2011年3月17日木曜日
2011年3月16日水曜日
今は、自分が生きているこの時間に、精一杯できることをするだけ。
一番怖れていたこと。
反原発をずっと両親に言い聞かされて育った。
広島も長崎も、何度も訪れているけれど、その度に、どうして日本は未だに原子力発電をやめないのかと思った。
青森県六ヶ所村の核核燃料再処理工場についても去年ずっとリサーチしていた。
浜岡原発が(場所的に)危ないという話も前から出ていたはず。
今ニュースで静岡で震度6、しかし浜岡原発は異常なしで運転続行、というのを見て、心臓が止まる思いだった。
これから、余震が完全におさまる間だけでも、浜岡原発をとめておくことはできないのだろうか。。。
昨晩は、、
考え始めたら気が狂いそうだったので、早くベッドに入ったけれど、
叫び出しそうになるのを抑えるのだけで精一杯だった。
どうか、被害が最小限にとどまりますように。
一番怖れていたこと。
反原発をずっと両親に言い聞かされて育った。
広島も長崎も、何度も訪れているけれど、その度に、どうして日本は未だに原子力発電をやめないのかと思った。
青森県六ヶ所村の核核燃料再処理工場についても去年ずっとリサーチしていた。
浜岡原発が(場所的に)危ないという話も前から出ていたはず。
今ニュースで静岡で震度6、しかし浜岡原発は異常なしで運転続行、というのを見て、心臓が止まる思いだった。
これから、余震が完全におさまる間だけでも、浜岡原発をとめておくことはできないのだろうか。。。
昨晩は、、
考え始めたら気が狂いそうだったので、早くベッドに入ったけれど、
叫び出しそうになるのを抑えるのだけで精一杯だった。
どうか、被害が最小限にとどまりますように。
2011年3月3日木曜日
すきま
地下鉄の電車が、暗いトンネルを抜けてマンハッタン橋に差し掛かった。
真っ青な空と白い雲と、車窓から見えるイーストリバーの景色。
午後2時、
がらんとした車内の、私の向かいの席には、若い黒人青年がふてくされた顔で座っている。
その青年の表情に、アメリカという国の憂いというものを見た気がした。
両手を使って、手のひらの中に溜めてきたものが、少し指を開けば、さらさらとあっという間に消失してしまう、
そんな 「隙間」 がアメリカには沢山ある。
私の生まれ育った国、日本には、その「隙間」がほとんどないと思う。
指のすきまから、何かの欠片がこぼれ落ちていく時に、下から無数の手、無数の張り巡らされた網が、すべて受け止めていく、そんな感覚がある。
そうやって、ひとつもこぼさないように、受け止めなくたっていいんじゃないだろうか。。と皮肉な私は思ったりもするけれど。
「隙間」のあるアメリカは、いつも 失う という恐怖と隣合わせなんではないかと思う。
しっかりと自分で、自分の人生のパズルのピースを拾い集めていかないと、
「隙間」の空虚感に蝕まれて、あっという間に自分を見失ってしまう。
私がこの場所を離れられないのは、
多分、その「隙間」がつくる、こころもとなさを好んでいる自分がいるから。
異国に若い時移り住んで、
こわかったし、
不安だったし、
絶望したし、
葛藤した。
ただ、その、一寸先は闇かもしれない、という切迫感に、いつも後押しされてきた。
真っ青な空と白い雲と、車窓から見えるイーストリバーの景色。
午後2時、
がらんとした車内の、私の向かいの席には、若い黒人青年がふてくされた顔で座っている。
その青年の表情に、アメリカという国の憂いというものを見た気がした。
両手を使って、手のひらの中に溜めてきたものが、少し指を開けば、さらさらとあっという間に消失してしまう、
そんな 「隙間」 がアメリカには沢山ある。
私の生まれ育った国、日本には、その「隙間」がほとんどないと思う。
指のすきまから、何かの欠片がこぼれ落ちていく時に、下から無数の手、無数の張り巡らされた網が、すべて受け止めていく、そんな感覚がある。
そうやって、ひとつもこぼさないように、受け止めなくたっていいんじゃないだろうか。。と皮肉な私は思ったりもするけれど。
「隙間」のあるアメリカは、いつも 失う という恐怖と隣合わせなんではないかと思う。
しっかりと自分で、自分の人生のパズルのピースを拾い集めていかないと、
「隙間」の空虚感に蝕まれて、あっという間に自分を見失ってしまう。
私がこの場所を離れられないのは、
多分、その「隙間」がつくる、こころもとなさを好んでいる自分がいるから。
異国に若い時移り住んで、
こわかったし、
不安だったし、
絶望したし、
葛藤した。
ただ、その、一寸先は闇かもしれない、という切迫感に、いつも後押しされてきた。
2011年2月6日日曜日
why music?
To create music is like studying divinity.
I will keep focusing on the greatness of soul, which is in other words called divine oneness.
I will keep focusing on the greatness of soul, which is in other words called divine oneness.
2011年2月5日土曜日
dream time music
先週末の友人のライブを見てからというもの、
家で練習する時の弾き方を変えて一週間。
今日は演奏の仕事がふたつあって、どちらも自分的にはかなり満足のいく演奏ができた。
今までも十分に、感情に忠実な演奏をしていたけど、
それが、もっと感情的になったというか、もっと憑依的になったというか。。
音楽に入り込めるようになってからというもの、
その感覚は日に日に深くなってきている。
それは本当に、ドリームタイムというか、高次元の感覚で、
中に入れば入り込む程に、空間が広がっていくの。
そして、その空間を掴んでしまえば、それは極端に言えば時間の存在しない次元になる。
その、、空間の中で、音楽を創り出していくこと、、、
それも、
感情のままに、情熱の語るままに、自分という媒体を通して音を創り出していくこと、、
こんなに素晴らしいことは、ない。。。
家で練習する時の弾き方を変えて一週間。
今日は演奏の仕事がふたつあって、どちらも自分的にはかなり満足のいく演奏ができた。
今までも十分に、感情に忠実な演奏をしていたけど、
それが、もっと感情的になったというか、もっと憑依的になったというか。。
音楽に入り込めるようになってからというもの、
その感覚は日に日に深くなってきている。
それは本当に、ドリームタイムというか、高次元の感覚で、
中に入れば入り込む程に、空間が広がっていくの。
そして、その空間を掴んでしまえば、それは極端に言えば時間の存在しない次元になる。
その、、空間の中で、音楽を創り出していくこと、、、
それも、
感情のままに、情熱の語るままに、自分という媒体を通して音を創り出していくこと、、
こんなに素晴らしいことは、ない。。。
2011年1月29日土曜日
音楽の空間
今晩の演奏は、準備万端で臨んだにもかかわらず、玉砕。
初めて一緒に弾くドラマーとのトリオ。
合わないタイプの演奏家で、弾いててちょっときつかった。
固い、、固い、、音で、ガシガシ弾いてくる感じが私はやっぱり苦手だ。
音の柔軟さは、絶対に必要。
例え静かに弾いていてもグルーブ感があって、空間を上手く活用することのできるドラマーが好き。
なかなか、そういうドラマーには出会わない。
昨日、先輩達の素晴らしい演奏を見て、やっぱりこの感じだ、って思って、
音楽の方向性みたいなものを掴めた感触があったの。
だからこそ、、、
今までの私だったら、自分の力量が足りないからしっくりこないんだと思っていたところ、
生意気にも今は、私の演奏のやり方と合わない、と解釈するようになった。
即興演奏をしている時に、意識して、空間を置いて、ひとつひとつの音に意味を持たせれるように弾こうとしているんだけれど、
まだまだ、相手が「聞かない」奏者だと、その「間」というのを、自分ひとりで保っていくのは難しい。
尊敬してる奏者がこう言ってたの。
「ストレートな弾き方をするドラマーでも、良いドラマーはいるけど、
僕がやりたいと思っているのは、ある音楽の形やフォームの中で、即興によってどれだけ自由に、オープンになれるかを常にチャレンジし続けること。それをできるドラマーとやるのがやっぱり楽しい。」
本当に純粋な芸術として音楽を捉えていないとできないことだと思う。
私、すごくすごくこういう音楽家達と演奏したいと熱望している。
アバンギャルドな音楽にすごく惹かれる。
多分、、、彼らは、開拓者だから。
芸術の開拓者というのは、大抵の場合、マジョリティーの大衆の注目を浴びることがないし、
その先鋭的な芸術に対しての理解を得ることもない。
だからこそ、自分の芸術性に関してクリアーなイメージとコンセプトがなければ続けられないことだと思う。
どうしたらそういう領域に行けるだろう??
初めて一緒に弾くドラマーとのトリオ。
合わないタイプの演奏家で、弾いててちょっときつかった。
固い、、固い、、音で、ガシガシ弾いてくる感じが私はやっぱり苦手だ。
音の柔軟さは、絶対に必要。
例え静かに弾いていてもグルーブ感があって、空間を上手く活用することのできるドラマーが好き。
なかなか、そういうドラマーには出会わない。
昨日、先輩達の素晴らしい演奏を見て、やっぱりこの感じだ、って思って、
音楽の方向性みたいなものを掴めた感触があったの。
だからこそ、、、
今までの私だったら、自分の力量が足りないからしっくりこないんだと思っていたところ、
生意気にも今は、私の演奏のやり方と合わない、と解釈するようになった。
即興演奏をしている時に、意識して、空間を置いて、ひとつひとつの音に意味を持たせれるように弾こうとしているんだけれど、
まだまだ、相手が「聞かない」奏者だと、その「間」というのを、自分ひとりで保っていくのは難しい。
尊敬してる奏者がこう言ってたの。
「ストレートな弾き方をするドラマーでも、良いドラマーはいるけど、
僕がやりたいと思っているのは、ある音楽の形やフォームの中で、即興によってどれだけ自由に、オープンになれるかを常にチャレンジし続けること。それをできるドラマーとやるのがやっぱり楽しい。」
本当に純粋な芸術として音楽を捉えていないとできないことだと思う。
私、すごくすごくこういう音楽家達と演奏したいと熱望している。
アバンギャルドな音楽にすごく惹かれる。
多分、、、彼らは、開拓者だから。
芸術の開拓者というのは、大抵の場合、マジョリティーの大衆の注目を浴びることがないし、
その先鋭的な芸術に対しての理解を得ることもない。
だからこそ、自分の芸術性に関してクリアーなイメージとコンセプトがなければ続けられないことだと思う。
どうしたらそういう領域に行けるだろう??
2011年1月26日水曜日
meditation in music
たまたま時間が出来て、
昨日と今日と、久しぶりにジャムセッションに行って、
やっぱり違うって気づいた。
目指してる音楽の種類が、違うんだと思う。
というか、音楽を弾く過程においての、姿勢が違うんだと思う。
やっぱり私、瞑想したいんだと思う、音楽で。
瞑想する演奏家が好きなんだ。
ジャムセッションで、聞いてられない時があった。
何かを喋ることと、音楽で即興することはすごく似てるけれど、
口を開くのであれば、mean what you say でしょう。
もし、話す内容がないのならば、静かにしていればよい。
その「静寂」「無」というのも音のひとつだし。
と、すごく思うの。
こういう風に客観的に冷静にジャムセッションの音を見ることができるようになったのは、
成長したと思う。
アバンギャルドの音楽を聞き出して、確実に耳が肥えてきたと思う。
‥…
結局は、自分自身が、本当に惚れ込めるくらいに美しいと思える演奏をできるようになればいい。
きっと人からのフィードバックはrelativeだから、当てにならないし。
芸術というのは、本来は自分自身のためのものであるべきなんだ。
そして、その芸術に込める自分の美意識というものが、どういうものに帰しているか、
そこなんだと思う。。
昨日と今日と、久しぶりにジャムセッションに行って、
やっぱり違うって気づいた。
目指してる音楽の種類が、違うんだと思う。
というか、音楽を弾く過程においての、姿勢が違うんだと思う。
やっぱり私、瞑想したいんだと思う、音楽で。
瞑想する演奏家が好きなんだ。
ジャムセッションで、聞いてられない時があった。
何かを喋ることと、音楽で即興することはすごく似てるけれど、
口を開くのであれば、mean what you say でしょう。
もし、話す内容がないのならば、静かにしていればよい。
その「静寂」「無」というのも音のひとつだし。
と、すごく思うの。
こういう風に客観的に冷静にジャムセッションの音を見ることができるようになったのは、
成長したと思う。
アバンギャルドの音楽を聞き出して、確実に耳が肥えてきたと思う。
‥…
結局は、自分自身が、本当に惚れ込めるくらいに美しいと思える演奏をできるようになればいい。
きっと人からのフィードバックはrelativeだから、当てにならないし。
芸術というのは、本来は自分自身のためのものであるべきなんだ。
そして、その芸術に込める自分の美意識というものが、どういうものに帰しているか、
そこなんだと思う。。
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