音楽を演奏していくことは、
何が美徳であるかということを日々追求する道を選ぶということであった。
そして、美徳というものを考えるということは、
一日中、浮き雲と蘭の花を見つめて白昼夢を見るということではなく、
泥の中にひざまづき、黒く汚した手で埋めた種の発芽を辛抱強く待つことであり、
精神的に失明した透明人間達の、通り過ぎて行く大きな足の大きな歩幅を鳥瞰することであり、
また、色彩の濃いイメージを持って、想像と創造をまぐわす方法を学ぶことである。
己が何者でどんな人間であるかは、音楽を以てして、必ず明確に表れる。
今は、人としてどうあるべきかを、よくよく考えさせられている時期であるようだ。
愚痴を言わずに、ただ黙々と、どんなに小さな仕事も、課されたものをきちんとこなすこと、
その中に喜び、創造性を見いだせることを美しいと思う。
自分もそうあれたら、と思い、そう思わせてくれる人物がまわりに幾人か居ることに感謝する。
生きていれば、すべてが思い通りにいくわけではない。
文句の一つや二つ、言いたくなる時もあるけれど。
人の気持ちを考えることが大事だし、同時に自分の気持ちを大切にすることも必要。
文句をこぼさずに、改善するための行動を起こせるようになること。
行動すれば、状況は変わっていくもの。
そしていつも、自分の言動行動、笑顔を忘れていないか、ありがとうの気持ちを忘れていないか、
自省しながら謙虚に生きよう。
2012年3月22日木曜日
Blues/Spiritual
Albert Ayler
Swing Low Sweet Spiritual (1964)
アルバートアイラーは、あらゆるサックス奏者の中で一番好きだ。
中学校の音楽の教科書に、Swing Low Sweet Chariotという曲が載っていて、
なぜだかわからないけれど、他のどの曲よりも好きで、私にはたまらない魅力があった。
その当時はそれがなぜだかわからなかったけれど。
多分、私は黒人の歌い、演奏してきたスピリチュアルな音のバイブレーションにすごく共鳴する。
このレコードの中で演奏されている、Nobody Knows the Trouble I've Seenという曲も、
素晴らしい曲だと思う。
概念としてのブルースと、スピリチュアルという種類の音楽はどういう風に繋がっているんだろう?
Swing Low Sweet Spiritual (1964)
アルバートアイラーは、あらゆるサックス奏者の中で一番好きだ。
中学校の音楽の教科書に、Swing Low Sweet Chariotという曲が載っていて、
なぜだかわからないけれど、他のどの曲よりも好きで、私にはたまらない魅力があった。
その当時はそれがなぜだかわからなかったけれど。
多分、私は黒人の歌い、演奏してきたスピリチュアルな音のバイブレーションにすごく共鳴する。
このレコードの中で演奏されている、Nobody Knows the Trouble I've Seenという曲も、
素晴らしい曲だと思う。
概念としてのブルースと、スピリチュアルという種類の音楽はどういう風に繋がっているんだろう?
2012年3月7日水曜日
Sula
Sula by Toni Morrison (1973)
今まで読んだものの中で、最も衝撃的で美しい小説だった。
私達が生きていく、その壮大な物語は、必ずしもいつもハッピーエンドであったりすべてが簡潔では決してない。
人間というのは、感情を堀りさげるほどに、自らのうちに鬱蒼と森のようにいかにも自然な形で存在している狂気の濃淡を、苦く、甘く、味わうことになるだろう。
その、甘さと苦さ、という味覚のジレンマ、それがもたらす恍惚感のようなものを、読んだ気がした。
物語自体を客観的に表現すると、とても苦いのだ。
だけれども、そこに絶対的に甘さが存在しているのは、時間の密度、愛情の密度、人間性の密度、感覚の密度、
それらすべてが飽和するほどに濃いからなのだと思う。
スラという主人公は、所謂現代的な魔女として描かれている。
世間の常識を畏れない女。
子供の持つ恐ろしさ、純粋さ、を同時にもてあまして大人になった女。
自分としては大した意図のない行動が、なぜかいつも劇的な結末をもたらしてしまう女。
彼女の哀しみを思った。
ひとり、意図せずして、ベッドで孤独の死を呑み込んだひとつの魂を。
彼女の死を喜び安堵した、村の者達の安易で悪意のない排他的精神を。
それでも、スラは甘く苦く、色彩のあくまでも濃い人生を送ったことを。
今まで読んだものの中で、最も衝撃的で美しい小説だった。
私達が生きていく、その壮大な物語は、必ずしもいつもハッピーエンドであったりすべてが簡潔では決してない。
人間というのは、感情を堀りさげるほどに、自らのうちに鬱蒼と森のようにいかにも自然な形で存在している狂気の濃淡を、苦く、甘く、味わうことになるだろう。
その、甘さと苦さ、という味覚のジレンマ、それがもたらす恍惚感のようなものを、読んだ気がした。
物語自体を客観的に表現すると、とても苦いのだ。
だけれども、そこに絶対的に甘さが存在しているのは、時間の密度、愛情の密度、人間性の密度、感覚の密度、
それらすべてが飽和するほどに濃いからなのだと思う。
スラという主人公は、所謂現代的な魔女として描かれている。
世間の常識を畏れない女。
子供の持つ恐ろしさ、純粋さ、を同時にもてあまして大人になった女。
自分としては大した意図のない行動が、なぜかいつも劇的な結末をもたらしてしまう女。
彼女の哀しみを思った。
ひとり、意図せずして、ベッドで孤独の死を呑み込んだひとつの魂を。
彼女の死を喜び安堵した、村の者達の安易で悪意のない排他的精神を。
それでも、スラは甘く苦く、色彩のあくまでも濃い人生を送ったことを。