2016年2月3日水曜日

自由即興における儀式の場:アルバート・アイラー





アルバート・アイラーの吹くブルースを聞いて、
この人の音は何が違うのだろうと長い間考えてみた。

媚びずに、寄り添っている。
目の前が真っ白になるくらいの最上の喜びと、
哀しみの層を通り過ぎた後の恍惚と、
エネルギーをただ一点に集めて涙と共に流れ続ける怒りと、
全部が一緒くたになって、
マイナーとメジャーの間を鈍い金色の音が行き来する度に、
私達はあらゆる感情を旅する。

即興演奏をするということは、
自分の選択肢を創造することだ。
自分の創造を信じて、選択肢を信じることだ。
そうするためには、自分に嘘はつけない。
即興の演奏は自分の中にあるものをすべて反映するから、
信頼できる選択肢を創造できる人間性を自分の内に育むことだ。

それは極めて内省的なプロセスであるにもかかわらず、
響く音を出すことのできる奏者は、外界とほぼ一体化している。
そして自分を取り巻く世界に対しての信頼がある。
つまるところは、自分に対してもまた、信頼がある。
しかしそのひとは、演奏において醜さも情けなさもすべてをさらけ出す宿命にあるので、
自身への圧倒的信頼が、ナルシシズムに成り下がることがない。
醜さも情けなさもすべてをさらけ出すということは、
人間が、「社会においてあるべき姿」という鎧を脱いで、哀しみや弱さへの受け皿を持つ「信仰」の泉へ飛び込む行為である。
そして、そのような類の演奏行為は、信仰と儀式の持つ感覚に非常に近いものを私達に与える。
伝統音楽が受けおってきた、世界の中の儀式的な場所はほとんど生き残っていないかもしれない。
伝統音楽における儀式にはカタルシスがあり、
カタルシスの体験は私達の膿を洗い流してくれる。
自由即興には、その儀式としての場を作る力がある。

2015年12月15日火曜日

MATANA ROBERTS "Coin Coin Chapter Three"


マタナ・ロバーツのコイン・コイン・チャプター・スリー:リヴァー・ラン・ディー(2015, Constellation Records)を聞いた。

古めかしく懐かしくも、未来的で真新しくも聞こえるこのアルバムは、あらゆる種類のフィールド・レコーディング、サックスのオーヴァーダブ、マタナ自身のヴォイス、ノイズ音などのコラージュからなるキャンバスに、ところどころ遠くで響く様な聞こえ方でサックスのソロが入り込んでくるという不思議な構成を持っている。
構築された「リズム」という側面がほとんどないことがひとつの特徴と言えるかもしれない。全体の基盤を形作るのはドローンの様な音で、その音はアルバム全体に大きなひとつの織り物のような、または音で描かれた絵画のようなイメージを与えている。
それぞれの音の奥行きと、グレゴリー聖歌のようなコーラスの残響には宗教音楽的なものも感じられた。
一方で、聞けば聞くほどに、これはある種のフォーク・ミュージックなのではないかという思いも浮かび上がる。
マタナのサックス演奏はブルースに満たされているし、ところどころに聞こえる子守唄の様な歌声や静かな話し声を聞いているとトニ・モリスンの物語の世界にトリップしたような感覚さえ覚える。
どこかに、フォーク・テイル(おとぎ話)の風情があるのだ。
もしかすると、この音楽を聞く人は、どこか恐ろしく、覗いてはいけないような気分にさせられる一方で、懐かしく暖かい気持ちにもなるという複雑な二重の感覚を経験するかもしれない。


クリストファー・スタックハウス氏によるマタナ・ロバーツへのインタビュー内容がとても興味深いのでBOMB Magazineの許可を得て、下記に訳文を掲載する。
創作における「純粋さ」の可能性、そしてAACMの潮流を受け継ぐ新世代のシカゴミュージシャンとしてのアプローチ、アメリカ黒人史における社会的変遷とアクティビズムからの影響などについてロバーツは話している。要約した箇所もあるので、気になる方は下記のリンクより英語での原文も読んでみてほしい。

スタックハウス(以下S):会話という手段が使われず、そこに音楽と音のみが存在する状況では、時代を経た物語はどのように表現され得るでしょうか?純粋な音そのものによって、先祖代々の歴史的な経験を包括し、明瞭化してそれを「現在」に持ち込むことは可能だと思いますか?パフォーマンスだけではなくて、音楽全般において、ということです。

ロバーツ(以下R):純粋な音がそういったものを反映できるかどうかはわかりませんが、抽象作品にはできると確信しています。私には歴史というものが様々な点で無意味なものに思えることがあります。私にとって歴史は直線的なものではありません。いつも円環的に繰り返すものです。
このトピックは私が今研究している音と伝統を使った作品制作において注目していることでもあります。
プロジェクト自体は直線的に進むように形作られているけれども、実はそうではない。直線的なやり方であれば、このソロ作品が最初に発表され、チャプター・ワンが次に、そしてチャプター・トゥーがその後にくるはずです。音によって伝達される感情の純粋さそのものが、聞く側を、そしてパフォーマーとしての私自身を明らかに導いてくれます。
音は感情を再生することができ、それにより「違い」と「苦難」のあらゆる境界線を超えることもできます。
音というのは、私の呼ぶ「経験の子宮」というものの中で様々なものを縫い合わせることもできます。私は、作品をライブで仕上げていく、または、ライブにおいて作品を作品足らしめるということに挑戦しています。完全であることは決してないのです。音楽家や、アーティストの参加者、そして目撃者としての参加者、皆をひとつに集めて、この経験の子宮を通過し、その音を見つけるというのは、私にとっては純粋さに立ち戻るということになります。このような種類の音の持つ純粋さが包括する感情が、私の試みの根幹にあるものに人々を引き寄せてくれるのです。

S:シカゴという街はあなたの音楽や性格、エトスに影響を与えていますね。あなたが育ったところは人種分離された街で、さらに興味深いのはその街が商業用の倉庫街としてハイチ系の黒人であったジャン・バプティスト・ドゥサブルによって作られたということです。シカゴは、深い意味でのアフロセントリズム(黒人中心主義)に根付いた沢山の音楽とアートを創りだしてきました。この街は黒人中心主義的な文化の生まれた場所であり、労働における政治運動や革命的思想の中心地でもあります。フレッド・ハンプトン(黒人社会運動家でブラックパンサー党の指導者)も、ここで政治的に成長し、そして暗殺されました。この街にハウス・ミュージックが育ち、ブルースが帰りつきました。あなたにとって、精神的な面で、そしてインテレクチュアルな面でシカゴはどのような影響を与えましたか?
現在もあなたの中にシカゴは存在していますか?

R:私のシカゴでの経験は色々な顔を持っています。私の家系の者の多くは、30年代、そして40年代にシカゴへ移ってきました。私の両親ともにシカゴ生まれですが、父は研究者で、私が10代の時にシカゴに戻る前まではニューヨーク州のイサカや、ノースカロライナのダーハムなどを転々としていました。 シカゴ独特の政治的な気風から出てきたアーティストとしてのプライドを私は持っています。
両親がその当時シカゴで運動が始まっていた黒人ユダヤ教に傾倒していた為に、私はマタナという名前をつけられました。マタナには、ヘブライ語でギフトという意味があります。私の兄もヘブライ語の名前をつけられました。だけど弟だけは、ほんの一時期だけ両親がネーション・オブ・イスラムに傾倒したためにアラビア語の名前を持っています。
私はこの時期の私の家族の物語が好きです。その後、私の両親は少しだけブラック・パンサーとも関わりを持ちました。彼らは若かったのです。母は18歳の時に私を産みました。私は両親がそうやってシカゴのアフリカ系アメリカ人にとっての重要な政治的変遷を渡り歩いていくのを目撃することができたのです。
私の祖父母そして総祖父母も、投票権と共同体の編成のための草の根運動を支援していました。
南部からシカゴへ移動してきた最初の世代として、シカゴのアフリカ系アメリカ人達には一種の自尊心というものが芽生えていました。
去年私はミシシッピ、ルイジアナ、テネシーなどの場所に旅をして、子供の頃に経験し、(シカゴの様な)中西部にはそぐわない様に思えたシニフィアンやコードについて初めて理解することができました。

ー中略ー

S:アミリ・バラカがブラック・アーツ・ムーヴメントに対して定義したところの黒人のラディカルな伝統という枠組みの中にあなたの音楽は含まれると思いますか?

R:どちらとも言えません。何故人々が私とブラック・アーツ・ムーヴメントを結び付けたがるのかに関して理解はできますが、私の作品はアメリカにおいてあらゆる境界線を跳躍するラディカルな経験に対する信条なのです。バラカを始めとする、最初の波に乗った沢山のアーティスト達の創造なしには、私の作品が生まれることはありませんでした。
私は最後の時まで彼らのようなアーティスト達と繋がりを持っていたいですが、それと同時に、私の作品を、ただの黒人歴史月間のためだけのものでなく、ある種の「アメリカらしさ」という感覚として理解して欲しいとも願っています。
私の作品が、黒人歴史月間以外においてとりあげられることがないとすれば、それは私にとっては受け入れがたいことです。アフリカ系アメリカ人のアーティスト達が、彼らの作品の多面性や複雑さを無視され、一箇所に追いやられてしまうというのが私は好きでありません。それはまるでオークションにかけられるようなものです。アメリカ史の早い時期に起きた出来事とだけ自分を関連付けて存在することは不可能です。そういう捉え方には精神的にとても疲れてしまうようになりました。

S:アメリカという国家を、アフリカ系アメリカ人の経験したことと切り離して考えることは不可能だと私は考えています。文化的にも、政治的にも、そして社会的にも、その経験こそがアメリカをひとつに束ね、革新的に現代的社会を作り上げたと思います。
私達の社会はこの黒人的、アフリカン・アメリカン的側面のおかげで、所謂「モダン」という定義を超える何かの最先端に位置することができています。
ここで審美的な話になりますが、文化的な偏見なしに、完全に客観的で、音そのもの以外の何物とも一切の関係を持たない、純粋な音というものは存在すると思いますか?

R: そうですね、おそらく、ある意味では。私はほとんどの自由時間を小さな舟の上で過ごしています。今は近くにある運河に浮かんだ舟に住んでいます。舟に乗っている時は、純粋さに包まれた音を経験することができます。でも仕事中に私が奏でる「純粋な音」というものは、アフリカン・アメリカンの経験との関連性へと繋がっていきます。私にとってこのような純粋さとは、歴史の持つ「痛み」という種類の音です。
その生々しさは、文化という枠組みを越え、人間らしさという枠組みの中へと入っていくのです。
それはあるいは矛盾であるかもしれません。モダニスト的な審美眼というレンズを通す時、そこからアメリカの歴史はどこかに押しやられてしまいます。そういうやり方にはリスペクトがないのではないでしょうか。モダニズムは、過去の信仰や宗教などを理解しようと努めてきました。しかしアメリカの歴史、中でもアフリカン・アメリカンの歴史は、忌々しい宗教的歴史を基盤としています。白人、男性的、父権的な宗教という基盤です。
私は、アメリカにおいて黒人で女性であることに対しての自分の感覚に基づいた感覚的な行動のルールに基づいて活動しています。


ー中略ー

 R:この国でアフリカン・アメリカンの女性の持つ特権と、アフリカン・アメリカンの男性が持つそれの深い溝に関しては話が長くなりそうです。
実際にこのけだものの腹の中に入ってしまわなければ決して気づくことのない溝です。
若い世代の人々がデモを引っ張っているし、最前列にいるのは若いアフリカン・アメリカン女性達です。私が若い時に母や祖母、叔母のサポートを受けて経験した黒人のフェミニスト運動とはわけが違います。 
新しい何かが育まれつつあるのです。私の作品は、盲目な現代社会を生き延びるための杖の様なものです。 何が起こるのかは分からないけれど、ひとつだけ歴史において希望が持てることは、歴史はいつも解決を提示してくれたということです。この国が、否定に基づいて建国されたということをきちんと理解しない限りは、永久的な解決さくなどは何もありませんが。
すぐには変化は訪れないでしょう。ですから、アメリカのアーティスト達は、私達が前に進む責任があるということを思い出させられるような作品を作ることが大事です。 私がアーティストとして選ぶ物事にはこういったことが関係しています。


Bomb Magazine

http://bombmagazine.org/article/742833/matana-roberts
 
The interview with Matana Roberts by Christopher Stackhouse was commissioned by and first published in Bomb Magazine, issue 131, Spring 2015. © Bomb Magazine, New Art Publications, and its Contributors.
(クリストファー・スタックハウスによるマタナ・ロバーツへのインタビューはBomb Magazineにより委託され、2015年春の第131号で発行されている。訳文:蓮見令麻)




2015年12月7日月曜日

DUKE ELLINGTON "The Pianist"


デュークの演奏するピアノには、いつでも音楽の向かう道筋に灯る絶対的な光の様なものが存在している。
それは、演奏における「迷いの無さ」という奏者の主体的な感覚としての印象というよりも、音楽を通して何かに「奉仕する」という、ピアノの向こう側に居る対象の存在を浮かび上がらせるようなイメージである。そのピアノの向こう側の対象というのは、彼の音楽に耳を傾けるオーディエンスなのかもしれないし、あるいはデュークの言うところの「たったひとりの神」そのものであるのかもしれない。

このアルバム、"The Pianist"は、1966年のニューヨーク録音と、1970年のラスヴェガスでの録音を合わせたもので、すべてピアノ・トリオの編成での演奏が収録されている。
ニューヨークではJohn Lamb(bass)、Sam Woodyard(drums) 、ラスヴェガスではVictor Gaskin/Paul Kondziela (bass)とRufus Jones(drums)という顔ぶれになっている。
ラスヴェガス録音の部分は、ニューヨークのものよりも若干ピアノの聞こえ方が遠いのが惜しい気がするけれど、そんな思いを掻き消すくらいにデュークの演奏は圧倒的だ。

Duck Amok での厚い和音を重ねていく演奏には確実にオーケストラの残響が聞こえ、
そのブルースとリズムの感覚は「ジャズ」という言葉を辞書で引いたらそのままの音が聞こえてきそうなくらいに断定的だ。
かと思えば、そのすぐ後の Never Stop Remembering Bill の演奏において、デュークは優しさ、エレガンスとロマンチシズムというほとんど別人とも思えるような全く異なった表情を見せている。
それぞれの演目における雰囲気の対比の明瞭さは、悲劇と喜劇の限りなく薄い境界線についてきちんと知っている、才能ある俳優を思わせる。

デュークのピアノ演奏はとてもシンプルだ。
彼ほどに、たった一音で多くを語れるピアニストはそうそういない。
デュークの叩く鍵盤から響くひとつの音には、その一音が持ちうる最大限の「意味合い 」が詰まっている。それはできれば小説にして読みたいくらいに魅力的なストーリーの数々の欠片の様なものだ。
デレック・ジュウェル著「デューク:ポートレイト・オブ・デューク・エリントン」に、こんなデュークの言葉が記されている。
「私はジャズ(の曲)を書いているのではない。黒人の民族音楽を書いているんだ。」
「我々は長い間、ジャズという旗の下で働き、戦ってきたけれど、(ジャズという)言葉そのものには何の意味もない。ジャズという言葉にはある種の謙遜のようなものがある。」と、デュークは1968年にラジオで述べた。
彼はまぎれもなく大衆の持つジャズにおけるブラック・ゲットーのイメージを暗喩していた。

デューク・エリントンほどにエレガンス、知性、才能、そしてカリスマを兼ね備えた音楽家にとっては、ひとつのラベルによって彼自身の音楽がひとくくりにされてしまうのはひどく息苦しいことだったのかもしれない。そう考えると、エリントンという名前が今も「ジャズ」の代名詞の様にうたわれることは皮肉なものである。

ジュウェルは第一章をこのように締めくくっている。

デュークが亡くなった時、 何万人もの人々にとっての灯火が消えた。
彼らは、デュークがステージでいつも声高に宣言したのと同じくらいの愛を、デューク・エリントンという人とその音楽に対して持っていた。キャラバンは止まった。だが、音楽と、彼の残した文化的遺産は継続していく。

 デューク・エリントンのピアノ演奏は、一見すれば、様々なやり方で綺麗にラッピングされ、開けれられるのを待っているギフトボックスの様であるとも思う。
計算されつくしたわかりやすさ、まるで「あなたのために」とでも書いてあるかのように愛と奉仕精神に満ちた曲と演奏の数々。そのエレガンスと器の大きさという包装紙を何枚もめくっていくと、内側には何が隠されているのだろう?そんな私達の愚鈍な疑問を優雅な笑みでかわし続けるデュークの弾く先にはやはりいつも圧倒的な光が照らしだされ、その音楽を聞く私達は彼を通してその光を知ることができるのだ。


2015年10月5日月曜日

拡張されたマインド

ジョン・ケージの本、『A Year From Monday』の初めに書かれているこの文にものすごく惹かれた。

I believe -and am acting upon-Marshall Mcluhan's statement that we have through electronic technology produced an extension of our brains to the world formerly outside of us. To me that means that the disciplines, gradual and sudden (principally Oriental), formerly practiced by individuals to pacify their minds, bringing them into accord with ultimate reality, must now be practiced socially -that is, not just inside our heads, but outside of them, in the world, where our central nervous system effectively now is.

 「電子テクノロジーは、本来私達の外側にあった世界へと、我々の脳を拡張した」、というマーシャル・マクルハンの理論を私は信じているし、その理論に基づいて行動をしている。それが何を意味するかというと、徐々にでも突然でも、もともと個人個人が平和的精神を得る為に行い、本質的な現実と一体になることを可能にしてきた修練というものが、今後は社会的に行われる必要があるということである。つまり、私達の頭の中だけでなく、我々の神経中枢が今では効果的に存在する頭の外側の世界でも、修練がなされなければならない。
John Cage -A Year From Monday

この文章の意味をしばらく考えてみる。


2015年9月5日土曜日

2015 日本公演




2年ぶりに日本で演奏します。

今年の初め頃から挑戦している新しい試み、いわば、詩、言語と即興芸術としての音楽を編み合わせる試みの延長が、今回の日本公演の内容に影響してくると思います。
即興演奏を始めてからというもの、様々な音楽家達との共演、そして会話に刺激を受ける毎日ですが、特に、ピアノという面では今年の7月に亡くなった菊地雅章さん、そして、ボーカルの面ではジェン・シューに教えてもらったこと(音楽の理論的なことでなく、音楽との向き合い方、創造力の面で、ということになりますが)が、深く今の私には沁み入ってる感覚があります。

今回の日本公演は以下の二箇所になります。
会場では、今年リリースしたばかりのアルバム、UTAZATAのCDをお買い求め頂ける他、
同アルバムのLP盤の先行発売を致します。

文章を通して私のことを知っている方にも、
是非実際に音楽をライブで聴いてみて頂きたいと思います。
宜しくお願いします。


9月12日(土)
スピニングミル (大阪)
 7pm start
蓮見令麻ソロ (piano/voice)
2500円 (adv)/ 3000円 (door)
予約:contact@ruweh.com

9月14日(月)

荻窪ベルベットサン (東京)

蓮見令麻 (piano/voice)
菅原崇志 (bass)
本田珠也 (drums)

7:30 door/ 8pm start
3000円 (with 1drink)



スピニングミル(大阪)
住所: 590-0912 大阪府堺市堺区並松町45
南海本線 七道駅から徒歩7分  
阪堺電車 高須神社駅から徒歩5分


ベルベットサン(東京)
住所:杉並区荻窪3-47-21 サンライズ ビル1F
荻窪駅南口を出て目の前の線路に沿った道を新宿方面へ。
青梅街道に合流してから約100M。
荻窪駅から徒歩約8分。


2015年8月17日月曜日

ブラジル、アマゾンの詩と歌(一)





チアゴ・チアゴ・ヂ・メロの音楽は、とても親しみやすい。
一度聞いたら、ずっと頭の中で響き続け、気づけば口ずさんでしまう種類の音楽だ。
そういったブラジル音楽特有の親密さのある一方で、リズムやメロディーには洗練されたディテールが散りばめられている。
カートゥラが書いてきた歌の様に、チアゴ・チアゴ・ヂ・メロの心地よいメロディーに乗せられた歌詞には、燃えるような力強さと物語がある。

チアゴ・ヂ・メロというアーティストは、私の知る限りでも全部で4人居る。
アマゾンの詩人で、素晴らしい作品を発表してきたアマドゥ・チアゴ・ヂ・メロ。
作曲家でマルチ・インストゥルメンタリストのガデンシオ ・チアゴ・ヂ・メロ。
実験的フォーク・ミュージックのシンガー、マンドゥカ・チアゴ・ヂ・メロ。
そして、シンガーソングライターのチアゴ・チアゴ・ヂ・メロだ。
詩人のアマドゥはチアゴ・チアゴの父であり、シンガーのマンドゥカは兄、作曲家のガデンシオは叔父にあたる。

先日、チアゴ・チアゴと話をする機会があった。
彼はとても誇らしげに父、アマドゥについて語った。
アマドゥ・チアゴ・ヂ・メロは、1926年に生まれ、パブロ・ネルーダを始め、チェ・ゲバラやフィデル・カストロなど、ラテンアメリカを代表するアーティスト、政治家と交流を持ち、制作活動を続けてきた。
そんな父を持ち、音楽家の兄と叔父を持つ彼は、このような活動の系譜を受け継いでいくことに情熱的だ。
 音楽家達の感性が豊かであり続けること、メディアを介したジャーナリズムだけに頼らないこと、
伝統的な楽器で新しい音楽を弾く、または、新しい楽器で伝統的な音楽を弾くこと、
そしてそこに、「story-telling ものがたりを伝える」という淡々とした深遠なる流れがあること。
チアゴは私達にそんなことを語った。

チアゴと、パンデイロ奏者のセルジオ・クラコウスキは、同じくブラジル音楽に新しい潮流を送り込むため、実験的な音楽を演奏する同志のミュージシャン達と共に、コレクチボ・シャマ(炎の集団)をたちあげた。
このコレクティブを結成した当初、
「今、手を繋いでひとつの『集団』にならないと、僕達はつぶされて消えてしまう。」という風に感じていたとチアゴは言った。
コレクティブを結成してから最初の三ヶ月、彼らはそれぞれの楽器を手にすることなく、まず互いの思想を交換するために話し合いを続けたという。
以下は、nprのコレクチボ・シャマについての記事より抜粋。

ブラジルの楽曲は、想像の世界を見事に表現する。
中でも、リオデジャネイロはそういった楽曲の宝庫と言っていい。
19世紀のマシーシェやショロに始まり、20世紀のサンバやボサノバに繋がっていった、リズムと深い叙情性の素晴らしい融合がリオにはある。
ブラジル人にとって、このような楽曲の数々は特に大きな意味を持っている。
ブラジルでは正式な教育が万人に開かれていないために、人気のある曲がある種の教育になることがあるのだ。

「ほとんどのブラジル人は、ソングライターの曲を聞いて、話し方、書き方、そして感じ方さえも学ぶんだ。」チアゴ・チアゴ・ヂ・メロは言う。
チアゴは、リオのソングライターの中でも新しい世代で、ブラジルの音楽について真剣に考えている。
チアゴは、アマゾンの詩人、アマドゥ・チアゴ・ヂ・メロの息子であり、
ブラジルの豊かな文学的伝統とサンバやフォホ、パゴヂの様なアフリカ的リズムを、ジャズ、ロック、エレクトロニカと融合させてきた。

チアゴと彼の仲間は、彼らの試みている新しいブラジル音楽の形を、「explorative-探求的なもの」と呼ぶ。
トム・ジョビンとジョアオ・ジルベルトがボサノバのムーヴメントを、
あるいは、カエタノ・ベローソとジルベルト・ジルがトロピカリアというムーヴメントを牽引し、音楽として発展してきた時の様に、
今の時点でこの「explorative」 という言葉を、うまく英語に訳すことは難しいかもしれないが、この言葉はブラジルのユートピア的系譜と野望を確実に思い起こさせる。




(npr jazz "In time for world cup, explorative new music from Brazil" by Tim Wilkins
http://www.npr.org/sections/ablogsupreme/2014/06/13/320978456/in-time-for-the-world-cup-explorative-new-music-from-brazil

ブラジル、アマゾンの詩と歌(二)




Estatutos Do Homemという、アマゾンの詩人、チアゴ・ヂ・メロの代表作の詩集を、息子であるチアゴ・チアゴ・ヂ・メロからもらったのは、夏も本格的になってきた7月の終わり頃だった。

丁度その頃、休暇のためにマーサズ・ヴィニヤード島に行く直前だった私は、
休暇中に読む本として、『ヤノマミ』(国分拓著)を選んだ。
ずっと昔に、古本屋で見た写真集の中で、ヤノマミの人々が川べりで蝶に囲まれて水浴びをしている写真に魅了されてから、ヤノマミという名前がずっと頭の中にあった。


その本を買って数日後に、チアゴ・チアゴ・ヂ・メロのライブを見に行った時、
チアゴは歌の中でヤノマミを始めとする様々な部族の名前をあげていた。
ポルトガル語だったので、ヤノマミだけは聞き取れたのだけど、それについて何を歌っていたのかは残念ながらわからない。
ライブの後に、「丁度ヤノマミに関する本を買ったところだった。」 という話をしたら、
彼はすごく喜んで、「友情の印に。」と言って、私の手首にアマゾンで作られたという木製の腕輪をはめてプレゼントしてくれた。

マーサズ・ヴィニヤード島についてからも、
ヤノマミやアマゾンのことが頭から離れず、気づけば私は島のネイティブ・アメリカンの歴史館へと足を運んでいた。
残念なことにヴィニヤード島に昔から暮らしていたワンパノアグ族の人々の数は劇的に少なく、ワンパノアグの血を受け継ぐ少数の人々が、ひっそりと集落に暮らしているくらいだ。
この美しい島に、文明化された側の人間として足を踏み入れる自分は、あるいは偽善的であるかもしれない。
だけどそれでも、私にはアメリカ大陸の先住民達のことを考えずにはいられない時がある。
静かな部屋で海の音を聴きながら『ヤノマミ』を読み、
私は ヤノマミの暮らし、人の純粋さ、文明と接しない決断、文明と接する決断、運命を思った。


詩人、チアゴ・ヂ・メロはブラジルにおいて軍事政権が台頭した60年代に投獄され、
国外に亡命した。亡命先のチリで、チリの代表的な詩人、パブロ・ネルーダと出会い、そこでこの詩を書いた。チアゴ・ヂ・メロは現在も、アマゾンの熱帯雨林と、アマゾンに暮らす先住民族の社会的権利を守るための活動を続けている。



 「人間の条項」 チアゴ・ヂ・メロ




第一条
重要なものは真実であり、
重要なものは命である。
我々は互いの手を取りあい、
命の意味について考えることをここに定める。


第二条
平日でも毎日が、
曇り空の火曜日でさえもが、
日曜日の朝になり得る権利を持つことをここに定める。


第三条
これから先ずっと、
すべての窓際にはひまわりがあり、
そのひまわりは日陰で咲く権利を持ち、
その窓は一日中、希望を育む新緑へと向かい開き続けることをここに定める。


第四条
人間は、人間をもう決して疑わないこと、
やしの木が風を信じる様に、
風が空気を信じる様に、
空気が空の青い拡がりを信じる様に、
人間は人間を信じることをここに定める。

 第一項 
 子供がまたひとりの子供を信じる様に、
 大人もまたひとりの大人を信じる。


第五条
人間は、偽りへの隷属から解放され、
誰一人として、沈黙の鎧をまとい、言葉の武器を使う必要はないこと、
人間が曇りのない瞳でテーブルの前に座れば、
デザートの前には、「真実」の皿が出されることをここに定める。


第六条
十世紀もの間、イザヤという預言者が夢に見た習わし、
すなわち、狼が子羊と同じ草原で草を食べる時、
彼らの食事は生命の春の味つけであることをここに定める。


第七条
正義と明瞭さの永続的統治は、撤回し得ない条としてここに定める。
よって、幸福は、人間の魂の中で永久にたなびく寛大な旗となる。


第八条
最上級の痛みとは、これまでも、そしてこれからも、
植物に花咲く奇跡を与えるのは水であると知りながら、
愛すべきひとに愛を与えられない無力さであることをここに定める。


第九条
毎日のパンには、人間の汗の商標が施されることをここに許可するが、
パンはいつでも温かく柔らかな味でいなければならない。 


第十条
すべての人間が、
人生のいかなる時においても、
日曜日用のベストを着用することをここに許可する。


第十一条
人間は、愛を知る動物であると定義し、
よって人間はいかなる夜明けの星よりも美しいということをここに定める。


第十二条
命令、禁止事項というものは存在せず、
サイと戯れることも、巨大なベゴニアの花を襟にさして午後の散歩をすることも、
すべてが許可されることをここに定める。

 第一項
 唯一の禁止事項は、
 愛しながら愛に不感であること。


第十三条
金で夜明けの太陽を買うことは金輪際不可能であり、
恐れの詰まった箱から放り出された時に金は友愛の剣となり、歌歌う権利を守護し、来たる日々を祝福するであろうことをここに定める。


最終条項
自由という言葉の使用をここに禁ずる。
自由という言葉はすべての辞書から、
そして当てにならない「口」というぬかるみからはじきだされる。
よって自由とは、
火、または川の様な、
小麦のひと粒の様な、
目に見えぬ生命体となり、
その帰り着く場所は必ず人間の心となる。



(Estatutos Do Homem by Thiago de Mello(1964) 訳:蓮見令麻)