように
ただひとり
歌うこと
エネルギーの覚醒が伝えるように
孤独 ー孤独!
磁石の様な吸引力を持った雨雲
跳ね返してくる すべての生きる力の中でバランスをとる
孤独 ー孤独!
生命のこころ!
(訳:蓮見令麻)
かの詩人はこのような詩を書き、感銘を受けた同志達は、
のちに彼の名にちなんだ文化センターを設立した。
Arts For Artという団体がオーガナイズするこの文化センターでのパフォーマンス・シリーズに、詩の朗読やダンス、アート、という要素が必ず盛り込まれているのは、そんな歴史をこの建物が持っていることもひとつの理由だろう。
なかなか古いこの建物は、天井も高く、かなり響きの良い造りになっている。
今日はここでトム・レイニーのトリオを見た。
共演者は、レイニーのパートナーでもあるサックス奏者、イングリッド・ラウブロックと、ギタリスト、メアリー・ハルヴァーソンの二人。
トム・レイニーの演奏は以前何度か見たことはあったけれど、
今回は音響も良く、真正面から見ることができて、レイニーのドラミングの凄さをあらためて思い知った。
予測不可能な方向性、粗っぽいスティックさばきがはじき出すざらざらとした感触の音。
直線を走っているわけではないのにずっと存在する疾走感。
トム・レイニーの音は、アメリカの荒野を突っ切る風や空気を思わせる。
イングリッドの吹くテナーの、風の抜けるような美しく素朴な音がそのまわりを浮遊し、
メアリー・ハルヴァーソンの規則的なカッティングやエフェクトを多様した様々な音の羅列は、
少しぎこちなさを残しながらも、ひとつの世界観を作り上げていた。
なんというか、非常に個人主義的な即興演奏だと私には感じられた。
もちろん、良い意味で。
3人とも、自分の世界、自分の音のいく道をまっすぐにどんどん進んでいく。
私はこっちにいく。あなたはそっちにいく。それでいい。
もしどこか向こうの方で、また顔を合わせるかもしれないし、それもいいね。
そんな雰囲気だった。
そういうやり方は、私にとってはあるいは新鮮なもので、
それくらいお互いが自由にやっていて、心地が良い、それでもなんとなくまとまる、というのは素敵なことだなと思った。
荒野のまっただなかに、ただひとりでいること。
それでも、どん、と構えていられる、
そういう演奏者でいれたら。
彼はプエルトリコで生まれ、文学者や詩人の有志と共に政治活動に参加し、
第二次大戦後にニューヨークへ渡り、逮捕、収監を経てなお政治活動、執筆活動を続けた。
『孤独』 クレメンテ・ソト・ヴェレズ
飛ぶこと ただひとりで
燃え上がる様な 想像の空の上を
飛びまわること
ただひとり
終わりのない
人生飛行を
創造すること
考えること ただひとりで
考えること
すべての創造的な力が集まればそうするように
ただひとり
ただひとり
ただひとり
光の中で振動する
手つかずの道理を求め
耳をすます
歌うこと
ただひとり
歌うこと
原子達が
行動する意志を歌うように
ただひとり
歌うこと
エネルギーの覚醒が伝えるように
孤独 ー孤独!
磁石の様な吸引力を持った雨雲
跳ね返してくる すべての生きる力の中でバランスをとる
孤独 ー孤独!
生命のこころ!
(訳:蓮見令麻)
かの詩人はこのような詩を書き、感銘を受けた同志達は、
のちに彼の名にちなんだ文化センターを設立した。
Arts For Artという団体がオーガナイズするこの文化センターでのパフォーマンス・シリーズに、詩の朗読やダンス、アート、という要素が必ず盛り込まれているのは、そんな歴史をこの建物が持っていることもひとつの理由だろう。
なかなか古いこの建物は、天井も高く、かなり響きの良い造りになっている。
今日はここでトム・レイニーのトリオを見た。
共演者は、レイニーのパートナーでもあるサックス奏者、イングリッド・ラウブロックと、ギタリスト、メアリー・ハルヴァーソンの二人。
トム・レイニーの演奏は以前何度か見たことはあったけれど、
今回は音響も良く、真正面から見ることができて、レイニーのドラミングの凄さをあらためて思い知った。
予測不可能な方向性、粗っぽいスティックさばきがはじき出すざらざらとした感触の音。
直線を走っているわけではないのにずっと存在する疾走感。
トム・レイニーの音は、アメリカの荒野を突っ切る風や空気を思わせる。
イングリッドの吹くテナーの、風の抜けるような美しく素朴な音がそのまわりを浮遊し、
メアリー・ハルヴァーソンの規則的なカッティングやエフェクトを多様した様々な音の羅列は、
少しぎこちなさを残しながらも、ひとつの世界観を作り上げていた。
なんというか、非常に個人主義的な即興演奏だと私には感じられた。
もちろん、良い意味で。
3人とも、自分の世界、自分の音のいく道をまっすぐにどんどん進んでいく。
私はこっちにいく。あなたはそっちにいく。それでいい。
もしどこか向こうの方で、また顔を合わせるかもしれないし、それもいいね。
そんな雰囲気だった。
そういうやり方は、私にとってはあるいは新鮮なもので、
それくらいお互いが自由にやっていて、心地が良い、それでもなんとなくまとまる、というのは素敵なことだなと思った。
荒野のまっただなかに、ただひとりでいること。
それでも、どん、と構えていられる、
そういう演奏者でいれたら。
2015年4月9日木曜日
僕たちは海に潜った
僕たちは海に潜った
帰り道に砂浜で 砂にまみれた足を波で洗う時
波は僕たちの素足を撫で はじき 吹くのだった
生ぬるい水の感触は僕たちの理性を甘やかし
遠くに見える水平線が僕たちの理想を掻き回した
ラプ ラプと鳴る水の淵が僕たちの胸に届くころ
一匹の海猫が 近くの岩にとまった
海猫は 恍惚とした 救いようのない僕たちを一瞥し
そのまま目を閉じて眠った
ラプ ラプ
ラプ ラプ
僕たちの躰は 隙間のない海からの抱擁で
窮屈さと自由を 一度に感じていた
そして僕たちは海に潜った
その時から
すべては動き
すべては止まり
あらゆるものが同時に喋り
あらゆるものが同時に沈黙した
僕たちが海に潜った時から
2015年3月15日日曜日
TYSHAWN SOREY "Koan II"
タイショーン・ソーリーの『公案 II』を見てきた。
オリジナルの『公案(I)』では、トッド・ニューフェルド(エレクトリック・ギター)、トーマス・モーガン(ベース)の二人を軸にしたトリオでソーリーの作曲を中心に演奏されているのに対し、
今回の新しいプロジェクトは、マット・マネリ(ヴィオラ)、ベン・ガースティン(トロンボーン)、トッド・ニューフェルド(アコースティック・ギター)を迎えたカルテットで、通しでフリー・インプロビゼーション
が演奏された。
彼らの演奏においては、静寂の中の一音というものが、とにかく大事に大事に扱われる。
その一音を、その瞬間に、弾くか弾かないか、という駆け引きに、全員がごく真剣に参加するのだ。
そこには自然と、ぴんと張り詰めた一本の見えない糸が浮かび上がってくる。
この音楽は、理性と野性のあいだを縫って歩く。
作曲家としてのソーリーの冷静沈着な「構築」の為の統制は、
彼がマレットで叩き出す柔らかなとどろきによって指揮されていく。
雅楽的とも言える、12音階の境目を縫うように漂うヴィオラの音が、張り詰める緊張の糸をところどころほぐす。
その得体の知れない、心地良いのか心地良くないのか決めかねる雰囲気の中で、
漆黒の森林から飛び出してくる獣の様にトロンボーンが咆哮し、
ギターのためらいと革新の繰り返しによって新しい方向性が提示されていくのだった。
それはまるで、はじまりも、終わりも存在しない演劇の様であったとも思う。
そう感じたのは、私には全体の音から武満徹の映画音楽に通じるものが聞こえたからかもしれない。
もしくは演奏中盤、奏者全員が立ち上がり、舞台や客席を歩きまわって演奏したことも影響しているだろう。
演奏は約90分に及び、全てをインプロビゼーションで通したことは、奏者にとっても、観客にとっても容易ではなかったはずだ。
しかし、奏者達が60分で演奏を終わらせずそこからさらに展開させていったことにより、
人は何故起承転結を求めがちであるか、ということを私は考えるに至った。
なぜ、はじまりと終わりは相応の様子でなければならず、
その間にクライマックスが存在しないと満足できないことになってしまうのだろうか。
そういうイメージの枠組みを、自分はまづすべて取り払ってしまいたいと思った。
以下は、ダニエル・レナー氏による、タイショーン・ソーリーへのインタビューより抜粋したもので、
『公案』の制作にいたった経緯などを少し知ることができる。
ダニエル・レナー、Tyshawn Sorey :Composite Realityより。
訳:蓮見今麻
参考
http://www.allaboutjazz.com/tyshawn-sorey-composite-reality-tyshawn-sorey-by-daniel-lehner.php?&pg=5
オリジナルの『公案(I)』では、トッド・ニューフェルド(エレクトリック・ギター)、トーマス・モーガン(ベース)の二人を軸にしたトリオでソーリーの作曲を中心に演奏されているのに対し、
今回の新しいプロジェクトは、マット・マネリ(ヴィオラ)、ベン・ガースティン(トロンボーン)、トッド・ニューフェルド(アコースティック・ギター)を迎えたカルテットで、通しでフリー・インプロビゼーション
が演奏された。
彼らの演奏においては、静寂の中の一音というものが、とにかく大事に大事に扱われる。
その一音を、その瞬間に、弾くか弾かないか、という駆け引きに、全員がごく真剣に参加するのだ。
そこには自然と、ぴんと張り詰めた一本の見えない糸が浮かび上がってくる。
この音楽は、理性と野性のあいだを縫って歩く。
作曲家としてのソーリーの冷静沈着な「構築」の為の統制は、
彼がマレットで叩き出す柔らかなとどろきによって指揮されていく。
雅楽的とも言える、12音階の境目を縫うように漂うヴィオラの音が、張り詰める緊張の糸をところどころほぐす。
その得体の知れない、心地良いのか心地良くないのか決めかねる雰囲気の中で、
漆黒の森林から飛び出してくる獣の様にトロンボーンが咆哮し、
ギターのためらいと革新の繰り返しによって新しい方向性が提示されていくのだった。
それはまるで、はじまりも、終わりも存在しない演劇の様であったとも思う。
そう感じたのは、私には全体の音から武満徹の映画音楽に通じるものが聞こえたからかもしれない。
もしくは演奏中盤、奏者全員が立ち上がり、舞台や客席を歩きまわって演奏したことも影響しているだろう。
演奏は約90分に及び、全てをインプロビゼーションで通したことは、奏者にとっても、観客にとっても容易ではなかったはずだ。
しかし、奏者達が60分で演奏を終わらせずそこからさらに展開させていったことにより、
人は何故起承転結を求めがちであるか、ということを私は考えるに至った。
なぜ、はじまりと終わりは相応の様子でなければならず、
その間にクライマックスが存在しないと満足できないことになってしまうのだろうか。
そういうイメージの枠組みを、自分はまづすべて取り払ってしまいたいと思った。
以下は、ダニエル・レナー氏による、タイショーン・ソーリーへのインタビューより抜粋したもので、
『公案』の制作にいたった経緯などを少し知ることができる。
2006年に日本を訪れたことをきっかけにして、ソーリーの作曲手法には重要な変化が現れた。
「その年に日本へ行った時、休みの日に僧院を訪れた。
アメリカに帰ってから、自分の状態を良くするため、という目的だけではなく、音楽への影響として、禅への興味が湧き始めた。その頃、自分の演奏している音楽は割と良い音楽だという自覚はあったのだけど、何かがしっくり来ていなかった。そういう音楽は、『難しくあるための、難しい音楽』なだけな気がしていた。
禅と瞑想のコンセプト(アラン・ワッツの著書などを読んだという)は、確実にソーリーに影響を与えていった。 まず彼が書いたのは、前年のクインテットとしての全作品からは大きくかけはなれた長編で、のちに物議を醸すことになった、『ソロピアノのための順列』だった。
この曲は演奏に45分を要し、ひとつのコードを、休符と音域、ピッチやアタック、減衰などの変化をつけながら繰り返すことで細部に砕かれた音の情報を操作するというコンセプトを探求したものだ。
「この曲が誰かに演奏されることはないかもしれないけれど、少なくともこれから私が創作していくもののひとつのシニフィアンにはなるだろうと思う。」そうソーリーは説明した。
「そういう経緯で、That/Not (Firehouse 12, 2007)の為に、この曲を書いた。音楽自体がずっと上手く呼吸できていることが分かるだろうと思う。演奏には技工を要するけれど、この曲には音楽が呼吸し、話しかけてくるような、そういう側面がある。
オブリークのために書いた曲達よりもメロディックだと思う。オブリークにはオブリークのメロディックさ、というのがあるけれどね。 」
中略
次作、『公案』Koan (482 Music, 2009)は、That/Not からの継続と言うよりも、日本で経験したことの継続と呼ぶ方が正確だ。他のどんな作品よりも、『公案』は作曲におけるあらゆる種類の言語を網羅した。
「音と時間に対する自分自身の関係性とその全体的な思考を試された。こういう類の音楽にはシステムなんていうものは存在しない。ただ、その音楽が聞こえた瞬間に書き留める、そういう風にして生まれたものだ。音楽的な語彙だけでは説明できない。もっと実存的な語彙で、聴く経験とは何かということを考えることはできると思う。
『公案』は目を見張る程様々な種類の音楽的アイディアや音律の残像を映した。
"Nocturnal"の様な曲では、フレーズを何度も異なったやり方で繰り返す手法が使われ、"Two Guitars"ではピッチに制限を用いたし、"Correct Truth"においては十二音技法のみならず、もっと抽象的な「可聴度」の概念にも焦点がおかれ、"Awakening"は異なる時間の層に軸を置いた。
作曲における手法のあまりの幅の広さに、全ての手法は使い切れなかったとのことだが。
ソーリーが作曲家として発表した音楽への世間の最初の反応は、残念ながら、
彼のドラマーとしての功績よりもむしろ、彼がアフリカン・アメリカンの音楽家であるという人種的アイデンティティに注目した。「黒人」で、「ドラマー」、そして「作曲家」であるというソーリーの個人的そして音楽家として当てはまる3つの形容詞は、不器用な具合にお互いに摩擦しあい、ファンや同士、そして批評家達を混乱させた。次に述べるのは、ソーリーが表現した、「黒人ドラマー」に課せられた典型的イメージ、頻繁に見られるステレオタイプである。
「アフリカン・アメリカンのジャズドラマーというある種の幻想は、例えばスイングしたり、2拍と4拍を叩いたり、技術を見せびらかしたりする、『超絶技巧のドラマー』 であるというイメージだ。
だが、そういったイメージの継続体から一歩外側に足を踏み出してしまうと、黒人らしくないと言われる。私自身も、スイングしない、とかそういう理由でこういったコメントをもらったことが何度かある。これは、AACMの作曲家達の多くや、ミンガスさえもが直面した問題そのままだ。
ミンガスの音楽が黒人らしくない、なんて、どうしてそんなことが言えるんだろう?
アフリカン・アメリカンの音楽は聞こえる。、ゴスペルからブルース、所謂「ジャズ」と呼ばれる音楽まで。でも、同じように、ストラヴィンスキも、シュトックハウゼンもそこにあるんだ。そう、ミンガスはシュトックハウゼンのファンだったんだ。
私自身の音楽はマックス・ローチ、チャーリー・パーカー、セロニアス・モンクの影響と同じ様に、トランス・ヨーロピアンの作曲家達や、アメリカの実験音楽家達、インドの音楽家達などからの影響も受けている。
まるで、私が作品を発表する際には、アフリカン・アメリカンであるという事を証明するためにブルースを弾かなきゃいけないと誰かに言われてるみたいだ。
私はゲトーに生まれ育って、ブルースを生きているのに、だ。
これ以上に彼らは私に何であって欲しいのだろう?
中略
もうひとつ、黒人の作曲家であることについてソーリーが述べた問題がある。
「アフリカン・アメリカンの作曲家が、それなりの 作曲的語彙からはみ出してしまうと、人々は眉をひそめるんだ。私はいわゆるジャズという伝統の世界を歩いてきたし、系譜としてもジャズの世界は一番近いところにあった。しかしだからと言って、いつまでもそこにじっとしていなければいけない訳じゃない。私がエクスペリメンタルやトランス・ヨーロピアンの音楽を聴き始めた時、周りの人々はすぐに驚いた顔をした。私がモートン・フェルドマンに捧げた43分のピアノ曲を書いたことは、彼らにとってはショッキングな出来事だった。私の知る限りでは、過去にそんなことをしたドラマーは居なかったからだ。ある種の人々にとっては、私がまるでわざと謀反者になろうとしているように見える様だった。
でも私は先にあげた音楽を、マックス・ローチや、ウィリアム・グラント・スティルや、ヘイル・スミス(注:全員黒人の作曲家である)と同じくらい愛している。
次世代のインド人作曲家、または次世代の南アフリカ人作曲家、なんていう紹介を我々がほとんど目にしないのはおかしいと思わないか。
白人の作曲家達は声部進行や音楽の歴史について詳しいインテレクチュアルな専門技術者として高位におかれ、黒人の音楽家達は、白人の作曲家達の演奏するものよりも、「魂」や「フィーリング」はあるのに知性はない、という位置づけをされている様に見える。
黒人のインテレクチュアルでとても重要な作品を発表している人々が居るのに、私達がそれについて聞くことがほとんどないのはとても残念なことだ。
中略
「良いか悪いかということを判断することはあまり好きではない。
何故かというと、すぐに判断しだしてしまうと、そこから学ぶチャンスを失ってしまうからだ。
判断は後に残しておけばいいし、今そこにある音楽を作っている最中には、良くも悪くも、ただ流れに身をまかせるしかないんだ。」
ダニエル・レナー、Tyshawn Sorey :Composite Realityより。
訳:蓮見今麻
参考
http://www.allaboutjazz.com/tyshawn-sorey-composite-reality-tyshawn-sorey-by-daniel-lehner.php?&pg=5
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