昨日、
近所の自然公園に行って、大きな木の下で日光を浴びながら本を読んだ。
その広場では、子供達が駆けまわり、
犬が尻尾を懸命に降ってhappinessを表現しながら主人と歩き、
サッカーをする大人のグループの誰かが大声で話し、
私から10メートル程先には、金属探知機で何かを探している初老の男性がいた。
私の耳に入ってくるすべての音が、目を閉じると、不思議と調和して聞こえた。
日常が目の前に広がっている。
とてもピースフルな時間だった。
これが、「現実」とよばれるもののひとつの層であり、
それと同時に存在する別の「現実」がある、ということを私は考えていた。
私達は、無力な存在なんかではない、ということを、全力で思い出す時が来た。
そうするには、どうすればいい?
そればかりを考えていた。
音楽を。。
私の世界への想いを。。
どうすればいい?
シンクロニシティーは、いつもの様にあらゆる方向からキーワードを流してきた。
「責任を持つこと。」
自分の、創造している現実に、責任を持つこと。
私達ひとりひとりの思考、もしくは、その無意識の思考の集まりが、現実を作っている、そのことを再確認する。
だから、
自分をまず愛することからはじめる。
愛は、与えるもの。。。人に、期待をしない。
それでも、自分はハッピーになれる。 もし自分が自分を愛していたら。
自信を持てる?
私はどれくらい、こわいんだろう? 他人が? 自分が? 両方、同じ事。
こわいと言って、そのまま閉じてしまえば、無難に人生は過ぎ行くかもしれない。
だけど、きっと、このまま私のこころの中にあるわだかまりをかかえて、その責任を取って生きることになる。
いま、私の課題は、そのこわいという気持ちを かなぐりすてること。
私にはできない という気持ちを 私だからできる に変換すること。
そして、嘘をつかずに、正直に、誠実に毎日を生きること。
直観を信じること。
三位一体を、めざしてみる。
行動、言動、思考を一致させる。
そういう意味で、思考に責任を持って生きること。
決して簡単じゃないけど、やってみようと思う。
2011年3月16日水曜日
今は、自分が生きているこの時間に、精一杯できることをするだけ。
一番怖れていたこと。
反原発をずっと両親に言い聞かされて育った。
広島も長崎も、何度も訪れているけれど、その度に、どうして日本は未だに原子力発電をやめないのかと思った。
青森県六ヶ所村の核核燃料再処理工場についても去年ずっとリサーチしていた。
浜岡原発が(場所的に)危ないという話も前から出ていたはず。
今ニュースで静岡で震度6、しかし浜岡原発は異常なしで運転続行、というのを見て、心臓が止まる思いだった。
これから、余震が完全におさまる間だけでも、浜岡原発をとめておくことはできないのだろうか。。。
昨晩は、、
考え始めたら気が狂いそうだったので、早くベッドに入ったけれど、
叫び出しそうになるのを抑えるのだけで精一杯だった。
どうか、被害が最小限にとどまりますように。
一番怖れていたこと。
反原発をずっと両親に言い聞かされて育った。
広島も長崎も、何度も訪れているけれど、その度に、どうして日本は未だに原子力発電をやめないのかと思った。
青森県六ヶ所村の核核燃料再処理工場についても去年ずっとリサーチしていた。
浜岡原発が(場所的に)危ないという話も前から出ていたはず。
今ニュースで静岡で震度6、しかし浜岡原発は異常なしで運転続行、というのを見て、心臓が止まる思いだった。
これから、余震が完全におさまる間だけでも、浜岡原発をとめておくことはできないのだろうか。。。
昨晩は、、
考え始めたら気が狂いそうだったので、早くベッドに入ったけれど、
叫び出しそうになるのを抑えるのだけで精一杯だった。
どうか、被害が最小限にとどまりますように。
2011年3月3日木曜日
すきま
地下鉄の電車が、暗いトンネルを抜けてマンハッタン橋に差し掛かった。
真っ青な空と白い雲と、車窓から見えるイーストリバーの景色。
午後2時、
がらんとした車内の、私の向かいの席には、若い黒人青年がふてくされた顔で座っている。
その青年の表情に、アメリカという国の憂いというものを見た気がした。
両手を使って、手のひらの中に溜めてきたものが、少し指を開けば、さらさらとあっという間に消失してしまう、
そんな 「隙間」 がアメリカには沢山ある。
私の生まれ育った国、日本には、その「隙間」がほとんどないと思う。
指のすきまから、何かの欠片がこぼれ落ちていく時に、下から無数の手、無数の張り巡らされた網が、すべて受け止めていく、そんな感覚がある。
そうやって、ひとつもこぼさないように、受け止めなくたっていいんじゃないだろうか。。と皮肉な私は思ったりもするけれど。
「隙間」のあるアメリカは、いつも 失う という恐怖と隣合わせなんではないかと思う。
しっかりと自分で、自分の人生のパズルのピースを拾い集めていかないと、
「隙間」の空虚感に蝕まれて、あっという間に自分を見失ってしまう。
私がこの場所を離れられないのは、
多分、その「隙間」がつくる、こころもとなさを好んでいる自分がいるから。
異国に若い時移り住んで、
こわかったし、
不安だったし、
絶望したし、
葛藤した。
ただ、その、一寸先は闇かもしれない、という切迫感に、いつも後押しされてきた。
真っ青な空と白い雲と、車窓から見えるイーストリバーの景色。
午後2時、
がらんとした車内の、私の向かいの席には、若い黒人青年がふてくされた顔で座っている。
その青年の表情に、アメリカという国の憂いというものを見た気がした。
両手を使って、手のひらの中に溜めてきたものが、少し指を開けば、さらさらとあっという間に消失してしまう、
そんな 「隙間」 がアメリカには沢山ある。
私の生まれ育った国、日本には、その「隙間」がほとんどないと思う。
指のすきまから、何かの欠片がこぼれ落ちていく時に、下から無数の手、無数の張り巡らされた網が、すべて受け止めていく、そんな感覚がある。
そうやって、ひとつもこぼさないように、受け止めなくたっていいんじゃないだろうか。。と皮肉な私は思ったりもするけれど。
「隙間」のあるアメリカは、いつも 失う という恐怖と隣合わせなんではないかと思う。
しっかりと自分で、自分の人生のパズルのピースを拾い集めていかないと、
「隙間」の空虚感に蝕まれて、あっという間に自分を見失ってしまう。
私がこの場所を離れられないのは、
多分、その「隙間」がつくる、こころもとなさを好んでいる自分がいるから。
異国に若い時移り住んで、
こわかったし、
不安だったし、
絶望したし、
葛藤した。
ただ、その、一寸先は闇かもしれない、という切迫感に、いつも後押しされてきた。