2014年10月31日金曜日

"LOVE AND GHOSTS" FARMERS BY NATURE





例えば、真夏の湿った空気の中で鴨川の土手に座って青空を見あげ、汗をかきつつヘッドフォンで聴くのもいい。
または、しんしんと雪の降る寒い夜に山小屋の中で暖炉にあたたまりながら大きなスピーカーで聴くのもきっといい。

すべてコレクティブ・インプロビゼーションに基づいたFARMERS BY NATUREの音楽。
この録音、"LOVE AND GHOSTS"は2011年にフランスのフェスティバルで演奏されたライブ録音だ。


衝動が音を突き動かし、経験と感覚が統制を取る。

ピアニスト、クレイグ・テイボーンの弾くピアノは都会的な響き方をする。
都会のエレガンス、思考、レジスタンスと制御、多面的構造、枯渇することのない創造性。

ウィリアム・パーカーの太いベース音はテイボーンの弾くピアノの音の間をうねるように通りぬけ、まるで大きな織り物を縫い上げる糸の様に音と音を繋いでいく。

そこに加わるジェラルド・クリーヴァーのドラム、パーカッションの自然なサウンドが、一気に音楽をまとまりのあるオーセンティックなものに仕上げる。彼の叩くドラムの音は音響的にも本当に素晴らしく、
このグループの音楽性を確固たるものにしている、と私は思う。

その音楽の構成は、大きな部分が『感触』に基づいているのではないだろうか。
仕立屋があらゆる布を手にとって、その感触を元に様々な服を仕上げていくように、
音楽家達も、音のあらゆる感触を、記憶と感覚に刻みこみ、または瞬間的に創造しながら表現し、
その感触のバリエーションのコントラストを音楽の構成にしていく。
それは多くの場合、楽譜にはしにくいものである。
二次元的に、メロディーはこれで、コードはこうで、リズムはこうなる、という決め事をせずに、
音の響き方を立体的に吟味しながら、作り上げていく類のものだから。

文字が好きな私はどうしてもファーマーズ・バイ・ネイチャーという名前の意味を考えてしまったりする。
「生来、農民である」というのは、
自ら畑を耕し、自らの食べ物を育てるように生まれた、ということだ。
つまり、自ら音楽的アイディアの畑を耕して、自らの創造性を持って芸術への空腹を満たしていく、というところだろうか。
紛れもなく、3人はそのようなテーマにふさわしい音楽の作り方をしていると思う。
農民というのは、本来、とても自由な職業なのだ。
これくらいの大きさで、こんな甘さで、こんな酸っぱさのりんごを食べたい、と想像した時に、じゃあ、作ってみようじゃないか、といって実際にりんごを形にする。
そういう自由さと行動力を持った、「農民」でありたいと願うのは、優れた芸術家にとって、
きっとあたりまえのことなのかもしれない。





2014年10月25日土曜日

DUKE ELLINGTON'S CONCERT OF SACRED MUSIC (1966)



デューク・エリントンを持って「自分の達成した仕事の中で一番大事な作品」と言わしめたこのコンサート録音は、65年に初めてサンフランシスコで上演され、翌年の66年のニューヨーク公演で録音された。
まず、音が良い。ビッグバンドに合唱隊もつけた大編成のコンサートでも、天井の高い大きな教会での録音には臨場感とまとまり、適度な響き具合がある。
音楽的には少し実験的なところが感じられる。
合唱隊のところどころユーモラスな感じもする歌の入り方や、リズミカルなポエトリー・リーディング、タップダンスなどが織り込まれていて、単純に音楽として聴くよりも、ひとつの壮大なテーマを持った舞台として鑑賞する方がしっくりくるものかもしれない
そして、その舞台のテーマというのは、聖書と信仰なのだ。
そういったテーマとアルバムタイトルだけを見ると、このレコードはものすごく重厚なスピリチュアル音楽であってもおかしくはない。
だけどそこはデューク。テンポ良く話の進む物語の様に、少し驚く様なエンターテイメント性も織り込み、同時にジャズの伝統を駆使して見事なオーケストレーションとアレンジメントを繰り広げている。

イントロでのハリー・カーニーのバリトンの音から、ジミー・ハミルトンのクラリネット・ソロへの流れは美しく、いかにデューク・エリントン楽団がデュークの作曲・編曲の才能だけでなく、人選の質の良さの賜物であるかを実感させられる。
A面で4曲中3曲を歌い上げているのが、エスター・マロウというシンガーで、彼女はデュークに才能を認められ、この舞台でデビューしたのだそうだ。マハリア・ジャクソンをとても尊敬していた様で、
ジャズ・シンガーというよりも、生粋のゴスペル出身という歌いまわし。
バンドのジャズの演奏と、エスター・マロウのあまりジャズっぽくない歌い方のコントラストが新鮮だ。

ここで、ライナー・ノーツのデューク自身の言葉を引用したい。

コミュニケーションというのは、大勢の人々を困惑させるものである。
それはとてつもなく難しいと同時に、とてつもなく単純明快である。
人間の持つ恐れの中で、私達が一番恐れているものとは、実に私達自身ではないだろうか。
世の中全体との直接的なコミュニケーションの中で、もっとも個人的なレベルでの報復、つまり理解されないということを深く恐れているのだ。
それでも、神を信じた者達が誠実さを求めて恐れを投げ打ち、理解されようがされまいが意思疎通を試みた時に、いつも奇跡は起きる。
人間は「叡智」というものの恩恵を部分的に享受しているものの、すべての叡智を持つのはただひとりだけである。
神は全体を理解している。
ひとつの言語を喋る者もいれば、複数の言語を喋る者もいる。
人間は皆、それぞれの言語で祈り、そのすべての祈りを神は理解している。
昔、ある男がジャグリングをしながら神に祈りを捧げたという。
彼は世界一のジャグラーという訳ではなかったが、彼にとってはジャグリングは一番の特技だった。
神は男のジャグリングと祈りをそのまま受け入れた。
あるドラマーやサックス奏者の技術がどれほどのものであったとしても、もしその楽器を演奏することが彼らの特技で、深い信仰心に由来するものであれば、その演奏が楽器の種類によって神に否定されるということはない。その楽器が例えトムトムであっても、ただのパイプであってもだ。
悩み事がある時、人は祈りを捧げながら呻き、泣くだろう。
神の恩恵があって初めて自分の人生が存在することに気づいた時に、人は歓喜し、歌い、踊るだろう。
この演目では、言葉の存在しない様々な声明が聴かれるが、6つのトーンからなるフレーズには意味が込められている。それは、聖書の最初の4文字、In the beggining Godというフレーズの中にある6つの発声音のシンボルなのだ。この曲は何度も、違うやり方でそのシンボルを繰り返している。

私の持つ印象では、ジャズという音楽は宗教との深い関わりを持っている様には思えない。
地理、時代的背景を考えて、ここではキリスト教のことになるけれど、教義の様なものを全面に押し出したジャズ・レコードというのはあまり聞いたことがない。
その時代のアメリカでは、ジャズという音楽が生まれ始めた頃、「そんな野蛮な音楽を聴くな」と両親が子供に告げることもあったくらい、「危険」な音楽だと認識されていたこともあった様だから、教会で演奏されるゴスペル・ミュージックとストリートや酒場で演奏されたジャズの間には明確な一線が引かれていたのかもしれない。それに加えて、ジャズという音楽そのものが論理的、芸術的深みを増していくにつれて、ミュージシャン達は音楽そのものを信仰するようになった、とも考えられる。

そういう印象もあって、デューク・エリントンのこの音楽的試みは何かとても新鮮な輝きを持って私に迫ってきた。
何か深い精神性を包括するような、ぐちゃぐちゃ、どろどろ、したものを想像していた私には、
拍子抜けするくらい、デュークの"Sacred Music"、『聖なる音楽』は、あっけらかんとしているように感じた。
これだったら、アルバートアイラーの音楽の方が随分「宗教的」「スピリチュアル」だと思う。

とにもかくにも、この作品は、ジャズにすっかり慣れてきつつあった60年代のアメリカの大衆に、大変高い評価を持って受け入れられた様だ。
デューク・エリントンの作品には、ものすごく高度なエンターテイメント性と、ものすごく高度な芸術性が奇跡的なバランスで共存している。これはすごいことだと思う。

私はキリスト教についてほとんど何も知らないけれど、
デュークが、キリスト教の「神」という存在を通じて話している内容は、よく理解できる気がする。
理解されないかもしれない、という恐れを乗り越えて表現し続ける、というのは芸術の本質だと私も思うのだ。理解されないかもしれないが、自分にはそれを表現したいという自然な欲求がある。
その欲求に誠実に、表現する、ということが、宗教的な意味での「祈り」と同義であるということだ。

コメディの神聖さについてもジャグリングの話を通じて彼は話しているが、
もしかしたら、デューク・エリントンは、音楽家としての自分がエンターテイナーであり、ある意味での道化師である、ということを考えていたのかもしれない。




2014年9月30日火曜日

the world is a mill



私はカルトーラの歌うサンバが大好きだ。
彼の歌は、正直に、淀みのない、迷いのない音で、 私達に語りかけてくる。

この O mundo e um muinho - the world is a mill - という曲は、
ブラジルでの当時の風の噂では、娘が売春婦になってしまったということを知った時にカルトーラが作曲した曲だと言われている。

そして、
この映像の中でカルトーラが歌を聞かせている相手は、40年間ほどもの間会うことのなかったカルトーラの父親である。長い間の息子との別離にも関わらず、カルトーラの父は彼の歌をよく知っていた。
「何が聞きたい?」と聴くカルトーラに、「サンバがいいね。」と何気なく呟き、
O mundo e um muinhoを聞きたいと言った父親に、息子は歌い始める。 



愛しいひとよ、まだ早い
人生についてやっと知り始めたばかりなのに
もうすでに旅立つ時だとあなたは云う
これから先にある道筋を知りもせずに

愛しいひとよ、どうかあたりを見渡して
もうすでにあなたの気持ちが決まっているのは知っているけれど
隅々から、あなたの人生は少しずつこぼれている
ほんの一瞬で あなたがあなたじゃなくなってしまう

愛しいひとよ、どうかよく聞いて
注意深くしていないと
世界はまるで粉挽き器のようなものだから
悲しいけれど、あなたの夢さえ粉々に挽き飛ばしてしまう
あなたの幻想も埃へとすり減らしてしまう

愛するひとよ、どうかあたりを見渡して
それぞれの愛の経験から皮肉だけを受け取って
気づいた時には深淵のふちに立つだろう
自分の足で掘った底知れない穴のふちに


 こうやってこの曲の歌詞を訳してみた時に、
私は自分も含めた世界中の若い音楽家達のことを思う。
現代に生きる私達にとって、音楽家になるとはどういうことだろうか。
その根本にあるものは、昔も今もきっとそんなには変わらないのかもしれない。

音楽を演奏するということは、ある意味ではとても個人的な行為であるけれど、
その個人的な活動、探究が深ければ深いほどに、地球の裏側の誰かと、同じ深さから音楽を媒体とした感覚の叡智を共有することができる。

音楽とは本来愛の経験であるのに、それを皮肉に変えてしまうものとは、資本主義に喰われる名声と欲だ。
そうやって、音楽の行為と商業的成功を混同してしまい、どこまでも靴を泥まみれにして深い穴を掘ってしまう人もいるだろう。
何かのきっかけで穴を掘り始めるのは、いたって容易なことなのだ。
そんな時にこの歌を聞いて
私達はきちんと大地に足をつけることができるだろう。
大事なことは何か。
どういったものを芯ととらえて、音楽を演奏するか。
そういうことをカルトーラは底抜けに明るい響きの歌を通して、私達に問いかける。






2014年8月22日金曜日

George Cables Trio @ The Village Vanguard



八月の中旬から終わりにかけてのニューヨークは、少し閑散としている。
ニューヨーカー達は、来る長い冬を乗り越える覚悟を持って過ごすために、夏の間は休暇を思い切り楽しむ。
彼らは暑苦しい街を出て、ニューヨーク郊外やボストンやカリブ海に行き、自然に囲まれた夏の思い出を作るのだ。そういう彼らの口癖は、「街を出たい。」「街を出なきゃ。」
だけれど、このニューヨーカーにとっての「街を出る。」は、大体いつも一時的にそうする、ということを意味していて、その言葉の裏には、「それでも僕達はニューヨークを愛しているけどね。」という暗黙の了解が潜んでいる。

一方で、街中に残ることを選んだ別のニューヨーカー達は、心地よい夏の夜に、いつもより人通りの少ない静かな通りを大股を開いてゆっくりと闊歩する特権を得る。
さらっとした晩夏の夜風を受けながら、七番街を下っていくと、
そこには見慣れた赤いドアが待ち受けている。
ヴィレッジ・ヴァンガードという場所はやっぱり、すごく特別な場所だ。
老舗の店ということもあるし、歴史を紡いできた重みもある。
何よりも、ここはとてもロマンチックな場所だ。それは、恋人達の交わす愛のためだけに使うロマンスという意味ではなくて、ありとあらゆる人間模様とそこに付随する感情をそっくりそのまま、万人の記憶の片隅に印刷してしまうという類のロマンスである。


ここで昨晩、私はジョージ・ケイブルス・トリオの演奏を見た。
ベースはエシエット・エシエット。そしてドラムはヴィクター・ルイス。

トリオの演奏はボビー・ハッチャーソンの曲で始まり、 二曲目はYou're My Everythingだった。
この曲を聞くと、どうしても、テザード・ムーンの演奏したバージョンが頭の中に響いてしまう。
最後にポール・モチアンと菊地雅章が一緒に演奏するのを見たのもヴァンガードだったのだ。
それでもやっぱり、演奏が盛り上がるにつれて、ジョージの演奏するスタンダードの素晴らしさを私は徐々に思い出していた。
私が恩師と呼ぶふたりのピアニストはジョージ・ケイブルスとジョン・ヒックスで、この二人の演奏は、全く違うといえば全く違うのだけれど、その流れる様なフレージングと秀逸なタッチにはどこか共通するものがある。
するすると流れていく細やかな音、そのうしろにしっかりと根をはったブルース、
スタンダードに、「歌」を感じさせる情感、ああ、これが私は大好きだったなぁ、とあらためて思った。なにしろ最近はフリー・ジャズと呼ばれるものばかり聞いていたので、ジョージのピアノを聴くのはなおさら新鮮だった。
他にもバンドはBody and Soulやジョージの作曲した曲をいくつか演奏した。
どれも聴き応えのある、見事な演奏だった。
椅子に沈み込んで、ヴォッカトニックを啜りながら私は考えていた。
「音楽を演奏すると、自分の本当の姿を隠すことはできない。」と言ったのはメアリー・ルー・ウィリアムスだっただろうか。
ジョージの演奏からは、暖かさ、明るさ、ユーモア、美しさ、深み、そういうものが溢れ出していた。
音楽を通して、観客席の私達は、彼の素晴らしい人柄に触れ、人間の素晴らしい創造力に触れ、幸せな気持ちになり、家路につく。
音楽を演奏するというのは、そういうことなんだよなぁ、と、しみじみと感じたのだった。
ヴィクター・ルイスの演奏も素晴らしかった。
彼のドラムは、シンプルなのに饒舌で、繊細だけどワイルドで、太陽の光を浴びた土の匂いがした。
口では多くを語らないのに、表情や仕草から、滲みだす存在感と深い味わいは隠し切れない、そういう人っている。
ヴィクター・ルイスは、きっとそんな人なんじゃないだろうか。
途中、彼はスティックをおろし、素手で長い間ドラムソロを取った。
言うまでもなく、素晴らしかった。

新しい世代のジャズも素敵なものがたくさんあるけれど、
こうやって長い間、自分が愛すると決めた曲をとことん愛して、弾きこんで、
ただ純粋に音楽を演奏してきた、そういうオールド・スクールな渋さを目の当たりにすると、
やっぱりジャズの素晴らしさはこれだな、と思う。
自分以外の何者にもなろうとしない。飾り立てることなしに、率直に、自分の生身のままを弾く。
ぐちゃぐちゃのどろどろの世界から、楽器を通して叫んで、歌って、夢見てきた、そういうリアリズムが、ジャズを魅力的なものにしてきたのだ。

帰り際に、長い間借りたままだったマハリア・ジャクソンのレコードをジョージに手渡し、
素晴らしい演奏だったと告げた。
私の記憶の中のヴィレッジ・ヴァンガードには、またもう一ページ、新しい色の思い出が加わった。





2014年8月9日土曜日

音楽と信仰 

悲しいニュースばかり左から右へと流れていく毎日の中で、
私はいつも、芸術という鳥をこころの中の枝にとめていたい。
歌、詩、色彩、旋律、それらはいつも、重く沈んだ精神に羽をつけてくれる。
争いを生み出し続ける強欲、民族・同胞意識、宗教、そういうもの達から芸術は解放されている。

エマホイ・ツェゲ・マリアム・ゴブルーという、エチオピアのピアニストについての話をしたい。

彼女は、60年代に、エチオピークのシリーズからソロピアノ録音を発表している。
エチオピアの音階も充分に聞こえるその音楽からはラグタイムの欠片のようなものも聞こえてくるし、
またブルースも聞こえてくる。
その丸みを帯びたタッチは、メアリー・ルー・ウィリアムスのタッチによく似ている。
だけど、エマホイの演奏には、メアリー・ルーの弾く様なユーモラスで悲しいという味のブルースは存在しておらず、代わりに、アフリカの広い大地を思わせる様な明るい響きが音楽全体を形作っている、というイメージを受ける。




彼女は、1923年生まれ、現在91歳。イスラエルに住む。
80年代にイスラエルに移住してから、エルサレムにあるエチオピア正教の修道院で、日々祈り、
ピアノに向かう生活を送ってきた。
宗教に携わる者として、表に出る華やかな音楽家、という道を選択することのなかった彼女は、
演奏の場を公に探すことをせず、日々、ただ神に捧げるためだけにピアノを弾いた。
そんな時、つい数年前に、イスラエルに住む若者が、エチオピークのアルバムを聞き感銘を受け、
同時にエマホイがエルサレムに住んでいることを知る。
彼らは修道院を訪れ、エマホイの了承を得て、彼女の書いた膨大な枚数の譜面をかき集め、
ついにエマホイの作曲集として出版した。
さらに感銘を受けた人々は、エマホイの作曲した曲を若い音楽家達で演奏するコンサートを催し、
大成功をおさめ、エマホイは一躍、90歳にしてイスラエルの「時の人」となったのだ。


エマホイが生まれたのはアジス・アベバ。
父は政治家で、母はハイレ・セラシエ皇帝の二番目の妻、メネン皇后の家系の出であった。
エマホイは6歳の時にスイスに渡り、教育を受け、バイオリンを始めた。
1933年に、10歳で一端エチオピアに戻るものの、すぐに第二次エチオピア戦争が始まる。
ムッソリーニ政権のイタリアがエチオピアに軍事侵攻し、イタリアの独裁的な占領軍に反抗的な立場をとったエマホイの家族は捕虜としてイタリアのアシナラという島に送られてしまう。
戦争が終わり、1944年に家族はアフリカへ帰還。
彼女はエジプトへ移り、アレクサンダー・コントロウィッツというポーランド移民のバイオリニストに師事し、音楽をさらに勉強した。この頃はまだ、バイオリンを主に弾いていたようだ。
のちにエマホイはコントロウィッツと共にエチオピアに戻り、エマホイ自身はエチオピア外務省のアシスタントとして働き、コントロウィッツはハイレ・セラシエ皇帝じきじきに使命され、宮廷音楽隊の音楽監督に就任する。

その後、エマホイはロンドンで音楽の勉強をする奨学金を与えられるも、エチオピアの権威は彼女の出国を許さなかった。
希望を断たれ、深いショックを受けたエマホイは何日間も絶食し、死の淵を彷徨った後に、神との聖餐を望んだ。
エマホイは、エチオピア北部、岩窟教会群のあるウォロ州へと移り、修道院での暮らしを始め、
21歳の時に修道女となった。のちにゴンダルという古都にも住んだようだ。
ところで、このゴンダルという場所は、タナ湖の北部にあり、ベータ・イスラエルと呼ばれるエチオピアのユダヤ人集団が住んだ場所だ。少し調べれば分かることだが、エチオピアの皇室はソロモン王の系譜であることを主張しており、紀元前、古代ユダヤ教を宗教としていたが、4世紀頃にキリスト教に改宗している。9世紀にユダヤ教がほぼ完全に淘汰されるまで、ふたつの宗教は競り合いながら共存していた。イスラエルと同じように、ゴンダルという場所でも、異なる宗教を持った人間がすぐ隣同士で、神に祈りを捧げてきた。


1960年代、エマホイは修道女として神に献身する一方で、 熱心にエチオピアの宗教音楽を学び、作曲もした。
この時期に、裸足で教会の外に寝泊まりしながら教会に勉強をしにきていた子供達を多く見たエマホイは、自分の音楽でこの子供達の教育の手助けをしたいという思いに駆られる。
結果、ハイレ・セラシエ皇帝の援助により、1967年にデビュー・レコードを出し、その売上をすべて子供達の教育のために寄付したという。
これは丁度、ハイレ・セラシエ皇帝がジャマイカを訪れ、ジャーという生き神としてセラシエ皇帝を崇めるラスタファリアン達に熱烈な歓迎を受けた、次の年のことだった。

1970年代になると、エチオピアはオイルショックや飢饉による混乱に見まわれ、
兵士達によるクーデターで皇帝は捉えられ、退位後、殺害された。
1974年政府は独裁体制のメンギスツの支配下となる。
メンギスツは彼の政策に反抗するものを次々と捉え、投獄、処刑していった。
この混乱の中で、60、70年代に活躍したEthiopiquesを始めとするエチオピアジャズは急激に衰退していった。
自由な即興演奏を主体とするジャズという音楽をメンギスツが危険要素とみなし、音楽家達を攻撃しはじめたために、身の危険を感じた音楽家達が外国へ亡命していった結果のことであった。

このような政治的混乱の最中、独裁者メンギスツのマルクス主義的政策が自身の宗教的献身を侵害すると考えたエマホイは、母の死後、 1984年にエルサレムへ逃亡。
今まで、エルサレムのエチオピア正教会に修道女として暮らしてきた。

この1984年というのは、モーセ作戦というイスラエル政府の帰還法に基づき、のべ八千人ほどのベータ・イスラエル、つまりエチオピアのユダヤ人がエチオピアからイスラエルに移送され、帰化を許された年である。現代版の出エジプトだ。詳細は定かではないが、エマホイ自身も、このモーセ作戦によりイスラエルに移住したという可能性がある。

ピアニストの修道女。エチオピアからイスラエルへ。
何という波乱万丈な人生だろうか。
これだけ様々な事が周囲で起きる中で、彼女は「信仰と音楽」という一点だけを見つめて、
91年間生きてきたのである。
現在も侵略と戦争に隣り合わせで生きる彼女は何を思い、日々を過ごしているだろうか。

パレスチナは、イスラエルは、エチオピアは、オキナワは、「誰の」土地だろう?
所有するのは、侵略するのは、占領するのは誰のためだろう?
わたしはこの国の人間で、あの子はあちらの国の人間で?
何がそれを決めるんだろう?
生まれた国、肌の色、宗教、言葉、血筋?
自己防衛のために、わたしは武器を持って、あちらも武器を持って、みんな武器を持って安心?

人間の本質は決してそんなところにはないと思う。


エマホイの歩いてきた人生に思いを馳せ、
平和の意味をいま一度考える。






参考資料:
http://wemezekir.blogspot.com/2012/12/happy-birthday-emahoy.html
http://www.theguardian.com/world/2013/aug/18/ethiopian-nun-music-holy-enrapture
http://www.ethiopianstories.com/component/content/article/37-editors-choice/79-emahoy-tsegue-mariam-gebrou
http://www.tadias.com/07/08/2008/historic-concert-by-ethiopian-nun-pianist-composer-in-dc/





2014年7月31日木曜日

「方向の変化」以上のものを 〜つづき〜

このインタビューを読んで、私は穏やかな感嘆を覚えた。
ヴィジョン・フェスティバルでのマシュー・シップ・トリオの演奏は、まさにシップ自身がインタビューで述べている内容通りの表情を私達に見せてくれていたからだ。
ピアノ、ドラム、ベースという伝統的なピアノトリオの構成。
今までの彼の作品よりも、もっと「馴染みやすい」、「ジャズ的」サウンド。
きっと彼は、とても頭の冴えた、そして優しい人なのだろうと、つい私などは想像してしまうのだけれど、
感性の細やかな人だからこそ、オーディエンスへの橋渡し、という感覚を音楽的実験の中に取り入れたりできるのかもしれない。
しかも、マシュー・シップはそれを、自身の音楽的理想を犠牲にせず、限りなく繊細なバランスを保って成し遂げている。
彼の少し以前の演奏は、もうすこし荒いというか、どすのきいたフリージャズピアノという感じがあった。そこから、今のもう少しオーディエンスにとっては入り込みやすい演奏への試みをする課程において、どういう心境の変化があったのだろう?

フリーのピアノトリオ演奏で、私がすぐに思いつくのは、セシル・テイラー、そして菊地雅章のふたりだ。
セシル・テイラー:フィール・トリオの混沌と舞踏、 または菊地雅章:テザード・ムーンの静謐さとエレガンスとも違う、独自のスタイルをマシュー・シップ・トリオは持っている。
トリオのメンバーそれぞれが独立した、個々の音の表情を演出する。
それでいて、そのバランスや一体感は研ぎ澄まされていた。
演奏の中で、静寂や激情といった表情の変化は豊富にあるのだけれど、そこで決して遠くへ行き過ぎない、統制を保っているのだ。
大人のする恋愛ってこういう感じだろうか。
特に印象に残っているのだが、 ドラマー、ウィット・ディッキーが、大きな体の背筋を伸ばし、 目を瞑って、ただスネアドラムだけを長い間叩き続ける様子はまるでどこかの僧侶が一心に瞑想をしながら木魚をたたく姿の様であった。
それくらい、内省的な音楽だ、という印象を得たということだが、
内省的であると同時に、音のエネルギーは確実に聞く側に差し出されている。

インタビューの中で、彼はこう言っている。
「ひどい文化、社会の状態とのバランスをとるためにも、音楽家達は、例え自分達が稼げなくても、
この種類の音楽(主にフリージャズのことだろう)を継続していかなくてはならない」と。

世の中の人々の多くの眼が利益とコンフォート(居心地の良さ)に向いている中で、
純粋に芸術への専心、という活動をする芸術家、音楽家の存在は、
大げさではなく、そういった世の中のバランスをとるはずだと私も思う。

少し前に書いたものの中で、自己決定権という話をしたが、これはもちろん音楽に対する姿勢に関しても同じことが言える。
演奏する側は、利益が例えでなくとも、自分がその作品を信じている限り、魂を投じて演奏すればいいのだし、演奏を聞く側も、他者からの評判を頼らずに、自分の感性と判断のみを信じて鑑賞するしないを決定する、そういうスタンスがこの種の音楽においては求められる。
そしてそういう姿勢こそ、「大衆」というひと括りの枠が価値基準になっている現在の世界で、私達が今見直していかなければいけないことだと思うのだ。


最後に、与謝野晶子の、「愛、理性及び勇気」より以下を引用したい。

ほんとうに芸術を愛そうとすると、世間の評判なんかに拘泥して居る余裕はありません。
寧ろ世間の評判なんか害こそあれ何にもならないという気が起こります。
自分のまだ知らずに居る 漠然とした大きな生命を ー真実をー 一寸よりは二寸、一尺よりは二尺と云う風に深く掘り下げて覗かせてくれる芸術ほど好い芸術だと思います。
そう云う芸術を余計な仲介者無しに自分自身で発見しようと心掛けることが芸術を鑑賞する唯一の態度でしょう。
鑑賞とは、芸術の奥に宇宙の真実を透感し体験することです。
芸術家の特異な心意気や巧妙な言い回しやに感服することでは無い、断じて無いと思います。
真実は無限、無量無際です。如何なる芸術家でも真実の全部を窺うことは出来ません。
その一角を誇張して、その一角に繋がった奥行を或程度まで深く浮き出させることが芸術の使命です。





2014年7月29日火曜日

「方向の変化」以上のものを

ヴィジョン・フェスティバルで感銘を受けたマシュー・シップのトリオ。
リリースされたトリオのアルバムや、マシュー・シップの歩いてきた音楽シーンについての、
Jazz Right Nowのシスコ・ブラドリーによる、ピアニスト、マシュー・シップのインタビュー。
(2014年3月)


ブラドリー:
マイケル・ビシオとウィット・ディッキーとの共演でリリースしたアルバム、Root of Things(Relative Pitch, 2014)は何か新しい方向性というもの示しましたか?

シップ:
新しい方向性というのが正しい表現かはわからない。もしかしたら、もっと強烈な形での融合というのが合った見方かもしれない。
私は確実に、以前よりももっと「ジャズ」のサウンドに足を踏み込んでいる。
このトリオは、伝統的なピアノ・トリオのような、馴染みやすい種類の音の世界への見せかけの橋渡しをしているが、音楽的方向性そのものは、音と律動の連続体だ。
それは、より深く、違った角度から、ただの「方向の変化」以上のものを導き出すということ。
今回書きだしたいくつかの素材のフォーカスは、私が今まで書いた曲のテーマとは少しエネルギーも方針も違う。


ブラドリー:
ウィット・ディッキー、そしてマイケル・ビシオと、ここ何年か一緒に仕事をしてきたのはどのような経験でしたか?

 シップ:
ウィット・ディッキーのことは80年代の終わり頃から知っていて、それ以来ずっと親しい仲なので、その間の細かい課程とかそういうことは覚えていない。家族の様な感じだから。
彼は私の演奏スタイルにとってパーフェクトなドラマーだ。
マイケル・ビシオと私は何年もの間知り合いで、実際に一緒に演奏するまでに何度も共演の話はしていた。共に演奏した最初の一音を聞いた瞬間に、互いに家族の様に感じた。
ふたりとも、とても親しい間柄だ。

ブラドリー:

80年代頃から今まで、ウィリアム・パーカーやデイヴィッド・S・ウェアなどとの共演でシーンの潮流を起こしてきましたが、その当時のニューヨークのシーンや雰囲気について話してもらえますか?

シップ:
80年代の初めの頃は、ダウンタウンのアヴァンギャルド・シーンでは、いわゆる黒人派と白人派が分離されていた。ニッティングファクトリーで白人も黒人も皆が演奏するようになって、ダウンタウンのアヴァン・シーンというアイディアがより一体となった感じがする。それまでは、ウィリアム・パーカー派とジョン・ゾーン派という風に分かれていたし、それ以外にもアップタウンのウィントン・マーセリスを筆頭とする伝統派とダウンタウン派の黒人と白人両方の間の分離もあった。
こういった種類の分離は未だ存在している。
ダウンタウンの黒人派は、80年代初め、3つの出来事が起こるまで、全く注目されなかった。
ひとつめに、スウェーデンのシルクハート・レコードが来て、チャールズ・ゲイルやデイヴィッド・ウェア、Other Dimetions in Music、私自身や他のミュージシャン達を録音し始めた。
ふたつめは、オルタナティブやパンク・ロックのレーベルが、フリージャズを録音しはじめ、さらにオルタナティブ、パンク・ロックのミュージシャン、サーストン・ムーアやヘンリー・ロリンスがダウンタウン派のミュージシャンを起用して録音したこと。
最後に、ヴィジョン・フェスティバルが立ち上がり、成長していったことで、この種類の音楽への国際的評価が得られたこと。
この3つの出来事のおかげで、デイヴィッド・ウェア、ウィリアム・パーカー、私自身、ウィリアム・フーカー、ロイ・キャンベルなどは色々な事をできるようになった。
もちろん、ウィリアム・パーカーの成功はものすごい仕事への熱意と数えきれないほどのプロジェクトへの専心によって得られたものだ。
デイヴィッド・ウェアは一匹狼で、ダウンタウンの黒人ミュージシャンの傘下にはいなかった。
だけど、やはりこの一連の動きからの恩恵は受けていると思う。

ブラドリー:
クリエイティブな音楽をやっているミュージシャンにとっては、ニッティングファクトリーの時代とダイナミックなシーンを懐かしむことは珍しいことではないと思いますが、どうしたらそのようなダイナミックなシーンを再築することができると思いますか?それとも違った方向へと押し進めるのが良いのでしょうか?

シップ:
新しい方向へ進んで、何か違ったことを始動させる方がいいだろうね。
ニッティングファクトリーはとにかく中心的な場所そしてイメージになったし、あるレベルではその場所と音楽における継続性を創ったけれど、アーティストそれぞれがそこから抜け出す方法も創りださなければいけない。

ブラドリー:
この5年間で、ニューヨークのクリエイティブな音楽シーンは良くなったと思いますか、悪くなったと思いますか?

シップ:
私は自分自身のプロジェクトにフォーカスしているし、生き残っていくためにはいろいろとやることがあるので、シーン全体のことを知ることは難しいし、この質問は答えにくい。
私は50代半ばなので、20代や30代の時の様に外を遊び歩くことはないんだ。家にいるのが好きだし。ブルックリンに沢山クラブがあるのは知っているけど、ほとんどは行ったこともない。
色々な音楽的活動もあるようだけれど、よくは知らない。
私が思うに、社会全体がとても嫌な場所になってきているし、文化全般が浅はかなものに成り下がっている今、この種類の音楽は、ミュージシャン達が稼げていてもいなくても、継続していかなければならないものだ。ひどい社会文化の状態とバランスを取るためにね。
たとえ天気が悪かったとしても、ーいつも悪いものだけどー 一番重要なことは、人々がそれぞれの活動を活動するということだ。
こういった動き全体にはもしかしたら宇宙意志なんてものが働いていて、
私達がお金を稼げるかどうか、またはダウンビート誌に評価されるかどうかというのは、
宇宙意志の計画にとっては重要ではないのかもしれない。
質問に答えるとしたら、もちろん、今のこの音楽シーンの状態は悪いよ。
文化そのものがバランスを欠き、フェイクなものになっている中で、このシーンだけが良い状態でいれることなんて無理だろう。けれど、だからといって、そういう状況が、本物のアーティストが活動をしていくことの妨げにはならないはずだ。

ブラドリー:
これからリリースされる予定のもの、グループなどありますか?

シップ: トリオのRoot of Things、イヴォ・パレルマンとの共作がふたつ、ダリウス・ジョーンズとのライブ録音、それからゲストとして参加している、The Core Trio、ドラマーのジェフ・コズグローブのグループ、それからサースティー・イヤーのためのソロ録音もする。

ブラドリー:
ダリウス・ジョーンズとのCDについてもう少し聞かせてもらえますか?

シップ:いくつかのギグでライブ録音したものを厳選したCDが数カ月後にリリースされます。もちろん、AUM Fidelityから。ダリウス・ジョーンズと演奏するのは大好きだ。彼はこの音楽における輝く光のひとつだ。多くのリスナーがまだ聞いたことはないと思うが、彼は音を引き伸ばしたり伸縮させたりすることができるんだ。まるで巣を編む蜘蛛の様にだ。彼の音は、本当にオーガニックな可能性を秘めている。ひとつの言語とも呼べるものだ。

ブラドリー:
もしニューヨークのクリエイティブ音楽シーンでひとつ変えることのできるものがあるとすれば、何でしょう?

シップ:私達がしていることが、他の音楽に比べて「out」(はみ出している、おかしい)と思ってしまう感覚。アーティストが、自身の感じている本物の感情をもとに創造しているのであれば、その創造物は「out」ではなく、ただそれはありのままにそういうものなのだ。




引用:Jazz Right Now 
訳:蓮見令麻