2014年9月30日火曜日

the world is a mill



私はカルトーラの歌うサンバが大好きだ。
彼の歌は、正直に、淀みのない、迷いのない音で、 私達に語りかけてくる。

この O mundo e um muinho - the world is a mill - という曲は、
ブラジルでの当時の風の噂では、娘が売春婦になってしまったということを知った時にカルトーラが作曲した曲だと言われている。

そして、
この映像の中でカルトーラが歌を聞かせている相手は、40年間ほどもの間会うことのなかったカルトーラの父親である。長い間の息子との別離にも関わらず、カルトーラの父は彼の歌をよく知っていた。
「何が聞きたい?」と聴くカルトーラに、「サンバがいいね。」と何気なく呟き、
O mundo e um muinhoを聞きたいと言った父親に、息子は歌い始める。 



愛しいひとよ、まだ早い
人生についてやっと知り始めたばかりなのに
もうすでに旅立つ時だとあなたは云う
これから先にある道筋を知りもせずに

愛しいひとよ、どうかあたりを見渡して
もうすでにあなたの気持ちが決まっているのは知っているけれど
隅々から、あなたの人生は少しずつこぼれている
ほんの一瞬で あなたがあなたじゃなくなってしまう

愛しいひとよ、どうかよく聞いて
注意深くしていないと
世界はまるで粉挽き器のようなものだから
悲しいけれど、あなたの夢さえ粉々に挽き飛ばしてしまう
あなたの幻想も埃へとすり減らしてしまう

愛するひとよ、どうかあたりを見渡して
それぞれの愛の経験から皮肉だけを受け取って
気づいた時には深淵のふちに立つだろう
自分の足で掘った底知れない穴のふちに


 こうやってこの曲の歌詞を訳してみた時に、
私は自分も含めた世界中の若い音楽家達のことを思う。
現代に生きる私達にとって、音楽家になるとはどういうことだろうか。
その根本にあるものは、昔も今もきっとそんなには変わらないのかもしれない。

音楽を演奏するということは、ある意味ではとても個人的な行為であるけれど、
その個人的な活動、探究が深ければ深いほどに、地球の裏側の誰かと、同じ深さから音楽を媒体とした感覚の叡智を共有することができる。

音楽とは本来愛の経験であるのに、それを皮肉に変えてしまうものとは、資本主義に喰われる名声と欲だ。
そうやって、音楽の行為と商業的成功を混同してしまい、どこまでも靴を泥まみれにして深い穴を掘ってしまう人もいるだろう。
何かのきっかけで穴を掘り始めるのは、いたって容易なことなのだ。
そんな時にこの歌を聞いて
私達はきちんと大地に足をつけることができるだろう。
大事なことは何か。
どういったものを芯ととらえて、音楽を演奏するか。
そういうことをカルトーラは底抜けに明るい響きの歌を通して、私達に問いかける。