2014年6月3日火曜日

ヴィジェイ・アイヤーのスピーチ 



ピアニスト、ヴィジェイ・アイヤーのスピーチが最近話題になった。
ジャズの世界で市民権を握る黒人ではなく、まして白人でもない、
アジア系マイノリティのアーティストであるアイヤーの視点から見た、ジャズ批評について、
コミュニティを作り、社会活動と芸術活動と連動させていくことの重要さなどについて話している。


私自身は、アメリカに来た2002年当時、アメリカ黒人史の講義を受けたりして、
ジャズとアメリカという国における歴史的背景との関連性をできるだけ理解しようと努めてきた。
その当時はその作業に夢中だったのだが、在米5年を過ぎたあたりからは、
音楽に集中し、そのような社会的な事を考える機会は年々減っていたように思える。
アメリカにおいては、人種について何か言及することは、ある種のクリシェであり、
所謂リベラルな人々にとって、人種差別などというのはもってのほかの古臭い話題であるという風潮もある一方で、未だに社会的な場面では人種の問題が声高に論議される一面もある。

ジャズの世界での話をすれば、
音楽の評価における人種的偏見は、極めて微妙な形でだが、存在していると感じる。

在学時代に教えを受けたピアニスト、ジョージ・ケイブルスに、私はジャズと人種の関係についての問いを投げかけたことがあった。
その時に、ジョージは少し間をおいてから、優しい物腰でこう言った。
「ジャズは、黒人の所有する音楽ではないけれど、黒人の経験から生まれたものだよ。」
「この曲を教えてあげよう。」と言って彼が弾きだしたのは、
Lift Every Voice and Singという、アフリカン・アメリカンの国歌とも言うべき曲だった。

ジャズのすべてを吸収したかった私は、この曲も習得したし、ブルースもひたすら勉強した。
だけれど、ある時点で、所謂「ジャズ」と呼ばれるもの、スタンダードやブルースを弾くことに面白みを感じなくなっていった。そういうものを弾く時、表現の根本とも言える、私の精神の深みに存在する『何か』と、音楽の響きそのものが符合しなくなっていた。
その時に初めて、自分はアジア人で、日本人なのだということを客観視しはじめたと思う。

今自分が生きている社会の中で、自分の生まれ育った背景に忠実な形で、
純粋な表現をしたい、そう思った時に、目の前に開いていたのはインプロビゼーションの世界だった。
何年か、インプロビゼーションジャズの世界に身を置いてきたが、
特に最近、夫とそのような話をよくすることもあって、社会的興味と自分のアーティストとしてのスタンスが繋がり始めていた感じがあった。

今この時期にジェン・シューがやっていることや、ヴィジェイ・アイヤーのスピーチの内容なんかは、
私が感じていることとの繋がりもあるし、なんだか大事なことの様な気がしている。

ジャズという音楽は、アメリカ社会の根底にあるものを反映してきた。
奴隷制度があり、市民権運動があり、資本主義大国アメリカのアメリカ中心主義があり、
人種の多様性があり、そのひとつひとつがジャズの中になにかしらの形で反映されていった。

移民のルーツを持ったコミュニティとして、アジア人として、私達はこうやって表現していく、という
自らのアイデンティティを尊重した表現の提示をしていくことは、私達自身と他者、両方の想像力を育ててくれると思う。

音楽や表現というものが存在しなかったら、政治にも社会にも希望を持てないのではないか。
だからこそ、音楽家・芸術家は、芸術作品が人間のラディカルな発想の喚起を促す可能性を持っている、ということを自覚した上で表現していくことが必要とされる時代なのかもしれない。


 以下がスピーチの内容です。

(翻訳:蓮見令麻)
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皆さん、
今回初めて、アジア系アメリカ人のイエール大学卒業生として、世代を越えて集まった皆さんとお会いできたことを、嬉しく、誇りに思います。

ご存知ない方のために説明しますが、
私はピアニスト、作曲家、即興演奏家、バンドリーダー、エレクトロニック・ミュージシャン、そしてプロデューサーです。おそらくジャズの世界では私のことを知る人が多いと思いますが、
同時に私はそのジャズというカテゴリーにあてはまる内容と、そうでない内容を両方創作してきたアーティストとして一般的には知られています。ごく最近、私はハーバード大学の音楽学部の教授にも就任しました。

私は、皆さんとまったく変わらない、ひとりのアジア系アメリカ人ですし、
これまでに、このような機会において様々な人々によって述べられてきた物事以外に、私が提供できる叡智などは特にありませんが、
今日は、「私達」についてのお話をしたいと思います。

イエール大学というのは、インドで財産を築きあげた、特権階級の、裕福な帝国主義者、エリフ・イエールの名前から由来しています。
そのような場所に戻ってくるということは、私にとっても非常に面白いことです。
 1687年から1692年まで、エリフ・イエールは、イギリスの東インド会社のインド、マドラス(現チェンナイ)の交易所Fort St. Georgeの知事でした。
そしてこの土地は、私の祖先が生まれた場所でもあります。
後に、イエールは、不正所得と東インド会社に対する数々の冒涜により、知事を退任させられました。

この様な事実により、エリフ・イエールのことをイギリス東インド会社のジョージ・ブッシュまたはミット・ロムニーと呼べるかはわかりませんが、
とにかく、監視の目のない状況での、彼の帝国主義的略奪は、様々な物事を動かす動機となりました。
エリフ・イエールは、1700年代の始め、
この学校(イエール大学)に多額の寄付をできるほど裕福になり、
結果として学校の正門に彼の名前がつきました。
私達が何をして、どのような機関を設立しようと、私達イエール大学の卒業生は、エリフ・イエールの家元にいるというわけです。

現在、私自身も、何世紀という歴史のあるもうひとつの教育機関会社(ハーバード大学のこと)に毎週趣き、教鞭を取るわけです。
その度に私は、ナイジェリア系イギリス人のアーティスト、インカ・ ショニバレの、
"complicity with excess"ー「贅沢の共謀」いう言葉を思い出します。

私達がアメリカ人としての道すじというものを考え、構築し、それを応用していくプロセスにおいて、私は自分自身がこのような国のシステムの中の共謀者のひとりであるという事実を考えずにはいられません。
構造のなかの不平等性、支配のパターン、恐ろしい奴隷と暴力の歴史。
そういったものすべてにおいてです。
いまこの場所にいる私達のほとんどが、そのようなシステムにおいて「成功」した結果、ここにいるわけです。
そうやって私達はイエール大学に入学し、 周りの人々に「最も成功した人」ともてはやされます。
もしかすると、私達の中には、自身の成功の証明を確認するため、今週末ここに集まってきた者さえいるかもしれない。(中略)
アメリカで成功するということは、アメリカという国家の意義にある意味では賛成することにもなり、
また、アメリカの醜い過去を認め、消化したということにもなるのです。

そういった事も考慮にいれながら、とりあえずは「成功」という話を置いておき、
別の観点から我々について話してみましょう。

あなた達と同じように、私自身も、大人になってからのほとんどの間、「私達(アジア系アメリカ人のこと)」について考えてきました。
コミュニティについて、どこに属するかということ、アイデンティティー、連合。
アメリカ人らしさ、アジア人らしさ。
法学者カレン・シマカワの近年の研究において、彼女がアジア系アメリカ人の状況・経験を理論的に説明する為に使っている「国民的消沈」という言葉が非常に興味深いのです。
それは、私達のここでの生活というのは、
アメリカ人らしさを尊重した上でなお、常に人種的境界線に立ち、
「アメリカ人であることはどういうことか」を考えるフロンティアでいなければならないというものです。


この「私達」に関する問いは、私にとっては、ただなんとなしに考える思考の羅列以上の意味があります。
1992年にイエール大学を卒業してから、私はずっと外の世界で文化的な仕事をしてきました。
18のアルバムをリリースし、何百ものコンサートをこなし、
アルバムやパフォーマンスはテレビ・ラジオでブロードキャストされ、
いかにも何千という批評を受けてきました。
その結果として、私がアイディアを形にし、探求し、提議し、繋がっていくものを作ってきたものに対する、ローカルなものと国際的なもの、両方の反応をリアルタイムで経験してきました。

この私自身の経験は、主に北アメリカとヨーロッパが舞台でした。
さらにこの経験は、ジャズという、アメリカにおいてもっとも人種的な葛藤を孕んだ文化的表現を背景にしていました。この不可思議で、ごちゃごちゃしていて、競争的でもある、ジャズという文化です。
この音楽は、一般的には、ブラック・パワー、またはリベラルな白人の「カラー・ブラインドネス(人種間の軋轢に対し、精神的に関与しない)というスタンスの間で理解されてきたものです。

アフリカン・アメリカンのコミュニティの力、
または、アメリカ黒人の「ブラックネス(社会的、文化的、黒人らしさ)」に対する、白人、または外国人によるフェティシズムに寄り掛かった、文化理解、芸術理解というわけです。


過去20年間の間に、幾度となく、私は人種についての会話に参加してきました。
今となっては、私はジャズの世界において、安定した継続的な位置を獲得することができました。
私はジャズ界におけるサクセス・ストーリーの一員となったわけで、それに関しての文句は何もありません。ただ、その「物語」が、どのように語られるか、ということを観察しているのです。

例えば、何度も、(ほとんどの場合、ジャズの世界で発言する立場にある白人男性によって)
私の作品は、「数学的」で、「技巧的」、「偽物のジャズ」、「コンセプチュアルすぎる」、「オタクのためのジャズ」、「不協和音」、「アカデミック」、そしてつい最近、「失敗作」と呼ばれました。

数年経つうちに、人種的な内容がこのような批評の中に付随するようになりました。

『アジア人にはソウルがないので、アーティストになろうと努力するだけ無駄であり、
特に「ブラックネス」というイメージの直結する(ジャズの様な)分野においては、見込みがない。 』
しかしこれは白人の純粋に直観的でインテレクチュアルではない批評であり、
多く存在する白人のジャズミュージシャンに対してはこのような批評は無縁なのです。

1990年代の初めに、私はUCバークリー大学で、物理学専攻の博士課程にありました。
同時に、オークランドでアフリカン・アメリカンのミュージシャンをメンターとして音楽の勉強もしていました。 また同時に、Asian Improv Arts(アジア人即興芸術)というアジア系アメリカ人の活動家アーティストのコミュニティの一員でもありました。
この団体は、30年以上前に、ジョー・ジャン、フランシス・ワン、マーク・イズ、フレッド・ホーなどの面々により設立されたものです。

そしてこの団体は、アフリカン・アメリカンの連合体としての政治、そしてアクティビズムの功績から直接的な影響を受けました。
音楽業界の上部構造を回避し、彼らは自分達自身のレーベルを立ち上げます。
私は彼らの恩恵を受け、最初の二枚のアルバムをこのレーベルから出すことができました。
ベイエリアの大きなアジア系アメリカ人のコミュニティの期待を受け、
San Francisco Asian American Jazz Festivalを始めとする様々なイベントも運営しています。
アジア系である、という共通点を彼らは様々な形で利用してきました。
それは、異国風のアジア・ジャズ・フュージョンを作るとかではなくて、
創造的探求の場所のため、多様性を分かりやすく表現するため、フェティシズムからの脱却、
アンチ・オリエンタリズムの改造、そしてコミュニティ運営の実践という形で、です。
そうやって、Asian Improv Artsは、アジア系アメリカ人のコミュニティメンバーが集まり、様々なものを作り上げる場所と機会を提供してきたのです。

彼らは、若くクリエイティブなアジア系アメリカ人のミュージシャンのひとりとして私を暖かく迎え入れてくれました。
その当時、私にとっては、「アジア系アメリカ人」の連合に私のような南アジア人が入り込むことができるかどうか疑問でした。

西海岸の人種的構造は今と少し違い、何世代も続く日系アメリカ人と中国系アメリカ人のコミュニティに、わずか30年あまりしか存在しない南アジア系アメリカ人のコミュニティは圧倒されていました。
シリコンバレーとクイーンズを除いては、私達の数は圧倒的に少なかったのです。
さらに言うと、南アジア系と東アジア系の間には、連帯感の様なものはまるで存在しませんでした。
ですから、最初は、私達が同じ困難を共にする者として自分達をひとくくりにするのには、
まだ早いのではないかと、戸惑いを感じたのを覚えています。

それは、北カリフォルニアにおける、インド由来のものすべてに対する傲慢な文化的関連性とも混ざり合った感情でした。
ヨガや瞑想、お香やタンプーラ(ドローンの一種)、タブラ、インド風ネックレスに腕輪にビーズ、
そういうものすべてに魅了されるアメリカ人にとって、 北カリフォルニアは聖地の様な場所でした。
もしこの数週間のうちにベイエリアに行く機会があれば、アジアン・アート美術館に行ってみてください。興味深いヨガについての展示があります。
この展示に、私の友人でアーティスト、デザイナーのチラーグ・バクタが参加し、膨大な数のエフェメラのコレクションを出しています。その名も、『ヨガをする白人』という、物議を醸すタイトルです。

この作品は、20年前に私が南アジア系アメリカ人として通りぬけ、抵抗してきた物を象徴しています。それは、異国風のものを好み、取り入れようとしてきた白人の文化的雑食性の傾向のことです。
アーティストとして旅をし、様々な場所を見た結果、ベイエリアの白人が、ジャズやヒップホップ、そしてすべての黒人文化に対して、同じようなスタンスで接していることに気付きました。
黒人のアイデンティティやコミュニティを提示するという強気な態度ではなく、
白人が身につけたり、収集したり、または白人の主観性に取り込んでしまうというフェティシズムという形で、です。


南アジア系のアメリカ人という存在自体がアメリカ社会において新しく、
人々は私達が誰で、どんな背景を持っているかをよく知りませんでした。
私達がひとつの集団として主流文化に初めて登場しだしたのは、1990年代、私の世代が成人した頃のことです。
私達は、1965年以降の、西欧圏の外からやってきた移民の医者、科学者、エンジニアなどの両親のもとに生まれた最初の世代の子供達でした。
私達は、言ってみれば、希望を持ち、ある程度の教育を受ける特権と階級を持ち、
またある程度の文化的な不透明さを持った、新しいタイプのアメリカ人だったのです。


私が最初のアルバムをAsian Improvのレーベルから出すという話をアングロ・アメリカンのパーカッショニストにした時のことをよく覚えています。
彼は、まるで私が重大な間違いをおかしたような表情でこう言いました。
「インドがアジアの一部だなんて知らなかったな。」
私は、インドは南アジアに位置しており、それはアジアのうちに入るのだと思うと言いました。
彼の返事はこうでした。
「だったら、僕は北西のアジア人だな。そのレーベルから僕もレコードを出せるかな。」
それは、8年生の時に、クラスメイト達が私に向かって「サンチェス」とか「フィリッペ」とかいう南米風の名前を叫んできた時の感じによく似ていました。
私達は、基本的には、異なった経験の額ぶちに入れられ、認められず、存在を認識されることもほとんどない、「謎」の種族でした。

Asian Improvの仲間達、それから敬愛するアフリカン・アメリカンのメンター達に育てられ、
90年代に私のアーティストとしてのプロジェクトは始動していきました。
めぐり合わせ、コラボレーション、コミュニティ、そういったものに突き動かされて、
私はあらゆる種類のことを試しました。

他のアジア系アメリカ人や、アフリカン・アメリカン、異なった人種の人と様々な共同プロジェクトを行ったのも、コミュニティという概念を熟考し、動かし、試し、また時には批判するためでした。
コミュニティとは何か?
私の友人で政治科学者のカラ・ウォンは、彼女の「義務の境界線」という本の中で、
「個人のマインドの中にある、類似性、従属、仲間意識を感じさせる集団に対してのイメージ」n
という風にコミュニティを定義しています。

コミュニティとは、私達の想像の賜物とも言えるでしょう。
これは政治学者ベネディクト・アンダーソンの重要な識見でした。
そして、この想像する力のおかげで、コミュニティという概念は現実世界に反映されていくのです。
カラ・ウォンは彼女の本の中でこのようにも述べています。
「自己定義された共同体意識は、個人の興味、価値やイデオロギーの内容にかかわらず、
共同体のメンバー皆がより良く生きていくという目的に対しての興味、そして責任を促します。 」

9・11以降、南アジア系アメリカ人のコミュニティはあらゆる困難に直面してきました。
(テロを理由に中東系の者に対するヘイト・クライムが多発したため)
他者と、社会的主張を共有していく課程で、私達は自分達自身がもっと大きい存在であると想像することを学びました。
アフリカン・アメリカンのライター、グレッグ・テイトは、2001年に私に向かってこう言いました。
「人種別尋問の世界へようこそ。」

私達は、自分達自身の宗教的、文化的多様性を自覚し、認めざるをえませんでした。
シーク教徒、ムスリム、キリスト教徒、ジャイナ教徒、パキスタン人、バングラデシュ人、スリランカ人、ネパール人、インド人、アフガニスタン人、ブータン人、そしてアラブ、中東、アフリカの北と東、東アジア及び東南アジア、すべてのディアスポラ、そしてもちろん、アフリカン・アメリカンにラティーノ。
有色人種の他のコミュニティも含めた、圧倒的な多様性です。
私達が共有していたのは、困難とそこから生まれる主張、恐れや監視、疑惑、パラノイア、円満する不平等の雰囲気でした。

さらに、1960年代以降のアメリカの人口統計において、成功をおさめ、富裕層となり、
急激にコミュニティの中の財産を築いていった私達は、私達が世界の中でどういう立ち位置にあり、どこに特権を持っているかということを理解するために、
新しい共同意識を発展させる必要がありました。
その最中でも、私達は日々、他者からの微妙な人種的発言や行動の猛襲を受け、
未だに私達はメインストリームの文化からは忘れられ、求められていない、という事実を噛みしめてきました。
マーチン・ルーサー・キング牧師はマハトマ・ガンジーのやり方を見習ったことを、
そして私達アジア系アメリカ人は、この国を造り上げてきたアフリカン・アメリカンと、他のマイノリティーの正義の為の葛藤から、精神的には切り離すことのできない場所にいるということを、
決して忘れてはならないのです。

今朝私はフロリダから飛行機でここへ来ました。
フロリダという州は、武器を持たない黒人の子供を撃って殺すことが、違法ではない州のひとつです。(トレイボン・マーティン事件のこと)
私は今日、我々自身に疑問を投げかけたいと思います。
この恐ろしいアメリカの実体と、私達自身はどのような関わりがあると思いますか?


去年の秋、私は家族と共にアトランタに行き、キング牧師の歴史的跡地を訪れました。
そこには、美しいガンジーの像が立っていました。
ディスプレイには、キング牧師の痛烈な言葉が刻まれていました。
「人生における最も絶え間なく、且つ答えが急がれる疑問とは、自分は他者の為に何をしているか、ということである。」
 私があなた達に知ってほしいのは、どんな肩書きがあっても、私はまずひとりのアーティストであるということです。
アーティストとして、私は先に述べたキング牧師の質問を毎日自らに投げかけます。

私は他者の為に何をしているか?


これまで私は3つの目標を追いかけてきました。
ひとつに、文化的背景の中に、継続的な、注目せざるをえない、複雑な存在を創りだすことです。
ポール・ローブソンやニナ・シモン、ジョン・コルトレーンそしてジミー・ヘンドリックスなどのアフリカン・アメリカンの開拓者達も経験したことだと思いますが、
自分というアーティストを(人種を理由に)否定し得る文化を前にして、
西欧社会における有色人種のアーティストは、「私は事実である。」と、力強く宣言する必要があるのです。

このように、境界線からの咆哮とも呼ぶべき、挑戦的な存在感の芸術家には、
文化を掻き乱し、変貌させる力があります。
その力は、新しいアメリカの息吹に耳をかたむけ、その誕生をうながすことでしょう。
そしてまた、この挑戦的な存在は、私達の様な「他者」の想像力を突き動かす力も持っています。
ディアスポラである若いアジア系アメリカ人達は、ついに、文化背景に自分達の代表がポジティブな受容をされ、自分達も大きな夢を持つことができる、と勇気づけてもらえたのです。

二つ目の目標は、アミリ・バラカやハイレ・ゲリマ(エチオピア出身の映画監督)、テジュ・コール(ナイジェリア出身の小説家)そしてマイク・ラッド(詩人)に代表される、マイノリティーのアーティスト達との協力関係をスタートさせ、そして継続することです。
そうすることで、私達は、伝統や国家、信念を超越したコミュニティという概念を想像し、構築し、 動かすことができると思うのです。
そうすれば、私達は否定しようのないフォースとなり、良い意味で物事をひっくり返していける、
ひとつのグループとして、新しい現実を想像し、創りだしていけるのではないでしょうか。

三つ目の目標は、

正義ある社会に対して参加していくことの重要性を強調し、示していくことです。
ヨーヨーマも言及していますし、私自身も生徒にいつも言い聞かせることですが、
芸術的人生とは、献身的人生です。
あなた達の中に、もし政治的活動家やコミュニティのオーガナイザーが居れば、
積極的に周りのアーティスト達と協力し仕事をしていくことを勧めます。
私達のミッションがあなた達のミッションに貢献するためにです。
そうして私達は、必要な行動を起こしていくための革命的な想像力をお互いに喚起していくことができると思います。

あなた達そして私自身にどうか努力していってほしいことがあります。
それは、私達自身の「贅沢の共謀」 に関しての問いかけをいつも自分にすることです。
私達の意志には関係ないところで、時に、コミュニティが他の誰かの苦しみをもとにした支配のシステムを包括し得るということを頭において、常に注意深くいて下さい。

私達は、地球上に生きるすべての人々の平等と正義のため改革的な献身をできるでしょうか?
もし私達が自分達のことをアジア系アメリカ人と呼ぶのであれば、
このアメリカという国家が過去に犯してきた過ちを認めることを拒むようなアメリカ人になるのではなく、すぐには私達の社会に属するようには見えない人々や移民のためにもより良いアメリカになるための手助けをしませんか?

「私達」とは誰のことでしょうか?
私にとっては、何らかの連合やコミュニティに自分が属することを決めた時、
それは、「過去を忘れない我々」、「未来のことを気にかける我々」、 「思いやりをもち、懐深く、忍耐強く、 他者の繁栄のために献身する我々」、「『私達』という呼びかけをすることは終わりではなく始まりであることに賛同する我々」のことを意味します。
正義の為にこれからも奮闘していきましょう。
ありがとうございました。

       
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2014年5月30日金曜日

Jen Shyu "Solo Rites"



私達は、音楽を儀式として演奏する喜びを、どこかに忘れてきてしまっていた。

そもそも、私達が音楽を演奏し、聞く理由は何だろうか?


ジェン・シューのソロ・オペラ、「Solo Rites」は圧倒的な存在感を持って私達観客を引き込んだ。
布を使ったインスタレーションと、
その布を美しく活用したジェンの舞踏。
古楽器とピアノの演奏もさることながら、彼女のボーカルの素晴らしさはまた言葉にできない程の深みで、迫りくるものがあった。
ジェン・シューを聞くというのは、ただ美しい音楽を聞く、という経験ではない。
人間の醜さ、魂の叫び、そういうもの一切を、「声」という裸の楽器で、
直接的に表現してくる。
彼女の歌を聞いていると、
ザワザワと、精神の奥底をえぐられるような感覚を掻き立てられる。
その感覚こそが、音とシャーマニズムの原点にある感覚ではないだろうか。

すべての演奏が終わった後に、
ジェンは静かにそれぞれの楽器に布をかぶせていった。
そして最後に、後ろに束ねていた髪をほどき、舞台の真中に座った。
静かに語り、歌いながら、彼女は自らの髪を鋏で切り落とし、
舞台は幕を閉じたのだった。

ジェン・シューの何が素晴らしいか、というと、彼女の作品は、
私達の中にある、凝り固まった思い込みや思想を一度解体し、解き放ってくれるのだ。

例えば彼女は自分自身を「実験的ジャズボーカリスト」であると説明するが、
このオペラを見て一般的な意味でのジャズだと受け取る人はほぼいないだろう。
そこで喚起される疑問とは、「ジャズ」は何であるか?ということだ。

ピアニスト、ビジェイ・アイヤーも言及しているが、アジア系のアメリカ人(または非アメリカ人)が、
長い間白人と黒人の葛藤をシンボライズしてきた、アメリカの文化、「ジャズ」を演奏するということはどういうことか、という命題も、彼女のパフォーマンスは提議すると思う。

このオペラでの多くの音楽的コンセプトは、彼女のルーツであるインドネシア、東ティモール、韓国の伝統音楽から生まれたものであった。
アジア文化をこれだけ豊富に取り入れた内容の作品を、
ジャズ・インプロビゼーション的なスタンスを用いて、
しかもボーカルという声をメインにして演奏したことは、
私達ミュージシャンにとっても非常に刺激的なものになった。

伝統における、儀式としての音楽、シャーマニズム。
音楽を、精神の成長の為、または献身への没頭の為に純粋に演奏するというスタンスもあるということを、商業主義に翻弄されてしまう、私達、都市の音楽家達はいま一度教えられた。

西洋と東洋の壁、人種の壁、音楽と踊りの壁、
演劇と音楽の壁、アートと音楽の壁、
楽器と声の壁、
すべての見えない壁は、私達のマインドにある「限界」というイマジネーションが創りだしたもの。
実際には存在しない壁に、無意識のうちに、線を引いて、私達はその線を超えないようにしているのかもしれない。
創造においては、限界は存在しない、
ただ必要なのは、柔軟な発想と、それを経験しようとする姿勢だ。



2014年5月28日水曜日

Susie Ibarra + Matana Roberts Duo @ Stone



スージー・イバラの演奏の魅力は、彼女がドラムとパーカッションで紡ぎだす民族音楽的な音とリズムの数々にある。
アメリカで生まれ育った彼女は、10年程前から、両親の故郷であるフィリピンへ度々渡り、現地の希少民族音楽の研究、録音を行ってきた。



シンバルやゴングの音は、まるでガムランのような率直でためらいのない響きで室内を包み、
スージーがマレットのミュートされた音で祭祀音楽の様なヒプノティックなリズムを刻んだ。
その土着的なリズムに乗せるマタナ・ロバーツのサックスは完全にブルースだった。


ディアスポラのルーツを持つ者が、自分という人間の中に脈打つ系譜と自分の音楽を統合するというのは、自然な成り行きであると思う。
音楽というものは、自分の精神そのものから生まれてくるものであるから、
良い音楽家は、常に自分自身が何者であるか、何を音楽にしているかということを探求している。



ブルースの響きと、民族音楽の響きの融合には、新しい発見があった。


民族音楽には、地に足のついた一種の明るさがある。
民族が一体となり、共に歌い踊り、神を祭祀する。
先祖代々生まれ育った土地で、血の繋がった者達、食料を分かち合う者達同士で、
同じ神にすべてを委ねるという絶対的な安心感がそこにはある。


ブルースに関しては、ラングストン・ヒューズの言葉を。



あなたが女たちの一部分をつかまえると、他の一部分があなたから逃げます。
悲しくておかしい歌、
おかしがるには悲しすぎ、悲しがるにはおかしすぎる。

スピリチュアルズは集団の歌だが、ブルースはあなたがひとりで歌う歌だ。
スピリチュアルズは天幕の集会や、遠隔の農園地方で生まれた宗教歌だ。
だがブルースは、大都会のごみごみした通りから発生する街の歌だ。
あるいはまた、あなたが眠ることのできない狭い安部屋の淋しい壁にぶつかって鳴り出してくる。
スピリチュアルズは、天に、明日に、神にむかう、逃亡の歌だ。
だがブルースは、現世で、いま、あなたが心に悩みをもち、
どうしていいかわからず、誰もかまってくれないとき、破れかぶれで、
心を打ち砕かれた、今日の歌だ。
(訳:木島始 「詩 黒人 ジャズ」より抜粋)


ブルースは、個人的な、神への直接的な訴えと言えるかもしれない。
生来の地から切り離された人間は、神の存在に対し、具体性を持たない。
土着の神社や、祭りというものを通して神を経験することがもはやないのだ。
だからこそ、ブルースを歌う個人にとっての神の存在とは、
あたかも、何処かに存在する「もうひとりの個人」の様に感じられるのかもしれない。
そうやって、ブルースは、
「どうしてなんだ?おかしくて悲しくて涙が出てしまうよ。」と、
訴え、語りかけるのだ。

こんな風にまったく異なった「神に対してのスタンス」から生まれる音楽の断片が相互に交わり、
互いの領域を侵略することなく、空間をうまく共有することができるのは、
インプロビゼーションという表現技法の柔軟性を持ってして、であるように思える。 




それにしても、
マタナ・ロバーツがサックスをかけたままで、クラリネットを手に持って吹き出した時、
頭にまとめたドレッドロックスとサングラスのせいもあってか、
今は亡き、素晴らしき音楽家ローランド・カークの影を見た気がした。

   

2014年5月19日月曜日

Matthew Shipp / William Parker "DNA" (1999)



1999年の、マシュー・シップとウィリアム・パーカーのデュオ録音「DNA」。

マシュー・シップ自身の綴ったライナーノーツが、即興演奏についてのシンプルで的を得た解説をしているので、ここに日本語訳を記しておきたいと思う。

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即興のプロセスというものは、まるである種の生態系の様である。
その多様性と 視野は無限であり、
しかしながら即興をする者によって、その表現方法はそれぞれ違ってくる。
即興というものは、必要に応じて生み出されるものだ。
すなわち、即興演奏者は、即興をしなければ、という深い欲望または必要性を感じていなければならない。
「即興とは作曲である」という前提に対する理解があって、
初めてマインドは膨大な量の音楽的情報を処理し始めるのである。


才能と成熟を兼ね備えた即興演奏者というのは、あらゆる疑問に対して真剣な考慮をした上で、
ゲシュタルトに行き着くのである。
そのゲシュタルト(意味のある全体性)というのは、
奏者が論理的な音楽の構造と生き生きとした情熱を合わせ持った、語彙としてのリズムや音を瞬時に紡ぎだすことを可能にする言語システムとしての音楽の臨界質量を指している。
作曲とは、有機的なものだ。
人間の深層心理のまた深い奥底から生まれるものであるから、
それはある種の生き物であるとも言える。
しかしあくまでもそれは人間が一生という時間をかけて習得する、瞬時に知性的な主題の提示をするための方法論であるから、「作曲」と呼べるのである。


成熟した即興演奏家は、常に深層心理から言語システムを生み出している。
よって、パフォーマンスというのはそのプロセスの結果として自然に表面に出てくるものであって、
パフォーマンスを目的とするパフォーマンスというものは存在しない。
良い即興演奏におけるエレガンスは、「集合体」となり、私達リスナーを満たしてくれる。
それはまるで、原子がくっつきあったり、離れたりして、夢の中のような連鎖運動で泳ぎまわり、
私達の深層心理の奥の奥底から飛び出して、
ひとつのスピリットが自然の一部分へと変化する様そのものである。





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私自身が即興演奏の魅力に取り憑かれているのはやはり、
この不完全な形態ながら、ゲシュタルトを獲得する言語システムとしての音楽表現の深さ、自由さを知ったからである。
即興演奏(フリーインプロビゼーション)をする時、奏者同士の間には形態化された言語システムの共有というものは存在しない。
なぜなら、各々の作り上げてきた即興演奏の言語システムは唯一無二、個人的なものなのだ。
共有言語がないという非常にプリミティブな状況で、
ひとり(と観客)、または誰かと共同してあるひとつの世界観を作り上げるというのは、
創造意欲を持つ人間にとってはとてつもなく魅力的な作業である。

言語学者ノーム・チョムスキーによると、言語というものは、根本的な部分で人間を人間足らしめる文化的遺産である。言語の種類の数だけ、私達人間の作り出す世界観がある。
その世界観の多様性にもかかわらず、人間の生き様、言葉で紡ぎだす世界には普遍性というものが存在する。
それを、私達は共有言語なしにひとつの音楽をつくりあげるという芸術の形で確認することができるのだ。
もうひとつチョムスキーを引用するが、生物学的観点からすると、
言語はコミュニケーションを目的にデザインされているものではなく、
実体の証明、解釈のためにデザインされているのだそうだ。
即興演奏においては、究極的には音楽的言語の境界線はない。
とても個人的で、それでいて、どこまでも開放的だ。
つまり即興演奏を以って音楽家同士はコミュニケーションもできるけれども、
個人的な世界観の提示、解釈なしには、せっかくの音楽的交流も空虚なものに成り下がってしまう。
マシュー・シップの言う、あらゆる疑問に対する真剣な考慮というのは、この世界観の提示を的確にできるための精神的鍛錬であると言えるだろう。

現代社会において私達がこれからさらに進化していくためには、
既存のものに「共感する」という姿勢よりも、新しいものを「創造する」という姿勢を持つ者が増えなければいけないと私は思っている。
そういう意味で、即興演奏の世界には静かな勢いがある。
人間の道徳的成長と、アーティスト達の芸術活動は、未だ完全に乖離はしていないと、そう思うのだ。

2014年4月25日金曜日

RITE - Russ Lossing / Louie Belogenis / Kenny Wollesen

三人の熱量は、丸々一時間半ずっと変わらない。
ラス・ロッシングがグランドピアノの弦をはじいて最初の音を出してから、ドラムのケニー・ウォルセン、テナーのルイ・ベロジニスはおろか、
私達客席の数人も、音の洪水にひたりきったまま、誰も休むことを赦されていない。
静謐さが、二十人も入ればいっぱいになってしまう小さな箱を包み込んだ。
三人が瞬間ごとに造り出す音のかたまりは、あたかも波のように、満ちては引き、満ちては引きを繰り返していた。
波そのもののように、一体として動きつつも、一度として同じ波はない。
その中で、顔色を変えないまま、熱量の高い演奏をし続けている音楽家達を見ながら、
私はぼんやりと考えるのだった。

この、冷静さの中に遠慮がちに見え隠れする感情の昂ぶり。
洗練されたコントロールと、少しずつ確実にあらわになる、手なずけられた狂気。
アメリカの人は、本当に真面目で堅苦しく、本当に自由でひらけている。
その自由さは精神の畑を縦横無尽に走り回る。
人工物と自然の共存。
緻密に作り上げられた構成を、惜しげもなくなぎ倒す暴力。
秩序のあるように見えて、秩序もルールも本当はない世界。
秩序のないカオスに見えて、最後にはすべてが交わり合うという秩序がある世界。
どちらが人間で、どちらが自然?

ピアノの中身を覗き込むようにして、あらゆる方法でピアノ内部の弦や金属部から音を作り出していくロッシングの様子を見ながら、
私は、次第に、漆黒に光るそのピアノの脇腹のゆるやかなカーヴに見惚れてしまうのだった。音、静寂、音、静寂。
まるで手術着を着た医師の様に、ロッシングはピアノの12音性を解体し、
もっとプリミティブなやり方で音を出すことで、ピアノの見えない拘束具をはずしていった。弦を使ったりして、とても土着的な音を出す一方で、ピアノの持つ美しい宮廷的金属音をも美しく演出する、ピアニスト、ラス・ロッシング。
なんという創造力と技巧だろうか。
ウォルセンとベロジニスの演奏ももちろんとても良く、上手くロッシングを引き立てていた。ベロジニスは中盤まで綺麗なメロディー、ロングトーンを吹きつづけているだけ、という感じだったのが、途中でソロを取った時に神懸った様にアルバート・アイラーの様な音を出したのが印象的だった。

素晴らしいフリーインプロビゼーションというのは何か、教えてもらった夜。

I Beam Brooklynにて。

2014年4月19日土曜日

Muhal Richard Abrams "afrisong" (1975)

日本から持ち帰ってきたレコードの中で、ひときわ聞くのを心待ちにしていたものがあった。
 厶ハル・リチャード・エイブラムスのソロピアノのアルバム、「afrisong」だ。

確か2年ほど前に、彼のコンサートをマンハッタンにある教会で聞いたのだけど、
その時には多数の若い前衛ジャズミュージシャン達の他に、ヘンリー・スレッドギルやアミナ・クローディン・マイヤーズなどが集まっていて、 彼の人望の厚さを伺わせた。

その後、パイ・レコーディングスから出ているエイブラムスのレコードを聞いて、彼の音楽を知り始めた。
エイブラムスの90年代以降の音源だけを聞いて持った感想としては、
商業的な部分のまったくない、非常に抽象的な前衛・純音楽というイメージだった。
そのイメージというのは、思想・主義・主張というものを感じさせない音楽というものである。「純文学」と同じ定義で使われるところの「純音楽」という言葉がもし成立するのであれば、娯楽性よりも芸術性を重んじる「純音楽」にはイデオロギーは存在しないものと言えるだろう。

だけれど、例えば60年代に台頭したハード・バップには、黒人の人権の確立というある種のプロパガンダが存在したし、
アリス・コルトレーンやファラオ・サンダースは、アメリカにはない異国的な精神性を音楽に追求し、それを聞く人々はスピリチュアリティーの探求を喚起された。
同じ時期にオーネット・コールマンやアルバート・アイラー、阿部薫の吹いていたフリージャズが日本の学生運動とも共鳴していたとも聞くし、
ある視点から見れば、ジャズと呼ばれる音楽とイデオロギーというのは、容易には切り離せない部分があったかもしれない。
ここに、ジャズにおいて、エンターテイメントと純粋芸術という二つの文化的極面がぶつかりあったり交わりあったりしながらそれぞれの世界に枝分かれしていった様子を垣間見ることができる。
そういった音楽家達の葛藤や混乱の中で、意図した、しないにかかわらず、思想が全面に現れて出た音楽もあったし、まったく思想から自由な音楽もあったと思う。
ただ、私の印象では、少なくとも60年代、70年代のジャズにおいては、何らかのイデオロギーを持った音楽がかなり日の目を浴びたように思える。
つまり人々は何らかの思想の提示を音楽に求めていた。


とにもかくにも、私はエイブラムスの音楽にそういった意味での透明さを感じていた。
イデオロギーの不在が、徹底された芸術の純粋さをより明確にしているのだ。

 こうういう経緯もあって、
レコード店で「afrisong」を手にとった時、私はそのジャケットのビビッドな赤、緑、黒(黒人の解放と民族的独立を意味する色)と、アフリカという言葉を思わせるタイトルに大変驚いたのだ。のちに、このジャケットはwhy not レコードから出された他のアルバムすべてに使用されていたものだと知って、少し拍子抜けしたのだけれど。
この意外性と、エイブラムスの70年代のソロピアノの録音ということもあって、どうしても聞かなければと思ったレコードだった。

75年のエイブラムスのピアノは、今のどちらかというと現代音楽的なスタイルよりもかなりジャズピアノの伝統を残したものだった。
このアルバムを聞くと、彼が伝統をきっちりと消化し、その上で自由に実験的なことをしてきたアーティストなのだということがよくわかる。
私は有機的にちりばめられたピアノの音の粒の大群というのがとても好きだ。
それもタッチが丸く優しいものが良くて、アリス・コルトレーンやメアリー・ルー・ウィリアムスをよく聞くのはそのせいなのだけど、エイブラムスもこのテキスチャーを良くこのアルバムで聞かせてくれた。
ジャケットのイメージからして、もしかするとものすごく主張の強い内容なのかもしれないと思っていたのだけれど、結論から言うとやっぱり彼の音楽は75年にも透明だった。
アフロアメリカンの弾くジャズ特有の暗さ、もしくはブルース的な主張というのを私はエイブラムスの音楽に、感じない。もっと、陰陽の陽の部分の大きい、アフリカ的とも言えるサウンドにはアブドゥーラ・イブラヒムを思い起こした。

野口久光氏による"afrisong"のライナーノーツにはAACM (Association for the Advancement of Creative Musicians)についてこう書かれている。

多かれ少なかれコマーシャリズムからの誘惑に乗ったり、あるいはコマーシャリズムに抑圧され、ゆがめられてきたジャズを純粋に自分達の芸術にしたいという意識も強く働いてきた。
(中略)
ニューヨーク派の新進的なジャズメンの動向に対して、シカゴの若い進歩的なジャズメンはニューヨーク派のジャズメンによる演奏の成果を充分認めた上で、ニュージャズ運動に新しい理念、方向づけをし、実践活動を開始した。それがAACMだった。 

 厶ハル・リチャード・エイブラムスという人は、弾いてきた音楽の中で常に実験をし、変容してきた音楽家であると思う。そういう意味で、プーさんこと菊地雅章氏とも重なる。
エイブラムスの弾く音を聞いていると、彼が若かった時代、彼は時代の潮流とは精神的にかなり違う場所に居たのではないかと思った。反抗の時代に作られた彼の音楽はあまりにも平和的で透明なのだ。AACMを発足し、コマーシャリズムに自身の芸術への誠実さを持って対向してきたひとりのアーティストの幾層にも重なる創造の歴史を垣間見て、音楽家としてのあり方を深く考えさせられた。






2014年3月6日木曜日

日本芸能史に見る音楽と平和(其の三)

さて、

傀儡子の信仰した、百神、すなわち『夫婦和合の神信仰』についての話をすすめたい。

私がなんとなく腑に落ちないと思ったことがひとつあった。
傀儡女つまり傀儡子集団の女達が、ある種の形で春をひさいでいたのであれば、 なぜこの集団が夫婦和合の神、百神を信仰したのか、ということである。
現代人であれば誰だって、自分の配偶者が他人と体を交えるのを拒むだろう。
つまり、信仰と行いが相反しているのだ。

しかし、仮定として、傀儡子がなんらかの形で縄文文化を受け継いできた存在であると考えるとなんと辻褄が合うのだ。


以下「縄文と古代文明を探求しよう」より引用
 
縄文時代は総偶婚によって集団内の男女が分け隔てなく交わり合い、そこでは集団を破壊し、充足を妨げる自我を“完全に”封印したことが特筆されます。いわば、縄文の女とは集団と共にある事で安心も安定も充足も得る事ができたのです。

(中略)

 しかし、渡来民が伝えた生産手法、稲作技術だけは互いの利益に適い、やがて大きな集団を作った一派が水争いを制圧し、クニを形成します。そういった中で弥生時代の最大の課題は渡来民と縄文人が争わずに一つになる事でした。
 これらが融合する為に用いられたのが婚姻でしたが、そこでは「誓約」という概念が作られ、その誓約を導く存在が巫女だったのです。

 日本民族の精神の根底にある「誓約(うけい)」という概念。 相手を否定し征服するのではなく、相手を受け入れ和合する事でその安寧を保ってきた日本人のこの精神は、略奪闘争から隔絶された島国ゆえに醸成された独特の文化です。一 つの国家内に様々な部族・民族が存在する状況は世界的に見て珍しい事では有りませんが、和合と同化、共同性をもって統合を成し遂げてきた日本のこの考え方 はきわめて独特、かつ人類としての普遍性を持っています。「性」を中心に据えた力に頼らない集団統合、この発想の柔軟性には見るべきものがあると思いま す。



争いを避ける為に、性を通して、血の繋がりを通して、民族の和合を得る。
それは、「受け入れる」という女性性の持つ最大の力だと思う。
まるで太陽と北風の話みたいだ。
体を他者と交えるというのは、究極の平和の象徴となりえるということ。
 その和合の精神が、平和を追求する精神が、宗教的儀式となり、
もっと抽象的な形で人々に伝えていける芸能となり、
集団から集団へと伝わっていくなかで変化しつつ、
古代から中世、そして現代へと受け渡されてきたのかもしれない。

これで、アメノウズメが日本芸能の源流の神であり、
彼女を中心とした物語に、
「性」=「槽伏(うけふ)せて踏み轟こし、神懸かりして胸乳かきいで裳緒(もひも)を陰(ほと=女陰)に押し垂れき。」と、
「死」=「天照大神が天の岩戸に『隠れ』世界が暗闇に包まれるという、もがりと死を想起させる状況」と、
「神と笑ひゑらぐ」= 「感情の昂ぶり、神懸りをするためのトランスに入る状況」
という象徴的なイメージがくくりつけられていることをより深く理解できるようになった。