ずっと ずっと
何度も 何度も
試行錯誤して
考え続けてること。
本当に、ずっと考えている。
どの表現方法を自分は選ぶか。
今年に入ってから、フリーの即興演奏を始めたこともあって、
あまり弾いていなかったスタンダードジャズの演奏を今日してみたら、意外に気持ちが良かった。
だけど、やっぱり自分に合っている奏法、自分が一番臆する事無く表現できる方法は、フォームのない即興演奏だと、思う。きっと。
アメリカの音楽を勉強してきて、その文化、歴史を尊敬し、愛してはいるけれど、
私は決して、その真似事がしたいわけではない。
多分、私にとって、音楽を弾く至高の(そして無意識の)目的は、感情の、深みのある側面を思い切り音楽という媒体を通して表現することだ。。。
だから、音楽を、商業的に捉えることはもしかしたら一生できないかもしれない。
職業音楽家としては駄目なのかもしれない。
多分、悩んでる、焦る、といつも思ってはいるけれど、
やりたいことは奥底ではわかっている。
人間の感情の、様々なレベルの立体感を、表すこと。
いわばシャーマニズム。
ということを、自分の演奏の音源を聞きながら書いた。
何かが生まれつつある。
卵をあたためている親鳥の気分。
2011年5月12日木曜日
2011年5月2日月曜日
本当の芸術は神学である
Mary Lou Williamsの音楽を研究している。
彼女は、アメリカの歴史においての、女性の楽器奏者という意味でとても重要な位置にいる、
レジェンダリーな人物である。
そういう意味でも非常に尊敬しているのだけれど、
彼女のブルースの演奏というのは本当に素晴らしい。嘘がない演奏というか。。
最近、ジャズのライブ等を見に行って、飽き飽きしてしまう気持ちになることが多々ある。
それはなんというか、エゴの為に演奏している奏者があまりにも多い気がするから。
音楽というのは、色んな種類のものがある。
自分が注目されたいとか、有名になりたいという薄っぺらいエゴを捨て、
神、または偉大なる存在、スピリチュアリティー、そういうものの為に演奏する、
それが究極的な音楽、または芸術の形であり、それは神学に身を投じるということだと理解している。
その一方で、エンターテイメント性の高い音楽が数えきれない程たくさんあり、
それはもはや芸術とは呼べないものが多い。
ジャズの世界にも、そういう音楽がたくさんあるような気がして、
それをしたり顔で、うんうん、素晴らしい、なんてワイングラスを片手に聞く聴衆がいる、という光景を見て、馬鹿らしいと思ってしまう。
それは、ジャズ雑誌の評論家にも言えることだ。
私達は、それぞれに、それぞれの感性を目一杯生かして、芸術を紐解いていくという姿勢が必要だと思う。
評論家や大衆、マスメディアの多数決が決めるヒットチャートの一位に踊らされるのは野暮だ。
自分の耳を、目を、感覚を、磨いていくことだ。
それは他の誰も自分のためにやってくれない。
本当に良いものは、ピカピカに磨かれた大型グローサリーの野菜やくだもののように媚びてあなたを待ちはしないのだ。
良いものは、土に埋もれ、泥にまみれ、その美しさをひけらかすことなく、ただ存在している。
それを見つけ出しにいくのは、私達自身。
これが実は本音。
話が飛んだけれど、
Mary Lou Williamsが、いかにジャズの根本であるブルースとスピリチュアル音楽を彼女の音楽に昇華したか、それでいてアバンギャルドな要素も持ち合わせている彼女が、
どうしてこんなにも知られていないのかが不思議でならない。
これについてはまた書こう。
彼女は、アメリカの歴史においての、女性の楽器奏者という意味でとても重要な位置にいる、
レジェンダリーな人物である。
そういう意味でも非常に尊敬しているのだけれど、
彼女のブルースの演奏というのは本当に素晴らしい。嘘がない演奏というか。。
最近、ジャズのライブ等を見に行って、飽き飽きしてしまう気持ちになることが多々ある。
それはなんというか、エゴの為に演奏している奏者があまりにも多い気がするから。
音楽というのは、色んな種類のものがある。
自分が注目されたいとか、有名になりたいという薄っぺらいエゴを捨て、
神、または偉大なる存在、スピリチュアリティー、そういうものの為に演奏する、
それが究極的な音楽、または芸術の形であり、それは神学に身を投じるということだと理解している。
その一方で、エンターテイメント性の高い音楽が数えきれない程たくさんあり、
それはもはや芸術とは呼べないものが多い。
ジャズの世界にも、そういう音楽がたくさんあるような気がして、
それをしたり顔で、うんうん、素晴らしい、なんてワイングラスを片手に聞く聴衆がいる、という光景を見て、馬鹿らしいと思ってしまう。
それは、ジャズ雑誌の評論家にも言えることだ。
私達は、それぞれに、それぞれの感性を目一杯生かして、芸術を紐解いていくという姿勢が必要だと思う。
評論家や大衆、マスメディアの多数決が決めるヒットチャートの一位に踊らされるのは野暮だ。
自分の耳を、目を、感覚を、磨いていくことだ。
それは他の誰も自分のためにやってくれない。
本当に良いものは、ピカピカに磨かれた大型グローサリーの野菜やくだもののように媚びてあなたを待ちはしないのだ。
良いものは、土に埋もれ、泥にまみれ、その美しさをひけらかすことなく、ただ存在している。
それを見つけ出しにいくのは、私達自身。
これが実は本音。
話が飛んだけれど、
Mary Lou Williamsが、いかにジャズの根本であるブルースとスピリチュアル音楽を彼女の音楽に昇華したか、それでいてアバンギャルドな要素も持ち合わせている彼女が、
どうしてこんなにも知られていないのかが不思議でならない。
これについてはまた書こう。