2011年1月29日土曜日

音楽の空間

今晩の演奏は、準備万端で臨んだにもかかわらず、玉砕。

初めて一緒に弾くドラマーとのトリオ。
合わないタイプの演奏家で、弾いててちょっときつかった。

固い、、固い、、音で、ガシガシ弾いてくる感じが私はやっぱり苦手だ。
音の柔軟さは、絶対に必要。

例え静かに弾いていてもグルーブ感があって、空間を上手く活用することのできるドラマーが好き。
なかなか、そういうドラマーには出会わない。



昨日、先輩達の素晴らしい演奏を見て、やっぱりこの感じだ、って思って、
音楽の方向性みたいなものを掴めた感触があったの。

だからこそ、、、
今までの私だったら、自分の力量が足りないからしっくりこないんだと思っていたところ、
生意気にも今は、私の演奏のやり方と合わない、と解釈するようになった。

即興演奏をしている時に、意識して、空間を置いて、ひとつひとつの音に意味を持たせれるように弾こうとしているんだけれど、
まだまだ、相手が「聞かない」奏者だと、その「間」というのを、自分ひとりで保っていくのは難しい。


尊敬してる奏者がこう言ってたの。

「ストレートな弾き方をするドラマーでも、良いドラマーはいるけど、
僕がやりたいと思っているのは、ある音楽の形やフォームの中で、即興によってどれだけ自由に、オープンになれるかを常にチャレンジし続けること。それをできるドラマーとやるのがやっぱり楽しい。」

本当に純粋な芸術として音楽を捉えていないとできないことだと思う。


私、すごくすごくこういう音楽家達と演奏したいと熱望している。
アバンギャルドな音楽にすごく惹かれる。
多分、、、彼らは、開拓者だから。
芸術の開拓者というのは、大抵の場合、マジョリティーの大衆の注目を浴びることがないし、
その先鋭的な芸術に対しての理解を得ることもない。
だからこそ、自分の芸術性に関してクリアーなイメージとコンセプトがなければ続けられないことだと思う。

どうしたらそういう領域に行けるだろう??

2011年1月26日水曜日

meditation in music

たまたま時間が出来て、
昨日と今日と、久しぶりにジャムセッションに行って、

やっぱり違うって気づいた。

目指してる音楽の種類が、違うんだと思う。

というか、音楽を弾く過程においての、姿勢が違うんだと思う。

やっぱり私、瞑想したいんだと思う、音楽で。

瞑想する演奏家が好きなんだ。


ジャムセッションで、聞いてられない時があった。

何かを喋ることと、音楽で即興することはすごく似てるけれど、

口を開くのであれば、mean what you say でしょう。

もし、話す内容がないのならば、静かにしていればよい。

その「静寂」「無」というのも音のひとつだし。

と、すごく思うの。


こういう風に客観的に冷静にジャムセッションの音を見ることができるようになったのは、
成長したと思う。

アバンギャルドの音楽を聞き出して、確実に耳が肥えてきたと思う。

‥…


結局は、自分自身が、本当に惚れ込めるくらいに美しいと思える演奏をできるようになればいい。

きっと人からのフィードバックはrelativeだから、当てにならないし。

芸術というのは、本来は自分自身のためのものであるべきなんだ。


そして、その芸術に込める自分の美意識というものが、どういうものに帰しているか、
そこなんだと思う。。