2019年2月3日日曜日

ABIDING DAWN






去年の暮れから制作を開始したソロアルバム、『ABIDING DAWN』が完成した。

前回の記事から繋がる話なのだけれど、
子供を生んだのが2017年の夏。
それから2018年の暮れまで、両手で数えられるほどしかライブをしなかった。
環境の変化や親として全うしなければならない責任を考えると仕方ない。

とにかくアウトプットする機会も、外に出て他のミュージシャン達と交流する機会も圧倒的に減った。
そういう環境の中で何ができるかと考えた時に、
私に残されていた道は、自宅録音で音楽制作をすることだった。
うちではセッションやレコーディングをこれまでに100回以上は行ってきているから、
幸い、楽器も機材もそれなりに自宅スタジオに揃えてある。
パートナーでエンジニアリングもこなすトッドと話し合い、このアルバムを制作することに決めた。

自宅録音というアイディアを実行することになったのは、
やっぱりプーさんの影響が大きい。
晩年のプーさんは、自宅のピアノで膨大な量のソロピアノを録音して、
それを繰り返し大音量で聞いてはまた新しいものを録音するということを繰り返していた。

プロのレコーディング・スタジオで、よりすぐりの機材を使用して録ったものと違い、
自宅録音には、時に恐ろしいほど親密な、ある種の生々しさがあると思う。

『ABIDING DAWN』の録音で使用したピアノは、スタインウェイのモデルCというコンサートグランドピアノだ。
一生音楽をやっていくことを自分に約束するために、自宅用のグランドピアノを探し始めた頃、
プーさんにピアノのことを聞いたことがあった。

その時に話してくれたのはこんな内容だった。
モデルCなら、自宅の一部屋でも丁度良い大きさで響くし、モデルBやAなどの多少サイズが小さいものよりも低音がしっかりしている。
(彼の場合はロフトだったけれど、アメリカでピアノを置くような部屋は、ある程度の広さがあることが多い。)

それから、何ヶ月もかけてモデルCを探して、運命的に出会ったピアノを自宅に運び入れた。
そのピアノを今でも定期的に調律してくれているのは、
長年プーさんのピアノを調律してきたベテランの調律師だ。
彼は、スタインウェイピアノのことを知り尽くしている、とても謙虚で繊細な感覚を持った人で、
彼は確か父親もまたスタインウェイで働くピアノ職人だった人で、ピアノ工場で遊びながら育ったという生粋のピアノマンなのだ。

これまでにリリースした2作品ではできなかったこと、
ソロだからこそできる表現を試してみたいと思い、
KORGのアナログシンセサイザーをオーバーダブした楽曲や、ソロピアノ、朗読などを取り入れて、
ひとつのナラティブとして仕上げた。

このアルバムは、アリス・コルトレーン、アーサー・ラッセル、マタナ・ロバーツ、ムハル・リチャード・エイブラムスなどから受けた影響が強く出ていると思う。
実際に、アリス・コルトレーンに捧げる楽曲「monument eternal」も収録されている。


ちなみに、
このアルバムのイメージを頭の中に描いていた時に繰り返し浮かんできたのが、「夜明け」の情景だった。
子育てという気の遠くなるような時間、否応なく感じる疎外感や孤独、
そういったものが長い「夜」だとしたら、この音楽が「夜明け」を宣言してくれるのではないかという期待から「夜明け(Dawn)」という言葉を使おうと当初は思っていた。

だけど、考えれば考えるほどに、
私はある意味では、シンボルとしての太陽に対して大きな期待や愛着は感じておらず、
できることなら夜明けにずっと包まれていたいと感じていることに気づいた。
その不完全な美、暗闇と光の交差する場所、刹那的時間、静けさ、に惹かれる。

そういうわけで、このアルバムのタイトルは「永久的な(Abiding) 夜明け(Dawn)」 になった。


アルバムのリリースは3月1日。
東京・福岡のライブで先行発売するので、是非聞きに来て下さい。









2019/2/13(水) 公園通りクラシックス(東京)
蓮見令麻SOLO『COSMIC SOUNDSCAPE』
(piano/voice/pre-recorded synthesizer)
開場:19:30 / 開演: 20:00
予約:¥3,000 当日:¥3,500 学生:¥2,500
http://koendoriclassics.com/

2019/2/14(木) 神保町試聴室(東京)
蓮見令麻SOLO『文学x即興:サミュエル・ベケットの世界』
(piano/voice)
開場19:30 / 開演20:00
予約3,000円(1ドリンク、スナック込)※学生1000円引
http://shicho.org/

2019/2/20(水) NEW COMBO(福岡)
『蓮見令麻& 長沢哲SOLO+DUO』
蓮見令麻(piano/voice) / 長沢哲(drums)
開場19:00 / 開演20:00
予約:¥3,000 当日:¥3,500 学生:¥2,000
http://newcombo.sakura.ne.jp/

2019/3/9(土) 箱崎水族館(福岡)
蓮見令麻(piano) / 武井庸郎(drums) / アックス小野(bass)
19:30~
http://www.hakosui.net/




2019年1月28日月曜日

アーティストが母親になるとき

前回ここに書き物をしてから、随分と時間が経ってしまった。


2017年に出産した息子は今年6月で2歳になる。
妊娠・出産は、個人的には人生の中でまったく予期していなかった出来事で、それまでは目の前にある音楽を最優先事項としてきた暮らし方が180度方向転換することになった。


振り返れば、この2年はとにかく内側に向かい続ける時間の連続だった。
もともと内向的な性格の私は、1人で過ごすことが全く苦痛ではない。
どちらかといえば、黙々と、人知れず、何かに没頭する時間を大事にする方だ。
だからこそなおさら、
妊娠中には、歩き回るのも電車に乗るのも億劫になり、
子供が生まれたら、今度は子供の世話と仕事で忙しくなり、
音楽を人前で弾く回数も、人の演奏する音楽を見に行く回数も随分と減ってしまった。
これから先、少しずつ復帰していこうという所存ではあるけれども。


母親になるという、あまりにも陳腐であまりにも壮大な出来事に、
創作者としての自分が当たり前のように身に纏っていたデカダンスはいとも簡単に剥ぎ取られてしまった。
抽象的な感覚を音にすることは、その抽象的世界にある程度身を浸して生きるということだ。
おむつや哺乳瓶に翻弄されながら、そこに抽象的な美を見出すことは、不器用な私にはとてもできなかった。

アウトプットを出来ずにいる時間が徐々に増えて、
表現すべきものが自分の中にまだ棲息しているのかどうかさえ分からなくなった頃、
このまま私は「ただの母親」になるのだろうか、という恐怖に襲われるようになった。
それは恐怖でもあり、安堵でもあった。
私は、このまま「ただの母親」になってしまえば楽だろうに、と同時に感じていたのだ。
この瞬間に、私は初めて、自分の創作生活の終わる場所を目撃した。
チラリと見えたそのフィニッシュテープは、
地平線のかなたでゆらゆらと蜃気楼のように揺れているような気がした。

一方で、私が生み出した小さな人は、
何の躊躇も恐れもなく、朝から晩まで表現して、表現して、表現していた。
その圧倒的な求心力とよろこびは、私の浸りきっていたデカダンスとは真逆に位置するものであり、
私はその爆発的なエネルギーに、たじろぎ、憧れた。
時に一歩下がってその異質さを眺め、時に抱きしめてその率直さに寄りかかった。


そういうわけで、
物理的に時間が許すときでさえ、どんな表現が今の私にとって正直なのかわからず右往左往する始末だった。
こどもを生んで数年もしないうちに、
哺乳瓶やおむつがリュックサックや長靴やパズルや宿題やなんかに変化していく毎日の中で、
「自分の表現」を十分に出していくことができる人は、
きっとものすごく強い意志と行動力を持っている人なんだろうと思う。

私はまだ、バランスを上手く取りかねている。

こどもとの距離感も、音楽との距離感も。

息と止めて踏ん張って何かを必死に掻き集めて作り出すのはどこか違う気がする。
とりあえずは心のおもむくままに、「表現すべきもの」を眠らせ、走らせ、佇ませようかと思う。


そういえば、
私の中に棲む「表現すべきもの」の生態は、どこか「小さな人」の暮らしぶりに似ている。

2016年5月31日火曜日

フリーダム・ミュージック 第四回

ロン・カーターと言えば、その経歴の幅の広さは目が回るほどで、マイルス・デイビスをはじめとする錚々たるジャズ・ミュージシャンとの共演からエルメート・パスコワール、ロベルタ・フラックにトライブ・コールド・クエストとの共演まで、とにかくあらゆる種類の音楽を万能にこなしてきたベーシストだ。
ただ、彼がフリーな演奏に関わった形跡は、私の知る限りはほとんどないように思う。
真っ白なキャンバスに自由に絵を描くよりも、すでにかたどられたものに色彩を加えていくことに長けたタイプの演奏家のひとりかもしれない。今回はそんなロン・カーターの話に耳を傾けてみたい。
引き続きアーサー・テイラーによるインタビューから。


「電子楽器が演奏に使われることに関してどう思いますか?」というテイラーの質問に対して。

音楽は巡りつづけるもので、またスイングに立ち返るはずです。
今は色んなバンドがロックの道を模索してあてどもなく彷徨っているけれど。
私は、「フリーダム」 が流行りだす約一年ほど前にニューヨークに来ました。
その頃と同じ音楽を弾いていて未だにやっていけているバンドがどれくらいいるか数えてみると、
その数の少なさにきっと驚きますよ。
そのひとりはアーチー・シェップで、もうひとりはオーネットだけど、彼はあまりにも不規則にライブをするものだから、数には入りませんね。
彼はもう一週間のうちに6日間はギグをやるようなやり方をしなくなりました。
フリーダムが始まった頃からやっていて、今もそれを続けることができている音楽家っていうのはこの二人くらいしか思いつきません。
フリーダムをやったバンド達は、ニューヨークだけでも1000枚ほどのレコードを出したかもしれませんが、もう流行らないから棚の上に置きっぱなしのものが沢山あるでしょうね。
今あるのは、1953年から55年のビバップ、63年から65年のマイルス、69年のビートルズなんかのロック、そしてオーネットのアヴァンギャルドぐらいでしょう。

アヴァンギャルドはゆっくりと消滅しつつあります。
その痕跡、確実な痕跡は歴史に残るはずですが、アヴァンギャルドが始まった頃に比べると、こういうものを弾く奏者の数が圧倒的に減りました。
今でもフリーを弾いているミュージシャン達の仕事はどんどん減っています。オーディエンスはこれまで我慢してそういうのを聞いてきましたが、もう潮時でしょう。
オーディエンスの人たちは、ライブの後家に帰ってからこう言いたいんですよ。
「(ライブの時の)あのフレーズを思い出せるぞ。」 って。
ものすごく耳が長けたリスナーであるか、あるいはライブの出来がものすごく良くない限り、
慣れていない人にとってはフリーダムはなかなか理解し難いものなんですよ。
ビバップやスイングのフィールを知らない奏者がフリーダムを弾いたって、それはただ単に頭から出てくるものをそのまま垂れ流してるだけです。
もっと音楽的な経験を積んだ人より自由になることはできないと思います。

でもフリーに反対しているわけじゃありません。私だって時にはフリーの演奏をします。
だけど私はフリーダムをもっと理論的に演奏します。
もともとある音楽的知識、そこから構築できるものがあるからです。
最近では、完全なるフリーダムを聞くためには、10歳や12歳そこらの子供が弾く演奏を聞きたいという人さえ居ます。(オーネットのことだろうか?)
だけど、そんな限界的な次元でどうして自由になんてなれると思うのでしょうか?
まるで、「この部屋をどんな色に塗ってもいいけれど、この部屋から出てはいけません。」と言っているようなものです。そうするとあなたの手にする自由は、その部屋のみでしか行使されないということです。どれだけでもフリーに演奏すべきだと思いますが、ただその演奏内容のどこかは、あなたの持つ音楽的背景につながっている必要があるのです。
でなければ、隅っこに自分を追いやってしまうことになります。
 
もし私に選択の余地があるのなら、私はいつでもスイングすることを選びます。
音楽史の中で、フリーダムにはきちんとその居場所があります。ブラック・パワーや、ゲフィルテ・フィッシュや、ピザや、冬場の帽子とコートなんかと同じくらいに確実な居場所が。
あなたの音楽に対する姿勢がどんなものかによります。
もし瞬間的に、音楽への姿勢を変えることができるのなら、それは素晴らしいことです。
ドラマーの中にもスイングできない人は居るし、 フリーダムを弾くベーシストでコード・チェンジを弾けない人も居る。そんなベーシストにF7のコードを弾いてと言っても、弾けないんです。
コード進行の複雑な曲の譜面なんかあげても、その譜面通りには全然弾けないということです。
そういった場合に、彼らの言うところの「音楽的創造性」を表現するためには、結局なんらかの形でフリーを弾くしかないという状況になっているわけです。
フリーダムは彼らにとっては妥当なものかもしれないが、それはひとつの逃げ道のようにも見えます。
彼らが音楽的にやれることはそれしかないんです。

マイルス・デイヴィス・クインテットが演奏した1955年のビバップはフリーでしたよ。
一小節のコードを二小節のものにしたり。決めごとをしても、変化が必要だと思えば、自由に変えていました。「なんだ今のは?」なんて言って止めたりしませんでした。

<中略>

ひとつ気づいたことがあるのですが、ジャズの中で大きな変化が起こると、そのすぐ後に必ずと言っていいほど他の様々なものにも変化が訪れるのです。例えば絵画、彫刻や建築において。
驚くぐらいにいつもそうです。
フリーダム・ミュージックが私にとって意味するのは、若い世代のミュージシャン達が主流派に対して飽きてしまっているということです。その主流派、体制というのは、コード進行と32小節のフォームです。過激派の学生達は、フリーダムのジャズ・ミュージシャンのようなもので、ひとつの曲を弾くために、たくさんのスタンダード曲を素通りしていきます。
彼らは9小節のフレーズを弾いて満足していたいのです。
学生が、学校に行きたくないといって一週間欠席しても、テストで合格点をとる限り、退学にはならないのと一緒です。
1959年、オーネット・コールマンがニューヨークに来たとき、彼は社会的変化を音楽を通して予言しました。チャーリー・パーカーの時もそうでした。ディキシーランド、ルイ・アームストロングのスタイルもまた、奴隷制度からの解放を求める黒人の動きを象徴したのです。



今回もなかなか辛辣な意見だ。最後の方はなんだか支離滅裂だが、ロン・カーターの述べていることの中には、確かに、とうなずける部分もあれば、随分と保守的だと感じる部分もあった。
このシリーズでは、ジャズ・ミュージシャンには必読とされているアーサー・テイラーの著書、Notes and Tonesを参考に、ランディ・ウェストン、フィリー・ジョー、アート・ブレイキー、ロン・カーターのフリーダム・ミュージックに関する考えをまとめてきたけれども、どのインタビューにおいても一貫していたのは彼らがフリーダム・ミュージックに対してあまり良いイメージを持っていないということだった。
これは、インタビューが行われた1968年から1972年の間の音楽家達の考えの一般的傾向だったのか、それとも著者であるアーサー・テイラーの個人的な見解が反映された結果なのかは分かりかねる。 もしかすると、彼らの言う「フリーダム・ミュージック」のくくりは、我々が今日理解している「フリー・ジャズ」とまた少し違うものである可能性もなきにしもあらずだ。
オーネットやアイラーについての言及はあるものの、セシル・テイラーの名前が出てこないことも少し不思議ではある。
今年春にウィットニー・ミュージアムで行われたセシル・テイラーのレジデンシーでは、彼はひとりの偉大なる「アーティスト」として大々的に紹介され、 歴代のレコード、そして楽譜にポスターが会場一面に展示されたのに加えて、コンサートでは熱狂的なファンに迎えられ、次の日には各新聞の芸術欄にこぞってレビューが載った。現在生きているジャズ・ミュージシャンの中で、この様に「美術館」で「アーティスト」として取り上げられる人はいるだろうか、と考えてみたが、なかなか思いつかない。
セシル・テイラーはそれぐらいに稀有な才能であって、そんなアーティストを生んだフリー・ジャズというムーヴメントが現代のジャズ・シーンにも及ぼしている影響を考えると、私は前述のインタビューの内容に関してどうしても首をひねってしまうところがある。

ただ、彼らの話している内容は、フリーの演奏を試みる誰もがある程度は心にとめておく必要があることでもあると思う。インプロビゼーションにおいて、イディオムを用いるのか、用いないのか。イディオムを用いない場合、それは音楽における「反体制」的な立場として敢えて自らをイディオムから切り離すのか。では逆に、イディオムを用いる場合、そこから得られる音楽的効果とはなんだろうか?
そんなことをここから少しずつ考えていきたいと思う。





2016年3月21日月曜日

フリーダム・ミュージック 第三回

第三回目は、アート・ブレイキーのフリーダム・ミュージックに対するコメントに焦点をあてる。

言わずと知れたジャズ・メッセンジャーズを率いたブレイキーの経歴には、ジャズの歴史の中でも最も輝かしい時代を彩る奏者達の名前が並ぶ。マイルス・デイヴィス、チャーリー・パーカーにセロニアス・モンク。ビバップ、ハードバップの時代を牽引し、無数のレコードを後世に残したブレイキーだが、彼がフリーなアプローチの演奏に関わったことはほとんどなかったようだ。

アーサー・テイラーはこう質問している。
「アヴァンギャルドやフリーダム・ミュージックに関してはどのように感じていますか?」

理解できません。フリー・ジャズや、そんな類のものが聞こえてくると、そろそろ帰る時間だな、と思います。 
フリーダム、自由は素晴らしいものだけれど、秩序のない自由はただのカオスですから。
何かに到達するためには、あるポイントを定めることが必要です。
どこに行くのか?すべてがカオスであればそこには何の意味もありません。方向性というものがなければ。あなたが伝えようとしていることを、人が理解できないのは良くありません。
普通の人間は、音楽を聞く時に頭を使おうなんて思いませんよ。
音楽というものは、毎日の生活でたまった埃を振り払ってくれるべきものです。
 リスナーは、音楽家がやろうとしていることを頭を使って理解しようとはしません。
一日中頭を使っていろいろなことを理解しなければいけないのですから。
音楽を聴く時は、ただその音楽に別の世界に連れて行ってもらいたいのですよ。音楽はエンターテイメントなのです。

フリーダムをやっているミュージシャン達もいろいろいますが・・・
数年前に、レニー・トリスターノがそんなようなことをやっているのを聞きましたが、あれには方向性がきちんとありました。
最近よくある、みんなが同時にばっと演奏するようなものよりもずっと理解しやすかった。
あんなのは簡単にできる逃げだと思いますよ。
ああいう輩がロックンロールを馬鹿にするでしょう。そしてジャズのことも馬鹿にする。
チャーリー・パーカーのライブを聞いたことも、レコードを聞いたこともないような若い奴らが、チャーリーのことさえ馬鹿にする。単なる逃げです。
梯子の一番上から始めることなんて不可能なんです。きちんと下から登っていかないと。
基礎がないといけません。

音楽は生き続けています。チャーリー・パーカーがいて、それで最後なんかじゃないのです。
太陽が沈んで、しばらく真っ暗闇な期間があったとしても、突然に誰かが立ち上がり、太陽がまたのぼって、音楽における素晴らしいリーダーが現れるのです。
人々は、「バードは素晴らしかった。」と言って聞かないかもしれないけれど、新しいリーダーは否応なく現れる。注意深く、辺りを見回して耳をすませていれば必ず。
音楽は宗教の様なものです。
いつの時代にも、人より多く演奏し、人よりも度胸があって、人よりも多く表現することのある音楽家というのがいるのです。
だけどカオスからは何も生まれない。方向性というものがなければ、音楽は終わってしまいます。

アヴァンギャルドのミュージシャン達が、自分達は新しいことを発見していると思っているとすればそれは信じられないことです。
今演奏されていることの中で、これまでに演奏されたことのないものなんて存在しません。
少し違ったアプローチがあるかもしれないけれど、基本的には同じです。
窓の外を見て太陽があがっていることを確認して、「今は昼間です。」と得意になって言う人が何の称賛に値しますか?わかりきったことだと思いませんか?
太陽があがって、何かが起きて、何か画期的なことを発見した者だけが称賛を受けるに値するのです。バッハやベートーベンがそういう人達ですよ。彼らは自分達が何をしていたか理解していた。
それは彼らの領域での話です。黒人の音楽家である我々とは関係のない領域です。
我々の持っているのはスイングです。
白人の音楽家が「スイング」する唯一の方法は、ロープを使うことです。(注:ブランコ(英語でスイング)に乗ってればいい、という皮肉。)
スイングするのが我々の音楽的領域であって、我々はそこにとどまっていればいい。
ラテンの人々は彼らのやり方を貫いたし、アフリカの人々も彼らのやり方を貫いた。
なのに我々が、この世界でもっとも素晴らしいスイングというやり方を捨てる理由が一体どこにありますか?
ビートも何もない、ヤンヤン音がしてるだけのような変てこな音楽なんか・・
バッハやベートーベンのレコードを流してあげましょうか?凄くてひっくり返る様なものがありますよ。
彼らはあの音楽に精通している。 だけどあれは我々のものではない。
我々の持っているものは、スイングであって、それは恥ずかしがるようなことではないのです。誇りに思うべきものです。
我々は(ジャズを通して)色々な音楽的容れものに入ることができます。
ラテンの器、カリプソの器。 カリプソほどに素晴らしい器はこの世にありません。
ボサノバもあります。ボサノバは我々とも繋がっている。
我々は自身のアイデンティティを維持しなければならない。アイデンティティをなくしてしまうことこそが、奴らが求めていることなのですから。
我々が育むべき人材が育っていかないのは、若い才能がフリーダム・ミュージックのやり方に埋もれてしまって、「フリーで演奏するから勉強や練習はする必要がない」というような考え方に陥ってしまうからです。
近い将来、世代間で音楽家達が互いに乖離してしまうようなことが起こるでしょう。
さっき言ったような若い才能が、きちんと勉強しなかったことによって失われてしまう。
本当にそうなりますよ。
白人の若者達は、きちんと訓練されているから、彼らがそのうちに乗っ取ってしまうでしょう。
バンドに白人のミュージシャンを入れた奴らはそのうちに完全に乗っ取られてしまった。
我々にはスイングしかないのです。それが我々のアイデンティティです。
この国の黒人達がスイングというアイデンティティを失ってしまえば、それで奴らの画策はすべて成功したと言えるでしょう。そうならないことを神に祈ります。

<中略>

バードが言ってました。若いミュージシャン達には、ブルースの弾き方を学んで欲しいと。バード自身は少し表面をかじった程度だったから、と。
ブルースをきちんと習得することなしに、全部学びきったと思うなんてとんでもないことです。
本当にたくさんのやり方とアプローチがあって、それらを全部学ぶのにはすごく時間がかかるのです。
今の状況は本当に嘆かわしい。
けれど、変化は必ず訪れます。何かが起こるはずです。
誰かが何か素晴らしいものを持ってきて、これからはこういう方向性に向かうのだ、と導いてくれるはずです。そろそろ新しいリーダーシップが生まれてもいい頃ですし、私は本当にそう信じています。
今起こっていることは本当に忌々しいことだ。

この国の黒人のミュージシャン達は、協力して何かを成し遂げるというステージに達していません。
白人のミュージシャン達は協力するのが上手ですよ。もし頼めば、毎晩、年の始めから終わりまで、同じ演奏をしてくれるでしょう。協力的で、時間も厳守するし、エゴもありません。
彼らが何か素晴らしいことを成し遂げることがあれば、それは彼らに才能があるからではなくて、協調性があるから、ということにつきます。

私はこう思います。
神は、ソロモン王に対して、願うものはすべて与えられると教えました。
ソロモン王は長い間考えたすえに、自分の欲しいものは知識と英知だけであると言いました。
なぜなら知識と英知さえあれば、すべてのドアが開けられると思ったからです。
我々に必要なのもまた、協力し合うための知識と英知であり、そうして我々の前にもドアが開けるでしょう。何か世界に対して与えられるものを持っているのならば、道は開けるのです。
我々は社会的な理由で、協力し合うことがいままでできなかった。
黒人の若者達は落胆させられ、間違ったことを教えられてきました。
ひとりの人間が他の誰よりも金を持ちたがり、残りの我々には協力し合わなかったために何も残らなかった。
何年も時間が経ってからそんな間違いに気づくのです。気づいてからではもう遅いのです。
我々にできることは、若い世代が同じ間違いを犯さないためにドアを開けて導いてやることだけです。


辛辣な内容に、翻訳しながらいろいろな思いが交差した。
ブレイキーがこのインタビューで話した内容は、あまりジャズ史の表面では語られない部分であるかもしれない。少なくとも、21世紀の今では。
インタビューは1971年の12月に行われた。
68年にキング牧師が暗殺され、公民権運動及びブラック・パンサー党の運動が激化した時代であることを考えると、ブレイキーの音楽における人種についての過激な発言も仕方ないのかもしれないと思えてくる。
フリーダム・ミュージックについてはブレイキー自身がまったく良いイメージを持っておらず、
さらに彼はそれが「白人的な」音楽で、黒人文化を破壊するためのある種の陰謀であるとすら考えていたことが伺える。それはあまりにも極端で保守的なスタンスであるが、同時にこのようなブレイキーのコメントは、とても生々しくリアリティーを持って私達にせまってくる。
ジャズという音楽がアカデミックになり、古典になり、品格のある文化になり変わった今では忘れがちなことだけれど、もともとこの音楽は売春宿で生まれた「ストリート」の音楽で、
アフリカン・アメリカンの人々がまだ今よりももっと抑圧されていた時代に彼らに希望を与えたアイデンティティのひとつでもあった。
ブレイキーはそんな「ストリート」の立場からジャズという音楽を見ていた。
現代ではブレイキーの様に「ジャズは我々の所有する音楽でアイデンティティであり、他人種には弾けないものだ。」というようなあからさまな表現をする音楽家はほとんどいないと思うが、
実際のところ、ある種のアメリカ音楽が黒人にしか作り得ないという意識を持つ人は少なからず居ると思う。ただ、それが意図的であるかないかにかかわらず、そのような意識を持つ層がいることによって、人種によって創造できる音楽が(主観的にも客観的にも)精神的に規制されてしまうというのはなんとも哀しいことではないかと私は思う。
同時に、そのような精神的な枠組みを音楽のまわりに作らざるをえない状況を作った社会があり、その枠組みを必死で守ろうとした人々が居たのに対して、その精神的な枠組みをすべて取り払って自由になろうとした人々が居て、その彼らがフリーダム・ミュージックという流れをつくりだしていったのではないだろうか。



出典:Notes and Tones Musician-to-Musician Interviews, Expanded Edition by Arthur Taylor (蓮見令麻訳)

2016年3月10日木曜日

フリーダム・ミュージック 第二回

引き続き、アーサー・テイラーによるインタビューからの抜粋で、
「フリーダム・ミュージックをどう思うか?」という問いに対するミュージシャン達の答えを集めていく。

第二回目はフィラデルフィア出身のドラマー、フィリー・ジョー・ジョーンズ。
マイルス・デイヴィスとの共演によってその名を世に知らしめたフィリー・ジョーだが、マイルス以外にもジョン・コルトレーン、ソニー・クラーク、ビル・エヴァンスやエルモ・ホープを始めとして、ジャズの歴史を形作った第一線のミュージシャン達と共演した彼の経歴は輝かしいものだ。
ざっとその経歴を見ていくと、彼の参加作品はほとんどが50年代終わりから60年代終わりにかけてのビバップにかなり忠実なタイプのものばかりだ。
その中で注目したいのが、1969年にフィリー・ジョーが参加したアーチー・シェップのリーダー作品、「Blasé」。この録音でフィリー・ジョーは、デイヴ・バレルやレスター・ボウイなど、かなり「フリー」な面々と共演している。ここでのアーチー・シェップの音楽はかなり作曲構成されてはいるものの、ビバップからはかけはなれているという点で、フィリー・ジョーがフリーダム・ミュージックの世界と交差した瞬間のひとつはあるいはこの録音に聞くことができるかもしれない。また、フィリー・ジョーは晩年近く(またはもっと早い時期から?)にサンラ・アーケストラとも共演していることも興味深い。


「フリーダム・ミュージック」という言葉には私はなんの意味もないように感じます。
というのは、私はこれまでの人生の中でいつも「フリー」な演奏をしてきたからです。
自分の楽器についての深い理解がない限り、「フリーダム・ミュージック」を弾くことは不可能だと思います。
ひとつのとびらが開かれた、というただそれだけのことです。私がいわゆる「かばん持ち」と呼ぶ輩に対して、ジョン・コルトレーンはひとつのとびらを開いたのです。奴らはかばんの中に楽器を入れて持ち歩くでしょう?そうやって一年間ほどうろうろするわけです。そうしてすぐに、もしそのような機会があれば、つまり誰かがステージにあがっていいですよと声をかければ、嬉々としてステージに飛び上がり、自分の持つ楽器についての知識も何もないままにただ騒音を出すのです。
ジョン・コルトレーンは独自の演奏をやりました。彼は奇跡的に素晴らしく、熟練したミュージシャンです。 彼は勤勉で、本もよく読みました。
ジョンは最高のミュージシャンで、自身の楽器について、上から下まで知り尽くしていた。
上から下まで、と言ったけれど、それは、楽器のてっぺんの、そのさらに上から、一番下のさらに下の方まで、ということです。彼はどんどん飛び越えていくんです。
彼がやっていたことはとても美しかったし、同時に非常に良く構築されていた。
彼が動いて音を出すたびに、見ているこっちは、ジョンは例えサックスがさかさまであったとしても上手く弾けるんだろうと思わされました。
エリック・ドルフィーもそうです。ジョンやエリックは天才でした。
彼らは自分達が何をしでかすか、完全に知っていたのです。

己を知ることです。楽器は2年やそこらじゃあ習得できはしない。
私は27年ドラムを叩いてきているけれど、自分の満足いくほどに上達できていないんです。
あのトレーンさえも、自身の技術に満足できていなかった。それでも、彼は他のサックス奏者達を超越した演奏をしました。27年演奏してきた私が満足できていないのに、2年弾いただけの「かばん持ち」が果たして満足なんてできるでしょうか?そういう人に何年くらい楽器をやっているのか聞くと、大抵の場合は4年以下なんですよ。私はドラムを始めて4年目なんかはじたばたしていたものです。ステージにあがるなんてとてもじゃないけどできなかった。
4年目の頃は、ジョン・コルトレーンを聞いていました。彼は本当に美しい演奏をしていた。
その頃は、エディー・ロックジョウ・デイヴィスや、ベニー・ゴルソンがステージに立っていました。
我々はとてもじゃないけど彼らと張り合えなかった。フィラデルフィアで、年上のミュージシャン達が演奏するのを聞く毎日でした。

<中略>

フリーダム・ミュージックには沢山のファンが居るようだけど、彼らはほとんど音楽のコンセプトについて何も知らないんじゃないだろうか?そうでなければ説明がつきません。
サンラやファラオ・サンダースの場合には、ある種の全体性というものがあります。
ええ、彼らはあの類の音楽を正しく演奏していると思う。
サンラなんかは本当に素晴らしい音楽家です。彼のようにきちんと勉強した上でああいう弾き方をするミュージシャンの演奏は私は嫌いじゃない。あまりにも遠くへ行き過ぎるということがないからです。
かなり遠くに行くことはあっても、あまりにも遠くへ行きすぎてすべてが台無しになることは決してない。
サンラは、シカゴで何年もの間美しい演奏をしてきた人です。
彼は彼なりの「コズミック・ミュージック(宇宙の音楽)」を弾くと決めた。
彼の音楽は宇宙からおりてくるのです。それが彼の感覚なのです。
あのバンド(サンラ・アーケストラのことだろう)は本当に美しい演奏をします。
毎週月曜日にはニューヨークで猛練習していました。 バンドの誰しもが素晴らしかった。
パット・パトリック、ジョン・ギルモア、みんながです。
ジョン・ギルモアとは、二年間ほどストレートな音楽を一緒に演奏しました。
だから私には彼のコンセプトが何かわかります。一緒に仕事をし始める前にもシカゴで彼が演奏するのをよく見ていたし、サンラのバンドで演奏している彼を私が見つけてからも、彼はずっと素敵な演奏をしていました。

フリーダム・ミュージックは、それを演奏できる人だけが演奏するようにしたらいいと思います。
構成を開いて、フリーな演奏をするなんて、なんでもない。
楽器と混沌だけが存在する、たまにはそういうのもいいかなと私なんかは思います。
やってみる度胸はあっても、私がたまにフリーな演奏をしようとしても、なかなか統一性というものが得られません。単に手が導くところへ手を動かしている、という感じで。何をやってもいいわけですから。
そこには限界というものがありません。
ドラマーなんかは特に、フリーな演奏をしようとしても、楽器についての基本的な知識に欠けるために、ただ単に騒音を出すだけでつまづいてしまいます。
フリーダムというのは、ただ騒音を出すということじゃないと思いますよ。
前にも言った様に、みんなが「自由」に演奏してきたのです。
ソロをとる時には、どんな風に弾いたっていいのです。それは自由そのものじゃないですか?

音楽自体は変わっていません。みんな良い音楽が好きですから。
音楽は騒音とは違うのです。誰も騒音なんて聞きたくありません。
何か普通じゃない騒音が聞こえた時に、人は「なんだこの音は?」と言うでしょう?
フリーダム・ミュージックの中にはそれとほとんど変わらないものだってあるのです。

<中略>

それを「音楽」だと呼ぶミュージシャンもいるのです。
チャールス・ロイドがそんなことを言っていました。
ほとんどがジョン(コルトレーン)が探求していたものの中から切り取ったものなのに。
テナーを弾くミュージシャン達はこぞってジョンの真似をして、そこに何かを付け加えようとする。
だけどそういう奏者の演奏を聞いていると、ジョンの弾いたフレーズばかりが聞こえてくるわけです。
彼らはジョンのレコードを聞きながら練習しています。すぐにわかりますよ。
私自身もサックスをいくつか持っていますけど、彼らはそうやってステージにあがって、誰かの弾いたフレーズをそのまま弾くんです。自分自身を弾いていない。
チャールス・ロイドのレコードは二枚ほど持っていますが、彼の演奏の中でジョンのフレーズそのままのものがいくつもあって驚きました。
ジョンのようにただただ独自のやり方で前に進むことをしないで、みんな真似ばかりしている。
ジョンはいつも前に進み続けました。
そして、やろうとしていたことを完了できずに亡くなりました。
ミュージシャンの多くが、『クリフォード・ブラウンがもう少しだけ長く生きていれば、今でも彼の演奏を聞けたのに。』とか、『バードがもう少しだけ長く生きていれば・・・』だとか言っているのを聞きますが、そういうのはなんだか変な気がします。
だって彼らが今まで生きていたとして、あの頃と同じ演奏をしているとは限らないでしょう。
マイルスは今も演奏していて、クリフォードやバードのような位置にいます。ディジーもそうですし。
凝り固まってしまったり、後ろ向きになるのではなくて、前へ進もうとしているのです。


 このインタビューは1969年の10月に行われた。丁度アーチー・シェップとのレコーディングをした年であるのも面白い。
「フリーダム・ミュージック」に対する、かなり辛辣な意見には、約半世紀たった今読んでも、フリーというコンセプトを通しての良い音楽作りを志すものとしては恐縮してしまう。彼は他人にも自分自身にも厳しい生き方をした人だったのかもしれない。
だからこそあそこまでドラムの腕前をあげることができたのだろう。
「フリー」な演奏をすることは何も今はじまったことではない、昔からみんなそうやって演奏してきた、と言っている点は、ランディ・ウェストンと同じだ。
私個人的に思うことは、「ひとの真似をせずに独自のやり方で前へ進む」ということに興味がある奏者にとっては、フリーの演奏にたどりつくことはとても自然なことなのではないか、ということ。
「フリーダム・ミュージック」とひとくくりにしても、ひとつの演奏の中で、どれくらいの割合が既に構成されたもので、どれくらいの割合が完全な即興なのか、その完全な即興の中で、どれほど既成のジャズ言語の中から汲み取った音楽的「語彙」を使うか、そういうものによって印象がかなり変わってくると思う。
音楽が「外側」に飛び出る瞬間に、そこに自由や快楽を見出すか、それとも混沌や心地悪さを見出すかは、かなり人によって受け止め方が違ってくるだろう。



出典:Notes and Tones Musician-to-Musician Interviews, Expanded Edition by Arthur Taylor (蓮見令麻訳)

2016年3月5日土曜日

フリーダム・ミュージック 第一回


音楽家による音楽家へのインタビュー。
副題にそう記されているのは、Notes and Tonesという、ドラマーのアーサー・テイラーによる多数のジャズ・ミュージシャンへのインタビューからなる本だ。
この本で紹介されているインタビューは60年代の終わりから70年代の初めにかけて行われた。
テイラーは、様々なミュージシャンに対していくつかの同じ質問を投げかける手法をとっているのだが、その中のひとつで私が最も興味を引かれたものがあった。

What do you think about freedom music?
「フリーダム・ミュージックについてどう思うか?」という質問である。

現在はフリー・ジャズと一般的に呼ばれているものを、彼らはフリーダム・ミュージックと呼ぶこともあったようだ。
 オーネット・コールマンのThe Shape of Jazz to Comeが1959年に発表されてから、60年代初めにはセシル・テイラー、アルバート・アイラーやアート・アンサンブル・オブ・シカゴなどがいわゆるフリージャズを代表する作品群を次々に発表していった。
そんな時代背景の中で、「フリーダム・ミュージック」を痛烈に批判するミュージシャンも少なからず居た、ということを、私はこの本を読みながら初めて実感した。

そこで、自分自身の音楽に対するより深い理解のためにも、この質問の部分だけを切り取って、ミュージシャンごとの回答を訳し、紹介していきたいと思う。
 第一回はランディ・ウェストン。
彼は「フリーダム・ミュージック」をどう思っていただろうか。



まず初めにこの種の音楽に対して私が感じることですが、白人のライター達によってそのイメージが形作られているということです。
ファイブ・スポットでの出来事ですが、私の真向かいで、その夜オーネット・コールマンが演奏していました。
すると、客席に座っていたレオナード・バーンスタインが突然飛び出してきてこう言ったのです。
これこそがジャズの歴史における最高の場面であり、バードなんかは居なかったに等しいと。
まあこのような場面に代表される色々なことです。
私は、音楽を分析したりということは理解できません。
そういうのって、結構荒々しいことだと思いませんか?
初めにオーネットを聞いた時、私は良いと思えなかったのですが、今では彼の音楽が本当に好きです。
   フリーダム・ミュージックの功績というのはいくつかあります。
まず初めに、この音楽は今現在何が起きているかということを如実に反映しています。
ただ、私にとっては、 このフリーダム・ミュージックと俗に言われる音楽が、他の音楽よりも自由であるとは特に思えないのです。
モンクは一音を弾くだけで、信じられないほどの自由をそこに創造することができました。
自由を創造するためには、そんなに沢山の音は必要ないのです。
ひとつの音だけで曲が作れることもあるのです。
私の考えはこれだけです。
ここ数年の間で、音楽を通して、または音楽以外の別の場所で反抗の意思表明をしてきたミュージシャン達を沢山見てきました。
平たく言えば、この「フリーダム」という概念は新しいものでも何もないのです。
ジェリー・ロール・モートンを聞いたとき私はひっくりかえるような思いをしたし、
ファッツ・ウォーラーが弾くものなんて、その辺のアヴァン・ギャルドの奴らが弾いてるものかそれ以上に「自由」です。
「フリーダム」というのは自然な発展のかたちです。(ジャズ史において、という意味だと捉える)
そこから何が始まるのかはわかりませんが、これからもっと多くのアフリカ音楽の影響も我々の音楽に反映されていくでしょう。
もうそれ(アフリカ音楽のジャズへの影響)は起こっていますが、アヴァンギャルドほどに広告宣伝がなされていないだけのことです。
私が聞いたアヴァンギャルドの多くは、初期のヨーロッパの現代音楽の様でした。
聞いた感じこの種の音楽を好きだと思えないので、それらの音楽家の名前をあげられる程の知識は今のところないですね。

追記:
ランディ・ウェストンはブルックリン生まれのアメリカ人で、丁度この頃(インタビューは1968年と1970年の二回にわたって行われた)にアフリカ・ツアーを果たしている。
彼は1954年に初のリーダー作を発表し、ミュージシャンとしての活動を本格的に始めて割とすぐにアフリカへの興味を持ったのかもしれない。
ウェストンの音楽遍歴の中で、最初に明確なアフリカというテーマを主張したのは、Uhuru Africa (Roulette, 1960)だと思われる。「アフリカの自由」と題されたこのアルバムをターニング・ポイントに、ウェストンはアフリカというテーマをジャズを通して表現するというライフワークに足を踏み入れたのではないだろうか。
そんなことも考えると、アフリカをテーマにしたジャズというものが、「フリーダム・ミュージック」ほどに陽の目を浴びていないことをウェストンがもどかしく感じていた様子が伺える。
私の個人的な観点からすると、ランディ・ウェストンのピアノにはかなりアヴァン・ギャルドな要素が入っているように感じていたので、彼自身が、(少なくとも60年代〜70年代当時は)「フリーダム・ミュージック」に対してそれほど興味を持っていなかったということに少し驚いた。




出典:Notes and Tones Musician-to-Musician Interviews, Expanded Edition by Arthur Taylor
(蓮見令麻訳)



2016年2月3日水曜日

自由即興における儀式の場:アルバート・アイラー





アルバート・アイラーの吹くブルースを聞いて、
この人の音は何が違うのだろうと長い間考えてみた。

媚びずに、寄り添っている。
目の前が真っ白になるくらいの最上の喜びと、
哀しみの層を通り過ぎた後の恍惚と、
エネルギーをただ一点に集めて涙と共に流れ続ける怒りと、
全部が一緒くたになって、
マイナーとメジャーの間を鈍い金色の音が行き来する度に、
私達はあらゆる感情を旅する。

即興演奏をするということは、
自分の選択肢を創造することだ。
自分の創造を信じて、選択肢を信じることだ。
そうするためには、自分に嘘はつけない。
即興の演奏は自分の中にあるものをすべて反映するから、
信頼できる選択肢を創造できる人間性を自分の内に育むことだ。

それは極めて内省的なプロセスであるにもかかわらず、
響く音を出すことのできる奏者は、外界とほぼ一体化している。
そして自分を取り巻く世界に対しての信頼がある。
つまるところは、自分に対してもまた、信頼がある。
しかしそのひとは、演奏において醜さも情けなさもすべてをさらけ出す宿命にあるので、
自身への圧倒的信頼が、ナルシシズムに成り下がることがない。
醜さも情けなさもすべてをさらけ出すということは、
人間が、「社会においてあるべき姿」という鎧を脱いで、哀しみや弱さへの受け皿を持つ「信仰」の泉へ飛び込む行為である。
そして、そのような類の演奏行為は、信仰と儀式の持つ感覚に非常に近いものを私達に与える。
伝統音楽が受けおってきた、世界の中の儀式的な場所はほとんど生き残っていないかもしれない。
伝統音楽における儀式にはカタルシスがあり、
カタルシスの体験は私達の膿を洗い流してくれる。
自由即興には、その儀式としての場を作る力がある。